第53話 紹介する人
「タクヤさん、もう来るって」
レナはスマートフォンをしまうと、コンビニで買ったカフェラテにストローを差した。葵も隣へ寄り、店から出てくる客に道を空けた。夕方の歌舞伎町はまだ明るく、通りの向こうでは、台車を押す男が歩行者の間を縫っていた。
昨日送ったメッセージには、すぐに返事が来た。レナは喜び、それから、紹介してくれた人に聞いてみると言った。今日の昼には二人一緒でいいと連絡があり、せっかくだから顔を合わせておこうという話になった。
タクヤというのは、この近くのキャバクラでボーイをしている男らしい。レナは前からの知り合いで、最初の仕事もその男から教えてもらったという。
「出勤前だから、ちょっとしか話せないって。ミオ、今日お店は?」
「休み」
「よかった。私も別に何もないから、あとでどっか寄ろ」
レナは葵の鞄を見て、小さいのに替えたの、と聞いた。いつも使っている物だったが、そういえば前に会った日は違う鞄を持っていた。葵が答えると、レナは自分も欲しい物があると言って、片手でスマートフォンを取り出した。
画面を見せられ、葵は少し体を寄せた。通販のページに、色違いのバッグが並んでいる。
「どっちがいいと思う?」
「……黒かな。そっちの方が使いそう」
「だよね。でも白も可愛くない?」
前にファミレスを出たときとは、まるで違っていた。レナは葵の顔を見て話すし、答えを待たずに次の話を始めたりもする。葵が仕事に行くと返事をしてから、前のように連絡が来るようになっていた。
こうして並んでいるだけなら、来てよかったと思えた。画面を指さしているレナの爪には、小さな石がついている。端が少し浮いているのを見つけて教えると、レナは慌ててカップを葵へ預け、指先を確かめた。
「うわ、ほんとだ。朝は平気だったのに」
「引っかける前でよかったじゃん」
「直しに行きたいなあ。次のお金入ったら行こうかな」
葵は、預かったカップを返した。レナがストローをくわえたところで、通りの先から名前を呼ぶ声がした。
「レナ」
白いシャツに黒い上着を着た男が、片手を上げて歩いてきた。玲司より少し年上に見える。髪は横を短く整えていて、片方の袖口から腕時計が見えた。
「タクヤさん、お疲れ」
「お疲れ。待った?」
「今来たとこ。こっち、昨日話したミオ」
レナに背中へ手を添えられ、葵は男の方へ向き直った。
「ミオです」
「宮下。よろしく。レナから聞いてるよ」
宮下は笑ってから、コンビニの入口を振り返った。人が出てきたので、三人で少し脇へ移る。移動する間も、レナは宮下に、今日は一人で店を開けるのかと話しかけていた。
「もう一人いるはずだったんだけど、遅れるってさ」
「また?」
「そう。あいつ、遅れるって言うだけで、何時に来るか言わないんだよ」
レナが笑い、宮下も困ったように笑った。葵は二人の横で、右肩に掛けていた鞄の紐を持ち直した。
これから強盗に関わる仕事の話をする相手なのに、レナは遅刻する従業員のことを知っている。葵の知らないところで会い、こういう話を何度もしてきたのだろう。相手の名字さえ今聞いたばかりの葵には、二人の会話へ入っていく言葉が見つからなかった。
「二人、一緒がいいんだよね」
宮下に聞かれ、葵は顔を上げた。
「はい。レナと一緒なら」
「大丈夫。別々にはしないって言っといたから」
「よかったじゃん、ミオ。私いるから、分かんないことあったら聞いて」
レナはそう言って、葵の肘に軽く触れた。同じ仕事に入ろうとしているのは、その場からレナを連れ出すためだった。だが、今は頷いておくしかなかった。
「今回、人が足りないんですか」
葵が尋ねると、宮下はレナを一度見てから答えた。
「うん。今度は人数が必要でさ。レナも、ちゃんとやってくれてるし。その友達なら助かるよ」
「ほら。変な人、連れてこないって言ったでしょ」
「分かったって。別に疑ってないよ」
宮下はレナへ手を振るようにして笑った。レナは満足そうだったが、葵は男の言葉を聞き流せなかった。
ちゃんとやっている。
レナが盗まれた物を運んだことを、この男はそう言う。葵にしてほしいのも同じことだった。
「タクヤさんも、当日いるんですか」
「いるよ。俺も行く」
「……危なくなったりは、しないんですか」
聞いた途端、レナがこちらを見た。宮下はすぐには答えず、葵の顔を見てから、少し声を落とした。
「レナから、何するかは聞いてる?」
「聞いてます」
「だったら、そのとおりだよ。ミオちゃんたちに、店の中へ入れとかは言わないから」
御徒町で投げ飛ばされた店員の体が浮かんだ。店の外にいれば、その場で何が起きても関係がないということになるのだろうか。
葵が口を開きかけると、レナが先に言った。
「初めてだから、気になるんだよね。私も最初、めっちゃ聞いたし」
「そうだったな。前の日もずっと連絡来て」
「だって、何も分かんなかったんだもん」
二人は笑った。レナが初めて行く前には怖がっていたことを、葵は知らなかった。そのとき何を聞き、何と言われて行く気になったのか。葵がレナに尋ねようとしたところで、宮下のスマートフォンが鳴った。
宮下は画面を見ると小さく息を吐き、二人へ断って電話に出た。
「はい。もうそこの通りです。……え、来てる? 分かりました。すぐ行きます」
電話を切った宮下は、上着のポケットへ端末を入れた。
「ごめん、行くわ。日と場所、決まったらレナに送るから。ミオちゃんも、そこから聞いて」
「分かりました」
「じゃあ、よろしくね」
宮下はレナにも声をかけ、通りを渡っていった。ビルの入口で足を止め、中から出てきた男と話し始める。笑顔のまま頭を下げる姿を、葵は人の流れの向こうに見ていた。
「話しやすいでしょ」
レナに聞かれ、葵は宮下から目を離した。
「いつから知ってる人なの」
「結構前。歌舞伎町で遊んでた頃から。ミオは会ったことなかった?」
「ないと思う」
「私、最初タクヤさんに、あそこの店で働かないかって言われたんだよね。でも、毎日ちゃんと出られる気しないって断った」
レナは笑い、歩き出した。葵も隣へ並ぶ。
「今の方がいいよ。たまに行くだけでいいし。ミオは店もあるから、ちょうどよくない?」
葵は返事をせず、歩道の先を見た。レナにもう行かせないために来たのに、次からも二人で続ける話になっている。
「ね、終わったらご飯行こうよ。前のファミレスじゃないとこ」
「……終わったら?」
「仕事のあと。何か美味しいの食べたい。ミオ、何がいい?」
少し先で信号が変わり、二人は足を止めた。葵は、レナの手にあるカップを見た。透明な蓋の内側に、水滴がついている。
レナとご飯を食べに行くことなら、今だってできる。けれど、金を受け取る前に連れ出せば、レナは今日のような顔で隣を歩いてくれないかもしれなかった。
「そのとき決めよ」
葵が言うと、レナは頷いた。話がまとまったと思ったらしく、信号が変わるとまたバッグの色の話を始めた。
*
中野へ戻ると、玲司は机でパソコンに向かっていた。葵が玄関を閉めても振り向かなかったが、靴を脱いで部屋に入ると、手を止めた。
「会ってきたのか」
出かける前に、レナと紹介元の男に会うとは伝えていた。誰に会うかまで黙って行くつもりはなかったが、玲司の返事を待たずに部屋を出たことが、今になって気になった。
「うん。宮下っていう人」
葵は鞄をソファへ置き、男がキャバクラのボーイをしていること、レナとは前からの知り合いであることを話した。二人一緒にしてもらえると言うと、玲司は椅子をこちらへ向けた。
「そいつも来るのか」
「来るって」
「伊織の話は?」
「出てない。私も聞いてないよ」
宮下に伊織の名前を出せば、なぜ知っているのか聞かれたかもしれない。自分も稼ぎたいふりをして話すだけで、葵には精いっぱいだった。
玲司は机の端へ肘をつき、少しの間、何も言わなかった。葵はソファに腰を下ろし、鞄を膝へ引き寄せた。
「レナ、すごく楽しみにしてた」
言ってから、玲司に何を答えてほしかったのか分からなくなった。やっぱりやめろと言われれば腹が立つし、大丈夫だと言われても信じられない。
「金、もらうつもりでいるんだろ」
葵が頷くと、玲司は顔をしかめた。
「連れて帰ったら、怒るぞ」
「分かってるよ」
声が強くなった。玲司は黙ったが、葵も言い直さなかった。レナが怒ることくらい、さっきから考えている。それでも、何もせずに送り出せるわけではなかった。
「……一緒に行けるようにはなったから」
鞄の持ち手を指で折り曲げながら、葵は言った。玲司はその手を見たあと、窓の方へ顔を向けた。
「俺も行く。お前らがいる近くまでは」
葵は持ち手から指を離した。玲司が来てくれるなら、と考えた自分に気づき、すぐには返事ができなかった。昨日から言うことを聞かずにいるのに、困ったときには助けてもらうつもりでいた。
「でも、レナには会わないで」
「何で俺にばっか条件つけんだよ」
玲司がこちらへ向き直った。葵は言い返しかけたが、口を閉じた。レナが警戒するからと言っても、また自分の都合を押しつけるだけだった。
玲司はしばらく葵を見ていたが、やがて机へ戻った。パソコンの画面を開き直したものの、さっきのようには手を動かさなかった。
鞄の中でスマートフォンが震えた。取り出すと、レナからのメッセージが来ていた。
宮下から連絡が来たという短い文の下に、仕事の日と集合場所が送られていた。
三日後の午後三時。場所は新宿駅東口の広場だった。
葵はその文を読み直した。さっきまで、一緒に行けることだけで少し安心していた。今度はその日の午後に、二人でそこへ立っているところを想像してしまう。
続けて、レナからメッセージが届いた。
『少し早めに二人で会おうよ』
葵は鞄をソファへ下ろした。返事は打たず、玲司の机まで行ってスマートフォンを置く。
「三日後だって」
玲司は画面を読み、葵へ顔を上げた。
「場所、俺にも送れ」
葵は頷いた。スマートフォンを手に取り、先に玲司へ集合場所を送った。




