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北方徴募兵団 ~使い潰される最前線で数字を見ても英雄にはなれなかった~  作者: 社畜太郎


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第八話 地図盤の戦争

 夏。


 士官学校最大の難関、“図上演習”が始まった。


 巨大な地図盤。


 駒。


 補給線。


 天候。


 兵站。


 全てが再現される。


 今回の演習は、例年とは明らかに空気が違っていた。


 貴族候補生対平民候補生。


 真正面からの対抗演習。


 校内の視線が、最初から二つに割れていた。


 貴族側の指揮官は、セルジュ・ハーランド。


 副官にはクレイン・アルヴィスがついた。


 アルヴィス侯爵家次男。


 武術上位、筆記も高水準。


 セルジュと並ぶ王権派の期待株だった。


 そして、その後方。


 補給表を抱えたエルトの姿があった。


「……エルト、あっちなのか」


 ダンが小さく言った。


「家格で分けたんだろう」とレインは答える。


「あいつ、俺たちと飯食ってたじゃないか」


「それとこれとは別なんだろう」


 ダンは納得しない顔をしたが、それ以上は言わなかった。


 一方、平民側。


 指揮官席へ座ったのはレインだった。


 副官として、ダンが隣へ立つ。


 周囲には緊張が漂っていた。


 平民側の生徒たちは、レインを見ている。


 期待と、不安。


 その両方だった。


 ——


 編成表が配られた瞬間、ダンの表情が険しくなった。


「……ちょっと待ってくれ」


 ダンは紙を掴んだまま、教官へ歩み寄る。


「この編成、おかしくないですか」


 教官が眉を上げた。


「貴族側は重騎兵と重歩兵。俺たちは斥候と弓兵と軽騎兵。これで勝負になるんですか」


 教官は面倒そうに答えた。


「当然だ。貴族家の子弟は幼少から重装備運用を学ぶ。平民とは土台が違う」


「訓練の話と演習条件は別です。同じ土俵に立てないなら——」


「ダン」


 レインが静かに呼んだ。


 その時。


 教室の奥から、老士官が立ち上がった。


 諮問試験でレインを見ていた、あの男だった。


「不満はもっともだ」


 老士官はゆっくり地図盤へ歩み寄る。


「だが、この編成には理由がある」


 室内が静まり返った。


「貴族士官が率いるのは、重装備の正規軍だ。国境防衛、砦攻略、大規模戦闘。そのために重騎兵と重歩兵が存在する」


 老士官は、次に平民側の駒を指した。


「平民士官が率いるのは、軽装の駐屯兵だ。少数で巡回し、地形を使い、限られた戦力で持ち堪える。そのために斥候と弓兵と軽騎兵がある」


 ダンは黙った。


「条件が違うのではない」


 老士官は言う。


「戦い方が違う。その意味を考えろ」


 それだけ言って席へ戻った。


 ダンがレインの横へ戻ってくる。


「……つまり俺たちは、最初から消耗戦の側か」


「そう聞こえたか」


「違うのか」


 レインは地図盤を見た。


「消耗させる側にもなれる」


 ダンが少し黙る。


「……どうやって」


「重装備を、歩かせ続ける」


 ——


 演習開始。


 セルジュの動きは速かった。


 重騎兵を前へ。


 重歩兵を中央へ。


重騎兵を前衛に置き、重歩兵で方陣を組む。  


 威力偵察から平野決戦へ移行する、教本通りの王道。


 クレインも的確だった。


 補給線。


 後衛配置。


 側面警戒。


 全てに穴がない。


 周囲から感嘆が漏れる。


「さすがセルジュ様だ」


「あの連携は崩せない」


 セルジュは一度だけ、レイン側の地図盤を見た。


 余裕の目ではなかった。


 前夜、石段で話した時と同じ目。


 試すような目だった。


 そのまま前進する。


 一方でエルトは、後方で補給表を整理していた。


 荷物係のような立場。


 だがレインは気づいていた。


 エルトだけが、補給馬の移動距離と消耗数を細かく追っている。


 ——


 レインは動かなかった。


 前線を捨てた。


 退却。


 橋を落とす。


 拠点放棄。


「逃げ回るだけか?」


 セルジュが言った。


 声に嘲りはない。


 静かに観察している口調だった。


 ダンが低く呟く。


「……本当に逃げてるだけに見えるぞ」


「斥候は?」


「後方へ回した」


「何を見てる」


「補給車の位置。荷馬の状態。夜営地」


 レインは頷いた。


「重騎兵は強い。だが重い」


 地図盤へ指を置く。


「歩くほど、補給が伸びる」


 弓兵を森へ。


 軽騎兵を側面へ。


 進軍路を湿地へ誘導する。


 森林。


 丘陵。


 起伏。


 重装備が最も疲弊する地形だった。


 北砦でやったことと同じだ、とレインは思う。


 通路を絞る。


 敵を疲弊させる。


 正面で受けない。


 ——


 三日目。


 セルジュ軍の補給線が赤く染まり始めた。


 セルジュは見ていた。


 気づいていた。


 だが前線は勝っていた。


 重騎兵が押し込み、重歩兵の方陣は崩れない。


 地図盤中央では、確かにセルジュ軍が優勢だった。


 だからこそ。


 補給線の赤みを、“まだ耐えられる”と判断してしまった。


 勝っている戦場は、視野を狭くする。


 その時。


「……あの、セルジュ様」


 遠慮がちにエルトが口を開いた。


 クレインが眉をひそめる。


「何だ?」


「補給の数字が、当初の見積もりから合いません。」


 セルジュが振り返る。


「どこだ」


「湿地通過後から、荷馬の消耗が想定より早いです。このまま進むと、五日目に補給が止まります」


 エルトは紙を握り締めながら続けた。


「行軍速度に対して、補給車が追いついてません」


 セルジュは黙った。


 前線を見る。


 補給線を見る。


 赤い線は、思ったより長かった。


「……後退する」


 セルジュが低く言う。


「補給線を縮める」


 判断自体は間違っていなかった。


 だが、遅かった。


 ——


 五日目。


 レインは動いた。


 軽騎兵を大きく迂回させる。


 狙うのは前線ではない。


 補給線の後方。


 セルジュが前を見ている間に、後ろを断つ。


「……なんだこれは」


 セルジュが気づいた時には、補給庫が制圧されていた。


 前線はまだ強い。


 重騎兵も健在。


 だが。


 矢が届かない。


 食糧が届かない。


 帰路も軽騎兵に抑えられている。


 そして最終日。


 セルジュ軍は、戦う前に機能停止した。


 老士官が静かに告げる。


「勝者、レイン班」


 教室がざわつく。


「正面戦闘してないぞ」


「卑怯だろ」


「逃げ回っただけじゃないか」


 だが老士官だけが静かに笑っていた。


「実戦なら、お前たちは全員死んでいる」


 教室が静まる。


「セルジュ班の編成も運用も優秀だった。エルトの警告も早かった。だが戦場は、兵の強さだけでは動かん。戦場は教本通りには動かない。」


 老士官は地図盤を指した。


「地形と補給が軍を殺す」


 セルジュは黙っていた。


 悔しそうではない。


 補給線を、静かに指でなぞっている。


 前夜、自分が言った言葉を思い出しているのだと、レインには分かった。


 全体を見て、戦場を支配できるか。


 その意味を。


 知識ではなく、敗北として理解したのだ。


 セルジュはやがて顔を上げた。


 レインを見る。


 何も言わない。


 だがその目は、前夜と同じだった。


 面白い、と言っている目だった。


 エルトが小さくこちらへ頭を下げる。


 ダンが隣で呟いた。


「……エルト、あいつ本当に補給見てたんだな」


「気づいてたか」


「もう少し警告が早ければ、危なかったかもしれん」


「そうだな」


 ダンは地図盤を見つめた。


「消耗戦の駒か、消耗戦を制する側か、か」


 呟く。


「……まだ分からん」


 レインは地図盤を見ていた。


 崩れた補給線。


 孤立した前線。


 動けなくなった重騎兵。


 北方で、何度も見た光景だった。


 違うのは。


 今回は、自分がそれを起こした側だったということだけだった。

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