始まりの街 31
賑やかな街の中をクリスは駆けている。なぜこんな逃げるように走るのか、本当はその必要は無いのかもしれないが、どうしても足を緩めることは出来なかった。普段からろくに運動などしていないクリスは、息を切らしてようやくヴィレリーの魔導具屋へ着いた。
「運動不足だな」
「仕方ないでしょ?体動かすのは苦手なの」
未来に言われムッとする。体は動けばいいと女神に言ったのは未来じゃないか、いつか見た夢を思い出して乱暴にそう告げる。
ここで未来に構っていても仕方がないので、一呼吸置いて魔導具屋のドアを開ける。軋むドアをくぐり抜け、後ろ手でドアを閉じるとそこには静寂があった。街の賑わい、馬車の車輪が回る音、全てが遠くの世界のことようで、この魔導具屋には世間から遠のく魔法でもかかっているかのような錯覚を覚える。
「ごめんください」
クリスはいつもより小さな声で、恐る恐る声を掛けた。ヴィレリーはいつもの場所で、いつも通りにクリスを笑顔で迎えてくれる。その姿にクリスは安心感を覚える。
「今日はどうしたのかしら?学校があったわよね?」
「はい。あの、アーク先生に言われて来ました。今後は色んなお店のお手伝いはしなくていいって、その説明をヴィレリーさんがしてくれると伺ったんですが…」
「あー…、
そう言うことなのね。分かったは、多分あの件かしら?
とりあえずクリスさん、こちらにいらっしゃい」
一瞬顔が歪み、舌打ちが聞こえた気もしたが、気のせいかもしれない。ヴィレリーはニコニコとそう言ってからカウンター近くにクリス用の椅子を出してくれた。そしてドアに向かうと本日休業の看板を出し、再びドアを閉めた。
「え?お店いいんですか?」
「えぇ、人に来られても困るし、それにしょっちゅうお客さんが来る訳でもないわ。安心して」
優しくそう告げられてしまえば、クリスはこれ以上何も言えない。ただ申し訳ない気持ちになるだけだ。
「それで、アーク先生に言われたこと、どこまで聞いたのかしら?」
「ほとんど何も聞いていないんです。その、ミトに手伝いを言われて断ってたところを、多分助けられた形で、ここに行けと言われたので…」
正直クリスもなんと説明したものかと頭を抱える。自分がグランタ商会を避けていることは自分の胸に留めていることだ。それをヴィレリーに伝えたら、何を孤児が贅沢な、とか、目をかけてくれる人に対して非情だ、とクリスが責められるかもしれない。伝え方が難しい。クリスの気持ちを分かってくれる人などこの街に居ないかもしれないのだから。
「そう言うことなのね。
んー、クリスさんにはきっと自分の考えもあるでしょうけど、まずは私たちの考えていることを伝えさせて貰うわよ?」
ヴィレリーのこの発言にすぐに頷く。まずは相手の意見を知りたいところだ。まずはヴィレリーが敵なのか味方なのか、それを知らないクリスはここでは何も喋れないだろう。
「まずクリスさん、あなたが学校卒業後どこで働きたいとか、どんな暮らしがしたいとか、あなたなりに考えているのかしら?えぇ、今はそれを言わなくていい、考えているかだけ教えて。」
クリスはこの質問の意図を読みかねているが、ゆっくりと頷き肯定する。
「そう、ありがとう。
クリスさんは真面目だし勉強もできる。だからね、自分では気付いていないかもしれないけど、クリスさんを卒業後に雇いたいと考えている所は結構あるのよ。中にはちょっと無茶をしてでもお店で働いてもらえるようにと画策しているところもあるの。例えば、グランタ商会とか」
クリスは神妙に話しを聞いていたが、最後の部分で息を飲む。ヴィレリーはそれを、クリスのことを探るように横目で見据えた。
「グランタさんは教会に寄付をしてクリスさんの身元を引き受けると言ったらしいのよ。もしかしたら、クリスさんでなければ教会もその話しに応じたかもしれないわ。
でもね、クリスさんは…、クリスさんが望めば、学院に行き魔法を学んで魔導師にだってなれる可能性がある。それに、クリスさんはこの前ケーキを作ってくれたでしょ?その技術は、一人で一生食べていけるだけのものなの。
それなのに、教会が限られた寄付金でその未来を売ることは出来ないと言って断ったのよ。もしクリスさんにその気があれば、学校卒業後にクリスさんがそう望むでしょうって伝えて」
ヴィレリーはここで言葉を切る。クリスにとってはある程度知っていたことではあったが、改めて人から聞かされると教会に対しての感謝の気持ちが一層強くなる。「それは、ありがたいことです」と頷きなのか、自分に言い聞かせているのか、クリスはそんな言葉を呟く。ヴィレリーはその呟きにうなずきかえし、言葉を続ける。
「教会も、あなたが魔の適職を示した時から気にはしていたし、ケーキを作った時には余計に気に掛けるようになったみたい。そして、アーク先生に相談していたの。手伝いは仕方ないにしても、クリスさんの不利にならないようにするにはどうしたらいいかって。そして私はアーク先生からその話しを聞いたのよ」
真剣な表情で話しをしていたヴィレリーだったが、最後の言葉でクリスに笑顔を向ける。その笑顔はクリスのことを思った、温かみのあるものだった。
「っ!」
クリスは言葉に詰まる。今まで自分には未来以外に相談できる人などいなかった。相談できる内容でもないと思っていた。ただでさえ、孤児として色々な人に世話になりながら生きており、迷惑だってたくさんかけて来ただろう。贅沢など言えないのだ。この命は自分のものであるが、そうではないと言われてしまえばそれに従うしかない。そう、半ば諦めにも似た考えを持って生きていたのに。
教会の、おそらく司祭とシスターハンナだろうか。彼らはクリスのことを考えて、クリスの人生を大切に思ってくれた。アーク爺も厳しいようでいて、クリスのことを思ってくれているのだ。過去にはこの街の商店を取りまとめていた立場だったのにも関わらず、商店の立場ではなくクリスの側についてくれたのだ。
そしてこのヴィレリーも、クリスの気持ちを大切にしてくれる。
「ヴィレリーさん…、私は…」
鼻の奥からツーンとしたものがこみ上げて来て、視界が歪む。クリスの力ではどうにもならないこの現象に表情を歪めて必死に抗う。
「私は、自分の力で生きたいって、でも、それは…
贅沢だから、出来ないなら…ひっく…、諦めて、
でも、諦め…たく、なくて…」
クリスはもう自分が何を言っているのか、何を言いたいのかわからなかったが、それでも何かを伝えないとと思い口を開く。そして頭にそっと何かが触れる感覚がして、それがヴィレリーの手だと分かると余計に喋れなくなってしまう。
「おいババア!クリスは来たか!」
ドンと音がして、いつもは軋むドアが軋むのを忘れて勢いよく開く。クリスは何事かと肩を跳ねさせてドアの方を見るが、ドアから溢れる光のせいでドアを開けた人物が影になる。
「あぁうっさいね!今いいところだったんだ!邪魔すんじゃないよ!!」
そしてヴィレリーが大きな声で叫ぶ。これにはクリスは涙を忘れて目を丸くする。
ドアを閉めてカッカとこちらに近づくのはアーク爺だった。そのアーク爺を忌々しげに睨みつけるヴィレリーをクリスはまじまじと見つめてしまった。
「ヴィレリー…さん?」
嗚咽を忘れたクリスがそう呟くと、ヴィレリーはしまったとばかりに顔をしかめて視線を逸らした。
「なんだ、まだ猫かぶってたのか婆さん」
「私が婆さんならあんたは歩く墓石だよ!なんだよ、店はやってないんだ。看板出てただろ?」
「クリスをこっちに寄越したのは俺だよ!会いに来るのが通りってもんだろ?」
ポンポンと激しい言葉の応酬が続く。こんなに喋るアーク爺も見たことがないし、こんなに口の悪いヴィレリーも見たことがない。クリスは一気に温度の変わったこの魔導具屋の空気に馴染めずにいた。
「で?ちゃんとクリスには話したのか?」
「今その最中さね。ジジイがいなけりゃ今頃話しがまとまってたかもね」
嫌味な態度でヴィレリーが答えているが、果たしてあの後話しはまとまっただろうか。微妙に場違いなことを考えながら、クリスは二人のやりとりを静かに見守る。というかそれしか出来なかった。
「おいクリス!もう手伝いはいいからな。そこのババアの手伝いだけしてろ」
「ちょっと!そこまでは話してないんだよ、勝手に進めないでくれ」
「ババアが遅いのが悪いんだろ!
商店の奴らには、クリスは商売の基礎を学ぶためにヴィレリーの手伝いに集中すると言って納得させている。これでもう手伝いの声はかからないだろ。
で、そのババアからは魔石の魔力供給だけじゃなくて商売についても教えてもらえ。ババアの得意分野だ」
乱暴な言葉ではあったが、その内容はクリスのことを考えたものだというのが伝わって来た。手伝いはしなくていいが、それではお金が稼げない。だからヴィレリーのお店でこれまで通りの魔力供給と、あとは商売についても学ぶらしい。これが得意分野とはどういうことか。クリスが疑問を顔に浮かべていると、アーク爺が続ける。
「こんな寂れた店をやっているがな、ババアは昔この街一番の大店の女将だったんだ。
勝負事と商機を読むのがうまいし、会計もちゃんとしてる。どの商店で手伝いするよりも学べるぞ。
ババアも納得してるからな、学校が休みの日にはここに通え」
もうほとんど命令に近いその言葉ではあるが、クリスはその言葉に驚きと感謝を覚える。この街一番の大店の女将、そんなことは知らなかったが、その人について学べるというのはなんとありがたいことか。
「はぁ、あんたはいつもせっかちなんだから。
クリスさんにだって言いたいことがあるだろ?そんな怖い顔でまくし立てられて、納得できるもんも出来なくなっちまうんじゃないか?」
もう猫をかぶるのをやめたらしいヴィレリーが、少し落ち着いてアーク爺に苦言を呈す。
「クリスさん、このジジイの言った通りだ。クリスさんさえよければ、私が学校卒業まではここで面倒みるつもりだ。ただし、あんまり高い給料は払ってやれないからな?ここはジジイの言う通り寂れた店だ。私の道楽の範囲だから、儲けは期待しないでくれ」
クリスに向き直ってそう告げるヴィレリーの目にはしっかりと芯の通ったものが感じられる。クリスはその瞳に守られている気持ちになる。アーク爺はこっそりと、「儲けは期待するなだ?どの口が」と悪態をつく。
「わ、私しっかりと働きます!色々と、教えてください!お願いします、ヴィレリーさん!」
クリスは精一杯の思いを込めて、ヴィレリーに頭を下げた。
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