第47話 運ぶだけ
『都内で相次ぐ集団強盗。その実行犯の一部から、新型薬物「ギア」の成分が検出されていたことが分かりました』
昼のニュースが始まると、玲司は机の書類から顔を上げた。
画面には、池袋の貴金属店の防犯カメラ映像が流れていた。入口から男たちが次々となだれ込み、客が奥へ逃げる。一人の男が、ショーケースの前へ出た店員を突き飛ばした。店員が床へ倒れたところで映像が止まり、その姿を囲むように白い線が重ねられた。
負傷したのは二人。別の画面に切り替わると、ガラスのなくなったケースと、床に散らばった値札が映った。前日には渋谷区の時計店が襲われ、台東区の御徒町でも同様の被害が出ているという。
ソファに寝転がっていた葵が体を起こした。玲司がリモコンで音量を上げる間も、画面の中では、顔を隠した男たちが店内を走っていた。
『警視庁は、匿名・流動型犯罪グループ、いわゆるトクリュウによる一連の犯行とみています。逮捕された複数の容疑者は、犯行前にギアを使用したと供述しており、その後の鑑定でも使用が確認されています』
別の店の映像では、男の一人が、つかみかかってきた警備員を振り払った。警備員は背後の陳列棚へぶつかり、すぐには起き上がらなかった。玲司は、ホテルの廊下で投げ飛ばされた警察官を思い出した。あのときも、目の前で起きたことに体がついていかなかった。
ニュースは、大田区で摘発された工場の外観へ切り替わった。久我省吾の逮捕と製造拠点の摘発により、ギアの流通は減少したとみられる。その一方で、薬を使った強盗や襲撃事件は都内各地で増えていた。逮捕された実行役が知らない指示者も多く、入手経路を含めて捜査が続いているという。
「あれ飲んで、集団で来るのかよ」
玲司が呟くと、葵は膝の上で手を握った。すぐに緩めたが、画面からは目を離さなかった。
*
朝倉が帰ってから、一週間になる。
ニュースが天気予報に変わる頃には、葵はまたソファの背にもたれていた。朝倉の荷物がなくなった場所に、葵の上着と化粧ポーチが置かれている。玲司はそれを眺めてから、テレビの音を下げた。
「なあ。お前はいつまでここにいるつもりなんだ」
「部屋が見つかるまで」
葵は当然のように答え、机の菓子袋へ手を伸ばした。
「探してんのか」
「まだ」
「見つかるわけねえだろ」
葵は袋から出した菓子を口へ入れた。久我が捕まり、ここへ身を隠す必要はなくなった。それでも毎晩《MUSE》から戻ってきて、朝になれば冷蔵庫を開けている。
「そんな急に決まんないって。住むとこだよ?」
「だから探し始めろって言ってんだよ」
「分かったってば」
返事と一緒にスマートフォンを持ち上げたので、ようやく物件を見る気になったのかと思った。ところが、画面を見た葵が笑った。
「レナだ」
誰だと聞く前に指が動き始めた。玲司がまだ見ているのに気づくと、葵は顔を上げた。
「前にトー横で一緒にいた子。今日、会えないかって」
「店は?」
「今日は休み。ご飯食べてくる」
葵は立ち上がり、上着を選び始めた。二枚を持ち比べたあと、一枚をまたソファへ戻す。玲司はその上着を指した。
「それ、せめて片づけろよ」
「帰ってから」
帰る場所は、もう決まっているらしかった。
*
新宿のファミレスに入ると、窓際から手が上がった。
「ミオ、こっち」
相沢レナは、葵が席へ着く前から笑っていた。髪が肩の辺りまで短くなっている。向かいへ座ってそのことを言うと、レナは毛先をつまんで見せた。
「気づくの遅くない?」
「今来たんだけど」
「写真送ったじゃん。切った日に」
そう言われて、葵は鞄からスマートフォンを出しかけた。レナが呆れた声で名前を呼ぶので、途中でやめる。
「あれから、いろいろあったんだって」
「生きててよかったよ、ほんと」
軽い言い方だったが、レナは葵の顔をしばらく見ていた。それからメニューを寄せ、自分はもう決めたと言った。
葵が頼んだチキンの皿が来ると、レナは自分のパスタを食べながら、付け合わせのポテトにも手を伸ばした。昔から、こちらが断る前に取る。
「自分でも頼めばよかったじゃん」
「そんなにいらない。ちょっとだけ」
言いながら二本目を取ったので、葵は皿を引き寄せた。レナが笑う。つられて葵も笑ったあと、熱いチキンへナイフを入れた。
今どこにいるのかと聞かれ、中野の知り合いのところだと答えた。夜は店で働いていると話すと、レナは意外そうな顔をした。
「ちゃんと通ってんだ」
「行くよ。金もらってんだし」
「私も最近、結構入ってくるんだよね」
葵が顔を上げると、レナはフォークを皿へ置いた。
「何やってんの?」
「荷物運ぶやつ。ずっと働いてるわけじゃないけど、一回で結構もらえる」
レナは鞄からスマートフォンを出し、テーブルへ置いた。葵へ身を寄せると、声を少し落とす。
「ミオもやらない? 人が足りないって言ってたし。知らない子と組むより、ミオとやりたい」
「荷物って、何」
「時計とか、アクセとか。持ってきた人から受け取って、次の人に渡すだけ」
レナは軽い調子のまま続けた。
「高額バイトなんだけど、ホワイト案件だよ。店に入るのは別の人だし、私らは外で待ってるだけだから」
葵はナイフを止めた。昼に見た、ガラスのないショーケースが浮かんだ。
「それ、どこから持ってくんの」
「店。私らは中には入んないよ」
レナは葵の皿へ視線を落としたが、今度は手を伸ばさなかった。葵が黙っていると、少しだけ笑った。
「……何。急に怖い顔して」
「盗んだやつでしょ、それ」
「そうだけど、取ってくるのは別の人だって」
葵はナイフとフォークを置いた。隣の席では子供がジュースをこぼし、母親が紙ナプキンを重ねている。レナはそちらを見てから、葵へ向き直った。
「でかい声出さないでよ」
「まだ出してない」
「嫌なら断っていいから。無理にとは言わない」
レナはパスタを巻き取り、口へ運んだ。葵が食べ始めるのを待っているようだったが、皿に手を戻す気にはなれなかった。
「レナ、もうやったの?」
「二回。ちゃんともらったよ、お金。払わないとか、そういうのはない」
「そうじゃなくて。捕まるじゃん」
「だから、店に入るのは別の連中だってば。私、誰も殴ってないし」
レナの声に苛立ちが混じった。葵は少し顔を近づけた。
「その連中が捕まったら、レナのことも話すかもしれないでしょ」
「簡単に捕まんないよ。薬飲んでるし、あいつら」
葵はレナを見つめた。レナはフォークを持ったまま、こちらの返事を待っていた。
「……ギア?」
「うん。ミオも知ってんだ。入る前に飲むんだって。本人たちが言ってた」
「レナも飲んだの」
「飲んでないよ。私が飲んでどうすんの。運ぶだけなのに」
それを聞いても、葵は息をつけなかった。薬を使った男たちに会い、盗んだ物を受け取っていた。その帰りに金をもらって、こうしてまた食事をしている。
「その薬、誰が持ってくるの」
「向こうで用意してる。私はもらってないって」
「違う。買ってまで自分で飲んでるんじゃなくて、配られるってこと?」
「そうだよ。何なの、さっきから」
葵はレナの手元のスマートフォンへ目を落とした。そこに、次も行くという返事が残っているかもしれなかった。
「もう行かないで。次、誘われても断って」
レナはフォークを皿へ置いた。
「ミオがやらないのは分かったって」
「レナにもやめてほしいって言ってんの」
思ったより声が大きくなり、レナが隣の席を気にした。それでも葵は口を閉じられなかった。
「あの薬を飲んでる奴が、普通に話できると思わないでよ。何するか分かんないんだから」
「何でそんなに分かるの」
「……見たことあるから」
レナが顔をしかめた。葵は自分も使ったとは言えなかった。レナを止めたいのに、自分が何をしたかまで話せば、何を言い返されるか分からない。
「あのさ。私、その人たちと仕事してんの。喋ったこともあるんだよ」
「だから大丈夫ってことにはなんないでしょ」
「久しぶりに会ってさ、何でそこまで言われなきゃいけないの」
レナは背もたれに体を預けた。さっきまでテーブルへ乗せていた両腕も、膝へ下ろしている。
「ミオも稼げたらいいと思っただけじゃん」
「私は、レナが――」
「もういい。ほかの子に聞くから」
レナがスマートフォンを手に取った。葵はその腕へ手を伸ばしかけたが、レナが画面を伏せたので、手前で止めた。
そのあと、仕事の話には戻れなかった。葵が残ったチキンを切っている間に、レナは食べ終えた。店を出てからも並んで歩いたが、何を話しても、さっきの言葉に戻りそうだった。
駅の手前で、レナが別の通りを指した。
「私、こっちだから」
「レナ。また連絡して」
呼び止めると、レナは一度振り返った。
「うん」
手も振ってくれた。それがいつもより小さかったので、葵はもう一度何か言おうとして、やめた。
*
夕方、中野へ戻ってきた葵は、玄関で靴を脱ぐなり玲司のところへ来た。
「話、あるんだけど」
部屋を見つけたのかと聞きかけたが、顔を見てやめた。玲司がパソコンを閉じると、葵は椅子へ座り、レナから誘われた仕事について話し始めた。
レナは盗品を受け取って運ぶ役としてすでに二回働き、襲撃する連中にはギアが渡されているのだという。
「レナは飲んでない。そこは聞いた」
葵はそこだけ、はっきり言った。玲司は頷いたが、それで話を終えるわけにはいかなかった。
「久世さんに相談した方がいい。昼のニュースの連中と、つながってるかもしれないだろ」
「警察には言わないで」
葵の返事は早かった。
「薬も使ってるんだろ。お前が言って止まる相手じゃねえよ」
「でも、レナが何したかまで話すことになるじゃん」
「もうやってんだから、そこは――」
「じゃあ、私から捕まえてくださいって言えってこと?」
玲司は言いかけた言葉を止めた。葵は鞄を膝に抱えたまま、こちらを睨んでいる。
「次をやる前に止めたいんだよ。友達なの」
「今日、止められなかったんだろ」
葵の指が鞄の持ち手を握り直した。視線が下がり、しばらく戻らなかった。玲司も、言わなければよかったとは思えず、黙って返事を待った。
「……真壁に聞きたい」
玲司は葵を見た。
「あいつが渡してるって、その子が言ったのか」
「名前までは聞いてない。でも、あんなに薬を持ってたじゃん。何か知ってるかもしれない」
葵が顔を上げた。
「あいつが関わってるなら、レナを誘うのやめさせたい」
玲司は机のスマートフォンへ目をやった。真壁に聞いても、答えるかどうか分からない。二人の名前も、葵がどんな反応をするかも、こちらが話す前から知っていた男だった。
「レナの名前は、あいつにも出すなよ」
「分かってる」
「真壁には聞く。でも俺は、久世さんに相談した方がいいと思ってるからな」
葵は返事をしなかった。玲司はスマートフォンを取り、匿名のメッセージアプリを開いたものの、真壁のアカウントを見つけたところで指を止めた。
警察が調べているアカウントへ、また自分から連絡するのは気が進まなかった。ただ、アカウントを知られているからといって、会話まで筒抜けになるわけではない。真壁に指定されたこのアプリは、メッセージを当人同士の端末でしか読めない仕様になっている。警察が玲司と真壁の会話をその場で確認できるわけではなかった。
それでも、履歴はこのスマートフォンに残る。久世からは、勝手に真壁と接触するなと釘を刺されていた。
「連絡するなら報告しろって、言われてるだろ」
玲司が言うと、椅子を寄せてきた葵は、膝の上で鞄を抱え直した。
「……先に、あいつの話を聞きたい」
玲司は真壁とのやり取りを開いたが、すぐには文字を打たなかった。葵は画面を見つめたまま、その手が動くのを待っていた。




