第二十三話 火種
昼前。
北区北東区画。
北方互助会の炊き出し場には、今日も長い列ができている。
痩せた老人。
顔色の悪い母親。
裸足の子供。
皆、木椀を抱えながら静かに並んでいる。
その列へ、ガルクとロイは汚れた外套姿で混ざっていた。
誰もが木椀を抱え、俯いたまま順番を待っていた。
その列の端で、ガルクはパンを齧りながらぼやく。
「……似合わねぇな、お前」
ロイがぼやく。
ガルクは肩を竦めた。
「潜入ってのは雰囲気だ」
「お前の場合、ただの飲んだくれか浮浪者だろ」
「間違ってねぇ」
二人は視線だけで周囲を探る。
炊き出しを仕切っているのは北方互助会。
笑顔の商人。
帳簿。
慈善活動。
だが、その周囲を囲む男たちは別だった。
腕の傷。
潰れた鼻。
戦場帰りみたいな目。
私兵崩れ。
あるいは傭兵上がり。
炊き出しというより、配給所の警備だった。
「……あいつ」
ロイが小さく呟く。
視線の先。
炊き出しの列へ、小柄な少女が声をかけていた。
ミアだった。
「北方互助会は困ってる人を助けてます」
「寝る場所もあります」
「仕事も紹介できますから……」
まだぎこちない。
だが必死に笑っていた。
周囲には互助会の腕章をつけた男たちがいる。
商人もいる。
ガルクが小さく眉を寄せる。
「……やっぱり変だな」
「何が」
「慈善団体にしては、“人を取り込む空気”が強すぎる」
その時だった。
ミアがこちらへ気づいた。
一瞬だけ目が揺れる。
だが彼女は、知らないふりをした。
ガルクも何も言わない。
互いに、“ここでは他人”として振る舞った。
そこへ。
「おい」
低い声。
振り向くと、私兵崩れの男が立っていた。
無精髭。
濁った目。
腰には棍棒。
「さっきから何見てやがる」
「別に」
「炊き出し欲しいなら並べや」
「炊き出しのパンとスープはいただきましたよ」
ガルクが木椀をヒラヒラとふる。
「じゃあ、女にちょっかいでも出そうってか?」
男の後ろにも数人いる。
空気が変わった。
ロイが小さく舌打ちする。
「絡んでねぇよ」
周囲の視線が集まり始めていた。
ガルクが面倒そうに頭を掻く。
「別に喧嘩しに来たわけじゃねぇよ」
「じゃあ何しに来た」
「暇潰し」
「舐めてんのか?」
男が一歩近づく。
その時。
「あーもう、やめなよ」
女の声。
人混みを掻き分け、リーネが現れた。
煙草を咥えている。
リーネは煙草を咥えたまま、呆れた顔をしていた。
「そいつ金持ってない貧乏人なんだから、脅しても酒代も出てこないよ」
「おい」
「昨日も酒場でツケ溜めてたし」
「嘘を言うな」
リーネが肩を竦める。
私兵崩れの男は舌打ちした。
「……チッ」
空気が少し緩む。
だが、その直後だった。
「この子また並んでる!」
女の怒鳴り声。
列の中で、小さな少女が腕を掴まれていた。
十歳くらい。
痩せている。
ボロ布みたいな服。
手には木椀が二つ。
「一人一杯って言っただろ!」
「ご、ごめんなさい……!」
少女が震える。
「お姉ちゃんの分なの……! 身体弱くて……だから……!」
痩せた子だった。
服はぼろぼろ。
頬もこけている。
「皆苦しいんだよ!」
「ズルするんじゃない!」
周囲からも責める声が飛ぶ。
少女は泣きそうになりながら頭を下げた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
その時。
下卑な男の一人が笑った。
「姉ちゃんいるのか?」
少女がびくりと震える。
「じゃあ連れてこいよ」
男は少女の腕を掴んだ。
「金なら払ってやる」
「ち、小さいのより、姉の方が楽しめそうだな」
周囲で下卑た笑いが起きる。
少女の顔が青ざめた。
「や、やだ……!」
「嫌じゃねぇだろ。飯食えんだぞ?」
リーネの目つきが変わる。
周囲で下卑た笑いが起きた。
少女の顔が真っ青になる。
リーネが顔をしかめた。
「……やめな」
だが。
その前に。
ガルクが動いた。
拳が男の顔面へめり込む。
骨の砕ける音。
男が吹き飛んだ。
「ガキ相手に何言ってんだクソ野郎」
ガルクが、男を地面へ叩き倒していた。
鼻血が石畳へ飛ぶ。
「北方の男がそこまで落ちちまったのか!」
怒声。
周囲の私兵崩れたちの警護役が一斉に武器へ手をかける。
ロイが頭を抱えた。
「うわぁ……やりやがった……」
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朝から、気分が悪かった。
セリスは北区の茶店に座っていた
北区の空は薄曇りだった。
昨日の雨が、まだ石畳へ湿り気を残している。
手の中には熱々の湯気を立てるカップが
だがなかなか口へ持っていかない。
昨夜のことが頭から離れなかった。
『血筋なんて関係ない!』
自分の声が蘇る。
感情をぶつけた。
泣いた。
しかもレインの前で。
セリスは額を押さえた。
「……最悪です」
軍へ入ってから、一度もあんな取り乱し方はしていない。
感情を抑えるのが軍人だ。
理屈で動くのが軍人だ。
なのに昨日の自分は、ただの子供だった。
『お願いだから……そこまで奪わないでください……!』
「……っ」
思い出した瞬間、胃が痛くなる。
消えたい。
いや、むしろ今日一日くらい消えていたかった。
だからセリスは珍しく非番願いを出した。
本当は休みたかったわけじゃない。
ただ。
今の状態でレインと顔を合わせたくなかった。
あんな弱い姿を見られた後で、いつもの副官の顔をできる自信が無かった。
セリスは深く息を吐く。
近くでざわめきが聞こえた。
北区では珍しくない。
喧嘩か、酔っ払いか、炊き出しの揉め事か。
放っておけばいい。
今日は非番だ。
軍人ではなく、ただ休む日だ。
そう思った。
だが。
悲鳴が聞こえた。
子供の声だった。
セリスの眉が動く。
数秒。
迷った。
そして舌打ちした。
「……本当に休みになりませんね」
身体は勝手に動いていた。
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炊き出しの場は騒然としていた。
怒号。
悲鳴。
鍋が倒れる。
粥が石畳へぶち撒けられた。
貧民たちが逃げ惑う。
「やめろ!!」
「警邏隊呼べ!!」
誰かが叫ぶ。
だがもう遅かった。
怒りは連鎖する。
「上の連中は俺たちを馬鹿にしてんのか!」
「配給を独占しやがって!」
「役人は何してる!!」
怒号が広場を埋め尽くす。
積み重なっていた不満が爆発しかけていた。
「デモだ!」
「役人ども引きずり出せ!」
「北区を見捨てやがって!」
群衆が熱を帯び始める。
その時だった。
少女が、人混みから逃げ出した。
「まちなさい!」
互助会の男が追う。
「ご飯が食べられない可哀想な君の事だ、一緒に来ればもう何も怖くないよ」
少女が泣きながら首を振る。
男が乱暴に腕を掴んだ。
その瞬間。
「――その手を離しなさい」
鋭い女の声。
群衆が揺れる。
人混みを掻き分け、一人の女が現れた。
セリスだった。
軍服ではない。
簡素な灰色の外套。
非番用の服装。
だが背筋は軍人そのものだった。
「こいつ知ってるぞ、軍の女だ!」
誰かが叫ぶ。
私兵崩れの男が笑った。
「なんだぁ? 今度は軍隊様か?」
「出世したいんだろ?」
「俺ら押さえつけて点数稼ぎか?」
周囲の空気が荒れる。
「役人はいつもそうだ!」
「俺たちが飢えてても知らん顔しやがって!」
「中央の犬!」
怒号がセリスへ向く。
だが彼女は退かなかった。
「武器を下ろしてください!」
「これ以上騒ぎを広げれば負傷者が出ます!」
「うるせぇ!」
石が飛ぶ。
セリスの肩へ当たった。
それでも彼女は立つ。
「こいつらがはじめに喧嘩をはじめたんだ!」
周りの人間がガルクとロイを指さす。
「貴方達…」
「いや、だってさ、これには深い訳があるわけで」
「話は後で聞きます。まずはこの状況を」
セリスは掴まれたままの少女に目をやる。
小さな背中。
怯えた顔。
震える手。
――昔の自分みたいだった。
一瞬。
昨夜の記憶が蘇る。
捨てられた子。
使われるだけの存在。
居場所が欲しかった。
誰かに、“ここにいていい”と言って欲しかった。
そして。
脳裏にレインの声が浮かぶ。
――奪うつもりはない。
セリスは前へ出た。
男の腕を掴む。
「その子を離しなさい」
「……あぁ?」
「離せと言っています」
男が笑う。
「軍の女が何様だ?」
「命令です」
セリスの声は低かった。
「従わない場合、治安維持名目で拘束します」
空気が張る。
周囲の私兵崩れたちが武器へ手をかけた。
「上等だ」
「やってみろよ軍人様」
セリスは少女を背中へ庇う。
逃げなかった。
熱を浴びた群衆がまさに暴徒と化す狭間。
その瞬間だった。
――ゴゴゴゴゴ……。
地面が震えた。
全員の動きが止まる。
次の瞬間。
広場の石畳が爆ぜた。
轟音。
悲鳴。
地下水路の鉄格子が内側から吹き飛ぶ。
黒い泥水が噴き上がった。
そして。
そこから現れた。
子供ほどの背丈。
灰色の皮膚。
異様に長い耳。
裂けた口。
地下の腐臭を纏った魔物。
ゴブリンだった。
「――魔物だァァァ!!」
絶叫が北区へ響いた。




