第43話 ほかにもいる
工場へ警察が入った翌日、久世は取調室で戸倉慎吾と向かい合っていた。
戸倉の左目の周りには、まだ濃い腫れが残っている。椅子の背に体を預けようとして顔をしかめ、結局、机へ片肘をついた。廊下から話し声が聞こえると一度そちらを見たが、久世が座ってからは、閉まったドアへ顔を向けていなかった。
「大田区で工場が見つかった。中で錠剤を作ってた」
久世は現場の写真を机へ置いた。作業台に残された灰色の錠剤と、その奥の機械が写っている。戸倉は肘をずらして写真を引き寄せたが、手に取るほどの興味はないらしかった。
「本当にあったんだな」
「お前が黒瀬たちに教えたんだろ」
「大田区としか言ってねえよ。ここは知らねえ」
写真を押し戻す指には、爪の脇に小さな傷があった。久世は写真をそのままにして、戸倉の顔を見た。
「誰から聞いた」
「真壁」
「工場の話をしたのか」
「薬の話をしてたときだよ。街に出てるのは大田区で作ってるって。それ以上は聞いてねえ」
「行ったこともない?」
「ねえよ。俺が作るわけじゃねえんだから」
戸倉は写真から目を離し、久世の手元へ視線を移した。何を書かれるのか気にしている。久世がペンを持ったまま黙っていると、先に口を開いた。
「俺は売ってもねえぞ」
「じゃあ、何をして金をもらってた」
「人を連れてこいとか、逃げた奴を捜せとか。返さねえ物を取りに行くこともある。話して済まねえときに、俺が行くんだよ」
「殴ってでも連れてくる」
「来ねえならな」
それを認めることには、ためらいがなかった。戸倉は机に肘を置いたまま、写真の端を指で弾いた。
「こういうのとは違う。売る相手なんか知らねえし、何錠売れたって俺の金は増えねえよ」
「真壁も、その仕事を寄越す一人か」
「そうだよ。連絡が来る。行って、終わらせる。それだけだ」
久世は手元に真壁の名前を書いた。葵がさらわれたときは戸倉を救出へ向かわせ、今度は戸倉が危ないと黒瀬へ知らせてきた男だ。黒瀬たちの行動にはこれだけ関わってくるくせに、こちらからその居場所をつかもうとすると、どこにも辿り着けない。
「会ってるんだろ。どこの人間だ」
「知らねえ」
「会社なり、事務所なりは」
「だから、知らねえって。名刺もらって仕事してると思ってんのか」
戸倉は鼻で笑いかけ、切れた口元を押さえた。笑えなかったことまで久世のせいにするような目だった。
「真壁が誰に言われて動いてるかも、お前は聞かないのか」
「聞いてどうすんだよ。俺に金が入るかどうかだろ。そいつの上に誰がいようが、俺には払わねえんだから」
久世はペン先を止めた。金を受け取るときには、それでよかったのだろう。だが、この男は今、指定された場所で三人組に襲われ、殺されかけたあとでここに座っている。
「連絡一つで動いて、殺されかけたわけだ」
「分かってるよ」
戸倉の声が急に強くなった。
「分かったから、ここへ来たんだろうが。まだ逃げ回ってろってのか」
「そうは言ってない。誰が殺そうとしたのか、お前も知りたいだろ」
「だから知ってることは言ってんだよ。知らねえことまで喋れねえだろ」
久世は戸倉の腫れた顔を見た。今さら出頭を悔やむような顔ではなかったが、助けられたから何でも素直に答えるという様子でもない。こちらの聞き方一つで、まだいくらでも口を閉じそうだった。
工場の写真を脇へ寄せ、久世は別の写真を出した。
「瀬尾拓真。この男を連れていったな」
戸倉は写真を見る前に顔を上げた。久世と目が合ってから、机の上へ目を落とす。
金髪の若い男が写っていた。顔の正面から撮った写真で、耳と鼻のピアスも分かる。
「……ああ」
「何をしろと言われた」
「抜いたギアを回収しろって。あいつ、渡された分を勝手に使ったり、ほかへ流したりしてたんだよ」
「薬だけか」
戸倉は答えず、机へ置いていた手を膝に下ろした。
久世は次の質問をせずに待った。瀬尾が暮らしていた部屋へ、戸倉は鍵を使って入っている。その場にいた黒瀬と葵は、鍵をどこで手に入れたのかも問い詰めていた。
「本人はどうしろと言われた」
「処分しろ、だよ」
吐き捨てるような返事だった。久世は視線を下げず、続けて聞いた。
「誰がそう言った」
「電話で話した男だよ。連絡用の携帯に入ってた番号にかけたら、次の仕事があるって。名前は聞いてねえ」
久世は当時使っていた連絡先について聞き取り、瀬尾の話へ戻った。
「それで、お前は何をした」
「捕まえて、引き渡した。俺がやったのはそこまでだ」
さっきより返事が早かった。久世はその言葉を書き留めてから、瀬尾の写真を戸倉の正面へ置き直した。
「誰に渡した」
「引き取りに来た連中だよ。こっちも名前は知らねえ」
「知り合いじゃないのか」
「俺が知ってる奴に勝手に渡してどうすんだ。向こうから来たんだよ」
久世は、引き渡した場所と、そのときに見た相手について聞いた。戸倉は覚えている範囲を答えたが、相手の素性を尋ねると口調が荒くなった。相手がどこの人間で、瀬尾をどこへ連れていったのかまでは知らないと言う。
「渡したとき、瀬尾は生きてたんだな」
「生きてたよ。歩いてたし、喋ってた」
「何と」
戸倉の口が開き、声が出る前に閉じた。久世はその顔を見ながら待った。廊下で扉の閉まる音がしたが、今度は戸倉もそちらを見なかった。
「……もうやらねえって。何回も言ってた」
久世の手元で、ペンが止まった。
「それでも渡した」
「俺が殺したんじゃねえぞ」
「殺せという意味には取らなかったのか。処分しろと言われて」
「俺が見たところじゃ死んでねえって言ってんだよ!」
戸倉が机を叩いた。身を乗り出した拍子に背中が痛んだらしく、体を引きかけたが、また前かがみになった。久世は動かなかった。
「そのあと、どうなった」
「知らねえよ。連れていったところなんか見てねえ」
荒い呼吸が二人の間に残った。戸倉は久世を睨んでいたが、机にある瀬尾の顔へは目をやらなかった。
久世は、この男が瀬尾を殺したと今ここで決めつけるつもりはなかった。引き渡したという話も、相手も、場所も確かめなければならない。ただ、直接手を下していないという言葉だけで、この男のしたことが消えるわけでもなかった。
「分かった。お前が引き渡したところまで、まず確かめる」
「最初からそう言ってんだろ」
戸倉は椅子の脚を鳴らして座り直した。怒りの残る顔をそむけたまま、膝の上で右手を擦っている。
久世は少し待ち、瀬尾の写真を手元へ戻した。次に脇へ寄せていた工場の写真を出すと、戸倉が嫌そうに眉を寄せた。
「またそれかよ」
「お前が使っていたギアは、誰から渡された」
「真壁だよ」
「ホテルで飲んだのもか」
「ああ」
久世は写真の錠剤を指した。
「こういう物を、自分で買ったことは」
「ねえ。そもそも、それは使うなって言われてる」
久世は写真から戸倉へ目を移した。
「使うな?」
「街で売ってる方はな。俺が渡したの以外は飲むなって、真壁が」
戸倉は苛立ちの残った顔で、錠剤の写っている辺りを見ていた。
「同じギアだろ」
「違うんだとよ。見た目は一緒でも、俺に渡すのは街のとは別だって言ってた」
「どこが違う」
「そこまでは聞いてねえ。渡されたのを使ってた。それだけだよ」
久世は手元に二つの入手先を書き分けた。大田区の工場で作られていた物と、真壁が戸倉へ渡していた物。同じ形をしているからといって、中身まで同じとは限らない。もっとも、真壁がそう言ったというだけでは、本当に違うかどうかもまだ分からなかった。
「大田区の話が出たのは、そのときか」
「そうだよ。街に出てるのはそっちで作ってるって。俺の分がどこで作られてるかなんて知らねえぞ」
「なぜ、お前には別の物を渡す」
戸倉はすぐには答えなかった。聞かれたことを考えるように口元へ手をやり、傷に触れる前に下ろした。
「俺には合うんだろ。あれを飲むと、力が出る」
「ほかの連中も暴れてる」
「そういう話じゃねえよ。腹が立って殴るのと、殴った奴が吹っ飛ぶのは違うだろ」
久世は戸倉の腕へ目をやった。ホテルで負傷した警察官の話は聞いている。興奮した男が抵抗した、というだけでは済ませられない壊れ方をした室内も見ていた。
それでも、今ここにいるのは椅子へ背を預けることさえ痛がる男だった。
「毎回、ホテルのときみたいになるのか」
「あそこまでなったのは、あのときが初めてだ。あとから腕も上がらなくなった」
戸倉は左肩を動かしかけ、途中でやめた。
「なら、合ってるとは限らんだろ」
「でも力は出た。お前らだって知ってんだろ」
その言い方に、久世は顔を上げた。痛い目に遭った話をしていても、戸倉は薬の力まで否定されることには腹を立てるらしかった。
久世はペンを置いた。
「真壁も、お前の力を知ってるんだな」
「知ってるから渡してんだろ」
「だから、手放したくなかったのか」
戸倉が久世を見た。襲撃される前、真壁は黒瀬へ危険を知らせた。金で仕事を頼むだけの相手に、どこまで手をかけるつもりだったのか。久世がそのことを尋ねると、戸倉は顔をしかめた。
「知らねえよ。助けた理由なんか、本人に聞け」
久世は返事をせずに待った。戸倉は机の写真へ目を戻し、しばらくしてから付け足した。
「俺がいなくたって、仕事する奴はいるだろ。金さえ出しゃ、やる奴はいくらでもいる」
「同じようにギアを使う奴もか」
「使うだけなら、そこらにいるだろ」
「お前と同じ力が出る人間の話だ」
戸倉は久世を見返した。問いの意味が分からなかったのではない。久世がその答えをまだ知らないことが、意外だったらしい。
「……いるってよ」
久世は戸倉から視線を外さずに聞き返した。
「誰から聞いた」
「真壁。お前みたいなのは、ほかにもいるって」
「会ったことは」
「ねえ。名前も聞いてねえよ」
久世は、葵が男を殴り飛ばしたと報告してきた朝倉の声を思い出した。昨日の工場でも、壊れたドアを見ている。戸倉の話が本当なら、あれだけの力を出す人間が、目の前の男と葵のほかにもいることになる。
「何人いると言ってた」
「人数までは言わねえよ」
「今、どこにいる」
戸倉は口を開きかけ、久世の顔を見ると、苛立った声を出すのをやめた。机に出ている写真を見下ろし、今度はゆっくりと首を振った。
「知らねえ。お前らがまだ捕まえてねえなら、どっかにいるんだろ」




