↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌舞伎町ドラッグ・ギャンビット  作者: Aramaki_mai
第4部 匿名の暴力
PR
56/68

第56話 成功した夜

挿絵(By みてみん)

「もう一回、池袋やんないかな」


伊織はホテルのベッドに腰掛け、リモコンを隣へ放った。テレビには新宿の貴金属店が映っている。黄色い規制線の向こうで警察官が動き、店の前に残ったガラスをカメラが大きく映した。


窓際の椅子に座る柴崎亮吾は、顔を上げなかった。さっきからスマートフォンが鳴るたびに返事を打ち、ときどき電話を耳へ当てている。


「お前が見てない間に二回流れた」


「呼んでよ。俺、そこにいたのに」


「知ってるよ」


柴崎はスマートフォンを机に伏せ、缶コーヒーを飲んだ。伊織より年上のこの男は、こちらの機嫌がよくても、合わせて笑おうとはしない。各地の連中と連絡を取り、揉めた話もそのまま持ってくる。


伊織は右手を握った。指の節が少し痛むが、腫れるほどではない。池袋の店員は最初、伊織たちを追い出そうとしていた。一度殴って床へ倒すと、それきり立ってこなかった。ほかの店員も、陳列ケースを割られている間、奥で声を上げるだけだった。


自分が一歩進むだけで、人が逃げて道が空く。


思い出していると口元が緩んだ。隣で同じように笑っていた仲間の顔まで浮かび、伊織はもう一度テレビへ目を向けた。


画面が都内の地図へ切り替わった。新宿、池袋、上野・御徒町、中野、秋葉原、錦糸町。赤い印が増えるたび、伊織は足先で床を叩いた。


「ほら、全部出てる」


「見えてる」


「六か所だよ。俺が池袋にいる間、ほかでもみんなやってたんだな」


知ってはいた。集めた人数も、行かせる場所も、自分で聞いて決めた。それでも、テレビに並べられると笑いが止まらなかった。自分が行ったこともない店で、今日、自分の仲間がガラスを割り、人を追い払っていた。


伊織のスマートフォンにも連絡が入った。宮下からだった。新宿では受け取り役の女たちと揉めたが、品物は持ち出したという。


伊織は途中まで読んで、返信欄を開いた。


『荷物あるならいいよ。お疲れ』


送ってから端末をベッドへ置くと、柴崎がこちらを見ていた。


「秋葉原で一人捕まったぞ」


「え、あそこ取れたんでしょ」


「物はな。一人だけ逃げ遅れた」


柴崎は缶を置いた。伊織がテレビへ向きかけると、そのまま話を続ける。


「そいつが誰と会って、何を聞いてるか、今確かめてる。警察で黙ってるとは思うなよ」


「分かったって」


「分かってる顔じゃねえんだよ。次はもっと人数を集めりゃいいと思ってるだろ」


伊織は笑うのをやめた。柴崎は目を逸らさなかった。


「一人捕まったら、今日やったこと全部失敗になるの?」


「誰がそんな話した。俺まで引っ張られたくねえんだよ」


部屋には、テレビから流れる通行人の声が響いた。怖かった、子供を連れていたから、と女が話している。伊織はしばらく柴崎を見ていたが、やがてベッドに両手をついて笑った。


「じゃあ、まず乾杯しよ。まだ何にもしてないじゃん」


「それで済ませんなよ」


「済ませないって。今日は稼いだんだから、先にそっち」


伊織が冷蔵庫を指すと、柴崎は椅子を引いて立った。開けた扉の陰から二本の缶を取り出し、一本を伊織へ投げる。伊織は両手で受け止め、まだ熱を持っている右手の指の節へ当てた。


「で、いくらになりそう?」


柴崎が口にした見込みの額を聞いて、伊織は眉を上げた。柴崎もようやく笑い、缶の蓋を開ける。


「全部その値で売れたらな。まだ使うなよ」


「みんなの分は、ちゃんと払ってやってよ。今日中に」


「もう渡し始めてる。お前がテレビ見てる間にな」


「さすが」


伊織も蓋を開け、缶を持ち上げた。柴崎がそれへ軽く自分の缶を当てる。飲み込んだ冷たい酒が喉を通ると、ようやく一日が終わった気がした。


飲みながらも、次の話がしたくなっていた。さっきまで殴った手の感触を思い返していたのに、今は地図に並んだ六つの印の方が頭に残っている。


「次、今日来なかった奴も来たいって言うだろうな」


柴崎はすぐには答えず、机で震えるスマートフォンを取った。画面を読んで、鼻で笑う。


「もう言ってるよ」


伊織は声を出して笑った。


*


久世が小会議室へ入ると、机の上には現場の写真が並べられていた。どの店にも似たようなガラスの破片が散っているが、倒れた人間も、奪われた品物も違う。


「御徒町の男の話、聞かせてもらえますか」


向かいにいた鷲尾修一が、空いた椅子を示した。警視庁の匿名・流動型犯罪グループ対策本部に置かれた、匿流ターゲット取締りチーム。通称T3に所属し、今回の襲撃グループを追っている男だった。隣には同じチームの片桐航が座っている。


久世は腰を下ろし、持ってきた資料を鷲尾へ渡した。


「呼び名は伊織。御徒町の事件で目撃されている。薬なら自分が用意できると言って、目撃者を仲間に誘ったそうだ」


「自分でも店に入ってるんですね」


「そうだ。今日も参加していたかは、まだ分からん」


鷲尾が資料をめくる横で、片桐が手帳を開いた。


「秋葉原で捕まった男は、自分は受け取りに来ただけだと。店に入った人間とは別だと言っています」


「呼んだ相手は」


「そこを聞くと、アプリの指示に従っただけだと繰り返す。報酬の約束は覚えてるのに、誰に言われたかは曖昧なんです」


片桐は手帳に目を落としたまま続けた。


「相手のことを知らないのか、話すのが怖いのか。もう少し聞きます」


鷲尾は六地域の被害を記した紙を、写真の隣へ置いた。


「同じ日のうちに、これだけ人を動かしている。捕まった一人の話だけで終わらせたら、また集められる」


「薬を渡している相手にも届くはずだ」


久世が言うと、鷲尾は渡された資料へ指を置いた。


「この伊織という男が、その両方をやってるなら早い。こちらでも呼び名と顔の特徴を当たります。薬の方で何か出たら、すぐ回してください」


「そっちもな」


片桐の電話が鳴った。短く断って席を立つと、廊下へ出る前から、捕まえた男の名前を口にしていた。


*


中野へ戻ると、葵は上着を脱ぐだけで手間取った。


玲司が買った弁当を机へ置こうとしたところ、葵は脱いだ上着を膝へ載せて座っていた。左腕をかばい、右手でスマートフォンを引き寄せて場所を空ける。電車では平気だと言っていたくせに、今は少し姿勢を変えるだけで顔が歪んだ。


テレビには、新宿の店の前に集まった人たちが映っていた。玲司が昼間いた通りも、画面越しでは狭く見える。葵は横目で一度見ただけで、手元のスマートフォンへ顔を戻した。


「中野でもやってたんだな」


玲司が言っても、返事はなかった。ニュースは池袋の映像へ切り替わり、その間も葵は画面を親指で動かしていた。


「レナから?」


葵は頷き、端末を机へ置いた。


『ほかの人はもうお金もらったって。私だけ途中で帰ったからなしだってさ』


『ミオが連れ出さなきゃ、もらえてたのに』


玲司が読み終えるのを待って、葵は端末を引き寄せた。何か打とうとしていたが、親指を止め、そのまま画面を暗くする。


「誰に聞いたんだ」


「今日いた人。お金もらったって聞いて、宮下にも連絡したんだって」


「まだ連絡取ってんのかよ」


葵は返事をせず、膝の上着へ手を下ろした。玲司が向かいへ座ると、視線だけをこちらへ向ける。


「今日、あそこにいたでしょ。殴られてる店の人も見たでしょ。それで、まだこれなんだよ」


玲司は弁当の蓋へ掛けた指を止めた。


「金のことしか言ってこないの?」


「……うん」


葵は自分の端末を見た。通知は増えていなかった。レナに何か言い返すつもりで待っているのか、それとも別の言葉が届くと思っているのか、玲司には分からなかった。


「あんなに嫌がられると思わなかった」


葵がぽつりと言った。


玲司は店の脇道で、腕を振りほどこうとしていたレナを思い出した。葵が前へ出て男を止めている間も、レナはこちらへ怒鳴っていた。今も玲司の袖には、引っ張られて伸びたところがある。


「でも、あそこに置いて帰れなかったでしょ」


葵が顔を上げた。


「分かってるよ」


「だったら、そう言ってよ。さっきも、何も言わないで」


玲司は葵を見た。あの場で何を言えばよかったのか、今だって分からない。レナの言い分に頷いたわけでも、葵が間違っていたと思ったわけでもなかった。それでも、何も言わずにいた自分まで責められると、腹が立った。


「俺だって一緒に連れ出しただろ。何で俺に言うんだよ」


葵は口を閉じ、すぐに机へ目を落とした。右手でスマートフォンを持ち上げると、もう一度レナからの文面を開く。


玲司は割り箸の袋を破ったが、食べ始める気になれなかった。


レナをあの場から離し、葵もここにいる。あの店でできたことを考えれば、それでよかったはずだった。なのに、レナは今も宮下に連絡し、葵はその返事から目を離せずにいる。


これでやめるとは、とても思えなかった。


「次も誘われたら、あいつ、行くかもしれねえぞ」


葵は否定しなかった。


「そしたら、お前もまた行くのか。その肩で」


「じゃあ、誰が連れて帰るの」


返事はすぐだった。葵自身も、言ってから玲司を見た。玲司は言い返しかけたが、スマートフォンを握る葵の指に力が入っているのが目に入った。


今日、レナは逃げようとさえしていなかった。葵が止めなければ、盗品を抱えてバイクに乗っていた。次も連れ戻すつもりなら、葵はまたあの男たちの前へ出ていく。


机の引き出しには、ギアが一錠しか残っていない。あれを使えば必ず帰れるわけでもないことは、御徒町で伊織と戦う葵を見て知っていた。


玲司は手に持った箸を弁当の脇へ置いた。


宮下は、レナに仕事を紹介するだけの男ではなかった。今日も現場に立ち、あの男たちと話をしていた。そこから先を調べれば、薬を渡している相手にも届くかもしれない。伊織とつながっているのかどうかも、確かめられる。


葵がまたレナについていくのを、待っているわけにはいかなかった。


「なあ。宮下って、ほかに何か話してなかったか」


葵が顔を上げた。玲司はテレビの音量を下げ、椅子を机へ寄せた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。