18話 再びの出会い
「はぁっ、はっ……」
荒々しい息遣いと、階段を駆け下りるけたたましい足音だけが、森閑とした中央棟に響く。
が、それは蓮也のものだけではない。
上方から聞こえる、もう一つの足音。その姿を捉えるまでもなく、夕真のものだと分かる。
だから、いくら足が悲鳴をあげようとも、その動きを止めない。止めるわけにはいかなかった。
「くそっ! ……なんで」
蓮也は思わず悪態を吐くが、その相手は夕真でも舞でも、ましてや西浦でもない。――他ならぬ、自分にだ。
扉の影に身を隠し、盗み聞きしてしまった会話。
細部まで聞こえたわけではなかったが、確実に聞こえた言葉がある。
『友達』
夕真は間違いなく、そう言った。
ふざけた口調ではなく、そしていつもの調子でもなく――滅多に見せることのない、真剣な声色で。
それを聞いた時蓮也は、身を潜めていることも忘れ、思わず茫然としてしまった。
それが偽りの言葉である、と思い込もうとした。が、どうしてもそう思えなかった。心の奥底で、それが夕真の本音だと悟ってしまっていたからかもしれない。
その葛藤が終焉を迎えたのは、扉の隙間から西浦と目があった時だった。……正確には、途切れざるをえなかったわけであるが。
「なんで……」
蓮也としては、すでに見放されているものだと思っていた。さんざん声をかけてくれたのも、同情。無所属と特待者という差は軋轢を生じさせるのに充分な理由であり、お互いの立場は、確固たるものとして存在しているのだ。
だから、召喚儀典の直後も、さきほどの屋上でも。蓮也は、夕真と舞の口から、自分への非難が飛び出すものだと思っていた。いや、それを期待していたといってもいい。
「蓮也!!」
足音に混ざり、自分の名を呼ぶ夕真の声が、耳に届く。
――なぜだ? なぜ、そんなにも自分に関わろうとする?
蓮也には、それが分からなかった。
心の内にわだかまりを抱えたまま、ただがむしゃらに足を運ぶ。
気づけば、中央棟一階フロアがすぐそこに迫っていた。
階段を駆け下り、減速することなく建物の入口へ直進。そしてドアを半ば蹴り開けるように、蓮也は勢いよく中央棟を飛び出した。
「――蓮也……」
その直後、風に流れ、微かに聞こえた誰かの声。
それはまたしても、己の名を呼ぶものだった。
しかしその声は、夕真のそれではない。ともなれば、ここでその呼び方をするのは一人しかいない。舞だ。
ハッ、としてその姿を探すが、すぐさま首を傾げる。
よくよく考えれば舞は、夕真同様、屋上にいたのだ。にも関わらず、夕真より早く地上に到達するなどありえない。それに、その声は鮮明に聞こえたわけではないので、すぐ近くにはいないはずだ。
チラリと背後を振り返ってみる。
蓮也の背に位置するのは、さきほどまでいた中央棟。そしてその屋上へと目を向けた時、蓮也は驚きのあまり目を見開いた。
「……っ!!」
息を呑み、思わず足を止めてしまう。
視線の先、中央棟屋上。落下防止の柵に寄りかかり、大地を見下すは、一人の女子生徒。
ここからでは到底、顔の表情など見えようもなく、その人物が誰かなど特定できない。
――ただし、よほどの特徴があれば話は別だ。
昼下がりの空、陽光に煌めき、風に靡く白銀の髪。
レラシオネスの中でも一際珍しいその髪の色は、蓮也の知る限り、舞しかいない。
――が、蓮也が驚いたのはそこではない。
舞の腕から迸る、一筋の光。
空中に描かれるように展開されていくその光が、徐々に六芒星を形成していく。
「……あれはっ!」
その行動の意図を真に理解した時、咄嗟に蓮也は舗装された道を外れ、木々の中へと身を走らせた。
さきほどの現象。あの六芒星が意味するのはすなわち、契約したラールを現実に呼び出すということ。実際に自分ではやったことなくとも、それぐらいの知識は持ち合わせていた。
そして舞が、地面のない場所に六芒星を展開したということは、契約したラールが踏みしめる地を必要としないからである。
つまり舞のラールは、ほぼ確実に空を飛ぶことのできる生物だということだ。もしかすると、人を乗せることのできる種であることも否定できない。
見晴らしの良い場所では、見つかる事は必定。しかし、背の高い木々に紛れて移動すれば、見つかる可能性は激減する。
それに、人目につかないという点でも、森は最適の場所と言えた。
「はぁっ、はぁっ……うわっ!?」
二人に見つかりたくない一心で、蓮也はひたすらに、静寂とした森の中を走った。どのくらい走っていたことか。
しかし下は、不慣れなでこぼこ道。足元への注意も疎かになっていたこともあり、やがて木の根っこに足をとられて転倒してしまう。
疲労は溜まる一方。むしろ今までもっていたのが不思議なくらいである。
だが、蓮也はよろよろと立つと、目的地もないまま足を引きずりはじめた。
「くっ……」
自身の意思とは裏腹に、まぶたの裏がじんわりと湿る。
しかしそれは、転倒した痛みでは決してない。自分の情けなさ、不甲斐なさに、だ。
顔をゴシゴシと乱暴に擦り、歩く。
自分でも、なぜこんなことをしているのか理解できなかった。
だが、どうしてよいか分からないのだ。なにもかも。そして、自分がどうしたいのかも分からない。
蓮也の脳裏にあるのは、『逃げる』ということだけ。それ以外の選択肢が見つからない。
だからこうして蓮也は、黙々と足を動かすことしかできないでいた。
相も変わらず森の中は驚くほどに静かで、蓮也の発する僅かな音だけが響いている。
木々の合間を歩き続ける自分の姿。その光景はいつまでも続くんじゃないだろうか、と半ば他人事のように蓮也は捉えていた。
――いつまでもこの時間が続けば、なにも思い悩むことはないのに。
純粋に、そう思った。
が、変化というものはいつも唐突に現れるものである。
森のそこらじゅうにある、なんの変哲もない茂み。その一つが、ガサッと音を立てて大きく震えた。
ビクッと足を止め、まじまじと見つめてみる。
視線の先にあるのは、蓮也が腹這いになっても体が隠れそうな、そこそこに大きい茂み。反対側が見通せないほどに、草木が密集している。
そしてそれはまたしても、蓮也の見ている前で、大きく、ガサリ、と揺れた。
「……なんだ?」
興味本位で、近づいてみる。
一歩、また一歩、ゆっくりと。
そして問題の茂みまで、あと数歩といったところで――その中から、なにかが勢いよく飛び出してきた。
そのスピードは、蓮也が一切反応できないほどの速さで――。
「ふがっ!?」
顔に衝撃が走ったのと同時に、蓮也の視界が覆われる。
それは、顔が少々のけぞる程度の衝撃だったが、足に溜まった疲労も祟り、バランスが崩れてしまった。
目を塞がれたまま、よろよろと覚束ない足取りで、ふらつく。
「――っ!!」
突如足に感じた鋭い痛みに、声にならない悲鳴が上がる。それは、ズボン越しに、なにかが突き刺さるような感覚。
顔を塞ぐ謎の物体よりも、こちらの方が先だ。そう考えた蓮也は、顔面に貼りつくものを引きはがすことよりも、この場を切り抜けることを優先した。
未だなにも見えないが、感触からして茂みに足を踏み入れてしまったらしい。
チクチクとする痛み。それをこらえ、蓮也は歩を進めようと足を動かした。
「……へ?」
だが、次の瞬間には、思わず間抜けな声を上げてしまっていた。
大地を踏むはずだった右足は空を切り、体が前のめりになる。
蓮也は咄嗟に腕で顔を庇った。状況が不明というのもあったが、それはどちらかというと半ば反射的に動いた結果である。が、当然そんなことは気休めでしかなく。
心臓が浮くような感覚を覚え、落下していく体。
「うわぁっ!」
やがて感じた、ドサッという鈍い衝撃。それは、肩が地面に触れたものだった。しかし、ホッとしたのも束の間。
まるで坂道を転がり落ちるように、ゴロゴロと蓮也の体が転がっていく。それはもう、普段体験したことのないような回転。頭がガクガクと揺さぶられる。
なにも見えないため、訳が分からない。
そして、突然ポーンと宙に投げ出され、しばし平坦な地を転がる。そしてそこでようやく、蓮也の体は止まった。
激しく体が動かされたが、なぜだか大して痛みはない。あるとすれば、脳がシェイクされたことにより生じる、不快感ぐらいか。
短く安堵の溜め息を吐き、そしてようやく、顔に貼りつくなにかを両手で引きはがしにかかる。
どこかで触ったことのあるような、固く、特徴的な感触。抵抗はなく、すぐに離れた。
「……ここは?」
二、三度目を瞬き、寝転がったままで様子を窺う。
周囲に広がるのは、たくさんの木々――などではなく、まるで洞窟のような場所。
壁には数本の松明が灯されているが、薄暗くてよく分からない。
次いで、上空を見上げる。
目につくのは、ポッカリと口を開ける、ひとつの光点。その向こう、僅かに木の一部が見える。どうやら、あそこが森に通じているらしく、蓮也はそこからこの空間に落下してきたようだ。
ある程度状況を確認した蓮也は、ようやく両手で抱えているなにかに視線を移した。
茂みから飛び出し、さきほどまで蓮也の視界を塞いでいたものの正体。それは――今なお蓮也につぶらな瞳を向けている、翼の生えた生物。
「……ん? このラールは確か……あの子の……」
薄暗く、見えづらくとも、よく覚えている。
森の中で出会った特待者、藤條琴葉。蓮也のことを『ボス』と呼ぶ、不思議な少女。そしてこの幼竜は、そんな琴葉のラールであったはずだ。
まったくもって状況が理解できない。この場所も、なぜ琴葉のラールがここにいるのかも。
体を動かさず、まじまじと幼竜を見つめる。
幼竜も、パチパチ、と目を瞬かせて蓮也を見返す。
当然のことながら、意思疎通もできず、アイコンタクトもできず。答えは返ってこなかった。
――幼竜からは。
「……ボス?」
幼い声。
その少女のことを考えていたこともあり、またその妙な呼び方で人物が特定できたが、もぞもぞと体を動かし、とりあえず蓮也はそちらに目を向けた。
幼竜も、蓮也から目を離すと、小さく口を開ける。
ゆらり、と揺れ出るひとつの人影。
予想通りと言うべきか、そこには、琴葉がこてんと首を傾げながら、地に横たわる蓮也を見下していた。




