始まりの街 29
「クリス、ちょっとその隣の本…いや、赤い表紙の、そうそれ」
「え?これ外国の本じゃないの?読めないんだけど」
「いや、これが魔導具関連の本っぽいんだよ」
半信半疑で本棚から本を引き抜く。大分長い間読まれていなかったのか、引き抜かれた表紙に埃が舞う。クリスは顔をしかめて息を詰め、その本を机へと持ってきた。
「未来はこの本読めるの?」
「あぁ、“近代魔導技術書”と書かれているな」
クリスは、“近代”と言う言葉に疑問を持つ。明らかに黄ばんでいる本の天からは近代っぽさが感じられない。この本を開くと、パリパリとした紙が崩れ落ちるのではないかと言う不安すら覚える。
胡乱げな目で本を見つめるクリスに、未来はとりあえず開いて見せてと声をかける。
「やっぱり。今まで読んでいた本よりも詳しく書いてあるな」
「ちょっと待ってよ、これ本当に読めるの?」
クリスは驚く。本を傷つけぬように優しく、しかし出来ても流し読み程度の速度でパラパラとページを捲っているのに、見たことのない文字から内容を読み取れると言うことは、未来は本当にこの本の文字を読めていると言うことだろうか。
「あぁ、そうだな。
この世界に来たばかりの頃も、ここの世界の文字や言葉を苦労なく認識できたし。この世界の“言葉”に関することは転生特典で解決できるみたいだな」
それはなんとも羨ましいことか。クリスは若干呆れながらも、それならなんて書いてあるか教えてねと未来のその恩恵に与る為にそう伝える。
ここはクーリアの街の領主様の屋敷にある図書館である。魔法陣についての講義を未来から受けていたクリスであるが、所々理解が及ばぬところもあり、一度図書館で関連書籍を探してみようと言うことになったのだ。
魔法や魔導具に関する本はあらかた目を通してしまっているのだが、ちょっとした一節にヒントがあるかもしれないと再度目を通した。次にまだ読んでいない本はないかと足を踏み入れていない本棚を巡っていた時にこの本に出会ったのだ。
そこは考古学や歴史に関する古い本が並ぶ棚で、所々見慣れない文字の本が置いてあった。そしてこの本も、全くと言っていいほど読めない文字でタイトルが書かれており、クリス一人であれば完璧にスルーしていた本である。
「この本は当たりかもしれない。そこの一節を読むぞ?
“異なる意味を持つ、複数の象徴を一つの魔法陣で表すには、その重なりが鍵となる。重なる“角度”、交わる“面積”により互いの持つ意味を増加または減少させる。”だと。
そっかー、面積とか角度なのか、クリスには確かにその当たり教えてないもんなぁ」
いくら説明してもそれにクリスがピンと来ない理由、それはそもそもクリスにその知識が無いからと言うことに気付いた未来。そしてクリスは、当たりだと言って未来が読んでくれた文の中に、知らない単語がありきょとんとしてしまう。
「さっき言ってた、“角度”とか“面積”ってなに?」
「クリスの今の生活では使わないもんな。この世界でも大工みたいな人なら使うんだろうけど。
角度は線と線が交わった時のその角、広がりを表す数値かな?面積は、広さや狭さを明確な数値で表したものかな」
「うん、ちょっとよく分からないんだけど」
そうだよなと呟く未来は、じゃあイメージを飛ばすからなと言ってクリスに“面積”と“角度”についてのざっくりとしたイメージを共有してくる。今まで考えたこともない概念を受け取ったクリスは、目が回るような、気が遠くなるようなそんな感覚に襲われる。
「これ理解しないと魔法陣を作れないってこと?」
重く感じる頭を押さえながらクリスは未来に尋ねる。
「そうだな。さらっと見た限りだと、小中学校程度の知識で足りそうな気がするから頑張って理解してくれ。
とりあえず今は、この本を読んでしまいたいからその話しは帰ってからだな」
この難しそうな課題からは逃げることは出来ないのだと知り、クリスは「はぁ」とため息をつき未来の言葉に分かったと頷く。
「じゃあ、必要そうな部分を読み上げるから、それをメモしていってくれ」
そう未来に言われ、クリスはペンを取る。言われるままにページを捲り、未来が口にした文章をノートに写していく。
「これ、私も少し読めた方が嬉しいんだけど?」
「それもそうだよな。じゃあざっくり必要な部分メモ取ったら、そのあとはこの本に使われている言葉の解読と行くか」
未来に言われるままメモを取るだけではつまらないと感じたクリスがそう伝えると、未来はそれに納得してくれた。そしてしばらくメモを取った後、文字について学ぶ時間が設けられた。クリスが一節を指定し、それを未来が読む。今度は単語ごとに指定し、未来がその意味を伝えると言う形だった。
「文の並びはこの国のものと一緒みたい。単語も似たものがあるから、意外と読めるかも」
「確かに昔からクリスは文字を覚えるのが得意だったからな。単語を覚えるだけなら案外早く読めるようになるかもしれないな」
クリスは嬉しそうに頷く。未来とは知識も能力も大きく離れているが、いつか努力でその溝を埋めたいと思う。この世界でたった一人、未来を知るのは自分だから。誰よりも色々な意味でそばに居たいのだ。
◇
夏も盛りを過ぎ、日が沈むのが少しずつ早くなってきた。机から視線を上げ、クリスが外を見れば沈みかけた太陽が街をオレンジに染めている。そろそろ帰らないとなと荷物をまとめ、本を返しに棚へと歩く。
途中、この図書館で働く司書と目が合ったクリスは、視線を落として挨拶をする。
「今日も熱心ですね」
「はい。たまにしか来れないので、時間いっぱいまで本を読んでいたくて」
「おや?その本は…」
司書はどうやらクリスの持っていた本が気になったようだ。
「読めないでしょう?
その本は古代語で書かれていて、王都にいるような学者であれば読めるのかもしれませんが、ここにいる人間では、どの時代のものかを調べるのがやっとなんですよ」
苦笑まじりに教えてくれるその内容に言葉が詰まる。確かに読めなかったが、外国の本だと思っていたクリスには驚きの内容だった。
「それは、この王国が建国される以前のもの、およそ1000年ほど前に書かれたものだと言われています。
ただ、その本自体は300年程前に写されたもので、原書は王城の図書館で管理されているとも聞いています。」
綺麗な装丁だから気になりましたか?と言う問いかけには、誤魔化すようにブンブンと首を縦に振る。
「古い本なので違う場所で管理していたのですが、いつかの虫干しで図書館の棚に紛れ込んでしまったのですね。
その本は私が預かりましょう」
そう言って手を伸ばす司書に、クリスは慌てて本を手渡す。「残念だったな」と言う未来だが、こればかりは仕方ないだろう。本が読めるようになれば、クリス自身も自分で新しい知識を得られたかもしれないと思うと、クリスも残念には思うのだが。
「では、お気を付けてお帰りください」
丁寧にそう告げる司書に挨拶をし、図書館を後にするクリスだった。
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