第49話 長居するな
葵がレナと会った翌日の昼前、真壁から返信が来た。
『篠崎も来るのか』
昨夜、玲司は結局、ギアについて聞きたいことがあると送った。久世への報告は、会って話を聞いてからにする。そう決めて送信したものの、朝になっても、連絡先を開くたびに久世の名前が気になった。
ソファにいた葵が、通知の音を聞いてこちらへ来た。画面を見せると、机へ手をついて身を乗り出す。
「行くって返して」
「前に頼まれた話を聞きに来ると思われるぞ」
葵の反応を見たい。指定した場所でギアを使い、話を聞かせてほしい。前に会ったとき、真壁はそんなことを言っていた。
「それは断る。こっちにも聞きたいことがあるんだから」
玲司は二人で行くと返信した。ほどなく、午後三時という時刻と、御徒町の待ち合わせ場所が送られてきた。
葵は自分のスマートフォンで地図を開いた。玲司が画面を閉じずにいると、こちらを見て、その手元にも目を落とす。
「……話を聞いたら、久世さんに連絡するからな」
昨夜も言ったことを確かめると、葵は視線を地図へ戻した。
「先に、真壁の話を聞いてからね」
玲司は返事をせず、スマートフォンを机に置いた。
出かける前、隠していたギアを取り出し、残っている三錠のうち一錠を小さな袋へ移した。葵が玄関から戻ってきて、玲司の手元を見た。
「持ってくの?」
「あいつに会いに行くんだろ」
使わずに帰ってこられるなら、それがよかった。玲司が袋を差し出すと、葵は受け取り、鞄の内ポケットへしまった。
*
御徒町駅を出ると、葵は玲司より半歩前を歩いた。
店先で立ち止まる人を避けて、葵は先へ進んだ。玲司が追いつくと、今度はスマートフォンを見ながら足を緩めた。真壁が指定した場所は、駅から少し離れたビルの脇だった。
通りの向こうに、暗い色のジャケットを着た男がいた。片手にスマートフォンを持っているが、画面を読むよりも、前を通る人間を見ている時間の方が長い。
「あの男だ」
玲司が言うと、葵はスマートフォンをしまった。
前回、葵は近くのコーヒーショップで待ち、通話越しに会話を聞いていた。こうして顔を合わせるのは初めてだったが、真壁はこちらへ来る葵を見ても、本人かどうか尋ねなかった。
「今度は二人か」
「こいつが直接聞きたいって」
玲司が言い終える前に、葵が男の前で足を止めた。
「ギアを飲ませて、店を襲わせてるの、あんた?」
真壁はすぐに答えた。
「違う」
「じゃあ、誰なの」
真壁の視線が、葵の肩越しに通りへ動いた。玲司も振り返ったが、作業着姿の男が自転車を押して通り過ぎただけだった。
「誰から聞いた」
「私の知り合い。その連中から仕事もらってる」
葵は一度玲司を見てから、真壁へ向き直った。
「店から盗んできた時計とかを受け取って、別の人に渡す仕事。襲う奴らはギアを飲むんだって。薬も、向こうで用意してるって」
通りを走るトラックの音に声が重なり、葵は男へ少し近づいた。
「あんたがやらせてるなら、もう誘うのやめて」
「俺がやらせてるわけじゃない」
「薬だけ渡してるってことも、ねえのか」
玲司が尋ねると、真壁はこちらを見た。
「あいつらに薬を配ってるのも、俺じゃない」
玲司は真壁から目を離さなかった。どの事件かも確かめずに、真壁は「あいつら」と言った。
「やってる連中のことは、知ってるんだな」
真壁は答えず、スマートフォンを上着へしまった。葵がその手を目で追う。
「知ってるなら教えてよ。話しに行くから」
「その知り合いは、薬を飲んでるのか」
「飲んでない。外で待ってるだけだって言ってた」
「だったら、もう行かせるな」
葵の声が大きくなった。
「言ったよ、そんなこと!」
ビルの入口から出てきた二人連れが、こちらを見ながら歩いていった。葵は口を閉じたが、真壁から離れなかった。
「やめてって言っても、運ぶだけだから大丈夫って。私がやらないなら、ほかの子を誘うって言うんだよ」
玲司は葵の横顔を見た。ほかの子を誘うという話は、昨夜聞いていなかった。それならなおさら久世へ相談するべきだと思ったが、真壁の前で言い合いを始める気にはなれなかった。
真壁は葵の話を聞いていた。黙って先を待つ顔に、同情している様子は見えなかった。
「だから、ギアを渡してる奴にやめさせたいの。あんたじゃないなら、誰なのか教えて」
「それは話せない」
葵は男を睨んだ。玲司も、知っているのかと重ねて聞く気にはなれなかった。答えられない理由を尋ねても、同じところへ戻される気がした。
真壁が、少し体の向きを変えた。葵の後ろを通っていく数人の若い男へ目を向け、顔を確かめるように見ている。彼らが角を曲がっても、しばらくその方を見ていた。
「誰か待ってんのか」
玲司が聞くと、真壁はようやくこちらへ向き直った。
「渡した薬はどうした」
話が変わり、玲司は口をつぐんだ。隣で葵が鞄を体の後ろへずらす。
「使った」
真壁の目が葵へ戻った。
「使ったあと、体に何か変わったことはあったか」
「それ、答えたら、こっちの質問にも答えるの?」
「今は薬の話をしてる」
「私も、ずっとそうだよ」
葵は言い返した。真壁は一度口を閉じ、玲司へ顔を向けた。
「黒瀬。前に頼んだ話は伝えたんだな」
「伝えてる。こいつのことなら、こいつに聞けよ」
真壁が葵を見る。葵は鞄を肩へ掛け直した。
「あんたのために薬飲むつもりはないから。今日は、その返事をしに来たんじゃない」
店先で台車ががたんと鳴り、玲司は一瞬そちらを見た。車輪が段差に引っかかり、店員が持ち上げようとしている。真壁も通りへ目をやっていたが、見ているのは店員ではなく、その向こうを歩く人間だった。
ここへ来るまで、玲司は真壁に何を聞かれるのか気にしていた。けれど、本人を前にしている割に、男は落ち着いて葵と話そうとしない。
「用があるなら、別の日でもよかっただろ」
玲司が言うと、真壁は腕時計を見た。
「今日はもう帰れ」
「誰がやってるか、まだ聞いてない」
葵が言ったが、真壁はジャケットの裾を直し、通りへ出た。
「この辺に長居するな」
玲司はその背中を呼び止めた。
「何かあるのか、ここで」
真壁は振り返らなかった。葵が追おうとしたので、玲司はその腕をつかんだ。
「引っ張んないでよ」
「待て。あいつ、何しに行くか分かんねえだろ」
葵が足を止めてから、玲司は手を離した。真壁は横道へ入り、通りから見えなくなった。
*
駅へ戻りながら、葵は何度もスマートフォンを見た。
レナへ送ったのは、今どこにいるのかという短いメッセージだけだった。返事がないと玲司に言い、また画面を閉じる。その後も通知が鳴るたびに確かめたが、鞄へ戻すまでが早かった。
「真壁の言うこと、信じるの?」
「あいつがやらせてないって話か」
葵が頷いた。玲司は、前を歩いていた人を避けて、葵の隣へ出た。
「分かんねえ。ただ、やってる奴を知らないわけじゃなさそうだった」
「だったら、名前くらい言えばいいじゃん」
「俺に言うなよ」
葵は黙った。歩きながら、鞄の中でスマートフォンを持ち直している。
玲司は駅の方へ目を向けた。電車に乗る前に久世へ連絡しようと思った。葵が嫌がっても、真壁と会ったことまで隠して帰るつもりはなかった。
そのとき、通りの先で、ガラスが砕ける音がした。
道を塞ぐように人が立ち止まり、その向こうから悲鳴が上がった。玲司は葵の肩に手をかけ、人の切れ目から先を見た。
時計店の入口から、女が転がるように飛び出してきた。通りにいた男へぶつかり、謝ることもせずに店を指している。店内で何かを打ちつける音が続き、ガラス越しに、顔を隠した男が大きなバッグへ品物を放り込むのが見えた。
「強盗だ!」
誰かが叫んだ途端、店の前にいた人たちが離れ始めた。玲司も葵の肩を引いて、建物の壁際へ寄った。
黒いバッグを持った男が店から出てきた。その後ろにも二人いる。最後の一人を、白いシャツの店員が追いかけてきた。
店員が男の上着をつかむと、男は振り返り、その腕を取った。体を大きくひねったようには見えなかった。それなのに、店員の両足が浮いた。
玲司のすぐ前で、店員が歩道へ叩きつけられた。肩から倒れ、そのまま横へ転がる。そばに停められていた自転車が倒れ、金属のぶつかる音に、また悲鳴が重なった。
男は倒れた店員を見下ろし、マスクの下で声を立てて笑った。
「おい、行くぞ!」
仲間に呼ばれても、男は一拍遅れてから駆け出した。葵が玲司の手を肩から外す。
「あいつ、たぶんギア使ってる」
玲司もそう思った。店員は男より小柄というわけでもなかった。足を引っかけたようにも見えない。
離れたところで、店の名前を電話口へ叫んでいる声がした。しゃがみ込んだ通行人が、倒れた店員に声をかけている。玲司はそちらへ踏み出しかけ、葵が違う方を向いているのに気づいた。
男たちは、黒いバッグを持った男を先頭に、駅とは逆の方向へ走っていた。
「外で受け取るって、言ってた」
葵が呟いた。通りに立ち止まっている人の顔を見てから、逃げる男たちへ視線を戻す。
「あいつらの行く先に、いるかもしれない」
「レナがここに来てるかどうかも、分かんねえだろ」
「だから確かめるんじゃん!」
言い終える前に、葵は走り出していた。店から離れようとする人の間を抜け、バッグを抱えた男を追っていく。
「葵、待て!」
玲司は倒れた自転車を避けて、葵のあとを追った。前方の角を男たちが曲がり、葵もその向こうへ駆け込んだ。




