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北方徴募兵団 ~使い潰される最前線で数字を見ても英雄にはなれなかった~  作者: 社畜太郎


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第二十話 北区の灯り

 地下水路を出た時には、雨が強くなっていた。


 石畳を打つ雨音が、ラーゴスの街を鈍く包んでいる。


 レインは外套の水を払った。


 地下水路の腐臭がまだ鼻に残っていた。


 逃げ出してきた少女は、警邏隊の保護施設へ回した。隊本部への報告も済ませてある。


 だが問題は増える一方だった。


 地下水路。


 不正流通。


 人身売買。


 消えた新人冒険者。


 全部が裏で繋がっているのだろう。


 セリスが言う。


「中央へ正式な増援申請を出すべきです」


「ああ」


「今回は流石に、警邏隊単独では危険です」


 その声はいつもより固かった。


 ガルクが鼻を鳴らす。


「堅ぇなあ、お前ら」


「実際危険です」


「危険なのは知ってる」


 ガルクは肩を回した。


「だからまず酒だ」


 セリスが眉をひそめる。


「……は?」


「冷えただろ。地下水路なんざ入った後は酒飲まねぇと体が腐る」


「勤務中です」


「じゃあ仕事として飲め」


 ガルクは当然のように言った。


「情報集めだよ。北方じゃ酒場で情報拾えない奴なんざ二流だ」


 ロイも頷く。


「地下水路の件、冒険者の失踪、最近の炊き出し。全部“表の場所”じゃ誰も喋らねぇ」


「裏で聞く必要がある、と」


「そういうことだ」


 ガルクはレインを見る。


「酒代払え。これは正しい報酬だ」


「随分安いですね」


「地下水路潜った後に飲む酒は高ぇんだよ」


 ガルクは笑った。


 その時、セリスが言う。


「なら私も同行します」


「駄目だ」


 ガルクが即答した。


「女は入れねぇ」


「何ですって?」


「娼館がやってる酒場だからな。女連れは嫌がられる」


 セリスの目が細くなる。


「あなた今、かなり失礼なことを言いましたよね」


「事実だ」


 ガルクは悪びれなかった。


「あとお前、軍人の匂いが強すぎる」


「匂い?」


「姿勢。喋り方。周囲見る目。全部だ」


 ロイも苦笑する。


「警邏隊の副官殿は真面目すぎんだよ」


 セリスは明らかに不満そうだった。


 だがレインは言った。


「今回は別行動にしよう」


「……ですが」


「増援申請の準備を頼みたい。隊長にも地下水路の状況を整理して報告してくれ」


 セリスは少し黙った。


 納得はしていない顔だった。


 だが軍人として優先順位は理解している。


「分かりました」


 低い声で答えた。


 セリスはカツカツと高い足音を響かせて隊本部の方へ向かっていった。


 セリスを見送った後、ガルクは歩き出しかけて、ふと思い出したように振り返る。


「そうだ。レイン」


「何だ」


「だから、ある程度小金持ちの格好をして来い。酒と女に金を落としに来た商人って空気が必要だ」


「似合うと思うか」


「似合わなくてもやれ」


 ロイが吹き出した。


「軍人丸出しで行ったら、逆に浮くぞ」


 ——


 一時間後。


 レインは指定された場所へ向かっていた。


 服装は普段と違う。


 軍服ではない。


 ガルクに「少し金を持ってそうな格好をしろ」と言われたからだ。


 暗い茶色の外套。


 革靴。


 腰には短剣だけ。


 警邏隊の徽章も外している。


 路地裏で待っていたガルクが、レインを見るなり吹き出した。


「硬ぇな」


「言われた通りにしただけです」


「いや、“頑張って普通の人間っぽくしてる軍人”になってる」


 ガルクが笑う。


「そんな顔してたら“初めてです”って看板背負って歩いてるようなもんだぞ」


「実際初めてだ」


「知ってる」


 ロイが肩を震わせて笑っていた。


「まあいいんじゃねえか。田舎商人の護衛くらいには見える」


「それで十分だ」


 ガルクは歩き出した。


「行くぞ。今日は北東区画でも奥だ」


 ラーゴスの夜は暗かった。


 雨で人通りも少ない。


 だが、ある区画だけは違った。


 北区娼館街。


 香油の匂い。


 楽器の音。


 酔客の笑い声。


 そこだけが、暴動も飢えも存在しない別世界のようだった。


 古びた建物の前で、ガルクが立ち止まる。


「ここだ」


 看板には店名も無い。


 赤いランプだけが揺れていた。


 中へ入る。


 熱気が一気に押し寄せた。


 煙草の煙。


 酒。


 香油。


 女たちの甘い香り。


 細い通路の奥では、半裸の踊り子が踊っていた。


 客席には商人、冒険者、傭兵風の男たちが座っている。


 そして。


「いらっしゃいませぇ」


 妖艶な女が近づいてきた。


 黒髪。


 深く開いた衣装。


 胸元には金鎖。


 笑っているが、目は客を値踏みしている。


 女は自然な動きでレインの隣へ座った。


「初めて見る顔ね」


「最近来た」


「へえ。北方の人?」


「そうだ」


「すぐ分かるわ。寒い土地の男って、最初は酒を飲む時に力が入っているもの」


 女が酒を注ぐ。


 近い。


 甘い香りがした。


 レインは少し困った顔をした。


 ガルクが腹を抱えて笑う。


「おいおい、本当に慣れてねぇのかよ」


「必要なかったので」


「堅物だなぁ」


 ロイが酒を煽った。


「まあ安心しろ。この店は“話”を聞く場所だ」


 ガルクは席の女へ金貨を滑らせた。


「遊びに来たわけじゃねぇ。話が聞ける女を寄越せ」


「あら、この店一番の私が初めての坊やをお相手してあげようというのに?」


「お前みたいな女は高くつく」


 ロイはひらひらと手を振ってレインから女を遠ざける。


「いけずね」


 女は席を立ち、去り際にレインの胸板を触り、耳元で囁いた。


「…いいこと坊や。情報が欲しかったらお金では買えないわ。心を捉えなさい」


「…ご助言どうも」


「いい子ね。今度は一人でいらっしゃい」


 女はそのままレインのこめかみにキスをして席を離れた。


 女が去り、店内を見渡したガルクの顔から笑みが少し消える。


「最近ここに来る商人連中、羽振りが良すぎる」


「炊き出しに関係のある商会連中か」


「ああ。あの屋号の紋章は奴らだ。」


 ガルクは低い声で続ける。


「急に金を持ち始めた奴らがいる。しかも正規の流通じゃ説明つかねぇ」


 ロイが言う。


「地下水路の件とも繋がるかもしれねぇ」


 レインは酒を一口飲んだ。


 熱が胃へ落ちる。


「不正流通で儲けているのか」


「多分それだけではないだろ」


「やはり人身売買が絡んでいるか?」


「もっとデカい」


 ガルクは周囲を確認してから、さらに声を落とした。


「最近、“北方を救う”って言いながら動いてる連中いるだろ」


「北方互助会」


「あれの後ろに、辺境貴族がいるって噂がある」


 レインの視線が止まった。


「……根拠は」


「無い。だから噂だ」


「だが」


「金の流れがデカすぎる」


 その時だった。


「ガルクぅ、飲んでる?」


 女の声が飛んだ。


 派手な化粧をした娼婦が、笑いながら近づいてくる。


 赤い唇。


 金色の髪。


 胸元の開いた服。


 だが目だけは妙に現実的だった。


 客の財布を測る目だった。


「最近ぜんぜん来ないじゃない」


「金が無かった」


「今は?」


「少しある」


「レイン、こいつは信用できる。金を掴ませれば簡単に口を割る。」


 ガルクは懐から金貨を一枚摘み、女の胸元へ滑らせた。


 女の目が変わる。


「わぁ、景気いい」


「その代わり仕事だ」


「やっぱりね」


 ガルクは奥の席を顎で示した。


「仕事しろ」


 ガルクは奥の席を顎で示した。


 毛皮商人たちが酒を飲んでいる卓だ。


 毛皮商人たちが笑っている卓だ。


「あそこの連中と仲いい女、こっちへ回せ」


 女はちらりと卓を見た。


「話が聞きたい」


「危ない橋だよ?」


「いつものことだ」


 女は肩をすくめた。


「じゃあ一人だけ。あんまりいたずらしちゃだめよ」


 そう言って奥へ消える。


 数分後。


 一人の女が連れられてきた。


 北方系の顔立ちだった。


 銀髪。


 緑色の瞳。


 年齢は二十代前半。


 華やかさは薄い。


 だが妙に目が強い。


 座った瞬間、レインたちを一瞥する。


「何。私を買いたいの?」


 第一声がそれだった。


 ロイが吹き出す。


 ガルクは笑った。


「違ぇよ。話が聞きたいだけだ」


「男の“話したい”は大抵面倒なのよね」


 女は酒瓶を持ち、自分で杯へ注いだ。


 店の女らしい媚びた動きがほとんど無い。


「名前は」


「リーネ」


「北方か」


「見れば分かるでしょ」


 ぶっきらぼうだった。


 だが警戒はしている。


 レインは静かに聞く。


「向こうの商人と繋がっているな」


 リーネは視線だけを動かした。


 奥の卓。


 毛皮商人たち。


「客よ」


「それだけか」


「それ以上を聞くなら金額が変わる」


 現実的だった。


 ガルクが笑う。


「気に入った。流石の北方美女様だな」


「生きるのに愛想だけで済むなら苦労しない」


 リーネは酒を飲む。


「北方の冬って知ってる?」


「知ってる」


「じゃあ分かるでしょ。食えなくなった家から、先に娘が消える」


 そして当然のように言った。


 空気が少し止まる。


 だが彼女は気にしない。


「食い扶持減らしで売られた。冬越せない家なんて珍しくもない」


 ロイが目を逸らす。


 リーネは続けた。


「最初の買い手は最悪だった。でも今の人はマシ。殴らないし、飯は出るし、屋根もある」


「それで娼館か」


「女が北方で一人で食える仕事なんて限られてる」


 淡々としていた。


 悲壮感ではなく、諦めを通り越した現実感。


「掃き溜めでも、凍えず眠れるなら人は残るの」


 リーネはガルクを見る。


「あんたら冒険者は自由でいいわね」


「死ぬぞ」


「ここは既に死んでるわ」


 即答だった。


 ガルクが少し笑う。


「違いねぇ」


 レインが聞く。


「最近、商人の羽振りがいい」


「いいわね」


「理由を知ってるか」


 リーネは少し黙った。


 そして小さく鼻を鳴らす。


「知ってても、普通は喋らない」


「だろうな。だが最近は露骨すぎる」


「お金があればいいじゃない」


 彼女は奥の卓を見た。


「急に金回りが変わった連中がいる。しかも“北を救う”とか言いながら。一体連中は裏で何を動かしている」


「さあ、それ以上は本当に別料金だよ」


 レインが鈍く光った目でリーネを見つめる。


「最近景気良さそうだな」


「命削って稼いでるだけ」


「地下か?」


「……何でそう思うの」


 リーネは答えない。


 だが。


 ほんの少しだけ視線が揺れた。


「何を動かしてる」


 リーネはガルクから煙草をひったくり加えながら、ロイの酒、レインの襟首を掴んでドスの聞いた声で言う。


「煙草、酒、人、薬。何でもだよ」


 ロイの顔色が変わる。


「おい、その手を放せ」


 リーネは飄々とした態度で続ける。


「……最近は辺境側の客も増えた」


 低い声で言う。


「私兵崩れみたいな連中。金払いはいい。でも目が死んでる」


「辺境貴族か」


「さあね」


 リーネはレインの襟首から手を放し、肩をすくめた。


「でも金と武器と人間が同じ方向へ流れてる時って、大抵ろくなことにならない」


 店の奥で、商人たちの笑い声が響いた。


 その笑い声を聞きながら。


 レインは静かに杯に残った酒を飲みほした。


 北方の闇は、思っていたより深い。

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