表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北方徴募兵団 ~使い潰される最前線で数字を見ても英雄にはなれなかった~  作者: 社畜太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/18

第一話 使い潰される兵士

北方徴募兵団第七駐屯地。 レインがそこへ到着した時、最初に感じたのは臭いだった。

汗と泥と血、そして乾ききっていない死の臭い。

「次! 荷物置け!」

怒鳴り声が飛ぶ。雪混じりの雨の中、徴募兵たちは整列させられていた。

皆、痩せている。北方の農村出身者、都市の失業者、行き場のない者。目に生気がない。

レインもその一人だった。

粗末な兵舎へ押し込まれると、中はすでに満員だった。藁の寝床。湿った毛布。壁際には乾ききっていない鎧が並ぶ。

「空いてるとこ使え」

片目に古傷のある古参兵が顎をしゃくった。年齢より疲れた顔をしている男だった。

レインが荷物を置くと、隣の少年が小さく声をかけてきた。

「……お前も北の村?」

「ああ」

「俺、トーマ」

「レインだ」

トーマは細い身体をしていた。まだ子供っぽさが残っている。

「怖ぇな」と彼は小声で言った。

「ここ、すげぇ臭いする」

レインは答えなかった。分かっていた。この臭いは、戻ってこない場所の臭いだ。

だがそれを口にする言葉を、レインはまだ持っていなかった。


訓練は翌朝から始まった。  

夜明け前に叩き起こされ、まず駐屯地の周囲を走らされる。雪道を、装備も付けずに。遅れた者には教官の怒鳴り声と、時に蹴りが飛んだ。

「足腰が死んでる奴から先に食われる! 魔物は遅い獲物から狙うんだ!」

午前中は木槍の訓練。構え、突き、払い。同じ動作を何百回も繰り返させられた。腕が上がらなくなっても続ける。

午後は防壁資材の運搬と、剣の基礎。夜は兵舎の掃除と装備の手入れ。終わる頃には深夜になっていた。  最初の三日間で、七人が逃げた。  

教官は追わなかった。

「逃げたきゃ逃げろ。どうせ野垂れ死にするだけだ」

それが本当ことだと、皆なんとなく分かっていた。

レインは逃げなかった。逃げても戻る場所がない。それだけのことだった。

トーマも残った。細い身体でふらふらになりながら、それでも毎朝起き上がってきた。

「なんで残るんだ」とある夜、レインは聞いた。

「食うためだろ」とトーマは言った。

「お前だって同じじゃないのか」

レインは黙った。否定できなかった。

北方の土地は痩せている。夏は短く、冬は長い。畑を耕しても碌に実らず、猟に出れば魔物に喰われる。村に残っても飢えるだけだ。軍に入れば飯が出る。それだけで十分な理由だった。

それきり、その話はしなかった。


一週間が過ぎた頃、片目の古参兵がレインに声をかけてきた。

「お前、読み書きできるんだって?」

「できます」

「ちょっと来い」

連れて行かれたのは教官詰所の隅だった。男は羊皮紙を広げ、「これ読んでみろ」と言った。

魔物の目撃報告書だった。レインが声に出して読むと、男は少し目を細めた。

「バルド」と別の古参兵が声をかけてきた。

「その新人か?」

「ああ」とその男――バルドは答えた。

「読み書きができる。使えるかもしれん」


以来、バルドはレインに声をかけるようになった。

最初は報告書の代読や写しの手伝い程度だった。だがその合間に、槍の持ち方の細かい癖を直されたり、夜間の歩き方を教わったりした。教官の怒鳴り稽古とは違う、静かで実用的な指導だった。

「魔物と戦う時、音を立てるな」とバルドは言った。

「向こうは耳がいい。気づかれたら囲まれる」

「経験があるんですか」

「十年ここにいる」

レインは少し黙った。十年生き延びた男が目の前にいる。それがどれほど稀なことか、一週間でもう分かっていた。

「なぜ除隊しないんですか」

バルドは答えなかった。ただ「槍を持て」と言った。


二週間が過ぎた。

訓練の中身が変わってきた。木槍から実際の鉄槍へ。隊列を組んでの連携動作。そして模擬戦。

レインの体力は同期の中で際立って高いわけではなかった。走れば中ほど、資材運搬でも人並み程度。

ただ、何かが違った。

教官が怒鳴る前に隊列の乱れに気づく。

魔物の目撃報告書を読んだとき、出没時刻と天候の癖が自然と頭に入ってくる。

模擬戦では相手の重心が崩れる一瞬を、考えるより先に身体が拾っていた。

バルドはそれを見て、何も言わずに少しだけ頷いた。


トーマは違った。気力では誰にも負けなかったが、細い足腰は三週間経っても思うように鍛えられなかった。走り込みの最後はいつも最後尾で、教官の怒声を背中で受けていた。

「足が遅い奴は前に出るな」とバルドがある日、訓練後に静かに言った。誰に向けた言葉でもなく、ただ宙へ放つように。

トーマはその言葉を聞いていたはずだった。


「あいつ、気になるな」とバルドがある夜ぽつりと言った。

「トーマが?」

「ああ。ああいう奴は大抵、早く死ぬ」

レインは何も言えなかった。


三週間目に入ると、新兵の半数近くが訓練離脱か逃亡で減っていた。

残った者たちの顔つきは、最初と変わっていた。痩せてはいるが、目に何かが宿っている。恐怖か、諦めか、あるいは意地か。

「そろそろ実戦だな」

とトーマが言った。夕食の硬い黒パンを噛みながら。

「まだ早い気がする」

「どうせ来る。早いか遅いかだけだ」

それはレインも分かっていた。ここは訓練所ではない。駐屯地だ。訓練は実戦の準備に過ぎない。


初めての任務は三週間と四日目の朝に来た。

「起きろ! 街道護衛だ!」

夜明け前だった。外は吹雪いている。

まともな装備は相変わらずない。革鎧、鉄槍、短剣一本。それだけ。バルドは古びた鎖帷子を着ていたが、新兵たちには支給されなかった。

隊列を組み、雪道を歩く。護衛対象は食糧荷車だった。痩せた馬。凍えた商人。皆、疲れていた。

「……本当に魔物出るのか」

とトーマが震える声で言った。

レインは槍を握り直した。バルドの教えを思い返す。音を立てるな。隊列から離れるな。囲まれたら終わりだ。

その時、レインはふと気づいた。トーマが隊列の端にいる。足が遅い者が端に立てば、魔物に狙われやすい。

「トーマ、位置——」 言おうとした、その瞬間だった。

森から咆哮が響く。

「接敵!」

雪の中から飛び出してきたのは、灰色の巨大な狼だった。魔狼。飢えている。

「槍構えろ!」

隊列が乱れる。新兵たちが怯える。レインは足を踏ん張り、槍の穂先を前へ向けた。

三週間、毎日繰り返した構え。だが目は魔狼ではなく、隊列の端を向いていた。

レインの視界で、時間がわずかに遅くなる。

トーマがこちらを見た。 助けを求める目だった。


次の瞬間。 トーマの悲鳴が響いた。

「ぎゃあああ!!」

隊列の端で、魔狼が飛びついていた。喉笛を噛み千切られた。血が雪へ飛び散る。

レインは凍り付いた。動けない。気づいていた。気づいていたのに、声が出なかった。

「突けぇッ!!」

バルドの怒号が響く。槍が魔狼へ突き刺さる。乱戦。叫び声。血。肉の裂ける音。

気づけば終わっていた。

雪の上に、トーマが転がっている。目を見開いたまま。まだ十五、六だった。


レインはその場で吐いた。胃液しか出ない。しばらく雪の上に手をついたまま、立ち上がれなかった。


その夜。 バルドが無言で水筒を投げて寄越した。

「……新人は大体そうなる」

「……」

「だが明日にも同じ日が来る」

レインは震える手で水を飲んだ。


「助けられたかもしれないと思ってるか」

バルドが言った。

レインは答えない。


少し間を置いて、バルドは続けた。

「助けようとして死ぬ奴もいる。見捨てて生き残る奴もいる」

「……」

「どっちも同じ兵士だ」

さらに静かに、付け加えた。

「助けようとして間に合わなかった奴が、一番壊れる」

「この状況には慣れるんですか」

バルドは黙った。答えが返ってくるまで、少し間があった。


「慣れねぇよ」

静かに言った。

「慣れたふりをするだけだ」


レインは水筒を握りしめたまま、何も言えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ