17話 すれ違い
階段を上ってきた足音が、ピタリと止まった。
同時に、蓮也のすぐ近くで荒い息遣いが聞こえる。
蓮也の目にその姿は映らないが、夕真と舞の二択とすれば、恐らく舞であろう。そして、その舞がすぐそこにいる――。
高まる緊張の中、必死で息を押し殺す。
蓮也が隠れているのは、屋上の扉付近に並んでいる、掃除用具入れのロッカーの中だ。
なんともありきたりで、それでいて非常に危うい隠れ場所。というのは一目瞭然で、開けられればそれで終わり。
しかし焦りに焦っていた蓮也は、悠長に思考する余裕も時間もなく、咄嗟にこの中に身を隠していた。
「こ、この向こうに蓮也がいるのね――」
「話を聞いた限り、そういうことになるね」
傍ら聞こえる、二人の会話。その声は間違いなく、夕真と舞のものだ。
……まさか、二人共だとは。片方でさえ、顔を合わせづらいというのに。
身じろぎの一つでもすれば、一発でアウトだ。
蓮也は、二人がこの場所から去るのを、ただひたすらに待った。
「よ……よし! じゃ、じゃあ、開けるよ!? 兄さん!」
やがて、舞の声と共に、カチャッ、とドアノブを回す音が聞こえた。
ただでさえ狭いロッカー。しかも掃除用具のせいで、さらにそのスペースが少なくなっており、いつ物音を立ててしまうか、蓮也は気が気ではなかった。
故に、その言葉に安堵し、ホッとしかける。が、次の瞬間。
「まったく、たかだか一介の落ちこぼれのために、なんでそこまで慌てるのか。これっぽっちも理解できないねぇ」
聞こえるのは、舞でも、ましてや夕真のものでもない、第三者の声。
人を小馬鹿にしたような、嫌味を孕んだ口調。
聞き違えることはない。なぜなら蓮也は、その声の主とは、さきほど遭遇したばかりだからだ。
「蓮也がここにいた、というのを教えてくれたのはありがたい。しかし何故、君までここに来るんだい、西浦?」
「別段大した理由などはない。が、強いて言うなら面白そう……だからだな。あの落ちこぼれがどんな反応をするのか、見物だ。なに、心配せずとも口出しはしないさ。気にせずやってくれ……ククッ」
そう、声の持ち主は――深緑色の髪をもつ特待者、西浦伯斗。
自身の気持ちに変化をもたらした人物ではあるが、やはり好きになれない。
少しでも感謝してしまった自分が馬鹿らしいほどだ。あっちは、ただ単に面白がっていただけにすぎないのだから。
ギィッ、と扉を開ける音が響く。
「蓮也!! ……あれ? 蓮也……いないの?」
舞の勇んだ声が、不安気な声に変わっていく。
それに罪悪感を覚えながらも、蓮也はただひたすらに耐えた。
「……とりあえず、入ってみようか」
夕真の声と共に、すぐ横を通りすぎる足音。どうやら引き返さずに、屋上へ足を踏み入れたようだ。
「……フン、やはりつまらん奴だ……仕方ない、奴らの本音を聞くので我慢しよう」
西浦も鼻をならしながら、蓮也の隠れるロッカーの横を通っていく。
場に戻る静寂。
本来なら、彼らが屋上から去ってから隠れ場所から出るのが確実なのだろうが、蓮也はさすがに限界だった。
ロッカーを開け、慎重に、しかし手早くそこから出ようと体を動かす。
しかしその際、なにかに引っかかってゴンッ、という小さくない音がその場に響いてしまった。
ドクン、と心臓が跳ね上がる。が、どうやらさすがに、扉を隔てた屋上にまでは聞こえなかったようだ。
そのことに胸を撫で下ろしつつ、無事に脱出。そこですぐさま動けば問題ないのだが、しかし蓮也の視線は屋上へ続くドアに固定されていた。
耳に残るのは、西浦の言葉。
――二人の本音。
ゴクリ、と喉を鳴らす。
二人は、本当のところどう思っているのだろうか。それが、無性に気になった。
本当に自分を心配して探してくれているのか。そう考えた蓮也は、自嘲めいた笑みを浮かべる。
我ながら、虫のいい発想をしてしまったものだ。
二人とも内心では、自分に怒りを覚えているに違いない。きっとそうに決まっているのだ。
そう自身に言い聞かせるものの、気づけば体は勝手に屋上へと出る扉に近づいていた。
見れば、扉は完全に閉じられてはいない。その向こう、微かにだが、声が聞こえてくる。
もはや鉢合わせしてしまう可能性など頭から吹っ飛んでしまい、蓮也は扉向こうの会話に耳をそばだてた。
「――そう……な……」
だが声は聞こえるものの、遠く、途切れ途切れで聞こえづらい。
つまりそれは、彼らが扉から離れた場所にいるということだ。
もう少し扉を開けても大丈夫。バレやしない。
そんな根拠のない自信。
しかし大胆にも蓮也は、そっと扉に手を添え、音をたてないようにゆっくりと開けていった。
――――――――――
舞の耳が、なにかの物音を捉えた気がした。
確証はなく、とりあえず周囲を見回すが、特に変わりはない。
そんなことよりも、と慌てて舞は視線を元に戻した。
屋上の中央付近で対峙する、二人の人間。
一人は、彼女の兄である夕真。そしてもう一人が、彼女が苦手意識をもつ男、西浦。
その一触即発の雰囲気が、気が気でなかったのだ。
「だから、それは建前だろ? 俺が知りたいのはお前達の本心だ。それさえ聞ければ、俺はすぐにでも部屋に戻る」
夕真を睨みながら、イライラしたように口を開く西浦。
「それが本音だと、さっきから言っているけどね?」
対して、いつもの飄々とした態度は鳴りを潜め、力強い言葉で返す兄、夕真。
そんな普段とは違う兄の姿が、舞の不安を増幅させる。
「テメェ、いい加減にしろよ! んな綺麗事ばかり言いやがって!」
そんな夕真の態度に堪忍袋の緒が切れたのか、とうとう西浦が激昂した。
声を荒げながら、罵詈雑言を放つ。だがその内容は、舞にも、そして当然夕真にも看過できないものだった。
「なぜあんな凡人を構う!? あんなのは所詮、ここにいなくてもいい存在なんだ! 俺の――俺達のような特待者に比べれば、あんな奴らの価値など――」
「友達だよ」
ピシャリ、と夕真の声が遮った。
西浦が、これ以上はないと言わんばかりの敵意を視線に込める。
普段の舞であれば、確実に気後れしただろう。が、こればっかりは譲れなかった。
夕真の隣に立ち、西浦と対峙する。
「それは絶対に変わらない……蓮也が望まない限りはね。それに、今も、そしてこれからも――」
そこで一旦、夕真は言葉を区切った。
それを見た西浦の表情が、憤怒のものから訝しげなそれへと変化していく。
しかし舞には、その続きがなんとなく予想できていた。
「僕はいつだって蓮也の味方。いや――蓮也だけの味方だよ」
夕真は、それが当然である、といわんばかりに宣言した。
それを聞いた舞は、淋しげに笑う。
そうだろうとは思っていた。
兄が――宮月夕真という人間が、唯一全幅の信頼を寄せている人物。それが、実の両親でもなく、ましてや自分でもなく――幼馴染の伊塚蓮也であること。
兄妹だから、といって完全な絆で繋がれているわけではないのだ。
――そもそも自分には、そんな資格などないのだから。
「わ、わたっ! 私だって!」
だから舞は、そう言うのが精一杯だった。
「…………チッ」
それを西浦は、さきほどとは打って変わり、毒気を抜かれたような表情で見ていた。
だが、やがて忌々しげに舌打ちしたかと思うと、扉に向けて歩を進めていった。
「せめて蓮也と話ができれば、と思ったんだけどね……」
「……うん」
舞は俯きながら、小さく呟いた。
その内心に渦巻くのは、たった一つの疑問。
――なぜこうなってしまったのだろうか。
召喚儀典を行うまでは、言葉を交わさない日などほとんどなかった。寮棟はバラバラであったものの、共に放課後を過ごしたり、フレットで連絡しあったり
ここに来る前だってそう。喧嘩をしたことは何度もあったけど、いつの間にか元通り、三人で笑いあっていて――。
「はぁ……」
だから今日、西浦と佐々木の二人から蓮也の話を聞いた時は、今しかないと思った。
いつものように三人で集まって、談笑して。蓮也と言葉を交わす。
他にどうすればいいか分からないから。自分にはそれぐらいしかできないから。
そうすれば、いつかきっと。また元のように――。
そんな鬱々とした舞の思考は、この静けさにそぐわない轟音によって現実に引き戻された。
バタンッ! という重く、鼓膜を震わせる低音。
そんなものが発せられるのは、この場において内と外を繋ぐ扉しかない。
西浦が出て行ったのだろう。それが当然の帰結だったが、舞の視線は無意識の内に、扉を追っていた。
「クッ……ククッ……」
しかしそこで捉えた光景は、舞の考えが外れであることを示していた。
さきほどの場所から数歩、といった距離で立ち止まっている西浦。なにやら俯いて、体を僅かに震わせている。そして、漏れてくる声を聞いた限り、懸命に笑いを堪えているようだ。
西浦のそんな様子も、舞は気にならないわけではなかった。さきほどまでは不機嫌さが全面に押し出されていたのに、今はその面影が全くと言っていいほどにない。
が、それよりも舞の気を引いたのは、彼がまだ屋上に、しかも扉から離れた位置にいるということ。つまり音の正体は、別の要因だということだ。
風? 一瞬それが頭をよぎるが、ありえないとすぐに打ち消す。扉が全開だったならまだしも、風の影響では絶対にない。
では――?
隣の見れば、夕真は無言で、しかし真剣な眼差しで扉を見据えている。
どうしたのか。そう夕真に訊ねようとした舞だったが、それを言葉にする前に答えが返された。
「ククッ……こいつは傑作だ。あの伊塚って野郎、こそこそと盗み聞きをしやがって……それで俺に気づかれた途端に逃亡か。ハッ!」
ひとしきり笑った西浦は、舞と夕真に向き直ると嘲るように言葉を続けた。
「やはりアイツは、所詮あの程度だな。お前達の仮初の……いや、本心だったな? 悪い悪い。まあ要は、お前達の上っ面の関係はこれで証明されたな? え?」
言いたいことだけ言うと、西浦はケタケタと笑いながら歩き去って行く。
「僕は蓮也を追いかける! 舞は空から探してくれ!」
「……う、うんっ!」
それだけ言うと夕真は、西浦の言葉など歯牙にもかけず、建物の中へと姿を消した。
西浦の言葉にムッとしていた舞だったが、夕真の言葉でハッと我に返ると、大きく頷く。
目を閉じ、集中。自身の腕にあるフレットに、意識を向ける。
呼び出すのは、己と契約するラール。
「……ねぇ、蓮也」
舞は、一人残された屋上で、声の届かない相手に語りかける。
「私のラールは空を飛べるんだよ」
思いはとめどなく溢れ、言葉が止まらない。
「私は蓮也のこと信じてる。……蓮也のラールも空を飛べるんだよね?」
瞳を開け、空を見上げる。
視界いっぱいに広がる、青い空。
遠く、果てしない空は、とても綺麗で。どんな悩み事だって吸い込んでくれそうな気がした。
「一緒に……飛べたらいいなぁ」
きっと飛べるよね?
舞の唇が、微かな願望を紡ぐ。
その呟きは誰の耳に入ることなく、空へと消えていった。
この小説の展望について少し。
1章は、ご覧いただいた通り、蓮也の心境に重点を置いています。
最初は、期待と不安を持たせ、期待させ、絶望させ、立ち直り……とこんな具合で来ています。バトルもまだあります。
2章からは、ちゃんと学園物になりますので、今しばしお付き合いをお願いします。




