逃げ出した先
鉄格子のついた小さな窓から入り込んでいた西陽は、やっとその眩しさをひそめた。
そうなると辺りはすぐに暗くなり静かな夜を迎える。
今日はとりあえずバッカトが現れなさそうだとなったところで、やっと私は少しだけ緊張感から解放された。
そばを離れようとしないサクラを撫でながら冷たい壁にもたれかかる。
サクラもお腹が空いているはずなのに、空気を読んでか騒がず大人しくしていた。
「お前も少しは食って寝ておけ」
ダムは配給された簡素な食事を差し出したが、こんな時に喉を通るわけもない。
のろのろとただ首を横に振ると、強面の大男が隣から言った。
「フィズ。ちゃんと休んでおかないと。いざという時に声が出なけりゃ助かるもんも助からんぞ」
長い話し合いの結果、私ができることはとにかくここから連れ出されてから次の部屋に放り込まれるまでに大声で騒ぐことだとなった。
無実や理不尽さを出来るだけ多くの人に聞こえるように騒ぎ、自分が捕まったことを他の権力者の耳に入るようにするのが目的だ。
「お前が王子の客人だということは今や誰もが知っている。うまくすれば王子を支持する誰かが助けに来てくれるかもしれん」
「そうだぞフィズ。だからその時に備えて寝ておけ」
私は黙ったまま頷くと襟元にサクラを入れて三角座りをした。
体の熱が渦巻きゆっくりとサクラに流れていく。
それに伴い襲ってきた眠気に身を任せ、私は顔を伏せて目を閉じた。
こんな時でも深い眠りに落ちていた私は、思い切り肩を揺すられてやっと目が覚めた。
小さな窓の外はまだ星が瞬いているのが見える。
あまり長時間寝た感じもなく体が重い。
「起きろフィズ!!」
「ふあ…?」
「寝ぼけてる場合じゃないぞ。こんな時間なのに役人が来やがった」
「え…」
ダムは私を大男の後ろに押しやった。
耳を澄ませば通路の鍵を解除し、ギイィと重い扉が開く音がする。
続いてコツコツと人の近付く足音がした。
「こんな時間に今まで奴らがここに来たことはない。…となると狙いはお前のはずだ。だがなんだかおかしい」
さすがに目が覚めた私は震え始めた。
「お、おかしいって、何が…」
「バッカトは頭は固いがこんな夜中に行動するような奴ではないはずだ。必ず正規の手順を踏んで昼に動き出すと思ったのだが…」
「こ、こんな夜中に叫んでも意味がないよね。どど、どうすればいい!?」
「とにかく逃げろ。いいか、西側の塔に行けばインセント公爵の手の者が誰かいるはずだ。そこが一番お前を匿ってくれる可能性がある」
「西…!?西のどこ…」
聞く前にがちゃがちゃと牢屋の鍵が開かれる音が響いた。
ダムは大男ごと私を入口のすぐ隣に押しやった。
全員に合図を送り半分は反対側に固める。
扉が開くと背の高い男がのそりと入ってきた。
「ここに今日放り込まれた奴がいるはずだ。出てこい」
冷たい声に背中が凍りつく。
やっぱり私を連れて行く気なんだ。
ダムは寝ぼけた声を出した。
「なんだよこんな真夜中に。明日にしてくれよぉ」
男たちも口々に文句を言った。
役人はやや苛立って牢の中にずかずかと踏み込んできた。
「黙れこのクズどもが。今日の新入りはどこにいる」
この瞬間を狙っていたダムはすかさず入り口近くに隠れていた私の背中を押した。
牢屋から押し出されるように私は通路に転がり出た。
振り返るとダムが口パクで行けと言っている。
これはもう、迷っている暇はない。
私は靴を脱ぐと全力で通路の出口を目指して走った。
寝起きに全力疾走はかなり負担だったが泣き言は言っていられない。
だが何とか通路を出ても、その先にあるのは長い階段だ。
「し…死ぬぅ…」
ぜいぜい言いながらも文字通り死ぬ気で階段を一気に登る。
やっと明かりが見えてくると、歯を食いしばってそこに飛び込んだ。
…が、そこにいたのは役人その2。
そ、そうだった。
地下から上がる途中に詰所があったんだ。
「お前は…!!なぜ一人でここへ!?」
役人はすぐにすらりと腰の剣を引き抜いた。
や、やばい!!
これはやばい!!
誰か…誰か誰か…!!
「…お、王子ぃ!!」
無意識に叫ぶと急に男が悲鳴を上げた。
「うわっ!!火!?」
私ははっとして顔を上げた。
私の声に反応して男に立ち向かっていたのは、襟元にいたはずのサクラだ。
サクラは激しく羽ばたくと、もう一度真近で火を吹いた。
たまらず部屋の隅へ逃げた役人の脇をすり抜けて、サクラは地上への扉をくぐって行った。
「あ、さ、サクラ待って!!」
私はすぐにサクラの後を追った。
最後の階段を半分ほど登ったところで、後ろから役人が二人に増え慌てて追いかけてくる。
「早く捕まえろ!!」
「絶対に逃がすな!!」
私の足は追われる恐怖に震えた。
「も、もうやだ。走るの苦手なんだってば!!」
無事に地下から出たものの、昼間と違い薄暗い廊下はどっちへ行ったらいいかなんて分からない。
「西、西ぃ…、西ってどっちなのよぉ!?」
とにかく今は足を止めるわけにはいかない。
私はサクラが飛ぶ方に走ったが、その先には遠目に衛兵が見えた。
「駄目だ!!サクラ、こっち!!」
私が呼ぶとサクラはすぐに舞い戻ってきた。
襟元を開くとするりとそこに入る。
「いたぞ!!あそこだ!!」
うはっ!!
見つかった!!
もぅいやぁ!!
必死になり闇雲に走ったが、そのうちに見覚えのある場所に気がついた。
「この先は…」
後宮!!
オルフェ王子の後宮だ!!
ここなら役人は入れない!!
ってか西とは思い切り反対方向に来ちゃったのね。
とほほ…。
私は自分も少年姿だということをすっかり忘れて後宮へ続く廊下へ入った。
とっくに体力の限界を迎え、情けなくへろへろと走り続ける。
だが予想通り役人たちはまさか私がこっちへ逃げ込んだなんて思いもせずに違う方向へ逸れてい行った。
「よ、よかっ…」
言い終わらないうちに疲れ切った足を縺れさせてその場に盛大に倒れこむ。
私は荒い呼吸のまましばらく体を起こすことすら出来なかった。
そのまま意識も飛びそうだったが、少し先から扉の開く音と話し声が聞こえてきた。
あぁだめ…。
これって姫の誰かに見つかったらまた大騒ぎされて地下牢へ逆戻りコースだ。
何とか立ち上がろうとしたが手にも足にも全く力が入らない。
サクラを庇いながら這いずり、壁際に寄ったがもうそれで限界だった。
力尽きてうつ伏せているとコツコツと足音が近付いてくる。
物静かなヒールの音は私の前で止まった。
「…こんな所で何をしてらっしゃるのですか」
問われても答えることなんて出来やしない。
私はもうどうにでもなれという思いで顔すら上げなかった。
騒がれて、人を呼ばれて、はい終了。
麻痺する頭でこの三拍子だけがくるくる回る。
だがいつまで待ってもそうはならなかった。
代わりに何か柔らかい布がふわりと掛けられた。
「さぁこれをかぶって。立てますか?サト、下から支えて差し上げて」
「はい、姫様」
私からは見えなかったが、どうやら二人いたらしい。
姫は体を起こされた私の肩にそっと手を置くと優しく微笑んだ。
「行倒れるのでしたらわたくしの部屋になさい。ここは本来ならばオルフェ様以外は何人たりとも殿方は入れない掟。見つかれば厳しく罰せられますよ」
その月明かりに照らされた姫の顔を見て私は驚愕のあまり凍りついた。
それは、アリス姫だった。
あの雪の女王みたいな姫が、今私を助けようとしてくれている。
「ど…して…」
かすれ声で思わずこぼすと、アリス姫は私の手を握り少しだけ力を込めた。
「何があったのかは存じませんが、捨ててはいけないでしょう?」
「…」
意外だ。
意外すぎる。
まさかあのアリス姫が…。
姫は私を自室に入れると、他の誰も入ってこられないように厳重に扉に鍵をかけた。




