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歌舞伎町ドラッグ・ギャンビット  作者: Aramaki_mai
第4部 匿名の暴力
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第50話 こっち来れば

挿絵(By みてみん)

角を曲がったところで、葵は速度を落とした。


前を走っていた三人のうち、最後尾の男が足を止めていた。店員を投げ飛ばした男だった。こちらを見ながら、首元へ指を入れて上着の襟を引いている。


黒いバッグを抱えた男は、さらに先の角を曲がった。もう一人も続きかけたが、振り返って声を上げる。


「おい、何してんだよ」


「先行ってて」


男は片手を振り、葵へ向き直った。横には小さな駐車場があり、通りに面した二台分の区画が空いている。葵がそちらへ回ろうとすると、男も同じ方へ動いた。


「何。追っかけてきたの?」


「その荷物、どこに持ってくの」


男は仲間が消えた角を見てから、空の両手を広げた。


「俺、持ってないけど」


「受け取る人がいるんでしょ。そこに、知り合いがいるかもしれない」


「じゃあ、その知り合いに聞けば?」


鞄の中のスマートフォンは、さっきから鳴らなかった。レナが返事をくれれば、こんな男に話しかけずに済む。葵は男の脇から通りの先を見たが、もうバッグは見えなかった。


「連絡つかないの。どこで渡すのか教えて」


男は葵の肩の向こうへ目をやった。


「そっちも知り合い?」


追いついた玲司が、葵の隣で足を止めた。息が切れていて、返事の前に一度大きく呼吸する。


「……葵。あんまり近づくな」


「別に、何もしてないじゃん」


男が笑ったので、葵は思わず前へ出た。


「さっき店の人、投げ飛ばしたでしょ」


「だって、つかんでくるんだもん」


店員が倒れたときの音を思い出し、葵は男の顔を睨んだ。男は気にした様子もなく、駐車場の方へ手を伸ばす。


「ほら、邪魔だから。そこ、どいて」


肩を押されると思い、葵はその手を払った。ところが、腕を振り切るより先に、男のもう一方の手が上着をつかんだ。


体が後ろへ押し出された。踏ん張った靴が滑り、葵は駐車場の縁で膝をついた。伸ばした手がアスファルトを擦る。玲司が間へ入ろうとしたが、葵は自分で立ち上がった。


「何すんだよ、お前!」


玲司の声にも、男は肩をすくめただけだった。


「転んだの、そっちでしょ」


葵は鞄を開いた。内ポケットの袋を引き出し、玲司がこちらを振り向く間に、一錠を口へ入れる。乾いた喉に引っかかりかけたが、唾と一緒に飲み下した。


「持ってて」


鞄を押しつけると、玲司が腕で受けた。


「待てって。荷物の奴、先に行ったぞ」


「こいつが知ってる」


男はこちらを見ていた。葵は擦れた掌を一度閉じてから、駐車場の空いた区画へ足を運んだ。背後はフェンスで、その手前には白い車が一台停まっている。男の後ろには、仲間が逃げていった通りがあった。


「薬まで飲むこと?」


からかうように言いながら、男がついてきた。葵は男の肩と足を見た。さっきは、つかまれた時点でもう押し返せなかった。今度は触らせる前に動く。


「誰に渡すのか、答えて」


「だから、俺に聞かれても――」


男の手が伸びてきた。


葵はその腕を外へ払い、踏み込みながら腹へ拳を入れた。肩から先へ、いつもより強く力が伝わる。男の息が途切れ、靴底が舗装を擦った。


倒れると思った。


男は片足を引いて踏みとどまり、すぐに腕を振ってきた。葵は顔を引いて避けたが、続く拳を受けた両腕ごと押し込まれた。踵が車止めに当たり、横へ逃げるように足を運ぶ。


「……あれ、ギアだったんだ」


男が腹を押さえた。笑おうとして息が詰まり、口元を覆っていたマスクを顎まで下げる。


思っていたより若かった。玲司と、いくらも年が違わないように見える。額にかかった髪を払い、葵を見直す目に、さっきまでの面倒くさそうな感じがなくなっていた。


「効いた。今の」


その言葉が終わる前に、男が踏み込んだ。


葵は拳をかわし、横から蹴りを入れた。男の体が傾いたので、続けて打とうとしたが、相手は無理に踏ん張らず、葵へ体ごとぶつかってきた。肩に腕が回り、熱い息が頬のそばにかかった。


引き剥がそうとしても、腕が外れなかった。


葵は腰を落とし、男の腹へ膝を入れた。締めつけが緩んだところで、両腕を押し広げて抜ける。離れる間際に振られた拳が左腕を打ち、葵は停まっている車の方へよろめいた。


「後ろ、車!」


玲司の声で手を伸ばし、ボンネットへ掌をついた。金属板が音を立ててへこむ。そこを支えに足を戻したときには、男ももうこちらを向いていた。


殴れば下がる。膝も入った。それなのに、次に踏み込んでくる力が落ちない。


工場で向かってきた男たちも、ギアを飲んでいた。だが、目の前の男は、一発受けてよろめいたあとにも、こちらの動きに合わせて殴り返してくる。体を寄せられれば、力で振りほどくこともできなかった。


葵は車から離れ、玲司の方へ下がった。


「鞄」


葵は玲司から鞄を受け取り、中を探った。指に触れた金属を引き出して、右手にはめる。


「こいつ、今までの奴と違う」


葵が鞄を返すと、玲司はメリケンサックに目をやり、鞄を自分の肩へ掛けた。


男はすぐには追ってこなかった。葵の右手を見て、唇の端を持ち上げる。


「何、お前、そんなのも持ってんの?」


声は楽しそうだったが、今度は無造作に手を伸ばしてこなかった。葵の右側へ回り込まず、少し離れたまま、こちらが動くのを待っている。


葵は拳を握り込んだ。金属が指の根元に収まり、男の目がそこへ落ちる。左で顔の前を打つと、男はそれを払った。葵は空いた脇へ踏み込み、右を打ち込んだ。


硬い感触が返り、男の顔が歪んだ。息を吐きながら腕を振ってくる。葵は引ききれず、左肩を打たれた。体が流れたところへ、上着をつかもうとする指が伸びてくる。


葵はその手を振り払い、男の顔へ拳を返した。


男が頭を引いたため、拳は頬をかすめた。薄く皮膚が裂け、血が一筋流れる。男は二歩下がった。脇腹を押さえていた手を離し、頬を指で拭う。


葵も追い打ちに出られなかった。左肩が動かしにくい。痛みは鈍かったが、腕を上げようとすると、さっきより重かった。


男は指についた血を見たあと、顔を上げた。


「葵っていうんだ」


葵は答えず、右の拳を構え直した。


「そんな睨まなくてもいいじゃん。俺、お前みたいなの好きだよ」


笑いながらも、男は葵の拳が届くところへ戻ってこなかった。呼吸するたび、先ほど殴った脇腹をかばっている。それでも、帰ろうとはしない。


「お前さ、こっち来れば? 薬なら用意できるし」


葵は男を見た。周囲で靴の音がしたが、目を外す気にはなれなかった。


「……あんたが配ってんの?」


「持ってるよ。欲しいの?」


「いらない。あの連中に渡すの、やめてよ」


男は葵の右手を見てから、顔へ視線を戻した。


「自分だって飲んでんじゃん」


葵は息を吸ったが、すぐには言葉が出なかった。


確かに自分も飲んだ。いま、この男を殴るために使っている。右手にはメリケンサックまでつけていた。


だからといって、店員を投げ飛ばして笑うこいつに、同じものを見るような顔をされたくなかった。


「一緒にすんな!」


声と一緒に踏み込むと、男も顔つきを変えた。葵の右を避け、横から腕をぶつけてくる。左腕で受けたが、打たれた肩にはうまく力が入らなかった。右腕も使って押し返すと、靴が舗装を擦り、踏ん張った足元で小石が跳ねた。


「葵!」


玲司が呼んでいた。


振り向く余裕はなかった。男の腕を押しのけ、もう一度打とうとしたところで、葵にもサイレンが聞こえた。


「伊織! もう行くぞ!」


別の声がした。通りへ目を向けると、さっき仲間を追っていった男が角から戻ってきていた。手招きしながら、何度も背後を振り返っている。


「いつまでやってんだよ!」


伊織と呼ばれた男は、葵から目を離さずに舌打ちした。それから自分で距離を取り、通りの方へ退く。


「いいとこだったのに」


「待って。荷物、どこに持ってったの」


葵が追うと、玲司が横から腕をつかんだ。


「もうやめろ。仲間も戻ってきてる」


振りほどきかけたとき、伊織がマスクを上げた。頬を押さえて顔をしかめたが、葵と目が合うと、片手を上げてみせる。


「じゃあ、またね」


伊織は仲間と一緒に走り出した。葵は玲司の手を引きずるように一歩出たが、相手はもう角へ着いていた。


「放して。まだ聞けてない!」


「追いついたら、また殴り合うのかよ!」


玲司が正面へ回った。葵は足を止めたが、拳を下ろせなかった。肩越しに通りを見ても、二人はもういなかった。


サイレンが近づいてくる。玲司は逃げた男たちとは反対の方を示し、葵の腕を引いた。


「ここから離れるぞ」


葵は駐車場から出た。走りながら、右手にはまった金属を左の指でつかむ。すぐには抜けず、歩調を落としてようやく外した。


玲司から鞄を返され、メリケンサックをしまった。続けてスマートフォンを取り出すと、レナへ送ったメッセージには、まだ返事がなかった。


荷物を受け取る人間を確かめるはずだった。その荷物がどこへ行ったのか、もう分からない。


「……レナがいたかもしれないのに」


葵が言うと、玲司も足を緩めた。何か返してくるかと思ったが、こちらの左肩を見ただけだった。


葵は画面を閉じ、空いた右手を握った。メリケンサックを外しても、指の付け根には押されていた感触が残っていた。


少し前を歩く玲司が、自分のスマートフォンを取り出した。


「久世さんに、真壁と会ったことを話す。今のことも」


葵は顔を上げた。


「レナの名前は――」


「分かってる」


玲司は画面へ目を落とし、電話をかけた。葵はその横で、レナへのメッセージをもう一度開いた。


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