第94話 動揺
さらりと風が吹いた瞬間、
「やぁ、久しぶりだね。ネル」
「………なぜここにお前がいる」
音もなく現れた少年。絹糸のごとく輝く白銀の髪、見た人全てが吸い込まれそうになるエメラルドの瞳。
見た誰もが魅了される完璧な美貌を持ったこの少年――俺の親友だったレン・アベルモスコがそこにいた。
「なぜって少しネルと話したくってさ」
「お前、分かってるよな? 俺、今試験中なんだけど?」
「うん、知ってるよ。でも、僕と話すぐらいの時間はあるかなと思って」
「ねぇよ。一秒も無駄にはできねぇんだ。だから、さっさとお前は帰れ。俺はゴールに行かないといけないし、リコリスが何をしでかすかわからないからな。だから、じゃあな」
「え~、冷たいよ。ネル、お願いだよ。少しだけでいい、僕に付き合ってよ~」
「無理だ」
絶対に少しなわけがない。
くねくねと体をよじらせながら懇願するレンを、俺は無視して通り過ぎる。今は構っている暇などない。
遠ざかるように走りだした時だった。
「まぁ、そう言わずに」
「…………」
レンを通り過ぎたはずだった。
なのに、瞬きをした瞬間、目の前にレンがいた。思わず俺は後ずさる。
「お前な……」
さすが神の子。瞬間移動もお手の物らしい。
だが、俺は無視して、レンを避けて進み続ける。
「つれないな~、ネルは~」
「…………」
だが、またレンは俺の前に現れ、道を阻む。
笑顔を浮かべたままのレン。このまま無視してもずっとついてくるだろう。
レンは何が何でも俺に話を聞いて欲しい、のか…………。
「あぁ……もう、しゃあねぇな……分かったよ」
「やったー。じゃあ、少し寄り道しようか」
「あのなー、俺さっき言ったよな。時間がないって……」
「ところでネル、君はこの近くに何があるか知ってる?」
「おい、俺の話を無視すんな」
「知らないみたいだね……そっか、やっぱりみんなには知られてないのか」
ゆっくりとした足取りで前を歩くレン。足を進めて隣を行くと、随分と楽しそうだった。
仕方ない、コイツを早く満足させて、さっさと試験に戻ろう。
「本当にここに何があるか知らない? 噂とか聞いたことない?」
「学園が管理してるんだ。この森には何にもないだろ」
何もないからこそ、先生たちは魔物を放つことができるし、学生が訓練として使えている。
それこそ、魔王軍幹部並みの敵が現れたら大騒動だ。
すると、レンはふふっと笑いだし、人差し指をぴんと伸ばす。
「それがね、面白いものがあるんだよ」
「面白いものってなんだよ」
「それは見てからのお楽しみさ」
そう言って、レンは足を速めて、俺の前を歩いていく。いつになくウキウキで余裕の笑みではなく、年相応の笑顔を浮かべていた。
拒否権もない俺は仕方なくレンについていく。
知っているのなら、さっさと答えを教えてほしい。そんなに面白いものだったら、きっと試験が終わった後で自分で見に行くからさ……。
そうして、数分後。
歩いていくと、レンが突然足を止めた。
そこにあったのは――――。
「これは――」
風が吸い込まれ、前髪が大きくなびく。
流れてきた冷たい空気に、俺は背中を震わせる。
少し先に見えたのは地下へと伸びていく階段。光もなく暗闇包まれた先はどこまで続いているのかが分からない。
「これって……まさか迷宮か?」
「うん。正しくは人工迷宮。多分、ネルたちにはこの名前で知られているよね――『コンコルド迷宮』」
「ああ……あのコンじぃが作ったって言われる迷宮か……」
「そうだよ、趣味でね」
コンコルド迷宮――それは学園長コンコルドが生徒の実技経験を養うために作ったとされる人工迷宮。
人工迷宮は普通の迷宮とは違う。
かつて宝物庫などに使われた地下が人に管理されなくなり、魔物を住み着き、迷宮となっていく。このタイプの迷宮を自然迷宮と呼ぶ。多くはこれを再調整し、訓練場の一つとして各学園で使用されることが多い。
一方、元々迷宮にするために一から作られたのが、人工迷宮と呼ばれる。人工迷宮は作り主や管理者が好きな魔物を配置することができ、また魔物の研究所としても使用される場合がある。
ゼルコバ学園にも人工迷宮はいくつかあるが、その中でもコンコルド迷宮は攻略最難関だと言われている迷宮だ。
そんな迷宮がこんな訓練場の森にあるなんて……危なすぎないか? 誰かが間違って入ったりしない?
「ああ、安心して。普段は立ち入らないように人払いの魔法がかけられているから。でも、今日は特別にネルのためにその魔法を解除しておいたよ」
「…………それで、お前は俺に何をしてほしいんだ? 迷宮攻略か?」
「そうだね。大体あってるよ。正しくは迷宮の最下層にある“ある物”を取りに行ってほしいんだ」
「よし、レン。自分で行って来れるな。人払いの魔法も解除できたんだし、神の子なら余裕だろ。じゃあな、俺は試験に戻る」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。僕はネルに取りに行ってほしんだって」
「お前、一人で行けるだろ…………なんで俺なんかに…………」
「ネルに渡したいものなんだ。それが」
「どうせ、ろくでもないものだろ。遠慮する。じゃあな」
「ちょ、ちょっと待ってって!」
親友としてならばレンの話は聞こう。でも、今のコイツはそうじゃない。
ただのレンじゃなく、神の子だ。
時間もないので、俺はスタスタとゴールに向かって歩き始める。もういっそのこと川でも作って、スピードに特化した特性の船でも作ってゴールを目指そうか。
「もういい。ネルが取りに行ってくれないのなら、ネルの成績はマイナスにしておくよ」
「おい!!」
「コンコルドでも頼めば、僕は君の成績なんて自由自在だから」
「不正だろ、それ」
「僕はこれでも神だからね?」
レンはいやらしくニヤリと笑う。
クソっ、全く卑怯な手を使いやがる……。
「それ、神としてどうなんだ? お前は邪神か?」
「何を言ってるのさ、僕は清く正しい神だよ。邪神なんかと一緒にしないでよ。でもね、今は不正でもなんでもやるとも。それぐらい君に手に入れてほしいものなんだ」
「…………」
嫌な予感しかない。
でも、そっちがその気なら、俺だって――――。
「聞いたぞ、お前女の子だったんだってな」
「――――」
エメラルドの瞳が大きく見開く。
意気揚々と話していたレンが突然黙った。
「…………」
レンは俺をじっと見つめたまま。何も言ってこない。
…………何だよ、その反応。
アハハって誤魔化すか、照れるかそんな反応があるのかと思っていた。
おっちょくってやろうかと思ってたのに、そんな反応されたら、本当にお前が女の子みたいで――――。
レンの眉間に皺が寄り、いつになく苦し気な声でレンは話す。
「……ネル、それ誰から聞いたの」
「自称女神さんだ」
「自称女神? 誰それ?」
「ティファニー王女だよ。アイツ頭がおかしくなったのか、自分のことを女神だなんて言ってたな」
「ティファニー…………」
女神と名乗る頭のおかしい王女は誰もが呆れる変人王女様。俺だってあの王女は正直薬でもやっちゃったんじゃないかと心配になるレベルでおかしなことを言っている。
レンは神妙な顔を浮かべた。まだ何も言ってこない。
まさかアイツが神だって本気で信じてるわけじゃないよな?
「いや、アイツが神なわけないからな? だってアイツ、俺に死んだら神にならないかって、馬鹿げたこと言ってきたんだぜ? おかしなやつだろ?」
「…………ネ、ネルもう一回言って」
レンの声は震えていた。食い入るように見る瞳はかっぴらいていた。
「いや……その、ほら、アイツは死んだ後、神ならないかって言ってきたんだ」
「その返事はしてないよね?」
「ああ、してねーよ。あんな詐欺まがいな事に返事なんてできねーよ」
「…………ねぇ、ネルは何も思い出してない?」
「思い出してない、ってなんの話だ。まだ俺に消されている記憶があるのか?」
「いや、ないよ。今の君にはないはずだよ」
「…………」
レンの言葉に引っかかる所もある。
でも、ツッコむと面倒事に巻き込まれそうなのであえて聞かない。
ちらりと脳裏に浮かぶ彼岸花の絵――全く、なぜ今思い出すのだろうか。
「そういえば、リコリスちゃんは元気?」
「ああ、元気すぎてもう少し落ち着いて欲しいぐらいだ」
「そっか、それならよかった」
レンは花咲くような眩しい笑顔を浮かべる。心の底から嬉しそうだった。
「……ってお前リコリスに会ったことあったけ?」
「…………ないね」
「なんで知ってんだよ」
「ほら、僕はこれでも神だから」
なんだか誤魔化されたような気もする。そんな個人を見ているものだろうか。見ているのなら元気なことぐらい知っているだろうに…………あ、これもしかして社交辞令か何かか?
そんなに話す話題がないのなら、俺なんかを連れてくるなよ………。
思えば、神の子レンとして会ったのはこれで二回目。正直、今のコイツのことは全く知らない。
一緒に遊んで戦ったレン・アベルモスコはよく知っているけれど、神の子レンはどんな奴か分からなかった。
でも、なんとなく思ったことがある。
「なぁ、前から気になっていたことがあったんだがな」
「うん」
「お前ってリコリスを避けている所あるよな。アイツが悪魔だからか?」
「…………別に避けてないよ。リコリスちゃんには用がないだけ」
弱く小さな声で答えるレン。
まぁ、会いたいのならレンはいつだって会えるし、気にすることはないか。
ああ、神の子だからリコリスの頭を治してくれたら嬉しいが、レンが会ったところで、リコリスの愚かさをどうにかできるわけじゃないだろうし……。
レンは「ねぇ、本当にネルは思い出してないんだよね?」とかよくわからないことをぶつくさ呟いていた。
まぁ、それはどうでもいい。
それよりも、だ。
俺は未だにレンが女だったことが信じられない。
俺は確かに男である証拠を見たんだぞ。下半身についていたのを見たんだぞ。
それでも女の子って言われてもやはり信じられない。
「お前、今の身体にはついているのか?」
「…………まぁ、うん……」
レンは気まずそうに答える。
「でも、元は女の子だったんだよな? それともあれか? 体は男、心は女だったのか?」
「正真正銘の女の子だったよ。でも、男に変えられた」
「変えられたって……誰に変えられたんだ? お前が頼んで変えてもらったのか?」
「いや、違うよ」
「じゃあ、誰に……まさか、神王を倒す理由ってそれに関係しているのか?」
「…………」
もし、望んでない状況で男にさせられたのなら、戻してやりたい。それが神王を倒すことで叶うのなら、レンが女の子に戻れなくって苦しんでいるのなら、助けてやりたい。
しかし、レンは横に首を振った。
「ネル、もうこの話はやめよう。僕、いや私は女の子だった。ただそれだけなんだから、ネルが今気にすることじゃないよ」
「でもな……」
レンは頑なに教えてくれなかった。どんな見た目をしていたのか、誰に性別を変えられたのか、全く話してくれなかった。
「君も時間が惜しいだろう? さっさと行こう」
「…………ああ」
コツコツと響く二つの足音。一段一段降りていく度、壁に掛けられた松明に火が灯る。
さっさといる物を取って、さっさと帰る。面倒なことはもうごめんだ。
そうして、俺はレンとともに最難関迷宮――コンコルド迷宮へと踏み込んだ。




