第二十九話 移送
地下水路最深部。
巨大な広間の真ん中で火が燃えていた。
帳簿、地図、契約書、封蝋付きの命令書。
積み上げられた書類が次々と炎へ投げ込まれる。
紙が黒く縮れ、文字が消え、証拠が消える。
火の粉が舞い、煙が天井へ昇る。
「急げ」
男が言った。
黒い外套。
顔は影に隠れている。
「北区の騒ぎは長く持たん」
周囲の者達が無言で作業を続ける。
慌てる様子はない。
最初から与えられた仕事をこなしているだけだった。
地下水路の奥からゴブリンの鳴き声が聞こえる。
「飼育区画は」
「開放済みです」
「全部か」
「全部です」
男は頷いた。
それでいい。
ゴブリンなど消耗品だ。
目的は戦うことではない、時間を稼ぐこと。
それだけだった。
「地上は」
「予定通り混乱しています」
「結構」
男は燃える書類を見つめる。
「十分だ」
◇
広間のさらに奥。
重い鉄扉の向こう。
そこだけ空気が違った。
餌桶。
藁。
糞。
骨。
無数の檻。
長年使われていた痕跡が残っている。
そして最奥、更に巨大な檻。
普通のゴブリン用ではない。
人間が十人入っても余るほどの大きさだった。
その前には荷馬車が待機している。
馬が落ち着かず、鼻を鳴らし、蹄で床を叩く。
「拘束具は」
「問題ありません」
「鎖は」
「三重です」
男は頷いた。
それでも表情は硬い。
「薬は打ったか」
「打ちました」
「量は」
「前回の二倍です」
答えた男の声にも緊張が混じっていた。
誰も檻へ近付きたがらない。
松明の火だけが揺れている。
その時だった。
ガン。
鈍い音が響く。
全員が固まった。
再び。
ガン。
鉄格子が震える。
馬が悲鳴のようないななきを上げた。
「押さえろ!」
御者が必死に手綱を引く。
だが馬は白目を剥いていた。
檻の中の恐怖、人間には見えない何かを感じているようだった。
男は僅かに眉を寄せる。
「急げ」
それだけ言った。
重い鎖が鳴る。
滑車が回る。
鉄が軋む。
檻の一部が開かれる。
暗闇の中で何かが動いた。
だが誰も見ようとしない。
視線を逸らしたまま作業を続ける。
まるで見たくないものを運ぶように。
◇
雨が降っていた。
ラーゴス南門付近。
街外れの倉庫街へ通じる道を四台の荷馬車がゆっくりと進む。
護衛は十数人。
だが統一感はない。
革鎧。
旅装束。
外套。
胸当。
商隊の用心棒にしか見えない、昼間に見れば誰が見ても普通の隊列だった。
それでも異様だった。
誰も喋らない。
誰も笑わない。
誰も荷台へ近付かない。
最後尾の荷馬車。
そこだけ護衛が多い。
車輪が深く沈む。
石畳へ重い轍を刻む。
その時、
ガギン。
荷台の内側から音がした。
鉄鎖が悲鳴を上げるような音。
護衛の一人が顔を強張らせる。
だが振り向かない。いや、振り向けない。
雨だけが降り続いている。
幌の隙間から一瞬だけ、黒いものが見えた。
毛皮なのか。
皮膚なのか。
分からない。
ただ大きい。
異様なほど。
そして「人間」ではない。
そのことだけは確かだった。
先頭を歩く男が低く言う。
「倉庫まで急ぐぞ」
誰も返事をしない。
ただ歩く。
荷馬車を守るように。
その時、荷台の奥から低い呼吸音が聞こえた。
ズゥ……
ズゥ……
巨大な肺が動く音。
眠っているのか、それとも起きているのか。
誰にも分からない。
だが護衛達はわかっていた。
もし目を覚ませば自分達では止められない。
だから誰も近寄らない。
雨の夜。
隊列はゆっくりと闇へ消えていく。
北区で流れる血も、地下水路の謎も、全て置き去りにして。
彼らはただ。
第七貨物だけを運び出していた。




