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歌舞伎町ドラッグ・ギャンビット  作者: Aramaki_mai
第1部 歌舞伎町
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6/68

第6話 昼のユナ

挿絵(By みてみん)

目を覚ましたとき、玲司は自分がどこにいるのか一瞬分からなかった。


狭いソファに横向きで寝たせいで首が痛い。寝返りを打とうとして背中が背もたれにぶつかり、そこでようやく昨夜のことを思い出した。


歌舞伎町のホテル。壁をぶち破った男。新宿駅までの逃走。そのあと、篠崎葵を連れて中野の仕事部屋まで来た。


「……いてぇ」


体を起こすと、昨日ぶつけた腰まで重く痛んだ。


窓から差し込む朝の光で、昨夜より部屋の狭さがよく分かる。机の上には飲みかけの水が残り、床へ落ちたクッションもそのままだった。


玲司は寝癖のついた髪を掻きながら、部屋を見回した。


「おい」


返事がない。


昨日、葵が使った毛布は床に残っていたが、本人の姿はなかった。


「……あいつ」


ソファから立ち上がったところで、玄関の鍵が回る音がした。


玲司がそちらを見ると、ドアが開き、コンビニの袋を提げた葵が入ってくる。昨夜と同じ服装で、長い髪だけが適当に後ろでまとめられていた。


「何してんの?」


「それ俺の台詞だろ。お前、どこ行ってたんだよ」


「コンビニ」


葵は悪びれた様子もなく靴を脱いだ。


「朝飯買ってきた」


「勝手に消えるなって昨日言ったよな」


「近所のコンビニくらいいいでしょ。逃げてないし」


「起きたらいねえんだから分かんねえだろ」


「細かいなあ」


文句を言いながらも、葵はコンビニ袋をテーブルへ置いた。中からペットボトルの茶とおにぎりを取り出し、そのうち一組を玲司へ差し出す。


「はい。あんたの分も買ってきた」


「……マジかよ」


「何よ、その言い方」


「昨日まで俺の財布を狙ってた奴が朝飯買ってきたんだぞ。警戒くらいするだろ」


「買ってきてあげたんだから、普通にありがとうって言えないの?」


玲司はまだ疑いながらも、おにぎりと茶を受け取った。


「どうも……ありがと」


「心こもってない」


「うるせえな」


包装を破りかけたところで、玲司の目がテーブルの端に止まった。


そこには、自分の財布が置かれていた。


昨夜、ズボンのポケットに入れたまま寝たはずだった。


玲司はおにぎりを持ったまま財布を掴み、中を開いた。紙幣を確かめてから、ゆっくり葵を見る。


「……お前」


「何」


「これ、金どうした?」


「ん?」


「朝飯の金」


「あんたの財布からもらった」


「やっぱりか!」


玲司が財布を閉じる音に、葵は面倒そうな顔をした。


「ちゃんと必要な分しか取ってないって」


「そういう問題じゃねえよ。人の財布から勝手に金取んな!」


「あんたの分も買ってきたんだからいいじゃん」


「良くねえよ!」


「じゃあ返して」


葵が玲司の手にあるおにぎりへ手を伸ばしたので、玲司は反射的に腕を引いた。


「これは食う」


「食うんじゃん」


「俺の金だろうが!」


「だったら文句ないでしょ」


「あるわ!」


朝から怒鳴るのも馬鹿らしくなり、玲司は財布をズボンのポケットへ押し込んだ。今度から寝るときも枕の下にでも入れておこう、と本気で思う。


葵は勝ったような顔で自分のおにぎりを開けていた。


玲司も諦めて包装を剥がし、一口食べる。昨夜はまともに食事をしていなかったせいか、腹に入ると少しだけ頭が動き始めた。


「で」


「何」


「今日一日どうすんだよ」


葵はおにぎりを食べながら、あっさり答えた。


「仕事行く」


玲司の手が止まった。


「仕事?」


「うん」


「お前に仕事なんかあんの?」


「失礼すぎない?」


葵が露骨に顔をしかめる。


玲司は昨夜からの行動を思い返した。歌舞伎町で男に声をかけ、自分をホテルへ連れ込み、バッグにはメリケンサックと正体不明の薬。


「……また強盗しに行くんじゃねえだろうな」


「違うわよ!」


葵が食べかけのおにぎりを持ったまま声を上げた。


「そんなことするわけないじゃん」


「お前が言うと説得力ねえんだよ」


「昼間からそんなことするわけないでしょ」


「昼ならやらないって問題でもねえだろ」


玲司は茶を飲みながら、改めて葵を見る。


「じゃあ仕事って何だよ。お前、何やってんの?」


「昼キャバ」


「……昼キャバ?」


「知らないの?」


「知ってるよ。昼にやってるキャバクラだろ」


「知ってんじゃん」


葵は残っていたおにぎりを口へ入れ、袋を丸めた。


「歌舞伎町の店で働いてんの。もう行かないと遅れる」


「お前、普通に働いてたのか」


「何だと思ってたの?」


「その辺で人殴って金取って生活してんのかと」


「二回しかやってないし」


「回数の問題じゃねえ」


玲司が言うと、葵は立ち上がって自分のバッグを取った。


「じゃ、行ってくる」


「待て待て」


「今度は何?」


「店どこだよ」


葵の動きが止まった。


「……そんなことまで言わなきゃいけないの?」


「昨日お前を連れてこうとした連中がいたばっかりだぞ。どこ行ったかくらい分かるようにしろって言っただろ」


「監視じゃん」


「また消えられるよりましだ」


「面倒くさ」


葵は嫌そうな顔をしたまま、店の名前を告げた。


「《MUSE》。歌舞伎町の昼キャバ」


「ミューズ?」


「そう。調べれば出るから」


「分かった」


「絶対来んなよ」


「誰が行くか」


即答すると、葵は疑うように玲司を見た。


「本当に?」


「早く仕事行けよ」


「言われなくても行く」


玄関まで歩いていった葵は靴を履き、ドアを開ける直前に一度振り返った。


「財布、今度からちゃんと隠しといた方がいいよ」


「誰のせいだと思ってんだ!」


葵は笑いながらドアを閉めた。


     *


歌舞伎町は昼になっても人が多かった。


昨夜とは違い、空にはまだ明るさが残っている。それでも通りには飲食店の看板が並び、観光客がスマートフォンを向け、眠そうな顔で歩く男の横を、これから仕事らしい女が追い越していく。


玲司はビルの前でスマートフォンを見た。


《MUSE》


店名は合っている。


「……来んなって言われると、ちょっと見たくなるんだよな」


自分でも子供っぽい理由だと思った。


もちろん、それだけではない。


昨日、正体の分からない男たちが葵を連れ去ろうとしている。本人は平気な顔で仕事へ出ていったが、本当にいつも通り働けるのかくらいは見ておきたかった。


そう考えれば、少しは仕事の延長と言えなくもない。


「経費にはならねえだろうけど」


玲司は小さくぼやき、店へ入った。


昼キャバと聞いて明るい店内を想像していたが、中へ入れば照明は落としてあり、夜の店とそれほど雰囲気は変わらない。ただ、完全に外の光を遮ってはいないらしく、カーテンの隙間から昼の白い光が細く差し込んでいた。


案内された席に座ってしばらくすると、店の奥から女が一人歩いてきた。


玲司は一瞬、別人かと思った。


髪はきちんと整えられ、化粧も昨夜より少し濃い。細身のドレスに着替え、歩き方まで歌舞伎町で見たときとは違って見える。


向こうも玲司に気づいた。


笑顔が止まる。


「……あんた、来たの?」


「来ちゃ悪いのかよ」


「絶対来んなって言ったじゃん」


「絶対とは言ってなかっただろ」


「言ったよ!」


葵――店ではユナと呼ばれているらしい――は、玲司の隣に座りながらあからさまに嫌そうな顔をした。


「何しに来たの?」


「客」


「見れば分かる」


「じゃあ聞くなよ」


「そうじゃなくて!」


大きな声を出しかけ、葵は周囲を気にして音量を落とした。


「店の場所聞いたと思ったら、本当に来るとか普通思わないでしょ」


「暇だったんだよ」


「仕事しろよ」


「今日は呼ばれてねえ」


「日雇いって大変だね」


「急に上から来たな」


葵は鼻で笑うと、テーブルに置かれたメニューを玲司の前へ押した。


「せっかく来たなら、ボトル一本くらい入れてよね」


「そんな金あるわけねえだろ」


「ケチ」


「ビールで勘弁しろよ」


「朝飯代であんな騒いでたくせに、酒には金使うんだ」


「二十歳だからな」


玲司が言うと、葵は一瞬黙った。


「何」


「いや。昨日、煙草くれなかったの思い出した」


「お前は二十歳になってからだ」


「はいはい」


店員にビールを頼み、葵がテーブルの上を整える。


その手つきを見ていると、少なくともここではちゃんと仕事をしているらしい。言葉遣いも、外にいるときより少しだけ柔らかい。


玲司は届いたビールを受け取りながら、葵を上から下まで眺めた。


「何」


「いや……」


「何よ」


「こうして店で見ると、お前ちゃんと女だな」


葵の眉が動いた。


「は?」


「夜はゴリラになるくせに」


「殴るわよ」


玲司はビールを一口飲み、笑った。


「ほら、それだよ」


「今すぐ帰れ」


「客に言う台詞かよ」


「客じゃなかったらもう殴ってる」


「それ店の人に聞かせて大丈夫?」


葵は笑顔のまま、テーブルの下で玲司の足を蹴った。


「痛っ! お前、客に手ぇ出したぞ!」


「足だからセーフ」


「何がセーフなんだよ」


昨夜、同じ女を追いかけて新宿駅まで走ったとは思えない。


玲司は蹴られた脛をさすりながら、もう一口ビールを飲んだ。


目の前では、葵が何事もなかったように笑っている。


この店では、篠崎葵ではなくユナ。


昨夜のホテルでメリケンサックを嵌めていた女とも、ギアをバッグに入れて逃げ回っていた女とも違う顔をしていた。


玲司はビールのグラスを置いた。


「お前、意外とちゃんと働けるんだな」


「さっきから失礼すぎるんだけど」


「褒めてんだよ」


「どこが?」


「少なくとも俺の財布から金抜くより健全だろ」


「朝飯買っただけじゃん!」


葵の声が店内に響き、近くにいたキャストがこちらを見て笑った。


葵は気づいて顔をしかめる。


「……あんた、もう帰って」


「まだビール残ってる」


「飲んだら帰れ」


「ボトル入れろって言ってた奴が何言ってんだよ」


「気が変わった」


「売上いいのか、それで」


「うるさい」


玲司は笑いながらグラスを持ち上げた。


昨夜から何一つ解決してはいない。


それでも今だけは、歌舞伎町の昼の店で、十八歳のユナが客を相手に働いていた。

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