第96話 Who are you?
「…………」
何にも事情を知らないのだろう。
レンにきっと何も聞かされていないのだろうフワフワ聖獣はきょとんとした顔で首をかしげる。
ああ…………。
俺が、いつ、レンに、聖獣が欲しいといっただろうか?
アイツがいなくなった今、訴えることもできず俺は丸文字で書かれた差出人の名前を睨みつける。
「お前には悪いが、俺は飼わないからな」
「くぅーん」
きっと裏があって、レンはこの聖獣をよこしてきた。
ならば、俺は無視するのみ。かわいそうではあるが、聖獣だ。そこら辺の魔物にやられるほど弱くはない。
俺は再び聖獣に背を向けて歩きだすが、背後から気配がした。
分かってる……振り向けばどうなっていることぐらい。
だが、神聖な気配は消えることはない。
はぁとため息をつき、俺は振り向く。
底知れぬ神気をばら撒く聖獣は分かりやすく落ち込んでいた。
本来ならば、聖獣なんてありがたい存在だ。聖職者なら大喜び間違いなし、一週間は夜通し酒を飲むことだろう。
しかし、俺にはデメリットしかない。コイツがいると目立ってしまう。
新聞に載ってしまったので今更なことではあるが、これ以上目立ち要素は増やしたくない。
でも――――。
「ワンっ!」
「…………」
振り向く度に、遠くにいた白狼は徐々に近づいてきて。
「ワンっ!」
「…………」
もう目の前まで近づくと、白狼が飛びかかってきて、俺を押し倒し、ペロペロと舐めてきた。
「うぉい! やめろッ! 俺は飼わないからな!」
「ワンっ! ワンっ!」
こちらが飼うと言わない限り離すつもりはないのか、白狼は足で俺の身体を押さえつけてくる。身動きは取れないし、ひたすら顔をペロペロされるがまま。
聖獣に威厳などないのか、無邪気に尻尾をぶんぶん振っていた。
「あー! もう!! ペロペロやめろ!!」
「ワンっ! ワンっ!」
「あぁ――ッ!! もう分かったッ!! お前も来い! 狭いけど、俺の部屋で住んでもらうからな!」
聖獣のしつこさに負けた俺は、レンと聖獣に屈服することにした。
ようやくモフモフ聖獣のペロペロから解放され、俺はほこりを払いながら立ち上がる。
すると、デカ白わんこは俺の周りをクルクルと回り、背を向けてきた。
「……お前、それって自分の上に乗れって言ってるのか?」
「ワンっ!」
「じゃ、お言葉に甘えて」
俺はジャンプをして、遠慮なくわんこの上に乗っかった。
見た目通りふわふわで気持ちいい。雲の上にいるかのような心地良さ。
ああ、ここままだと眠ってしまいそうだ。
「お前行き先は分かってるよな?」
「ワンっ!」
鳴いて返事をすると、迷わずすぐに走り始めたノゼアン。俺はぐっとわんこの身体にしがみつき、前を向く。
正面からの風で前髪は揺れる。木々が避けていくように、白狼は軽やかに森を駆け抜けていく。
一緒に駆け抜け感じる風が気持ちよく、俺は無意識のうちに笑っていた。
★★★★★★★★
柔らかな風に揺らされる白銀の髪。
その間から覗くエメラルドの双眸。
「本当はネルをずっと見ていたいんだけどね……そうもいかないんだ」
その双眸が捉えるのは颯爽と木々の間を駆け抜けていく一人の青年と一匹の白狼。
木の上に登っていたレンは目で彼らを追いかけていた。
「だから、ノゼアン。ネルを頼むよ」
レンはジャンプし、地上へそっと降り立つ。
そして、また森の中に姿を消していったのだった。
★★★★★★★★
次から次へと木が現れ、空が見えたかと思えば、また木々の間を駆け抜ける俺とモフモフ聖獣ノゼアン。
目が追い付かなくなるほどの速さで駆ける白狼の乗り心地は意外と悪くない。むしろ快適だった。
ノゼアンの上に乗る俺は、遭遇した魔物を倒しながら森を駆け抜け、道を作っていく。
気づけばゴールが見え、他の人たちも待っていた。
しかし、みんなの顔が妙に険しい。緊迫感があるような……事故でもあったのか?
すると、人込みからアスカが息を切らして走ってきた。
「ネル、着くの遅いじゃない!! なにしてたのよ!!」
「何って迷宮に……」
「え、あんたも迷宮に? まぁいいわ。それよりも大変……ちょっと待って、そのわんこは何?」
「あ~……まぁ、色々あって飼うことになったわんこだ」
「わんこって、それ聖獣じゃない? しかも聖獣じゃない?」
「うん、そうかもしれん」
「そうかもって……まぁいいわ。それは後で聞くとして、ひとまずこっち来てちょうだい」
俺はアスカに手を引っ張られ、人込みの中を進んでいく。先生の動きも慌ただしいし、すれ違う学生からは不安の声が聞こえてきた。
一体何があったんだ…………?
「私の声、聞こえますか!!」
離れた場所からラクリアの声が聞こえた。らしくもなく必死に叫んでいた。
「ラクリア、ネルを連れてきたわ」
「ああ……ネルくん、ようやくゴールしたんだね。良かったYO」
叫んでいたであろうラクリアは地面に座り込んでいた。俺を見ると、安堵したのか口角を少しだけ上げた。
しかし、ラクリアの服はところどころ破れていた。ラクリアだけでなく、アスカもラクリアほどじゃないが、埃や土がついたのかボロボロになっていた。ラクリアの近くに立つリナも髪はぼさぼさで、疲れ果てているようだった。
そして、ラクリアの正面に横たわっていた悪魔女。いつもの元気はどこへやら、怖いほど静かに眠っていた。
「それで何があった? リコリスはどうしたんだ?」
「あたしたちで迷宮を攻略していたのよ。迷宮なら魔物がわんさか出てるし、脱出もリコリスが全力を出して地上まで穴を開けてくれたらゴールまで間に合うだろうと思って進んでたのよ。でも……」
「でも?」
「でも、ある部屋に入った時、リコリスが急におかしくなって倒れたのよ……」
「…………」
決しておふざけでしているわけではない、と。
これまでにリコリスが倒れることは何度かあったが、どうにかこうにか回復していることが多かった。
「おい、リコリス。だらしない寝顔見られてるぞ……」
俺は試しにリコリスの頬をつねってみる。
「…………」
――――――――おかしい。ああ……おかしい。
触れた肌に温かみがない。氷のように冷たかった。
よく見れば、胸の浮き沈みのリズムは短く、呼吸は浅い。
眉を顰める姿はどこか苦しそうで……何かを欲していた。
「アスカ。倒れる直前にリコリスは何をしていた?」
「特に何も。部屋に入っても敵はいなかったし……」
「トラップは? 本当に敵はいなかったのか?」
「ゴースト系もいなかったYO……トラップは分からないYO……」
戦闘はないが、トラップの可能性はあり。でも、リコリスだけがこの状態になっているのか……不思議ではあるが、今は考えている暇はないのかもしれないな。
俺は推測を端的にアスカ達に伝えた。
「確実ではないが、リコリスはきっと魔力切れを起こしてる」
「は? リコリスが魔力切れ? 魔力切れって普通魔法を連発した後に起きるものじゃ…」
普通は、そうだ。
だが、リコリスの場合は悪魔の身体であり、別の要因があるかもしれないが……トラップの可能性が高いだろう。
どんなトラップかは不明だが。
「今は原因を探る場合じゃない。先生は? 対応できる先生は呼んでいるか?」
「呼んだわ。でも、養護の先生が他の子を対応してるみたいで……まだゴールに帰ってきてないの」
「…………」
このままでは魔力切れでリコリスは死んでしまう。
いつもなら、『死んでもこんな悪魔女、別に……』なんて思っていただろう。
…………でも、今ここで死なれるのは少し気持ちが悪い。
俺はリコリスの横で膝をつき、手を取り握りしめ、自分の魔力をリコリスへと流し込む。
勝手に触れたら怒られそうなものだが、そうも言ってられない。
俺がしていることに気づいたのか、ラクリアもリコリスの手を取り、魔力を送ることに集中する。
急激に魔力を流し込んでしまうと、魔力酔いをすることもある。
リコリスの様子を見ながら、魔力を送っていると。
「………?」
閉じていた瞼が開き、紅赤の瞳と目が合う。
「リコリス、起きたか?」
「…………」
リコリスは起きたばかりで朦朧としているのか、ぼっーと俺を見つめ。
「魔力が欲しい……」
「は?」
リコリスにぐいっと胸元を捕まれ、顔を引き寄せられ、唇を奪われる。
「っ!! っん!!」
口の中を貪られ、同時に魔力も吸い取られるように奪われていく。
胸倉を掴むリコリスの手を引き離そうとしたが、逆に後頭部を押えられ、逃げれなくなってしまう。
「わぁ――――っ!! ネルと!! ネルとリコリスがキッスしてる!!」
「Wow!! ネル君くん、あっついKISSをしてるYO!!」
「おい!! ネル!! 大丈夫か!! 顔が真っ青だぞ!!」
アスカやラクリアだけでなく、周りにいた子もわーきゃー大騒ぎ。
しかし、俺は後頭部をがっつり押さえつけられているため、唇を引き剝がすこともできない。
リコリスの唇が意外と柔らかい…………底なしも同然の俺の魔力もかなりの勢いで奪われていく……ああ、また俺のロマンティックなキスのイメージが消えていく。
数分後、これでもかと魔力を奪われ、俺は解放された。
悪魔女はというと。
「ごちそうさまでした……美味でした……」
とすっきりした顔で眠りに落ちていった。
人前で無理やりキッスをさせられて、心もプライドもズタボロ。
俺はちらりとすっかり眠ってしまった悪魔女を見る。
先ほどまで白くなっていた顔色は少し赤みを取り戻し、顰めていた眉も柔らかくなり、口元は弧を描いていた。
とりあえず、死はどうにか免れただろう。
それは良かった。本当に良かったと思う。
――――だけど、だけどッ!!
こんな女とまたキッスをするなんて!!
雰囲気も台無しなこんな場所でキッスをするなんて…………ッ!!
「ゔあぁぁ――――ッ!!!」
俺は叫び散らかし勢いのまま頭を地面に叩きつける。こうでもしないと、このどうしようもない感情を解消できなかった。
奇行に見えていようともうどうでもいい。
誰か……誰か、この感情をどうにかしてくれ。
…………ほんと、この悪魔女はほんと迷惑な女だ。
★★★★★★★★
次の日、俺は保健室にいた。
魔力切れで倒れたこともあり、寮には戻さず世話人がいる保健室へとリコリスを運んでいた。
様子がおかしかったのもあり、リコリスの状態が気になった俺は保健室へ来ていた。
俺が保健室に来て、数分後リコリスが目を覚ました。
「よう、元気になったか?」
目をパッチリ開けた悪魔女は首を動かし、まじまじと俺を見る。
「おはようございます」
無だった。無の表情だった。
いつも「本当に悪魔か?」と疑うぐらいうるさい表情で、起きたらすぐに「なんでネルがいるのよ!!」と文句を言ってきそうなところ。
なのに、こいつは無表情だった。
俺を見たら、嫌がるかもしれないと思ったのに、嫌がる素振りすらない。
「昨日は散々やってくれたな」
「昨日、ですか……?」
「お前、昨日のこと覚えてないのか。全く……まぁ、お前の身体はなぜか知らないが、危機的状況にあったし、仕方ないといえば仕方ないな。それで体の方は大丈夫か?」
「はい、おかげさまで元気にはなりました」
「ん? なんだよ、急にかしこまって……」
今更気づいた。悪魔女には決して似合わない丁寧な口調。
ベッドで上体を起こし、背筋を伸ばして話す彼女の姿はまるで別人。姿勢が良すぎて気持ちが悪い。ロボットかよ。
「あなたに世話になっていて、大変失礼な事をお聞きするのですが……」
「ハッ、失礼な事なんて散々してきただろ。今更何言ってんだ」
「それでは……」
どうせ何かのお遊びでも始めたのだろう。
俺が来る前に起きてて、俺が来ることを知っていたから、こんないたずらでもしているのだろう。
もしかしたら、ドッキリを仕掛けているのかもしれない。
最近動画配信が気になるとか言ってたし、部屋にカメラでも仕掛けているかもしれない。
リコリスのくだらないお遊びに仕方なく付き合うことにした俺だったが――――。
「あなたのお名前は?」
不意打ちだった。冗談だと思った。
「――――は? 今なんて?」
だから、思わず聞き返してしまった。
「失礼ながら、あなたの名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
もう一度尋ねた悪魔女は無表情だった。声に熱もなく、機械的だった。
俺は頭が真っ白になっていた。




