↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌舞伎町ドラッグ・ギャンビット  作者: Aramaki_mai
第3部 欲望の値段
PR
35/68

第35話 まだ売れる

挿絵(By みてみん)

間宮が来たとき、久我は事務所の窓際に立って電話をしていた。


「分かった。代わりはこっちで探す。明日は休んでいいから」


向こうで相手が何か言うと、久我は少し笑った。


「謝ることじゃないだろ。生まれるんだから、行ってやれよ」


電話を切り、入ってきた間宮へ手を上げる。隣の部屋では事務員が帰り支度をしていて、二人分の話し声が開いたドアから聞こえていた。


「悪い。待たせたな」


「今来たところです」


「あいつ、三人目だって。店長になったばかりの頃は、結婚なんかできないって言ってたのにな」


久我は机へ戻り、椅子の背に掛けた上着を取った。間宮がいつものように予定を告げず、ドアを閉めるのを見て、上着へ通しかけた腕を止める。


「どうした」


間宮はスマートフォンの記事を開き、机の上へ置いた。


「ギアの件です。見ましたか」


久我は画面へ目を落とした。主成分が指定薬物に加えられるという見出しだった。午前中にも一度、同じ記事を読んでいる。


「見たよ。まだ今日からじゃないんだろ」


「猶予のあるうちに、止めませんか」


久我は間宮を見た。間宮は画面を戻さず、机の向こうに立ったままでいる。


上着を椅子へ戻し、久我は自分だけ腰を下ろした。


「何を止める」


「製造と販売です」


「全部?」


「はい」


久我は背もたれへ体を預けた。間宮がこうした言い方をするのは珍しかった。普段なら問題があっても、どの程度なら続けられるかを先に持ってくる。


「座れよ」


間宮は向かいの椅子を引いたが、背中を預けなかった。


「警察は、今まで以上に動きます。実際に倒れた人間も出ている。うちが続ければ、いずれ調べられます」


「前から調べてるだろ」


「だから止めるんです」


机に置かれたスマートフォンが暗くなった。久我はそれを見てから、間宮へ押し戻す。


「注文は減ったのか」


「そういう話ではありません」


「減ったかどうか聞いてる」


間宮はすぐには答えなかった。久我が待っていると、ようやく口を開いた。


「減っていません。昨日も、追加の話が来ています」


久我は片肘を机へついた。


「だったら、客は欲しがってるんじゃないか」


「欲しがる人間がいても、続けていいことにはなりません」


「お前、いつからそういうことを言うようになったんだ」


「今日、止めなければならないと思ったからです」


返されて、久我の指が机の上で止まった。


隣の部屋から退勤の挨拶が聞こえた。久我が返事をすると、外のドアが開いて閉まる。人の声がなくなった事務所で、間宮は記事を開き直した。


「店も、不動産もあります。全部なくしたいわけじゃないでしょう」


「なくす話にするなよ」


「その可能性があります」


久我は椅子へ深く座り直した。間宮の顔はよく見える。こちらを怖がって黙る顔ではなく、何とか話を聞かせようとしている顔だった。それが、かえって腹立たしかった。


「店一つ増やすのに、どれだけかかると思ってる。場所を探して、金を出して、人を揃えて。開けてからも、いつ黒字になるか分からない」


「分かっています」


「分かってるなら、簡単に言うな。こっちはもう利益が出てるんだぞ」


「だから惜しいんでしょう。でも、ほかまで失うよりはいい」


間宮は資料を一枚、鞄から取り出した。今期の各事業の数字をまとめたものだった。久我は受け取ったものの、途中まで見て机へ戻した。


飲食の利益も、不動産の収入も知っていた。間宮に紙を見せられるまでもなく、どの店に金がかかり、どの物件から金が入ってくるかは頭に入っている。


「これだけあれば十分だって言いたいのか」


「立て直せるうちに手を引いてほしいんです」


「立て直す必要なんか、まだない」


久我が紙を押すと、端が間宮の手に当たった。間宮は引き取らず、そのまま机へ残した。


久我は資料から目を離し、窓の外を見た。隣のビルにも明かりのついた窓が並んでいる。この部屋を借りたときには、まだ机が三つしかなかった。間宮はその頃からここにいて、家賃を払う前になると、久我より先に口数が減った。


あの頃は、金が入る話なら夜中でも出ていった。今は同じ男が、入ってくる金を捨てろと言っている。


「最初の店、覚えてるか」


「覚えています」


「あそこも、お前は無理だって言ったな」


「家賃が高すぎましたから」


「それでも、やってよかっただろ」


「あれは店です」


間宮が強く言ったので、久我は窓から顔を戻した。


「借金して店を出すのと、薬を売り続けるのは違います。あのときうまくいったから、今度も大丈夫だなんて言えません」


久我は間宮を見据えた。長い付き合いのせいか、この男は時々、自分と同じだけ決める権利があるような口を利く。


「説教をしに来たのか」


「止めに来ました」


間宮は目を逸らさなかった。


机の電話が鳴り、二人ともそちらを見た。久我は一度間宮へ視線を戻してから、受話器を取った。


さっき話した店長と同じ店の、副店長だった。明日の人手について相談され、久我は別の店から手伝いに出せる者の名前を挙げた。相手がそれで回せると言うと、声に少し笑いを含ませた。


「頼むよ。あいつ、子供が生まれるんだ。戻ってきて店が潰れてたら困るだろ」


電話の向こうでも笑い声がした。久我は残りの話を聞いて通話を終えたが、受話器から手を離しても、間宮はまだこちらを見ていた。


「何だよ」


「今の人たちも、困るんです」


久我の顔から笑いが消えた。


「俺が捕まったらって話か」


「はい」


「さっきから、俺を捕まえたくて仕方ないみたいだな」


「捕まってほしくないから言ってるんです!」


間宮の声が部屋に響いた。言った本人も少し息を詰めたが、謝らなかった。


久我は椅子から立ち上がった。間宮も立とうとしたので、その肩を見下ろしたまま言う。


「座ってろ」


間宮が腰を戻すのを待ち、久我は机の端へ手をついた。


「危ないのは分かってる。俺だって、何も考えずに金だけ数えてるわけじゃない」


「だったら――」


「聞けよ」


久我は声を強めた。


「もう金を入れた。人も動かした。買う奴もついた。それを全部やめて、ほかの奴が儲けるのを見てろっていうのか。ここまで俺たちがやったんだぞ」


間宮は久我の手元を見ていた。机の縁にかかった指へ力が入り、爪の色が変わっている。


「その分の金を取り戻したら、やめますか」


久我は答えなかった。


間宮が顔を上げた。


「どこまで売れたら、もう十分だと思えるんですか」


「そんな話はしてない」


「私は、その話をしています」


久我は机から手を離し、椅子の背の上着を掴んだ。袖へ腕を通す間も、間宮は座ったまま待っている。返事をしなければ、この男はいつまでも帰らないつもりらしかった。


「やめない」


久我は前のボタンを留めた。


「製造も販売も続ける。俺が止めると言うまで、勝手に止めるな」


間宮は唇を結んだ。スマートフォンを鞄へしまい、机に残した資料を手に取る。


「それは置いとけ」


久我に言われ、間宮は紙を元へ戻した。


「数字は見る。お前の話を全部、聞かなかったことにするつもりはない」


間宮は何も答えなかった。立ち上がって鞄を持つと、ドアへ向かう久我の後ろについた。


階段を下りる途中で、久我が振り返った。


「飯、まだだろ。何か食ってくか」


「今日は帰ります」


いつもなら、店の名前か食べたい物が返ってくる。久我は手すりに触れたまま、間宮の顔を見た。


「そうか」


一階まで下りると、間宮は先に頭を下げ、駅の方へ歩いていった。久我はその背中を少し見てから、路肩に待たせていた車へ向かった。


お読みいただき、ありがとうございます。

日本の指定薬物制度について、4回に分けてわかりやすく説明いたします。


【2回目 指定されるまで、どのくらいの期間かかる?】

新しい薬物が見つかっても、その場ですぐ指定されるわけではありません。成分を調べ、危険性を評価してから指定の手続きに進むため、発見から規制開始までの時間は物質によって異なります。


一方、評価後の手続きは迅速化されています。実際に2026年8月には、専門家の審議の翌日に指定が公布され、その10日後に規制が始まりました。「発見から10日」ではなく、「指定を公表してから10日」という違いがあります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。