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北方徴募兵団 ~使い潰される最前線で数字を見ても英雄にはなれなかった~  作者: 社畜太郎


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第十七話 小さな錆

 レインは北東区画の巡回記録を閲覧室で読み返していた。


 机の上には古い帳簿が積まれている。


 湿気と埃の匂い。


「……十年前から変わってませんね」


 向かいで記録を見ていたセリスが言った。


「何がだ」


「北東区画です。盗難件数、行方不明者、密輸摘発。数字の増減はありますが、種類は同じです」


 レインは帳簿をめくった。


 確かに同じだった。


 表面だけ形を変えながら、問題が続いている。


「変わると都合が悪い人間がいるのかもしれないな」


 セリスは何も言わなかった。


 レインはロドガーから渡された雑に閉じられた記録へ目を落とす。


 十年前。


 商人切り付け事件。


 記録は驚くほど簡素だった。


【被疑者:バルド・フロストン】


【罪状:商人への傷害行為】


【処分:軍への懲罰編入】


 それだけだ。


 証言記録も少ない。


 不自然なくらい少なかった。


「……消されていますね」


 セリスが小さく言った。


「普通なら調書が残る。被害届も、証言も。なのに空白が多すぎます」


「意図的か」


「恐らくは」


 レインは目を閉じた。


 頭の中で情報を整理する。


 貴族。


 商人。


 懲罰送り。


 そして北東区画。


「現場を見る」


 レインは立ち上がった。


「また北東区画ですか」


「ああ」


 セリスも静かに立った。


 ——


 ラーゴス北東区画。


 雨が降っていた。


 石畳を濡らす冷たい雨だ。


 北方では珍しくない。


 だがラーゴスの雨は、第七駐屯地よりも嫌な匂いがした。


 腐臭。


 酒。


 煤。


 そして血の匂い。


 レインは外套の襟を上げながら、路地を歩いていた。


 隣にはセリス。


「三件目です」


 セリスが手帳を見ながら言った。


「行商人と護衛中の冒険者の失踪。共通点は北東区画を通ったあと消息が消えていること」


「死体は」


「出ていません」


「荷物は」


「荷車だけ見つかっています。積荷は空です」


 レインは足を止めた。


 細い路地の先。


 雨除け布の下で、痩せた子供たちが身を寄せ合っていた。


 物乞いだ。


 以前見た子供たちと同じだった。


 痩せている。


 目が死んでいる。


 この街が息を吹き返すそのときは来るのだろうか。


 視察を終え、中央通りへ戻る頃には雨が強くなっていた。

 

 ——

 

 翌朝。


 レインは警邏隊本部の執務室へ向かっていた。


 廊下は冷える。


 北方の石造りの建物は、冬が近づくほど寒さを溜め込む。


 朝、セリスから渡された資料を頭の中で反芻する。


 ギルドからの協力者一覧。


 土地勘のある古参冒険者。


 元商会護衛。


 裏路地に詳しい情報屋崩れ。


 雑多だった。


 だが“現場を知っている”人間ばかりだった。


 悪くない。ギルド側もきっと本気なのだろう。


 そのまま隊長室の前で止まる。


 扉を叩く。

 

「入れ」


 机の向こうでは、ロドガーが紙巻煙草を指先で弄っていた。


「ギルドとの話はまとまったか」


「はい」


 レインは報告書を机へ置いた。


「冒険者ギルド側は、警邏補助の依頼を受けると回答しています。ただし条件があります」


「言ってみろ」


「危険度に応じた適正価格の支払い。それと、新人や高齢冒険者にも回せる巡回・荷運び・雑務系の依頼を一定数確保すること」


 ロドガーは鼻を鳴らした。


「ドグというギルドマスターが言っていました。“死なない仕事”がないと、新人は育たないと」


「まともなこと言うじゃねえか」


 ロドガーは椅子へ深く座り直した。


「で、代わりに何を寄越してきた」


「ラーゴスの地理に詳しい者。商会と土地勘に詳しい者を数名、こちらへ回すそうです」


「そっちが本命だな」


「中央には北方駐屯軍に警邏を差し向けた人員の代わりに冒険者を雇うことで了承は得た。」


「ありがとうございます。」


「まあ、上手くやれ。それより……」


 ロドガーの目が少し鋭くなる。


「最近、妙なんだよ」


「妙?」


「酒と煙草の値段が上がってる」


 レインは少し考えた。


 北方は輸送事情が悪い。冬前なら値上がり自体は珍しくない。


 それに煙草と酒は嗜好品だ。そもそも貧困の生活をしている庶民には関係があまりない。


 だがロドガーは続ける。


「上がり方が不自然だ。店ごとの差も少ない。誰かが裏で流れを握ってる臭いがする」


「商会ですか」


「十中八九な」


 隊長は煙草を机へ置いた。


「調べろ。どこの商会が噛んでるか。北東区画の連中とも繋がってるかもしれん」


 北東区画。


 あの“健康そうな貧民”の姿が脳裏をよぎる。


 貧困街の路地へ消えた、身なりを崩した商人。


 セリスは“たまたま”だと言った。


 だが、たまたまで済ませるには違和感が残っていた。


「最近の商人の失踪事件に繋がるかもしれん」


「分かりました」


「あと」


 ロドガーが視線を上げた。


「ギルドにはちゃんと適正賃金で払ってやれるように手配しろ。安く使い潰そうとすると、現場が腐る」


「はい」


「……お前、そういうの嫌う顔してるからな」


 レインは少し黙った。


 ロドガーは短く答えた。


「行け」


 ——


 執務室へ戻ると、セリスが机で書類を整理していた。


「隊長は何と?」


「ギルドとの提携は進めろと。あと、物価上昇の件を調べる」


 セリスの手が一瞬だけ止まった。


「……酒と煙草ですか」


「知っていることが?」


「いいえ。ただ、最近は商人達の動きが慌ただしいので」


 それだけ言って、また書類へ目を落とす。


 レインは少しだけその横顔を見た。


 表情はいつも通りだった。


 だが何かを考えている時の顔だった。


 その時、扉が叩かれた。


「失礼します」


 入ってきたのは、三十代半ばほどの男だった。


 革鎧姿。


 片頬に古い傷がある。


「ギルドから来ました。ロイです」


「聞いています」


 レインは立ち上がった。


「土地勘のある方を回してもらえると」


「ええ。北東区画と商会筋に詳しいってことで選ばれました」


 部屋へ入ってきたロイの視線が一瞬セリスへ止まった。


 わずかだった。


 だがレインは見逃さなかった。


「……何か」


 レインが聞くと、ロイは少し迷ってから口を開いた。


「あんた、その副官が誰か知ってるのか?」


 セリスは無表情のまま立っている。


「レイン様の副官です」


「そういう意味じゃねえ」


 ロイは低い声で言った。


「あの女が貴族の妾腹だって話は聞いてるか」


「聞いています」


「なら、その家がどんな連中かは?」


 レインは少し眉を動かした。


「……知りません」


 ロイが黙った。


 そして小さく息を吐く。


「分権派貴族主義。北方の地方で旗振りをしていた血筋だ」


 これまでの情報の中で聞きなれない言葉だった。


「分権派?」


「王都に権力を集める今の王権派が気に入らねえ連中だよ。地方貴族ごとに軍も税も握らせろって考えてる」


 レインは黙って聞いていた。


「王国のためってより、自分達の領地と権力を守りたい貴族が多い。北方にも繋がりがあるって噂だ」


「噂でしょう」


 セリスが静かに言った。


 冷えた声だった。


 ロイは肩を竦める。


「噂で済めばいいがな」


 そしてレインを見る。


「最近、裏市場や商会の金の流れを追うと、その辺の貴族の名前がちらつく。だから一応、頭に入れとけって話だ」


 レインは少し考えた。


 ロドガーが言っていた。


 物価の上昇。


 商会。


 北東区画。


 全部が、どこかで繋がっているように見えた。


「……セリス」


 レインが呼ぶ。


 セリスは視線を向けた。


「君は、その話を知っていたか」


 数秒、沈黙が落ちた。


「”元”家の噂くらいは」


 短い答えだった。


「ですが私は、捨てられた身です。家に関わっていません」


 その言葉は事実のようにも、言い聞かせているようにも聞こえた。


 ロイが鼻を鳴らす。


「血筋ってのは、関わらなくても向こうから絡んでくるもんだ」


 セリスは何も言わなかった。


 窓の外では、灰色の空がラーゴスの街を覆っていた。


 レインはその空を見ながら思う。


 ——この街は、自分が思っていたより深い。

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