第42話 お届け物
朝倉は、玲司たちを奥の席へ座らせてから、通路側に腰を下ろした。
工場から歩いて数分のファミリーレストランだった。夕食を済ませながら久世を待つことになったが、葵はメニューを閉じると、さっき来た道の方へ顔を向けた。
「久世さん、あとどれくらい?」
「用事が済み次第、こちらへ向かうそうです」
「その間に、中の人が帰っちゃったら?」
「住所は分かっています。篠崎さんたちが今、入る必要はありません」
朝倉はメニューを開いた。葵が玲司を見ると、玲司は先に自分の料理を選び、注文用の端末を渡した。ここで言い合っても、朝倉が席を空けるわけではない。
料理が来るまでの間、玲司はスマートフォンを触っていた。隣の葵が画面を覗きかけたので、膝の方へ下げる。
「何してんの」
「ちょっと」
「二人だけで相談しないでくださいね」
向かいから言われ、玲司は顔を上げた。朝倉はこちらを見たまま、水のグラスを持っている。
「飯食うときまで見張るんですか」
「食事中なら勝手にいなくならない、という保証はありますか」
葵が笑いそうになり、玲司の肘に触れた。玲司は画面を伏せた。
食事は朝倉が一番先に終えた。葵も皿を空け、玲司だけが頬をかばいながら残りを食べている。揚げ物を選んだのは失敗だった。口を大きく開けるたびに、昨日切れたところが痛んだ。
「食べないなら、もらうけど」
葵が残った一切れを指す。
「食うよ。誰もやるって言ってねえだろ」
玲司が最後の一口を飲み込んだところで、店員がテーブルの並ぶ方へ来た。
「朝倉様。朝倉様、いらっしゃいますか」
朝倉が顔を上げた。店員と目が合い、小さく手を上げる。
「私ですが」
「入口までお越しいただけますか。お届け物だそうです」
「届け物?」
朝倉はスマートフォンを確かめた。久世からの新しい連絡は入っていない。椅子から立つと、玲司と葵へ念を押した。
「二人とも、ここで待っていてください」
「はーい」
葵の返事を聞き、朝倉は店員についていった。その背中がレジの前へ遠ざかると、玲司は足元の大きなバッグを引き寄せた。
「行くぞ」
葵も立った。二人は客席の奥へ回り、裏手の駐車場へ通じる出口を押し開けた。
外の空気に触れてから、葵が声を落として聞いた。
「何頼んだの?」
「クレープ」
「何で?」
「早かったんだよ、届くのが」
葵は足を止めかけた。
「本物頼んだの?」
「俺がもう一回、配達のふりしてどうすんだよ」
葵は笑いながら走り出した。玲司もバッグを背負い直し、その後を追った。
*
レジ前で待っていた男は、配達用のバッグから紙袋を取り出した。
「ウーバーイーツです。朝倉様でよろしいですか」
「頼んでいませんけど」
「えっ。そんなはずは……。こちらのお店で、朝倉様にお渡しするようになってます」
差し出された画面には、この店の住所と自分の名字があった。朝倉はそれを見て、すぐに客席へ顔を向けた。
二人の姿がなかった。玲司が足元に置いていた、あの大きなバッグも消えている。
「あの二人……!」
客席へ戻ろうとすると、店員に呼び止められた。
「お客様。店内への出前はご遠慮いただいております」
「すみません。私が頼んだわけではなくて」
「お連れ様にも、お伝えください」
朝倉は一度、深く息を吸った。配達員に罪はない。紙袋を受け取り、テーブルの伝票を取りに戻ると、三人分の会計を済ませた。
店を出ながら久世へ電話をかける。先ほど見た工場までの道は分かっていた。
「二人が先に戻りました。私も向かいます」
『戻った? お前は何してた』
「私宛てに出前を頼まれました。説明はあとでします」
短い沈黙のあと、久世が言った。
『俺もそっちへ向かってる。巡回の車を工場へ回す。一人で無理するなよ』
朝倉は返事をして走った。手に下げた紙袋が膝へ当たるたびに、二人の顔が浮かんだ。
*
工場の裏手には、まだ換気扇の音がしていた。
玲司は窓の下を通り、先ほど朝倉に止められたドアへ近づいた。ノブを回すと扉が動き、細く開いた隙間から明かりが漏れた。
中は資材置き場だった。段ボール箱が壁際に積まれ、その先に作業場へ通じる開口部がある。機械の音は、そこから聞こえていた。
玲司が一歩入ると、背中のバッグが箱に触れた。肩から下ろして手で持ち、葵と一緒に奥を覗いた。
白い明かりの下で、三人の男が作業台を囲んでいた。浅い容器に入った錠剤を袋へ移し、揃えたものを箱へ入れている。奥には金属製の機械があり、その下の容器にも小さな錠剤が溜まっていた。
作業台のそばに一人、積まれた箱の向こうにも一人いる。さらに右手のドアが開き、ペットボトルを持った男が出てきた。
六人だった。
葵の手が玲司の袖を掴んだ。台の上を指している。
男たちが袋へ移しているのは、灰色の錠剤だった。
「……ギア」
玲司にも分かった。葵が飲まされた物も、真壁から渡された物も、ずっと一錠ずつ気にしていた。それが、目の前の台には数えきれないほど積まれている。
葵は動かなかった。袋へ移される錠剤を見つめる横顔に、さっきまでの笑いはない。玲司はその袖を引き、スマートフォンを取り出した。
「戻るぞ。久世さんに――」
「何やってんだ」
右手の男がこちらを見ていた。玲司が後ろへ下がると、男は持っていたボトルを床へ置き、大股で近づいてきた。
「おい、誰だ。何で入ってる」
作業台を囲んでいた三人が手を止めた。その一人が何か言ったが、玲司には分からない言葉だった。ほかの二人も椅子を引き、台から離れる。
箱の向こうにいた男が、壁際を走った。別の通路を通って資材置き場へ回り込み、玲司たちが戻りかけたときには、もう外へ出るドアの前に立っていた。
「どけよ」
玲司が言うと、男はドアを閉めた。
「何見た」
作業場から来た男が、開口部を抜けて迫ってきた。玲司は葵と一緒に脇へよけたが、外へ出るドアは塞がれている。男の横をすり抜けて作業場へ逃げ込むと、相手はすぐに向き直って追ってきた。
「その携帯、出せ」
男が玲司の胸元へ手を伸ばす。玲司はバッグを二人の間へ持ち上げた。突き飛ばされ、背中が棚にぶつかる。
「触んな!」
葵が横から男の腕を払った。相手は一度手を引き、葵の顔を見たあと、作業台のそばに残っている男へ顎を向けた。
「こいつら、帰すなよ」
男たちが錠剤を口へ入れた。
一人はボトルの水で流し込み、もう一人は顎を上げて飲んだ。ドアを塞いでいた男も、ポケットから取り出した錠剤を舌へ載せる。
「三人ともかよ……」
玲司の横で、葵が上着のポケットへ手を入れた。
中野から持ってきた一錠だった。包みを開く指が少しもつれ、玲司は男たちへ向けてバッグを構え直した。
「昨日も使ったばっかだろ」
「分かってる」
葵はそれ以上答えず、錠剤を口へ入れた。
男がバッグを掴んだ。玲司が放さずにいると、肩ごと引っ張られる。靴底が滑り、葵から離れかけたところで、男の腕を葵が両手で押しのけた。
その隙に玲司はバッグを引き抜いたが、今度は別の男が葵へ向かっていた。葵は最初の一発を避けたものの、次に伸びてきた手に右腕を掴まれた。
「痛っ……!」
昨日から痛めている腕だった。葵は相手の手へ左手をかけ、振りほどこうとする。男は笑いかけたが、その顔が途中で歪んだ。
葵が腕を引くと、今度は男の方が引き寄せられた。腹へ膝が入り、男は息を詰めて体を折った。後ろへよろめき、近くの作業台に背中をぶつける。衝撃で容器がひっくり返り、錠剤が床へ散った。
残る二人も足を止めなかった。一人が葵へ腕を回そうとし、もう一人は玲司の方へ来る。
「玲司、下がって!」
葵が間へ入った。伸びてきた腕を払い、男を蹴り返す。葵の背中へもう一人がぶつかり、葵は作業台へ片手をついた。
一人を離しても、次が来た。葵が振り向くたびに、別の男が横へ回る。玲司の前を空けられないせいで、葵自身も動ける場所を狭められていた。
玲司はバッグを台の下へ放り、室内を見回した。入ってきた方へ戻るには、男たちの間を抜けなければならない。
奥の壁に、もう一枚ドアがあった。
「葵、こっち!」
玲司は作業台の反対側を回った。包装をしていた三人は壁際に寄っており、こちらへは向かってこない。足元に散った錠剤を避け、奥のドアへ手をかける。
開かなかった。腕へ力を入れても、扉はわずかに鳴るだけだった。
背後で大きな音がした。振り返ると、葵に押し返された男が椅子を巻き込んで倒れていた。だが、もう一人が葵の上着を掴んでいる。
「放せって!」
葵は体をひねって相手へ蹴りを入れた。手が離れたところで玲司の方へ走ったが、右腕は体に寄せたままだった。
「開かねえ!」
「どいて!」
玲司が脇へ退くと、葵はドアへ足を叩きつけた。扉が外へ膨らみ、枠の一部が裂ける。二度目の蹴りで大きく開き、夜の空気が流れ込んだ。
玲司は葵の左腕を取り、一緒に外へ飛び出した。背後で扉が壁を打ち、怒鳴り声が追ってくる。
葵が振り向きかけたので、玲司は腕を引いた。
「もういい、走れ!」
細い通路を抜け、道路へ出たところで、聞き慣れた声がした。
「黒瀬さん!」
朝倉が走ってくるのが見えた。二人の顔を見て、続いて通路の奥へ目をやる。追ってきた男の姿を認めると、手に持った紙袋を道の端へ置いた。
「こちらへ! 私の後ろにいてください!」
「中でギア作ってた! 追ってくる三人も飲んでる!」
玲司が叫んだ。男は朝倉が警察手帳を示しても止まらず、葵の方へ手を伸ばしてきた。朝倉がその間へ入り、警棒で腕を払う。
「下がりなさい!」
男が朝倉へ向き直った。迫ってくる体をかわし、朝倉は二人をかばいながら道路の広い方へ退く。工場からは、もう一人出てきていた。
サイレンとともに、角から赤い光が近づいた。
停まった車から制服警官が飛び出し、朝倉の前へ回った。男はその一人へぶつかり、肩を掴んだまま振り回そうとする。
「薬を使っています! 一人で押さえないで!」
朝倉の声に、別の警官が男の腕へ飛びついた。二台目の車も停まり、道路へ出てきたもう一人へ警官たちが走る。
玲司は葵を塀のそばまで下がらせた。呼吸の荒い葵が前へ出ようとするので、左肩を押さえる。
「もう任せろって」
「でも、あいつ――」
男の片膝が路面へついた。なお体を起こそうとしたところへ朝倉が加わり、数人がかりで押さえ込む。もう一人も逃れようともがいていたが、続いて来た車から降りた刑事が、その行く手へ入った。
久世だった。
「黒瀬! ほかにいるか!」
「あと四人! 一人は、そいつらと同じでギア使ってる!」
久世は工場へ目を向けた。開いたままのドアから、腹を押さえた男が出てきかけていた。道路の警官たちを見ると、また中へ戻ろうとする。
「待て! 動くな!」
刑事たちが通路へ走り、久世も続いた。ドアのところで男が抵抗し、壁へ押しつけられる音がした。別の警官がその脇を抜け、工場の中へ入っていく。
玲司は、ようやく葵の肩から手を離した。
*
工場の機械が止まると、外にいても急に静かになったように感じた。
玲司と葵は道路脇に座っていた。捕まった男が車へ乗せられ、その向こうでは、作業台にいた三人が別の警官に付き添われている。一人が何かを懸命に話していた。警官は途中で遮らず、通訳を手配していると繰り返していた。
久世が工場から出てきた。玲司の前へしゃがみ、顔を覗く。
「新しくやられたところは」
「俺は大丈夫です」
「葵は」
「腕、ちょっと」
葵が答えると、久世は救急隊に診てもらうよう告げ、工場へ振り返った。
「中は見た。錠剤も、動かしてた機械もある。あとはこっちで調べる」
「久我のところなんですよね、ここ」
玲司の問いに、久世は向き直った。
「持ち主の会社も調べる。誰が使わせてたのかもな」
すぐに誰かの名前を挙げる返事ではなかった。それでも、窓の外から何も見えずに立っていたときとは違う。玲司は、明かりのついた工場のドアを見た。
久世が立ち上がると、その後ろにいた朝倉が、紙袋を玲司の膝へ置いた。底が少し潰れている。
「お届け物です」
玲司は紙袋と朝倉の顔を見比べた。
「……届いたんですね」
「ええ。届きました。店員さんにも注意されましたし、食事代も三人分、払ってきました」
隣で葵が下を向いた。玲司も袋から手を離した。
「すみませんでした」
朝倉はすぐには返事をしなかった。工場へ目をやり、連れ出されてきた男たちを確かめてから、二人へ視線を戻す。
「戻って、二人ともいなかったとき、どんな気がしたと思いますか」
葵が顔を上げた。朝倉の息はもう整っていたが、声には怒りが残っていた。
「昨日、あんなことがあったばかりでしょう。呼ばれたくらいで離れるんじゃなかったって、走りながらずっと考えてました」
「ひなちゃんのせいじゃないよ」
「だったら、私がそう思うようなことをしないでください」
葵は口を閉じた。玲司も言い返せず、膝の紙袋を持ち上げた。
「金は返します。飯代も」
「当たり前です」
朝倉は二人のそばに立ったまま、救急隊員を手招きした。玲司が立とうとすると、肩を押さえられる。
「座っていてください。今度はここで待っててもらいます」
葵も、今度は返事をして座っていた。
工場で働いていた三人が、行方不明になっていた外国人の技能実習生だと分かるのは、警察がそれぞれの身元を確認したあとのことだった。
*
大田区の工場へ警察が入ったという知らせを持って、間宮が自宅へ来た。
久我は自宅の食卓で、持ち帰った料理の蓋を開けていた。話を聞く途中で手を止め、まだ玄関にいる間宮へ向かって声を張った。
「入れ。そこで喋るな」
間宮は靴を脱ぎ、食卓のそばまで来た。上着も脱がず、持っていた携帯電話を久我へ向ける。
「建物の管理担当からです。警察車両が何台も来て、中に入っていると」
「どこの建物だ」
間宮が住所を告げると、久我は椅子を引いた。別の工場の間違いではないかと思ったが、聞かされた番地には覚えがあった。
「中の人間は」
「まだ詳しくは分かりません」
「製造してるところを見られたのか」
「そこまでは。ただ、警察が中へ入ったことは確かです」
久我は自分の携帯電話を取り、画面を開いた。電話をかけようとして、指が止まる。『こちらまで辿られる』と言っていた声を思い出し、携帯電話を食卓へ置き直した。
「いつから調べてたんだ」
間宮は答えなかった。
「何か、こっちに話は来てなかったのか」
「来ていません」
久我は椅子へ座ったが、すぐに立ち上がった。食卓の向こうまで歩き、窓のカーテンを少し開ける。外の道路には、見慣れた街灯と停車した車が見えた。
カーテンを戻すと、間宮がこちらを見ていた。
「何だ」
「こうなる前に、止めてほしかったんです」
「今それを言って、何になる」
「今だけ言っているんじゃありません」
久我は食卓へ戻った。開けかけた料理の蓋が、容器の端に引っかかっている。乱暴に外すと、内側の水滴が卓上へ飛んだ。
「分かってるよ。お前の言うとおりにすればよかった。そう言えば満足か」
「満足なんかしません」
間宮の声も強くなった。
「今からどうするか、考えなければならないんです。店も会社も、あなた一人の物じゃない」
「俺が作ったんだぞ」
「ええ。だから、あなたから話してもらうことになる」
久我は間宮の胸元を見た。手を伸ばせば襟を掴める距離だったが、間宮は下がらなかった。
「俺を責めに来たのか」
「連絡を受けて、すぐ来たんです」
間宮は自分の携帯電話を持ち上げた。
「ほかに、誰へ言えばよかったんですか」
久我はその顔から目を逸らした。食卓には料理が二人分あった。今夜は間宮が来る約束だったので、帰りに買ってきた物だった。
「……座れよ」
間宮は鞄を足元へ置き、向かいの椅子に座った。
久我も腰を下ろしたが、箸には手をつけなかった。間宮の携帯電話が鳴ると、画面を見るより先に、その手首を掴んだ。
「誰だ」
「管理の担当です」
久我は手を離した。
「俺にも聞かせろ」




