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北方徴募兵団 ~使い潰される最前線で数字を見ても英雄にはなれなかった~  作者: 社畜太郎


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第二十一話 壊れかけの灯り

 リーネは煙草を咥えたまま、レインをじっと見た。


「……あんたさ」


「何だ」


「童貞でしょ」


 ロイが吹き出した。


 ガルクは腹を抱えて笑う。


「やっぱ分かるか」


「分かるわよ。女慣れしてない男って、目線が変に真面目なんだから」


 リーネは呆れたように酒を飲む。


「女買いに来たんなら、最近入った子つけてあげる」


「いや、俺は——」


「情報だけ聞いて帰るつもり?」


 リーネは鼻で笑った。


「そんなの逆に怪しいの。ここ、“遊びに来る場所”なんだから」


 ガルクが頷く。


「正論だな」


「おい」


「抱く抱かねぇは好きにしろ。だが“普通の客”にはなれ」


 ロイも酒を煽りながら笑う。


「北方の若旦那は大変だなぁ」


 レインが眉を寄せる間にも、リーネは席を立っていた。


「待ってな。擦れてないの一人いるから」


「おい」


「安心しな。あんたみたいなのなら、あの子もまだマシだ」


 意味深な言葉だけ残し、奥へ消える。


 店内では笑い声が響いていた。


 酔客。


 煙草。


 安酒。


 楽器の音。


 その喧騒の中で、レインだけが妙に場違いだった。


 数分後。


 リーネが一人の少女を連れて戻ってくる。


「ほら、ミア」


 少女は小さく頭を下げた。


「……よろしく、お願いします」


 声が細い。


 年齢は十代後半ほど。


 薄い茶髪は腰まで伸びていた。


 化粧は薄い。


 大きな瞳。


 白い肌。


 怯えたような目。


 薄布越しにも分かる女らしい身体つき。


 だが、その表情だけが幼い。


 未熟な顔と、完成された女の身体が噛み合っていなかった。


 レインは少し視線を逸らした。


 ミアはそれを拒絶と勘違いしたのか、不安そうにリーネを見る。


 リーネが煙草を指で弾いた。


「大丈夫。乱暴するタイプじゃない」


「……ほんと?」


「多分ね」


 ガルクが吹き出した。


「適当だなぁ」


 リーネはレインへ視線を戻す。


「金はミアに払っといて。あと、変に優しくしすぎないで」


「何故だ」


「半月前に売られてきた子。まだ客慣れしてないの。勘違いするから」


 その言葉だけ、妙に現実的だった。


 ミアは俯いていた。


「ちょうどいいじゃねえか。初心者同士」


「やめてください」


「ははっ、顔真っ赤だぞ」


 ロイまで酒を吹きそうになっていた。


 レインは深く息を吐く。


「……これは必要なことなのか」


「北区ではな」


 リーネが現実的な声で言う。


「男は酒と女に金を落とす。逆にそれをしない客は警戒される」


「つまり、周囲へ溶け込めと」


 リーネはレインの空になった杯を回した。


「あと、この子にも金は必要」


 ミアが小さく視線を下げる。


 レインは小さく息を吐いた。


「……行こう」


 少女が小さく頷く。


 店の奥。


 細い廊下。


 香油と煙草の匂い。


 酔客の笑い声が遠ざかっていく。


 裏口を抜けると、小さな宿屋へ繋がっていた。


 雨音だけが静かに響いている。


 ミアは少し距離を空けたまま歩いていた。


 その背中は、まだ怯えている子供のように小さかった。


 ―――


 裏手の宿屋は静かだった。


 古い木階段が軋む。


 店の喧騒だけが遠く聞こえていた。


 部屋へ入る。


 狭い部屋だった。


 寝台。


 机。


 小さなランプ。


 雨音が窓を叩いている。


 扉が閉まった瞬間。


 ミアの空気が変わった。


 ぎこちなく笑う。


「えっと……お酒、飲みますか」


「いや」


「じゃ、じゃあ……」


 少女は急いで靴を脱ぐ。


 その動きが妙に焦っていた。


 そして。


 覚え込んだような手つきで服へ手をかける。


 肩紐が落ちる。


 薄布が滑る。


 白い肌が灯りへ浮かんだ。


 柔らかな胸。


 細い腹。


 成熟した女の身体。


 だが、その顔だけが怯えていた。


「……こういうの、好きですよね」


 少し上目遣いになる。


 胸を寄せる。


 見よう見まねで覚えた仕草だった。


 レインは気づく。


 少女の指が震えていた。


「……誰に教わった」


 ミアが止まる。


「え」


「その仕草だ」


 少女は困ったように笑った。


「お店の女の人たち、です」


「……」


「ちゃんとしないと怒られるから」


 その言い方が軽かった。


 軽く言えるくらい、もう慣れてしまっている。


「何をされる」


 ミアは少し黙る。


 それから視線を逸らした。


「折檻」


 短かった。


「お客さんを怒らせるなって」


 レインは答えず、窓を叩く雨音へ耳を向けた。


 少女は慌てて続ける。


「でも私まだ全然上手くなくて、その……だから頑張らないとって」


「抱かれたことは」


 ミアは首を振った。


「……ないです」


 静かな声だった。


「まだ“売り物”じゃないから、練習だけって」


 その言葉に、レインの目が僅かに細くなる。


 少女は自分の身体を抱いた。


 寒いのか。


 怖いのか。


 多分、その両方だった。


「……私、上手くできていませんか」


「いや」


「ほんと?」


「ああ」


 ミアは少し安心したように息を吐く。


 その姿だけは、普通の少女みたいだった。


 だが次の瞬間。


 また思い出したように胸を寄せる。


 “そうしなければならない”と、自分へ言い聞かせるように。


 レインはそこで理解した。


 この少女は、恋も、信頼も、身体を重ねる意味も知らない。


 ただ、男に求められる形だけを必死に覚えようとしている。


 生きるために。


「座れ」


 レインが言うと、ミアは素直に寝台の端へ腰掛けた。


 膝が揃っている。


 慣れていない女の座り方だった。


 レインは部屋の中を軽く見回す。


 窓。


 裏口。


 隣室の音。


 その様子を見て、ミアが少し笑った。


「やっぱり」


「何がだ」


「普通のお客さんじゃない」


 レインは答えなかった。


 ミアは虚ろな目でレインを見る。


 “どう見せれば喜ばれるか”を探している顔だった。


 レインは視線を逸らしかけて、ふと止まる。


 うなじ。


 そこに黒い刺青があった。


 商会系奴隷の刻印。


 小さな鎖の紋章。


 ミアはレインの視線に気づき、反射的に首元を隠した。


「あ……」


「商会か」


 少女は少し黙った。


 それから観念したように、小さく頷く。


「……昔の、です」


「今も消えていない」


「消すと怒られるから」


 レインは静かに椅子へ座った。


 ミアは少し戸惑う。


「……しないんですか」


「何を」


 少女は困ったように笑った。


「そういうの」


「お前、ずっと怯えてる」


「怯えてません」


「嘘だな」


 ミアは視線を落とした。


 細い指が、自分の服を握っている。


 雨音だけが部屋に響く。


 やがてミアはぽつりと言った。


「……怒らないんですね」


「何に」


「私の誘い方が下手でも」


 ミアは笑おうとした。


 だがうまく笑えていなかった。


 レインはミアの体ではなく、うなじの刻印へ目を向ける。


「その刻印は」


「……はい」


「今の商会のか」


「違います。前のところ」


 苦笑する。


 笑い慣れていない顔だった。


「北方か」


「はい」


「村は」


「もう無いです」


 即答だった。


 ミアは膝の上で指を組む。


「雪で家畜が死んで、次の冬に食べるもの無くなって……」


 少し視線を落とした。


「弟と妹がいたから」


「お前が売られた」


 ミアは頷く。


「残っても、多分みんな死んでました」


 北方では珍しくない。


 だからこそ重い。


「最初は農場でした。朝から夜まで働くだけだったから、まだ良かったんです」


「その後」


 ミアの声が少し止まる。


「買い直されました」


「商人か」


「はい」


 少女は無意識に腕を擦った。


「逃げた子がいて……見せしめで」


 そこで口が止まる。


 言葉にしたくない顔だった。


 レインは無理に聞かなかった。


「今の店は」


「前よりマシです」


 少しだけ即答だった。


「暖かいし、ご飯もあるし……殴られません」


「それで十分か」


 ミアは少し考える。


「……十分じゃない人は、多分もう死んでるから」


 雨音だけが響いた。


 しばらくして。


 レインは自然な動きで寝台へ腰をずらした。


 肩へ腕を回す。


 外から見れば、ただの客と娼婦だった。


 だが声は低い。


「最近、商会の動きが変わったな」


 ミアの身体が少し強張る。


「……分かりません」


「地下水路を使ってる」


 少女の目が揺れた。


「何を運んでる」


「知らないです」


「本当にか」


「……リーネさんが私には知らなくていいことだって」


 ミアは俯いた。


「最近、お店に怖い人増えました」


「辺境の連中か」


 少女が顔を上げる。


「なんで分かるんですか」


「見れば分かる」


「兵隊みたいな人、多いです。商人なのに」


 レインは小さく息を吐いた。


 やはり繋がっている。


 商会。


 地下水路。


 辺境貴族。


 その時。


 ミアがぽつりと言った。


「……貴方、軍人ですよね」


 レインの視線が止まる。


「なぜそう思う」


「歩き方」


「……」


「あと、人の見る場所が違う」


 ミアは少し困ったように笑った。


「普通のお客さんは、部屋入ったら女のことしか見ないもの」


 レインは答えない。


「でも貴方、窓と扉見てた」


「癖だ」


「軍人さんか、傭兵さんくらいです。そういうの」


 少女は少しだけ安心したように息を吐く。


「だから、ちょっと安心しました」


「なぜだ」


「ちゃんと目を見てくれてるから」


 それは褒め言葉ではなく、経験則だった。


 レインはゆっくり腕を離す。


 ミアが少し不思議そうな顔をする。


「……しないんですか」


「何を」


 少女の顔が赤くなる。


「だから、その……」


 しばらく迷ってから、小さく言った。


「……私、まだなんです」


「まだ?」


「処女、です……」


 雨音だけが部屋に響く。


 やがてミアは、小さく息を吸った。


「……やっぱり、私じゃ駄目ですか」


「そういう話じゃない」


「でも、お金払ってるし……」


 慣れていない。


 けれど、“そうしないといけない”とは教え込まれている。


 そんな笑い方だった。


 レインは短く息を吐く。


「金は払った」


「……はい」


「気があるなら、もう終わってる」


 ミアがぱちぱちと瞬きをした。


「……え?」


「お前、本当は今夜初めてを失っていいとは思っていないだろう」


 少女の肩が少し震える。


 図星だった。


「それを無理にどうこうする気はない」


 ミアはしばらく黙った。


 それから小さな声で言う。


「……優しいんですね」


「違う」


「じゃあ変」


 少しだけ笑った。


 その顔は年相応だった。


 だが次の瞬間。


 ミアは意を決したように、ゆっくり立ち上がった。


「でも……」


 指先が震えている。


 肩に掛けていた毛布が、はらりと床へ落ちた。


 白い肌が灯りへ浮かぶ。


 細い身体。


 まだ少女らしさを残している。


 けれど、その華奢な線の中には若い女の柔らかさがあった。


 胸元を隠すように腕を寄せながら、それでも見せようとしている。


 不器用だった。


 計算された色気じゃない。


 ただ、“女として見て欲しい”という必死さだけがあった。


 濡れた睫毛。


 熱を持った頬。


 少し上目遣いになった灰色の瞳。


「……私、魅力ないですか」


 レインは思わず視線を逸らした。


「いや」


「じゃあ」


「そういう顔で聞くな」


 ミアが少しだけ目を丸くする。


 レインは窓の方を見たまま言った。


「今は、その時期じゃない」


「時期って……」


「時期は時期だ」


 真顔だった。


 数秒。


 ミアは呆然としていたが。


 やがて耐えきれなくなったように、小さく吹き出した。


「……変な人」


「よく言われる」


「軍人さんってもっと怖いと思ってました」


 ミアは服を抱えながら、少し安心したように座り直した。


 空気が少し柔らかくなる。


 レインは小さく息を吐く。


「代わりに聞かせてくれ」


「何を?」


「金額分。お前の話を」


「……私の?」


「故郷でも、家族でも、最近の街でもいい」


 ミアは少し不思議そうに笑った。


「そんなの聞きたがるお客さん、初めて」


「そうか」


「うん」


 少女は膝を抱えるように座り直す。


 そして雨音の中、ぽつぽつと話し始めた。


「故郷は北の小さい村でした」


「寒かったか」


「寒いなんてもんじゃないです。冬になると、朝には水桶が凍ってるし」


 少し笑う。


「布団の中で息すると、顔の前白くなるんですよ」


「北方らしいな」


「父は猟師でした。でも足悪くしてから獲物取れなくなって」


 ミアの視線が少し落ちる。


「母が畑やって、私も手伝ってました。弟と妹がいて……」


 その時だけ、表情が少し柔らかくなった。


「妹、すぐ泣くんです。寒いーって」


「弟は」


「強がりでした。“俺が家守る”とか言って木の棒振り回して」


 レインは少しだけ目を伏せる。


 北方では、子供ほど早く大人になろうとする。


 そうしないと生き残れないからだ。


「最近の街は」


 ミアの顔が現実へ戻る。


「変です」


「どう変だ」


「急にお金持ってる商人が増えました」


「北東区画か」


「うん」


 少女の顔をした女は頷いた。


「でも普通の人は逆に苦しくなってる」


「物価か」


「米と油、上がってきています」


 レインの視線が止まる。


「前なら貧民街でも薄い粥くらい作れたのに、今は無理って人増えてる」


 ミアは指先を弄りながら続ける。


「パンも小さくなってるし、油も薄めて使ってるって」


「理由は」


「皆、“最近は人と物が流れてる”って言ってました」


 そこで少し迷ってから、小さく続けた。


「あと……商会の人、“もうすぐ北は変わる”って」


「誰が言っていた」


 ミアは少し迷ってから、小さく答えた。


「……北方互助会の人、です」

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