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歌舞伎町ドラッグ・ギャンビット  作者: Aramaki_mai
第3部 欲望の値段
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36/68

第36話 捨てなかった

挿絵(By みてみん)

ギアの主成分が指定薬物として規制されたのは、ニュースが出てから十日ほど後だった。


施行日の朝、大雅は寮の食堂でそのニュースを見た。


壁に掛けられたテレビでは、昨日から何度も聞いた内容が繰り返されている。


『本日から、医療など認められた用途を除き、対象成分の所持や使用などが禁止されます』


隣のテーブルにいた部員が、箸を持ったままテレビを見上げた。


「これ、最近ニュースでやってたやつだろ」


「ギア?」


「そう。それ」


大雅は味噌汁を飲んだ。


誰も自分を見てはいない。


それでも、ケースを置いている自分の部屋が急に気になった。


捨てる時間はあった。


ニュースで規制されると知ってから今日まで、何度でも捨てられた。ゴミ箱へ入れるだけなら、数秒で終わったはずだった。


それでも残した。


大雅はテレビから目を逸らした。


「大雅さん、今日ミーティングあるの知ってます?」


向かいから声をかけられた。


二年の部員だった。


「何の?」


「全員集合です。練習前に」


「聞いてねえ」


「朝、連絡来てましたよ」


大雅はスマートフォンを出した。


部の連絡用グループに、確かにメッセージが入っている。


――本日の練習前、寮の共用スペースに全員集合。


理由は書かれていなかった。


大雅は画面を閉じた。


*


集合場所へ行くと、普段のミーティングとは雰囲気が違っていた。


監督だけではない。


大学の学生担当職員と、見覚えのないスーツ姿の男が二人いる。そのうち一人は大学本部の人間らしく、監督と小声で何かを確認していた。


部員たちも落ち着かない。


「何これ」


「北川の件じゃね?」


そんな声が聞こえる。


大雅は後ろの方に立った。


森川も少し離れたところにいる。


一瞬だけ目が合った。


森川はすぐに逸らした。


北川が倒れてから、二人はほとんど話していなかった。


全員が集まったところで、大学職員が前へ出た。


「今日は練習前に確認があります」


部員たちの話し声が止まる。


「先日の練習中、部員一名が意識を失い、救急搬送されました。現在は回復していますが、大学としても事実関係の確認を進めています」


北川の名前は出さなかった。


出さなくても全員が分かっている。


「また、警察から大学側にも当日の状況について確認がありました」


ざわめきが起きた。


大雅の腹に力が入る。


「警察?」


誰かが聞き返した。


職員は続けた。


「現時点で、大学として誰かの犯罪行為を確認しているわけではありません。ただ、部内に正体の分からない薬物などが持ち込まれていないか、確認が必要だと判断しました」


大雅は森川を見た。


森川もこちらを見ていた。


今度は逸らさなかった。


「本日、アメリカンフットボール部員全員を対象に、寮内へ持ち込んでいる荷物を確認します。特定の誰かを対象にするものではありません。本人立ち会いの上で、荷物確認への協力をお願いします」


「全員ですか?」


「何で俺らまで?」


質問が飛ぶ。


職員は、一人ずつ順番に行うことだけを説明した。


大雅は自分の部屋がある方向を見る。


ケースはバッグの奥にある。


今なら取りに戻ることはできる。


だが、一人ではない。


職員が付き添い、順番に自室へ戻って荷物を持ってくることになっていた。


捨てる時間は、もうなかった。


「……嘘だろ」


声にならないくらい小さく漏れた。


森川が聞いたのかどうかは分からなかった。


*


確認は一人ずつ行われた。


呼ばれた部員は職員と一緒に自室へ戻り、普段使っているバッグや荷物を共用スペースへ持ってくる。そこで本人が中身を出し、大学側が確認する。


プロテインや市販のサプリメント、テーピング用品、鎮痛剤などが次々に机へ並んだ。


何人かは文句を言っていたが、大きな問題になる物は出てこない。


大雅の順番が近づいた。


職員と部屋へ戻り、自分のバッグを持つ。


その重さを感じた瞬間、奥に入っているケースまで意識してしまった。


今さらどうすることもできない。


共用スペースへ戻る途中、職員は何も話さなかった。


その沈黙が余計に苦しかった。


順番を待っていると、森川が近くまで来た。


「まだ持ってんの?」


小さな声だった。


大雅は答えない。


森川の表情が変わった。


「お前……」


「黙ってろ」


「ニュース見ただろ」


「見たよ」


「じゃあ何で――」


「桐生」


大学職員に名前を呼ばれた。


森川が口を閉じる。


大雅はバッグを持って前へ出た。


長机の前に立つ。


向こう側には学生担当の職員と、部の責任者がいた。


「本人の荷物で間違いないですね」


「はい」


「では、開けてください」


大雅は自分でファスナーを開いた。


練習着やタオル、予備のシャツ、テーピング用品、財布、小物を入れたポーチを順番に机へ出していく。


まだ底に残っている。


「ほかには?」


職員に聞かれた。


大雅は手を止めた。


「桐生君」


仕方なく、バッグの奥へ手を入れる。


指先に硬いケースが触れた。


大雅はそれを掴み、机の上へ置いた。


黒い小さなケース。


職員が見る。


「これは?」


大雅は答えなかった。


「桐生君」


「……サプリです」


自分でも苦しいと思った。


「中を見せてもらえますか」


大雅はケースを開けた。


中には、縁に切れ込みのある灰色の錠剤が数錠残っていた。


その場にいた人間が黙った。


少し離れて見ていた部員たちの話し声まで消える。


監督が大雅を見た。


「お前、それ何だ」


「だから、サプリです」


「何のサプリだ」


「……もらったやつです」


「誰に」


大雅は答えなかった。


森川がこちらを見ている。


学生担当の職員は、ケースへ触れずに隣の職員と短く話した。


それから大雅を見る。


「桐生君。申し訳ないですが、ここに残っていてください」


「何でですか」


「確認したいことがあります」


「俺の物ですよ」


「分かっています」


「だったら返してください」


「今は触らないでください」


声は強くなかった。


だからこそ、大雅も押し切れなかった。


職員の一人が少し離れ、スマートフォンを取り出した。


誰へ連絡するのか、聞かなくても分かった。


森川が目を伏せた。


*


警察官が寮へ来た頃には、ほかの部員の確認はほとんど終わっていた。


大雅は共用スペースの椅子に座っていた。


拘束されているわけではない。それでも、勝手に立って帰れるような空気ではなかった。


机の上にはケースが置かれたままだ。


警察官は大学側から経緯を聞いたあと、大雅の前へ来た。


「桐生大雅さん?」


「はい」


「これはあなたの物?」


ケースを示される。


大雅は少し迷った。


「……俺のバッグに入ってました」


「自分で入れた?」


答えなかった。


警察官は無理に続けなかった。


錠剤を見ただけで、ギアだと決めつけることもしない。


大学側から北川が倒れたときの状況を聞き、大雅にもいくつか確認した。


どこで手に入れたのか。


何のために持っていたのか。


自分で使ったことがあるのか。


大雅はほとんど答えなかった。


ただ一度だけ、自分から聞いた。


「これ、ギアなんですか」


警察官はケースを見た。


「調べないと分かりません」


それだけだった。


その後、錠剤は必要な手続きを経て詳しい分析に回されることになった。


大雅はその場では逮捕されなかった。


それが逆に怖かった。


*


数日間、大雅は練習に参加できなかった。


大学から自宅待機を求められ、寮の部屋で過ごした。


社会人チームから来ていた話も止まった。


正式に断られたわけではない。


だが、連絡は来ない。


大雅はベッドに横になり、天井を見る時間が増えた。


ギアはもう手元にない。


あれだけ捨てられなかったケースは、今は警察の手にある。


なくなってみると、体の一部を持っていかれたような気がした。


使いたい。


そう思った。


北川が倒れたことを思い出しても、それでも一度はそう思った。


自分でも嫌になる。


それでも、思ってしまう。


スマートフォンには森川から一度だけメッセージが来ていた。


《北川、退院した》


大雅は、


《そっか》


とだけ返した。


それから会話は続いていない。


*


午前中、寮の部屋がノックされた。


大雅はベッドから体を起こした。


大学の職員だと思った。


「はい」


ドアを開ける。


立っていたのは警察官だった。


その後ろにも二人いる。


大雅の体が止まった。


「桐生大雅さんですね」


「……はい」


一人が書類を示した。


何を言われているのか、最初の数秒は頭に入らなかった。


聞き取れたのは、自分の名前と、指定薬物という言葉だった。


押収された灰色の錠剤から、施行されたばかりの規制対象成分が確認された。


警察官が続ける。


「指定薬物を所持した疑いで逮捕します」


大雅は相手の顔を見た。


「……売ってないです」


自分でも、なぜ最初にそれを言ったのか分からなかった。


「俺、売ってないですよ」


警察官は表情を変えなかった。


「今は販売の話ではありません」


「自分で使ってただけです」


言ってから、森川と北川の顔が浮かんだ。


自分で使っていただけではない。


大雅は口を閉じた。


寮の廊下には、物音を聞いて出てきた部員が何人か立っていた。


遠巻きにこちらを見ている。


その中に森川はいなかった。


大雅は警察官に促され、建物の外へ出た。


グラウンドが見えた。


何度もパスを投げた場所だった。


森川が走り、その先へ何度もボールを投げた。


北川と笑いながら練習したこともある。


社会人チームの人間が見に来た日も、あそこでプレーしていた。


少し前までは、その先のことばかり考えていた。


パトカーのドアが開く。


大雅は乗り込む前に、一度だけグラウンドを振り返った。


何も言わなかった。


お読みいただき、ありがとうございます。

日本の指定薬物制度について、4回に分けてわかりやすく説明いたします。


【3回目 持っているだけでも罰則がある?】

指定薬物は、自分で使うために持っている場合も規制対象です。所持・使用・購入などに違反すると、3年以下の拘禁刑、または300万円以下の罰金となり、両方が科されることもあります。


業として製造・販売などを行った場合は、5年以下の拘禁刑、または500万円以下の罰金で、こちらも両方が科される場合があります。これらは法律で定められた上限です。なお、現在の「拘禁刑」は、従来の懲役と禁錮を一本化した刑です。

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