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歌舞伎町ドラッグ・ギャンビット  作者: Aramaki_mai
第1部 歌舞伎町
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9/70

第9話 2回目の男

挿絵(By みてみん)

瀬尾と別れたあと、玲司と葵は歌舞伎町の人混みへ戻った。


地下のクラブから離れるにつれて音楽は聞こえなくなったが、玲司の脇腹にはまだ鈍い痛みが残っている。葵も、さっきまでギアを使って戦っていたせいか、いつもより口数が少なかった。


しばらく歩いたところで、玲司が先に口を開いた。


「結局、分かんなかったな」


「何が?」


「ギアの出どころだよ」


「瀬尾は売ってたじゃん」


「その瀬尾が、誰から来てるのか知らねえんだろ」


名前も顔も知らない相手から、匿名のメッセージで指示だけが届く。瀬尾を問い詰めて分かったのは、それだけだった。


玲司は歩きながら脇腹を軽く押した。


「殴られてまで聞いた結果が、知らねえ、だからな」


「弱いからでしょ」


「まだ言うか」


「見学してていいって言ったじゃん」


「お前が先に俺を前へ出したみたいに言うな」


葵は少し笑った。


二人はそのままトー横の方へ向かった。この時間になると、映画館脇の辺りにも若者が集まっている。地面に座ってスマートフォンを触る者もいれば、数人で騒ぎながら飲み物を回している者もいた。


葵には見慣れた場所だったが、今夜はここへ戻ってきたところで、次に何をすればいいのか分からない。


玲司が周囲を見回した。


「で、これからどうする?」


「知らない」


「お前、そればっかりだな」


「じゃあ、あんた考えてよ」


「人を辿っても瀬尾で切れたしな」


葵にも答えはなかった。


ギアを最初に手に入れた男は、名前すら知らない。瀬尾も供給元を知らず、歌舞伎町で薬が出回っていることだけは分かっているのに、その先へ進もうとすると道が消えてしまう。


「一回、仕切り直すか」


玲司がそう言ったとき、人混みの向こうから男の大きな声が飛んできた。


「――ミオちゃん?」


その呼び名を聞いた瞬間、葵の足が止まり、玲司も声のした方を振り返った。


「今、ミオって言った?」


「……聞こえた」


「知り合い?」


「たぶん」


「たぶん?」


葵が答える前に、男がこちらへ歩いてきた。


二十代半ばくらいで、少し酔っているらしく頬が赤い。肩には黒いバッグを掛け、シャツの袖を肘までまくっている。


葵の前まで来ると、男は嬉しそうに笑った。


「やっぱりミオちゃんじゃん」


葵の顔がわずかに引きつる。


「……久しぶり」


「久しぶりっていうか、この前ぶりだよね?」


玲司は二人を交互に見た。


「誰?」


男もようやく玲司に気づいた。


「あれ、彼氏?」


「違う」


葵が間を置かずに否定すると、玲司が嫌そうな顔をした。


「またそれかよ」


「違うんだから仕方ないでしょ」


男は二人のやり取りに首を傾げながらも、玲司へ軽く頭を下げた。


「三枝直人です」


「黒瀬玲司」


互いに名乗ったところで、三枝が改めて葵を見た。


「この前さ、悪かったね」


「何が?」


「俺、途中から全然覚えてなくて」


玲司の眉が動いた。


「途中から?」


「ホテル入ったあと、飲みすぎてたみたいで寝ちゃったんだよね。気づいたら朝で、ミオちゃんもいなくなってて」


玲司がゆっくり葵を見ると、葵は露骨に目を逸らした。


「……お前」


「何」


「こいつ、もしかして」


「二回目」


「何が二回目?」


話についていけていない三枝が、玲司と葵を交互に見る。


玲司は葵へ向き直った。


「殴ったの?」


「殴ってない」


「本当に?」


「寝てたから」


三枝も頷いた。


「うん。たぶん何もされてないと思う」


「たぶんって」


「覚えてないから」


玲司は呆れて額を押さえた。少なくとも、三枝に暴力を振るってはいないらしい。


そこで三枝が、何か思い出したように口を開いた。


「あ、でも一個だけ変なことあったんだよね」


葵の肩がわずかに固くなる。


「何ですか」


玲司が聞く。


「財布から一万円なくなってて」


葵が黙った。


玲司もすぐには何も言わなかった。


三枝が二人の顔を見比べる。


「……え?」


玲司はゆっくり葵の方を向いた。


「お前だな」


「知らない」


「今の間で分かるわ」


「証拠ないじゃん」


「お前、都合悪くなるとすぐとぼけるよな」


「何の話?」


「ほら、それだよ」


三枝は困惑したまま二人を見ていたが、やがて葵へ確認するように聞いた。


「え、ほんとにミオちゃん?」


葵はしばらく黙っていたものの、玲司と三枝の両方から見られ、諦めたように肩を落とした。


「……一万だけ」


「だけじゃねえよ」


「財布は置いてった」


「そこ褒めるところじゃないからな」


三枝は驚いてはいたものの、怒鳴ったり責め立てたりはしなかった。


「やっぱりそうだったんだ」


「ごめん」


葵が小さく謝ると、玲司がすぐに口を挟んだ。


「返せ」


「今ない」


「は?」


「だから、今ほとんど持ってない」


「今日働いてただろ」


「だからって現金持ってるとは限らないでしょ」


「お前、朝も俺の財布から金抜いたよな?」


「あれは朝飯」


「今その話すると余計腹立つな」


玲司は自分の財布を取り出して中を確認すると、一万円札を一枚抜いた。


「すみません。これ」


三枝へ差し出すと、今度は葵が玲司を見る。


「なんであんたが払うの」


「俺も今それ思ってんだよ!」


「私、あとで返すから」


「絶対返せよ」


「分かったって」


「朝飯代もな」


「細かい」


「人の金で言うな」


三枝は差し出された一万円札を受け取りながら、なぜか申し訳なさそうな顔をした。


「なんか、俺が悪いみたいになってない?」


「なってません。完全にこいつが悪いです」


玲司は即答した。


     *


三人は近くのファミリーレストランへ入った。


三枝は研究室の飲み会である程度食べてきたらしく、コーヒーだけを頼んだ。玲司は遅い夕食を注文し、葵もメニューを眺めた末に軽い料理を選んだ。


注文を終えると、三枝が改めて二人を見る。


「それで、ミオちゃんたちは何してたの? こんな時間に」


「いろいろ」


「その説明で済む?」


「済ませたい」


玲司が水を飲みながら口を挟んだ。


「三枝さんこそ、歌舞伎町で何してたんですか」


「研究室の飲み会。ラボのメンバーで飲んでたんだよ。俺だけちょっと先に出てきた」


「大学院生なんですか?」


「うん」


玲司の手が止まった。


「何の研究してるんです?」


「有機化学」


「……有機化学?」


その言葉を聞いた瞬間、玲司の顔つきが変わった。


葵はまだ意味が分かっていないらしく、二人を見比べている。


「そう。まあ、言っても分かんないと思うけど」


「薬とかも分かる?」


三枝が少し首を傾げた。


「薬?」


玲司が葵を見る。


そこで葵も、ようやく何を考えているのか気づいた。


「あ」


「今気づいたのかよ」


「だって知らなかったし」


「お前、この人の財布は開けたのに、何してる人かは聞かねえの?」


「寝てたんだから聞けないでしょ」


「金抜く余裕はあったのにな」


三枝は二人のやり取りを見ながら、ますます分からない顔をしている。


「何の話?」


玲司は少し迷ってから、周囲に聞こえない程度まで声を落とした。


「実は、ちょっと見てもらいたいものがあるんです」


「俺に?」


「はい。薬なんですけど」


三枝の表情が変わった。


「薬って、普通の?」


「たぶん普通じゃないです」


「それ、一番困るやつなんだけど」


三枝は椅子の背にもたれた。


「何なの?」


葵が答える。


「ギアって呼ばれてる」


聞き覚えがないのか、三枝は眉を寄せた。


「ギア?」


「歌舞伎町で出回ってる薬」


「合法?」


「分かんない」


「成分は?」


「分かんない」


「誰が作ってるの?」


「それも分かんない」


三枝はしばらく黙ったあと、困った顔で玲司を見た。


「分かんないしかないじゃん」


「だから困ってるんです」


「いや、そういう問題じゃなくて」


三枝は額に手をやった。


「正体不明の薬なんて、簡単に触れないよ。まして研究室に持ち込むとか無理だからね。バレたら俺が何やってんだって話になるし」


「そこを何とか」


「無理無理」


三枝はすぐに首を振った。


「俺、そういう危ないことするために大学院行ってるわけじゃないから」


玲司も、これは無理に押せる話ではないと思った。


「ですよね」


「諦めるの早くない?」


横から葵が言う。


「お前が言うな」


「だって、この人しかいないじゃん」


三枝が嫌な予感でもしたように葵を見た。


「ミオちゃん?」


葵は椅子から少し身を乗り出すと、三枝の隣へ寄り、その片腕を両手で包むように掴んだ。


玲司が目を細める。


「おい」


葵は聞こえなかったふりをした。


「直人」


「え?」


さっきまでのぶっきらぼうな声が消え、三枝を見る目まで柔らかくなる。


「お願い」


「いや……」


「直人しか頼れる人いないの」


三枝の顔が、分かりやすいほど固まった。


玲司は呆れながら二人を見る。


「お前、その顔できんのな」


「黙ってて」


「店で客にやってるやつだろ、それ」


「違うから」


「絶対そうだろ」


三枝は葵に腕を掴まれたまま、どうすればいいのか分からないように視線をさまよわせた。


「でもさ、本当に危ないものだったら――」


「だから調べてほしいの」


「いや、そうなんだけど」


「お願い」


葵がさらに少しだけ距離を詰める。


三枝は数秒耐えていたが、やがて諦めたように深く息を吐いた。


「……分かった」


玲司が思わず三枝を見る。


「いいんですか?」


「全部は無理だよ」


三枝はすぐに釘を刺した。


「何が入ってるか全部突き止めるとか、そういう約束はできない。研究室に勝手に持ち込むのも無理。俺にできる範囲で確認するだけ」


その言葉を聞いた瞬間、葵は三枝の腕から手を離した。


「やった」


三枝が目を瞬く。


「切り替え早くない?」


玲司が笑った。


「完全にやられましたね」


「言わないで」


「ミオちゃん……」


「何?」


「いや、もういい」


料理が運ばれてきても、三枝はしばらく納得していない顔をしていた。


それでも一度引き受けると言った以上、撤回するつもりはないらしい。コーヒーを一口飲んでから、三枝はテーブルを指先で軽く叩いた。


「で、その薬は?」


玲司と葵が同時に動きを止める。


「持ってるんだろ?」


「うん」


葵は足元のバッグを引き寄せ、ファスナーを開けた。


中から小さなケースを取り出す。


玲司は黙ってその手元を見ていた。


葵が蓋を開け、縁に切れ込みのある灰色の錠剤を一つ取り出すと、三枝が差し出した掌へ静かに落とした。


さっきまで葵に振り回されていた軽い表情が消え、三枝は掌の上の錠剤をじっと見つめる。


「……これが、ギア?」


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