第二十二話 繋がり
翌朝。
雨は止んでいた。
だが北区の空気は重いままだった。
濡れた石畳。
汚水の臭い。
朝だというのに、路地には痩せた浮浪児が蹲っている。
レインは警邏隊本部へ出勤すると、北東地区の地図を机へ広げた。
昨夜、ミアから聞いた話が頭に残っている。
炊き出し。
北方互助会。
急に羽振りが良くなった商人。
そして、“兵隊みたいな男たち”。
偶然ではない。
地下水路の密輸。
失踪した冒険者。
最近の物価高騰。
全部がどこかで繋がっている。
執務室の扉が開いた。
ガルクとロイが入ってくる。
ガルクはレインの顔を見るなり吹き出した。
「おいおい。朝から死体みてぇな顔してんな」
「元からだ」
「違ぇな。今日は“寝不足の男になった顔”だ」
ロイ椅子に腰掛けながら笑う。
「で? どうだったんだよ、昨夜」
レインは地図から目を離さない。
「何がだ」
「何がだ、じゃねぇよ。あの嬢ちゃん抱いたのかって話だ」
ガルクがニヤつく。
「店の女が“擦れてないの付ける”とか言ってたじゃねぇか」
「お前、顔真っ赤だったしな」
「昨夜は仕事をしたまでだ」
「出たよ」
ロイが肩を震わせる。
「こいつ絶対そう言うと思った」
「で、結局どうなんだ」
レインは数秒沈黙した。
「……話を聞いただけだ」
一瞬。
ガルクとロイが顔を見合わせる。
そして同時に吹き出した。
「ははっ!」
「やっぱりか!」
「金払って世間話して帰ってきたのかお前!」
「北区の娼館で情報収集だけして帰るとか逆に怖ぇよ!」
レインの眉間に皺が寄る。
「必要な情報は得た」
「女泣かせだなぁ」
「いや逆だろ。あの兄ちゃん多分、嬢ちゃんの方が困ってるぞ」
ガルクは笑いながら煙草へ火をつけた。
「まぁいい。で、その“必要な情報”ってのは?」
空気が少しだけ切り替わる。
レインは地図を指で叩いた。
「北方互助会を調べる」
ロイが眉を上げる。
「真正面から行くのか」
「炊き出しの規模が異常だ。流れてる金と物資の量が合わない」
ガルクが煙を吐く。
「裏はあるだろうな」
「その間、お前たちに別件を頼みたい」
「失踪冒険者か?」
「ああ」
ガルクが少し真顔になる。
「……昨夜、ドクから追加で話を聞いた」
レインが顔を上げる。
「何だ」
「消えた新人冒険者。最後に受けてた依頼、“北区の聞き込み”だったらしい」
「何を追っていた」
「炊き出し周辺の噂だ」
ロイが腕を組む。
「最近、孤児が妙に消えるって話があったらしい」
空気が冷えた。
ガルクが続ける。
「その新人、聞き込み中に見たんだと」
「何を」
「孤児が菓子を貰って、裏路地へ連れて行かれるところを」
レインの目が細くなる。
「……誰に」
「フード被った連中だ。そいつらを追いかけて、それっきり」
「目撃者は」
「別の冒険者が見てた」
ガルクは煙草を灰皿へ押しつける。
「路地まで覗き込んだが怖くなって逃げたらしい。“路地の奥に兵士みたいな男がいた”ってよ」
兵士。
まただ。
商人。
地下水路。
私兵崩れ。
辺境。
全部が一本に繋がり始めていた。
「分かった」
レインは立ち上がる。
「ドクにはこの失踪冒険者の件の調査を依頼したいと伝えて欲しい。目撃者に関しては消されるかも知らないから保護するよう付け加えて。加えて炊き出し周辺の裏路地も洗ってくれ」
「報酬は?」
「…また酒を奢る」
「それは良い報酬だ」
ガルク等が立ち上がり振り返ってレインに言う。
「深入りしすぎんなよ」
「どういう意味だ?」
ガルクが笑った。
「どんな意味だろうな」
―――――
昼。
レインは単独で北方互助会の炊き出し場へ向かった。
北東区画の広場。
既に長蛇の列ができている。
痩せた老人。
母親。
浮浪児。
皆、木椀を抱えて並んでいた。
大鍋から湯気が立つ。
粥の匂い。
だが、その光景の中で異質なのは炊き出しを仕切っている人間たちだった。
配給しているのは商会の人間だ。
帳簿を持ち、愛想よく笑っている。
だが荷車を運び込んでいる連中は違う。
肩幅が広い。
腕に古傷。
歩き方が荒い。
人を見る目が鋭い。
食料運搬ではなく、戦場帰りの人間の空気だった。
私兵崩れ。
あるいは元傭兵。
荷車を守っているというより、周囲を監視している。
レインは広場の端から様子を見る。
その時。
「……また来た」
小さな声。
振り向くと、浮浪児の少年がいた。
「何がだ」
「あいつら」
少年は荷車の男たちを見ていた。
「最近よくいる。夜もいる」
「何をしてる」
「知らない、けど」
少年はニタリと笑う
「お菓子とかパンをくれるんだよ」
レインの視線が細くなる。
「軍人さん、お腹が空いてるんだけど」
レインは銅貨を一枚渡した。
「話したことは黙っていろ」
少年は硬貨を握ると、すぐ人混みへ消えた。
レインは広場を見渡す。
炊き出し。
慈善。
笑顔。
その裏で、人間が消えている。
そして、それを囲む兵士崩れの男たち。
まるで軍の様に統制の取れた空気だった。
―――――
夕方。
レインは警邏隊本部の資料室へ入った。
古い帳簿をめくる。
北方互助会。
地下水路。
商会。
辺境。
断片的だった情報が、少しずつ線になっていく。
そして一つの名前が繰り返し出てきた。
ヴァレニア。
北方辺境伯家。
二流貴族。
王都では大した影響力を持たない。
だが北方では古くから土地と兵を持つ家だった。
さらに調べる。
古い監査記録。
物資台帳。
北方飢饉時の報告書。
そこでレインの指が止まった。
「……横流し」
不作の年。
北方で飢餓が発生した時期。
ヴァレニア家は救援物資の一部を私的に流用していた疑惑が残っていた。
結果、領民の暴動が発生。
王都から監査が入り、ヴァレニア家は失脚。
北方での影響力を大きく失っている。
だが、そこで終わっていなかった。
失脚後。
ヴァレニア家の系譜を引く元家臣や分家筋が、王都北区で新たな組織を作っている。
北方互助会。
名目は、北方出身者を助ける慈善団体。
だが実態は違う。
物資の流通。
炊き出し。
地下水路。
そして私兵。
さらに資料を追う。
そこで別の名前が浮かんだ。
マルシア。
中央貴族。
近年急速に勢力を伸ばしている派閥。
北方互助会へ流れている資金の一部が、マルシア派商会を経由していた。
「……繋がったか」
ヴァレニア残党。
マルシア家。
私兵。
北区。
全部が繋がっている。
そしてレインの目が止まる。
セリス・ヴァレニア
ーーー
夜。
執務室にはランプの火だけが残っていた。
扉が開く。
セリスが入ってくる。
「報告書を――」
「セリス」
低い声。
彼女の言葉が止まった。
レインは机の資料を閉じる。
「ヴァレニア家について聞きたい」
一瞬。
セリスの表情が固まる。
だがすぐ、いつもの副官の顔へ戻った。
「……どこまで調べたんですか」
「ヴァレニア家が飢饉と横流しで失脚したこと」
「……」
「その残党が北方互助会を運営している」
セリスの睫毛が僅かに揺れた。
「さらにマルシア家が資金を流している」
沈黙。
窓の外では雨が降り始めていた。
やがてセリスが小さく息を吐く。
「私は詳しく知りません」
冷静な声だった。
「母のことも、自分の出生も」
レインは黙って聞く。
「知っているのは、私が“マルシア分家筋の男と妾の間にできた子”だということだけです」
「ヴァレニアに預けられていた」
「はい」
「養子か?」
セリスは少しだけ笑った。
「使用人です」
淡々としている。
だが、その淡々さが逆に痛々しかった。
「薪を割って、洗濯をして、油壺を運んでいました」
「……」
セリスは理屈を並べるように続ける。
「辺境伯にとって私は“中央から押し付けられた厄介者”だったのでしょう」
「十五で軍へ入ったのか」
「いえ、正しくは命ぜられたというところでしょうか」
「理由は」
「後から知りました。マルシア家が私をヴァレニア家から遠ざけたかった」
雨音が強くなる。
「ヴァレニア家は失脚した。だからもう利用価値が薄れた」
「……」
「だから軍へ送られたんです」
セリスは視線を逸らさない。
まるで感情を理屈で押さえ込むように。
「私は政治の駒でした」
「北方互助会との関係は」
「ありません」
即答。
だがレインは静かに言う。
「お前の血筋は向こうに利用できる」
その瞬間。
セリスの呼吸が止まった。
「……違います」
「セリス」
「違うんです」
声が僅かに震える。
「私は関係ない」
理屈っぽく返そうとしている。
だが感情が追いついていない。
「私は軍人です」
「血筋で見ていない」
「でも疑ってる」
セリスの目が揺れる。
「また、そうやって……」
その瞬間だった。
何かが切れたように、彼女の肩が震えた。
「私は……捨てられたんです」
初めて、理屈ではない声だった。
「辺境でも」
「中央でも」
「ずっと“いらないもの”だった……!」
涙が落ちる。
「軍だけだったんです……!」
呼吸が乱れる。
「働けば認められた!」
「出自なんて関係なかった!」
「だから必死にやったんです!」
セリスは唇を噛む。
そして。
泣き崩れるようにレインへ詰め寄った。
「ここまで無くなったら……!」
「私はどうすればいいんですか……!」
震える声。
「また捨てられたら、私も身体売って生きればいいんですか……!?」
執務室が静まり返る。
雨音だけが響いていた。
セリスは肩を震わせながら俯く。
「軍は……最後の居場所なんです……」
レインはしばらく黙っていた。
やがて低く言う。
「奪うつもりはない」
セリスの肩が小さく震える。
「だが敵は、お前の血筋を利用するかもしれない」
「……」
「だから確認した」
セリスは嗚咽を押し殺したまま立ち尽くしていた。
レインは窓の外を見る。
北区の灯りが雨に滲んでいる。
地下水路。
消えた孤児。
北方互助会。
ヴァレニア残党。
中央貴族マルシア。
そして軍。
この街の闇は、もう後戻りできない場所まで繋がっていた。




