第54話 集まる日
葵が鞄へしまおうとした袋を見て、玲司は机から顔を上げた。
「それ、持ってくのか」
袋の底に、灰色の錠剤が一つ入っていた。もう一錠は机の上に残っている。三日前に集合の連絡が来てから、葵はレナと何度もやり取りをしていたが、今日どの店を襲うのかは、まだ聞けていなかった。
「使わないかもしれないけど」
「持ってれば、飲むだろ」
葵は答えず、袋を鞄の内ポケットへ押し込んだ。もう一錠を別の袋に入れて机の引き出しへ戻すと、玲司を見ないままファスナーを閉める。
御徒町で使ったあとも、葵は肩をかばっていた。薬を飲んだからといって、無事で帰れるわけではない。それでも、今から取り上げれば安心して送り出せるのかと言われると、玲司にも答えられなかった。
「レナ、もう家を出るって」
葵はスマートフォンを見せた。集合より少し早く、二人で会うことになっている。
玲司は時刻を確かめ、自分の端末を取った。
「出る前に、警察へ連絡する」
葵がこちらを向いた。
「名前は言わねえよ。けど、人を集めてることまで黙ってられねえだろ」
すぐに反対されると思ったが、葵は鞄を抱えたまま黙っていた。玲司はそれを了承と決めつけることもできず、顔を見て返事を待った。
「……レナが誰か、分かるようなことは言わないで」
玲司は電話をかけた。
応答した相手に、今日の午後三時、新宿駅東口の広場に、強盗に関わる人間が集まるという話を聞いたと伝えた。複数のグループが参加し、新宿以外でも襲撃が起きるかもしれない。実行役にはギアを使う者がいる可能性もある。
『狙われているお店は分かりますか』
「そこまでは。今は集合場所しか分かりません」
名前と、誰から聞いた話かを尋ねられた。玲司は少し間を置き、名前は言えないと答えた。
相手は話を打ち切らず、集合場所や時刻を確かめた。玲司は分かる範囲で答えたが、集まる人数も、ほかの場所も言えなかった。電話の向こうで一つ質問されるたびに、葵と二人でどこまで分からないまま出かけようとしているのか、突きつけられる気がした。
通話を終えると、葵は玄関の近くに立っていた。鞄の紐を右肩へ掛け、こちらを待っている。
「途中で場所が変わったら、すぐ送れよ。こっちから見えてるとは限らねえから」
「分かってる。ちゃんと送る」
玲司は鍵を取り、葵のあとから部屋を出た。
*
新宿駅で玲司と離れてから、葵は東口の広場へ向かった。
待ち合わせの人たちが、建物沿いや通行の邪魔にならない場所に立っている。何人かの顔を順に見ていると、レナの方が先に気づいて手を上げた。
「ミオ、こっち」
そばへ行くと、レナは葵の髪に触れかけ、手を引っ込めた。
「今日、結ばないんだ」
「あとで。まだ暑くないし」
両手を上げて結ぶと左肩が痛むことは、言わなかった。レナは気にせず、スマートフォンで見ていた飲食店の写真を差し出す。
「終わったら焼き肉にしない? ここ、行ったことある?」
写真には、皿からはみ出すほどの肉が並んでいた。レナが指で次の写真へ送る間、葵はその爪を見ていた。三日前、浮きかけていた小さな石は、もうなくなっている。
「こないだの、取れちゃったの」
「え? ああ、これ。気づいたらなかった。もう全部やり直したいんだよね」
レナは指を曲げて爪を眺めてから、また店の写真へ戻った。
「で、どう? 焼き肉」
「……今から行かない?」
「今? タクヤさん来るよ」
「今日はやめとこうよ。ご飯なら、私が出すから」
レナの指が止まった。葵はその顔を見た。怒られても、ここで帰ってくれるならよかった。まだ宮下も来ていないし、駅はすぐ後ろにある。
「どうしたの。急に」
「別に、今日じゃなくてもいいじゃん」
「よくないよ。もう行くって言ってるし」
レナは画面を閉じたが、すぐに葵へ顔を寄せ、声を落とした。
「怖くなった?」
葵が答える前に、レナは少し笑った。
「行く前が一番やなんだよ。私もそうだった。着いたら、言われたことやってるうちに終わるから」
「レナは、怖くないの」
「そりゃ、ちょっとは。でも今日、ミオもいるじゃん」
レナが葵の腕を軽くつかんだので、葵は言い返しかけていた口を閉じた。隣にいれば連れ帰れると思っていたのに、レナは葵が来たことで安心している。
「自分のご飯代くらい、自分で払うよ。そんな気使わなくていいって」
そういうつもりではなかった。葵がもう一度口を開こうとすると、レナが顔を上げて手を振った。
宮下が広場をこちらへ歩いてきた。今日は黒い上着を着ておらず、薄いグレーのパーカー姿だった。少し後ろに二人の男がついている。どちらも葵の知らない顔だった。
「早いね。二人とも」
「ミオ、ちょっと緊張してる」
「初めてだもんな。そんな構えなくていいよ」
宮下は葵へ笑いかけた。レナが隣で頷くので、葵は否定もできず、鞄の紐を持ち直した。
「行こうか」
歩き出した宮下にレナが続いた。葵は広場の人の間に玲司を捜しかけたが、顔を戻して二人を追った。向こうからも自分が見えているとは限らない。
歩きながら現在地を送り、宮下と移動する、と書き足した。
『分かった。ついていく』
返事を読んだところで、レナが振り返った。
「誰?」
「知り合い。今日、何してるのって」
「私といるって言っとけば?」
葵は頷いて画面を閉じた。レナは葵が追いつくのを待ち、それから並んで歩き始めた。
人の多い通りを進む間、宮下は何度かスマートフォンを見ていた。後ろの男たちは、前を歩く二人と話すでもなく、少し離れてついてくる。レナはそのうちの一人を知っているらしく、振り向いて前の仕事の話をした。
「この前、一緒だった子は?」
「今日は別」
「そっか。私、友達連れてきた」
男が葵を見たので、葵は小さく頭を下げた。相手も顎を引いただけで、名前は言わなかった。レナはそれで話を終え、葵へまた焼き肉の店のことを話し始めた。
新宿三丁目の方へ歩き、大きな通りを外れたところで、宮下が足を止めた。
通り沿いのビルの一階に、貴金属店があった。ガラス越しに白い照明と陳列ケースが見える。入口の脇には、金や宝石の買い取りを知らせる看板が出ていた。
「店、あそこだから。二人はこっちで待ってて」
宮下は店から少し離れた脇道へ二人を連れていった。入口近くにはバイクが二台停まっていて、それぞれのそばにヘルメットを持った男がいた。片方の男が宮下へ手を上げる。
「この二人?」
「そう。レナとミオちゃん」
葵はバイクを見た。レナは驚いた様子もなく、男に挨拶している。
「受け取ったら、後ろに乗って。荷物はそのまま持っててくれればいいから」
宮下が言うと、レナは近い方のバイクへ顔を向けた。葵はその横で立ち止まった。
「別々に乗るんですか」
「うん。行く先は一緒だよ」
「レナと一緒って、言ってましたよね」
声が強くなると、宮下は笑うのをやめ、葵の顔を見た。
「受け取るのもここで一緒だし、着けばまた会えるから。二人とも後ろに乗るだけでいいんだよ」
「ミオ、大丈夫だって」
レナに肘をつつかれ、葵は口を閉じた。
一緒にいられると思って来たのに、ここを出たらレナのそばにいられない。知らない男の後ろに乗り、別の男が運転するバイクを追うことになる。行き先が同じだと言われても、途中でレナに声をかけることすらできない。
宮下は通りの方へ戻り、先ほどの男たちと話し始めた。いつの間にか、もう一人増えている。葵は顔を確かめたが、伊織はいなかった。
三人のうち、茶色い髪の男が小さな袋から錠剤を出した。口へ放り込み、ペットボトルの水で飲み下す。隣の男にも袋を差し出したが、相手は首を振った。
「もう飲んだ」
葵は鞄へ手をやった。自分が持ってきた一錠は、内ポケットに入っている。取り出さず、その上から布を押さえた。
「あっち、見てない方がいいよ」
レナに言われ、葵は顔を向けた。
「見てたら、余計怖くなるから。私らはここで待ってればいいんだって」
店へ行く男たちと、自分たちがすることは別だという顔だった。前に会ったときもそう言っていたが、今は、その男たちがすぐそばで薬を飲んでいる。
葵はスマートフォンを取り出し、もう一度現在地を玲司へ送った。目の前の貴金属店が狙われるらしいことと、自分たちがバイクのそばにいることを打つ。
『受け取ったら、別々のバイクに乗るって』
送信してから通りを見ると、向かい側の建物の前に玲司がいた。こちらへ手を上げたりはせず、スマートフォンへ目を落としている。
『乗るなよ。店の場所も警察に知らせる。レナを連れて離れろ』
葵は画面を閉じ、レナへ体を寄せた。
「ねえ。やっぱり帰ろう」
レナの顔から笑みが消えた。
「また? もうここまで来てんのに」
「まだ何も受け取ってないじゃん。今なら――」
「ミオが嫌なら、タクヤさんに言ってよ。私までやめることないでしょ」
思っていたより強い声だった。葵が黙ると、レナは宮下の方を見た。聞こえたか気にしたらしく、次は声を落とした。
「私、ミオならちゃんとやるって言ったんだよ。いきなり二人とも帰るとか、言えないって」
レナに紹介してもらったから、ここへ来られた。そのことを今、帰れない理由にされている。
葵はレナの腕へ手を伸ばしかけた。つかんで引けば、レナは怒る。宮下も戻ってくるだろう。それでも引っ張っていけるのかと考えたとき、バイクのそばにいた男がヘルメットを一つ持ち上げた。
「どっちがこっち乗る?」
「私」
レナが答え、葵の前から一歩離れた。差し出されたヘルメットを受け取ると、髪を耳にかけながら、中を覗いている。
葵はスマートフォンを鞄へしまった。通りの向こうで、玲司が端末を耳に当てていた。
宮下がこちらを振り返った。
「そのまま待ってて」
三人の男が貴金属店へ向かった。マスクを鼻まで引き上げ、入口で歩調を速める。先頭の男が扉を押し開けたところまでは、通りを歩く人も足を止めなかった。
店内から大きな声がした。
続いて、何かを叩き割る音が通りへ響いた。入口に近かった女性客が外へ飛び出し、通行人にぶつかりかける。葵の前で通りがかりの男が足を止めたため、店の中は見えなくなった。
「来るよ、ミオ」
レナがヘルメットを抱え直した。逃げようとする人たちの向こうで開いたままの扉を、荷物が出てくるのを待ちながら見ていた。




