始まりの街 23
「しっかし、ひどい目にあったな。」
静かな食堂で作業をするクリスに未来が声をかける。その声は明るくて今にも笑い出しそうだ。
「全く、誰のせいでこんな事になってると思ってるの?」
いいじゃないか、美味いもの食えるぞーと全く反省していない未来の声が癪に障る。
クリスはため息を吐き不機嫌さを装うが、それでも手元にあるボールから漂う甘い香りについつい頬を緩めてしまうのである。
◇
カリーナがくれた砂糖をまぶしたトーストは、教会のみんなで分けて食べられるくらいの量が入っていた。皆一口ずつではあったが珍しい甘味に大喜びで、持ち帰ったクリスには口々にお礼の声がかけられた。クリスもそんな皆んなの様子が嬉しくて、独り占めしなくて良かったと笑顔でその言葉を受け取っていた。
そこで終われば良かったのだが、そのおやつ会の後シスタークララがクリスに声をかけてきた。
「なんでも、カリーナさんに新しいパン料理を教えたのはクリスさんなのですって?」
「え?はい。そうですが。」
「素晴らしい料理よね、どこでそんな調理法を知ったのかしら?」
「えと、本で読みました。」
いつものシスタークララの様子とは異なる、食い気味の態度にクリスは一歩後ずさる。シスターたちは、クリスが図書館に行ったことは知っているが、そこでどんな本を読んでいるのかは知らない。この返答でシスタークララの態度が軟化すれば良いと思っていたのだが。
「本で料理の勉強なんて、素晴らしいですね。」
シスタークララが顔に貼り付けた笑顔のまま一歩クリスに近づいてくる。シスタークララの、猛獣を背負ったような気迫にクリスはさらに一歩後ずさる。ニコニコ顔のシスタークララと、引きつり顔のクリスの無言の時間が流れる。
「クリス、わかったぞ。これはシスタークララのお怒りじゃないか?
なんで教会でその料理を作らなかったのかって。」
冷静にこの状況を分析していたのか、未来がそうクリスに声をかけた。どう言うことだろうか?クリスがさらに説明を求める。
「さっきの砂糖のパンあっただろ?あれを食べてきっと教会でも食べたいって思ったんじゃないか?
シスタークララ結構世俗的だし。
ここは、“本で読んだ他の料理作ります”とか言わない限り引かないぞ、こいつは。」
それは困った。料理の本など図書館では一冊も読んでいないのに。しかも、クリスが伝えたのはガーリックトーストであって、甘いパンではない。
「未来、何かいい甘味作れない?」
「そう言うなって。私はお菓子作りが趣味のあざと可愛い女子じゃなかったんだ。何回も試作を繰り返せば作れるかもしれないが、ホイホイと料理チートなんて出来ないんだよ。」
「何よその料理チートって…。何でもいいよ、未来の世界の甘味、ほら、一つぐらいなんかないの?」
無茶を言うなとぼやくが、それでも未来は何かを考えてくれているようだ。
「べっこう飴とカルメ焼きならイケるんだけど…。べっこう飴はともかくとして、カルメ焼きは重曹探すのが大変そうだな。んー、あ!パウンドケーキならイケるかもしれん!」
なんでも、小麦を使ったお菓子でパウンドケーキというものがあるらしい。ケーキと付いているだけで、クリスは少し心が躍った。なんでも、4つの材料を全て同じ分量混ぜて焼くだけだから簡単なのだという。
「歴史もあるし、名前も作りかたも特徴的だから覚えやすい、私好みのいいお菓子だ!」
と未来はなぜか誇らしげに言うが、そのあたりはクリスには理解できなかったので無視することにする。
「あの、パウンドケーキというものなら、作れるかもしれません。」
そうして、恐る恐るクリスはシスタークララに作れるかもしれない甘味について声を発した。
「っ!」
シスタークララは目をくわりと開き、クリスに顔を近づけた。この時クリスは、目が大きいイコール必ずしも可愛いとはならない事を知った。めちゃくちゃ怖かったのだ。
「未来、怖いよ。」
「お、おう。これは怖いな、漏らすなよ。」
「なっ!漏らさないよ。」
そんな会話をしているなんてつゆ知らず、シスタークララはつらつらと言葉を捲し立てた。
「そんな!そんなつもりでは無かったのよ、クリスさん。
いつも熱心に色々なことを自主的に学んでいるクリスさんを褒めようと思って声をかけたの。
決して!カリーナさんには料理を教えているのに教会には教えないなんてことに異を唱えている訳ではないのよ?
クリスさんは色々なところへお手伝いに行っているみたいだから、そういう事もあるという事は理解しているわ。
でも、見たでしょ?子供達の幸せそうな顔、あれを見たら教会でも出来ないかしら?って思っただけなの。
クリスさんが同じように考えてくれていたみたいで嬉しわ。
やっぱり、兄弟の笑顔はいいものよね?
そうと決まれば早速パウ…ケーキだったかしら?作って、皆で食べましょう?
ね?いい案だわ!素敵ね!」
ほら早く!と今にも踊り出しそうなシスタークララに、まずは落ち着いてくださいと声をかけ、材料が必要な事や、本で見ただけだから一回で成功するかは分からない事などをゆっくりと丁寧に言い聞かせ、シスタークララが望むほど早くはパウンドケーキを用意出来ないことを理解させた。
そして、シスタークララが教会側にどう説明したのかは分からないがクリスがパウンドケーキを作る日は直ぐに決まった。
◇
「小麦粉と、砂糖と、バターと、卵っと。」
パウンドケーキ作りが決まるまでの流れには多少物申したい事もあるクリスではあったが、ケーキが作れるというのは何とも楽しみである。この世界、貴族はケーキやクッキーのような焼き菓子を食べているらしいが、庶民がその姿形を見ることはない。おそらく、その家のシェフが門外不出という感じでレシピを守っているのだろう。そして、貴族同士でうちではこんなに美味しいケーキが食べれると自慢の種にするのだ。
「本当にこんなに簡単な手順で作れるの?」
クリスは思ったことを素直に未来に聞いてみる。そう、パンでさえ美味しいものを作ろうとすれば生地を寝かせたりよく練ったりして時間をかけて作る。しかし、このパウンドケーキというのは材料を混ぜて焼くだけで、難しいところはないように感じられた。
「いや、菓子作りは基本簡単だよ。私の世界には料理はからきしだけど、お菓子だけなら作れるって人もいたしね。
この世界の人は物事を難しく考えてしまうところがあるのかな。」
何とも不思議な話しである。雲の上の食べ物だと感じていた甘味でさえ、住む世界が違えば案外身近なものなのだろうか。そんなことを考えながら材料を混ぜる。
この日、シスタークララが用意したのは大量の小麦粉と砂糖とバターと卵だった。どうやってこのたくさんの孤児を抱える教会でこれだけの材料を用意できたのかとヒヤヒヤしたが、どうやら近所の商店などの古くなったり余ったものを、教会で作っている焼き締めたパンと交換して手に入れてきたのだという。元々商家で育ったというシスタークララはこういう時の交渉術に長けていた。
「何回かは失敗しても大丈夫そうだけど、やっぱりみんなで満足する量作れたら嬉しいよね。」
こんな機会は滅多にないのだから、せっかく大量に用意してくれた材料を無駄なく全てパウンドケーキにしたい、そう考えるクリスは、これからの焼き作業に緊張していた。
「なぁクリス、折角だから魔法で火の調整しないか?」
「へ?」
丁度いい事に今厨房で作業をしているのはクリスだけである。食事の準備ではシスターと当番の子供が厨房にいるのだが、今はその時間から外れていることもありクリスの他に誰もいない。
「全部火の魔法でやろうって事じゃないんだ、お菓子作りは火力の調整が大切だから、安定した温度になるようにちょっと魔力を込めて見ようぜ。それなら失敗の可能性も減るし、多分。」
なるほど、そういう事なら出来るかもしれないとクリスは頷く。なりにより失敗の可能性が減るのは嬉しい。
クリスはオーブンにパウンドケーキの生地を入れて火をつけ、そして火力が安定するようにと願いながら魔力を込めた。
いつもの炎に、少し煌めきが加わり火が穏やかに安定する。生地に火がかからないように、全体が温まるように、そう願えば火が素直に従った。
「ほう、これはすごいな。」
初めて火に魔力を込めてみたが、これだけの反応が得られるとは未来も素直に感心している。クリスは目を大きくして息を飲んでしまう。
「魔法ってこんな風に使えるの?」
もしそうなのであれば、何と恐ろしいことか。
「いや、魔法は基本呪文を使うみたいだし、クリスのように無尽蔵に魔力を持っている訳ではないからな。
こんな使い方は普通しないと思うぞ。」
「そ、そうだよね。」
自分の魔力が異常なことをこんな厨房で認識するなんて。クリスは口元と気持ちを引き締めてオーブンの火を見守った。
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