第48話 協力者
翌日の午前、久世はネクサリスの応接室で、差し出された名刺を受け取った。
「高城直哉と申します。研究開発を担当しております」
社名の下には、取締役とあった。高城は久世の名刺にも目を通してから、向かいの席へ腰を下ろした。銀縁の眼鏡をかけた、声のよく通る男だった。
久世の隣には薬物銃器対策課長が座り、反対側には榊美冬がいる。科捜研の第二化学科長と、ギアの鑑定を担当する研究員も席に着き、持参した資料を机へ置いた。五人での訪問だったが、高城は一人で応対していた。
社員が茶を運び込み、それぞれの前へ薄い会社案内を置いていった。窓の向こうでは隣のビルの清掃用ゴンドラが下がっている。ガラス越しに作業員の姿が見えたが、こちらには音が届かなかった。
「先日は、資料のご提出ありがとうございました」
課長が切り出すと、高城は軽く頭を下げた。
「追加で確認が必要でしたら、お知らせください」
ネクサリスへは、すでにギアの製造や流出について照会していた。会社側の回答は、製造していない、研究用の薬品も管理記録上の流出はない、というものだった。久世も提出された記録に目を通している。今のところ、その説明を崩す材料は見つかっていなかった。
課長は、高城の前へ訪問の趣旨をまとめた資料を差し出した。
「本日は、ギアの分析と検査方法について、ご協力をお願いに参りました」
科捜研の科長が説明を引き継いだ。
「御社が公表されている研究に、ギアに近い系統の化合物を扱ったものがありました。その分析方法について、詳しく伺えればと考えています」
高城は資料を読み、科捜研の二人へ顔を向けた。
「どの報告をご覧になったのでしょう」
研究員が研究報告の題名を挙げ、印刷したものを渡した。高城は表紙を見て頷くと、数枚めくって途中のページを開いた。
「こちらですね。神経系の治療薬を開発する過程で調べたものです」
久世が会社案内を開くと、最初の見開きにも同じ研究分野が紹介されていた。研究室の写真と、開発中の薬についての短い説明が並んでいる。聞き慣れない言葉もあったが、神経の働きに関わる病気を治療するための薬だということは分かった。
「もう、病院で使っている薬なんですか」
久世が尋ねると、高城は会社案内のページを確かめた。
「いえ、まだ治験の段階です。患者さんに広く使っていただけるようになるには、もう少し時間がかかります」
「見込みはあるんですか」
「あります。それがなければ、ここまで続けられません」
高城はそう答えてから、久世の手元へ目をやった。
「ただ、そこに載っている薬と、今回のギアを同じものとはお考えにならないでください。近い系統でも、働きや危険性が同じとは限りませんから」
科長が頷いた。
「その点は承知しています。そのうえで、これまでの研究で得られた知見をお借りできればと考えています」
「分かりました。まず、現状を聞かせてください」
課長が久世へ顔を向けた。久世は会社案内を脇へ置き、用意していた事件の資料を開いた。
「大田区の工場を押さえたあとも、ギアは出回っています。今は、それを使って店を襲う連中が増えている」
机の中央へ、被害を受けた店の写真を置いた。割られたショーケースの向こうに、棚ごと倒された商品が散らばっている。高城は写真を手元へ引き寄せた。
「昨日のニュースでも見ました。何人もの集団で押し入るという」
「ええ。薬を使っていると分かったのは、捕まえたあとの鑑定です」
榊が、写真に添えた資料の該当箇所を示した。
「従来の簡易検査で反応がなくても、ギアを使っていないとは判断できません。今は、採取した血液や尿を専門の分析に回して確認しています」
「現場で判定するものが、まだないわけですね」
「そうです。本人が、何を飲んだのか分かっていない場合もあります」
高城は資料を読み直した。久世は、男の目が写真から鑑定結果へ移るのを待ってから、口を開いた。
「取り押さえたあとで、急に具合が悪くなることもある。酒なのか、薬なのか、本人に聞いても話が通じない。病院へ運ぶにしても、何を使った可能性があるのか、少しでも早く知りたいんです」
写真の店では、突き飛ばされた店員がまだ入院している。久世はそのことも伝えた。薬を飲んだ男の体調について話しているうちに、床に倒れた側の人間が、話から抜け落ちたように感じた。
「何か飲んでから暴れた、と証言されるたびに鑑定を待つ。その間にも別の店が襲われる。毎回、あとからギアでしたと言われても、現場は困るんです」
「久世」
課長に呼ばれ、久世は背もたれから体を起こした。高城を急かしても、いま起きている事件が止まるわけではない。それでも、写真を重ねて片づける気にはなれなかった。
高城は、机の中央に残っている写真へ目を落とした。
「急ぐ必要があることは分かりました。検査方法についても、こちらで検討します」
「どのくらいかかりますか」
「今、この場ではお約束できません」
返答は早かった。久世が何か言う前に、高城は鑑定結果の資料を手元へ寄せた。
「まず、こちらでも結果を詳しく確認させてください。使った人を見逃すような検査では、お渡ししても役に立ちません。現場で使えるものにするには、確かめることがあります」
研究員が、鞄から追加の資料を出した。高城と短く確認を交わし、すでに分かっていることと、まだ検討が必要な点を伝えていく。
久世は湯飲みへ手を伸ばしたが、持ち上げずに離した。相手の説明が間違っているとは思わない。今日頼んで明日できる話ではないことも、来る前に聞いていた。なのに、期間を言ってもらえないだけで苛立っている。
隣で榊が、店の写真を久世の方へ戻した。重ねずに、一枚ずつ向きを揃えていた。
「開発の見通しが立つまで、分析の方で協力していただけることはありますか」
榊が尋ねると、高城は顔を上げた。
「あると思います。こちらの研究で得ている情報と照らし合わせることはできます。必要な資料については、担当の方と相談させてください」
「お願いします」
久世は高城へ頭を下げた。まだ渡していなかった現場の報告を差し出すと、高城は机の空いた場所を作って受け取った。
課長が話を引き取り、今後の窓口について確認を進めた。科長が技術面の窓口として連絡先を伝え、研究員は持参した資料のうち、会社側へ渡すものを高城と確認している。
久世はその間に会社案内を取り、続きをめくった。研究内容の紹介のあとに、経営陣の顔写真が並んでいる。高城の写真も、目の前にいる男と同じ眼鏡をかけていた。
その下にある略歴を読んだところで、指が止まった。
大学名に覚えがあった。相馬の経歴を調べたときに、何度も見た名前だった。
久世は卒業年へ目を移した。相馬が在学していた時期と重なっている。もう一度、大学名から読み直したが、記憶しているものと違わなかった。
「ほかに、何かございますか」
高城の声で顔を上げると、課長がこちらを見ていた。
「いえ。まずは、よろしくお願いします」
久世は会社案内を閉じた。大学が同じというだけで、この場で相馬の名前を出す理由にはならない。鞄へしまうと、高城も立ち上がった。
応接室を出るとき、廊下を来た社員が高城を呼び止めかけた。高城は手にしていた資料を示し、あとでこちらの話をすると伝えた。社員は頷いて脇へ寄り、久世たちへ頭を下げる。
高城はエレベーターの前まで五人を送った。
「資料を確認したうえで、改めてご連絡します」
課長が礼を述べる間、久世は鞄の中の会社案内に触れた。閉まりかけた扉の向こうで、高城はまだ頭を下げていた。
*
庁舎へ戻ると、久世は鞄を置くより先にパソコンを開いた。
「久世さん。課長への報告、こちらでまとめますか」
後ろから来た榊へ、少し待ってくれと答えた。相馬に関する資料を開き、大学時代の事故記録を探す。工場へ入る前に概要を受け取り、その後、詳しい記録も取り寄せていた。
大学の研究室で起きたガス中毒事故。亡くなったのは、女性の大学院生が一人だった。
久世が画面を拡大すると、榊も隣へ来た。
「相馬の件ですか」
「さっきの会社案内、見たか」
「研究の説明までは」
久世は鞄から冊子を出し、高城の略歴のページを開いて渡した。榊は立ったまま読み、大学名のところで久世を見る。
「同じ大学ですね」
「時期も重なってる」
榊は卒業年を確認してから、パソコンの画面へ目を向けた。久世は記録を順に送り、当時、関係者から話を聞いた部分を開いた。
相馬は、この事故について尋ねたときも、情報を漏らした相手の名前を明かさなかった。一緒に事件を追ってきた男が、黙ったままこちらを見ていた顔を、久世はまだ覚えている。
その理由が、この事故にあるかもしれない。そう考えて調べてきたが、情報漏洩とのつながりは、まだ見つかっていなかった。
画面を送っていた久世の手が止まった。
榊も同じ箇所を見ていた。冊子を机に置き、画面の名前と、冊子に載った高城の写真を見比べる。
「この人……」
久世は答えず、当時の所属を確かめた。大学も、在籍していた時期も、略歴と重なっている。
高城直哉。
相馬と同じ事故で、関係者として話を聞かれていた。
久世は内ポケットから、先ほど受け取った名刺を出した。机の上に置いてから、画面へ目を戻す。ギアの分析への協力を頼み、頭を下げて別れたばかりの高城が、相馬と同じ記録に載っていた。




