第98話 忘れられた舎弟
よほどお腹が空いていたのか、リコリスはフードファイターと化し十人前の量の朝食を平らげた。食後は満足そうな様子もなく、ただエネルギー補給をした物体だった。
俺たちも朝食を終え、一緒に教室に向かったのだが。
「だ、誰っ?!」
「うわぁ……リコリスさんがおかしくなっちゃったYO」
変わってしまったリコリスを目にし、声をあげるアスカとラクリア。リナは黙っているが、分かりやすく口をあんぐりと開けて固まっていた。
分かるぞ……ほんとお前らの気持ちすごく分かるぞ……。
「皆様にはご不便おかけし申し訳ございませんでした。何かありましたら、お申し付けください」
うろたえているアスカ達を見たリコリスは深々と頭を下げる。
「ちょっとリコリス? どうしたのよ? いつものリコリスは? リコリスはどこに行っちゃったのよ?」
「リコリスは私ですが、以前の私はそのような人間だったのでしょうか?」
「な…………」
「すごいYO……リコリスさんが丁寧な言葉を使ってるYO……」
「ああ……リコリスが壊れた……」
周りで見ていたクラスメイトたちも呆然とし、話していた男子たちも話を止めていた。
まぁ、リコリスが急に丁寧語なんて使えば、正気を疑うよな……俺もさっきまで夢を見ているのかと思ったからな……。
すると、アスカが俺の所に駆け寄ってきて。
「ネル、これは一体どういうこと? リコリスはどうしちゃったわけ? 変な薬でも飲んだの? まさか昨日の……」
「ああ、昨日の魔力切れの影響だと思う。どうやら今のリコリスには昔の記憶しかないらしい」
「それって記憶障害ってこと? 魔力切れって記憶障害なんて起こすものなの? 聞いたことがないけど……」
「分からないが、とりあえずリコリスは最近のことは何も覚えていないし、俺たちのことも忘れているんだ。少し気遣ってくれ」
「はぁ……全く仕方ないわね。いいわ」
俺はすごく心配だった。
リコリスが誤って悪魔と名乗らないか、とか。
暴走して学園を壊滅、もしくは人質を取って俺に「裏世界に返して欲しい」と要求してこないか、とか。
しかし、授業中も休憩中も特にやらかすことはなく、むしろ、
「お嬢さん、何かお荷物をお持ちしましょうか?」
「リコリスさん……ありがとうございます」
「お気になさらず」
大量の本を運んでいた女子学生を見つけると、リコリスが代わって持ってあげたり、授業中には、
「先生、そこの術式発動要件間違えています」
「ああ……ほんとだな……」
と絶対にありえない先生の間違いを指摘したり、
「ネル様、こちらをどうぞ」
「お、おう。ありがとう……」
俺がちょうど喉が渇いたタイミングで水を用意してくれたり、とイケメンムーブをかましてきた。
みんな以前のリコリスを知っていたので戸惑ってはいた。が、リコリスは気にすることもなく、俺の世話を焼いたり、困っている人がいれば手伝っていた。
しかし、気遣う様子があっても、感情はない。感情の起伏が激しい以前とは別人で無機質だった。不気味さを感じて怖がっている子もいた。
一方で、彼女の淡々さが刺さった者もいたのか、三日も経たずにリコリスファンクラブができていた。みんなの熱量が怖い。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
と、こけてしまった女子に手を差し伸べるなどと無感情リコリスは誰に対してもイケメンムーブを見せてくるので、男子はおろか女子まで目をハートにする始末だった。
リコリスがおかしくなって、4日目のこと。
今まで課題をしてこなかったリコリス。先生も諦めて課題を出すことはなかったのだが、最近真面目に授業を取り組んでいるところに気づかれ、リコリスは先生から問題集を渡された。
「ネル様、これはどうすればよいのでしょうか?」
「宿題をしろってことだ」
「了解いたしました」
以前のリコリスならもちろん即ゴミ箱行きにさせていた。「私、勉強なんてしなくても天才だから☆」と言ってサボっていた。
だが、今のリコリスは出された課題に対し、もくもくと解き始めた。中には俺たちでも少し時間のかかる難問ですら、容易に解いていた。
無感情だが、真面目なリコリスだ。
うん、綺麗なリコリスだ。
正直、こっちのリコリスの方がいいかもしれない。
問題事は起きないし、教えれば素直にきいてくれる。
「…………」
でも、なんだろう……何かが足りない。
――――そうして、次の日。
授業を終え、昼食のため食堂に向かった俺とリコリス。
普段の彼女なら、昼飯の時は一目散に食堂に向かっていた。
が、今のリコリスはペースを乱さず隣を歩き、俺より先を歩くことはなかった。
「リコリス様!! 昨日倒れたって聞きましたけど、体調の方は大丈夫っすか?」
何か妙に元気な声が聞こえるなと思い、振り返ると、俺たちと同じように食堂に向かっていたハンスと遭遇した。
「ネル様、この人はどなたでしょうか?」
だが、リコリスは首を傾け、俺に説明を求めてくる。
「こいつは……そうだな、お前の舎弟みたいなもんだな。お前はおもちゃって呼んでたな」
「え、リコリス様どうしたっすか? まさか……俺のこと忘れちゃったんすか? 待ってくださいよ、俺ですよ? あなたのお気に入りのおもちゃ、ハンスっすよ?」
あなたのお気に入りのおもちゃって……おもちゃの自覚があるのかよ、ハンス。
焦るハンスに対し、彫刻のごとく表情筋を一切動かさないリコリス。そんな彼女にハンスの顔が徐々に青くなっていく。
「すみません、ハンスさん。今はあなたことを忘れてしまったようです。申し訳ございません」
「え…………えっ? 本当に忘れちゃったんですか?」
「はい、申し訳ございませんが、今の私はあなたのことを忘れています」
「…………おい、ネル。リコリス様に何をした? まさか変な魔法を……」
「してねぇよ。昨日魔力切れを起こしたんだが、そのせいか記憶障害を起こしてしまってな」
「そんな……」
あまりにも衝撃的だったのか、ハンスは否定したい事実に横に首を振る。
「リコリス様、思い出してくださいよォ…………俺はあんたの一番の舎弟であり、おもちゃなんですよォ……もっと俺とはしゃぎましょうよォ……」
「今はネル様の命令が最優先となりますので、申し訳ございません」
「そんな……」
リコリスに縋り付き、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにさせながら懇願するハンス。その姿はどこか無様で、いじめてきた相手には見えなかった。
「あんたの願いはなんでも聞きますから、思い出してくださいよ……俺に『よく焼きそばパン買ってきて』って昼休みに二回も言ってきたじゃないですか……」
昼休みに二回も焼きそばパンを買わせに行かせていたのかよ。
ほんとイかれてんな、リコリス。
「お願いですよ……なんでもしますから……俺のことを……」
「すみません、あなたことは思い出せませんが、今覚えましたのでご安心を。ハンス様から、命令がございましたら私にお申し付けください」
「そんな……俺から命令なんて……俺はリコリス様の命令を聞くのが好きだったのに……」
ハンスにはリコリスが女神さまにでも見えるのだろうか……絶対眼科に行った方がいいと思うが……。
「俺のリコリス様を返せよォ――――!! 神様ァ――――ッ!!」
目の前で叫ぶリコリス唯一の舎弟。その後、ハンスはその場で泣き崩れ気絶し、保健室送りとなった。
なんだよ、この悪魔と舎弟は…………。




