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第28話 交換条件

挿絵(By みてみん)

「じゃあ、お前ら二人、逮捕する」


久世がそう言ってから数秒、誰も口を開かなかった。


最初に反応したのは玲司だった。


「……は?」


隣で葵も、意味が分からないという顔で久世を見る。


「何で?」


「何でって、お前ら今まで何の話してたんだよ」


「いや、待ってくださいよ」


玲司は椅子から少し身を乗り出した。


「俺たち、葵をさらった奴らじゃないですよ。むしろ助けに行った側なんですけど」


「それは分かってる」


「だったら、何で俺たちが逮捕されるんですか」


「黒瀬」


久世は、さっきまでのやり取りを思い出させるように玲司を見る。


「お前、自分で認めたよな。真壁からギアを受け取ったって」


「……認めましたけど」


「二錠」


「はい」


「その二錠を戸倉に渡した」


「渡したのは葵です」


「お前もその場にいて、止めなかったんだろ」


「それはそうですけど。俺が渡したみたいに言うから」


「そこはきっちり分けるんだな」


久世はそれ以上追わず、今度は葵へ視線を移した。


「それから篠崎」


「何」


「お前、ギアを使ったことあるだろ」


葵の表情が止まった。


「……何でそうなるの」


「さっきから自分の反応について話してただろ。真壁がお前の反応を知っていたことまで含めてな」


「それは……」


「使ってないのか?」


葵はすぐには答えなかった。


久世も急かさず、その顔を見ている。


「使ってないなら、そう言えばいい」


葵は少し視線を逸らした。


「……今、それ答えなきゃダメ?」


「少なくとも、俺は聞いてる」


玲司が横から葵を見る。


葵は目を合わせなかった。


ホテルで最初にギアを飲まされたことも、その後、自分の意思で使ったことがあるのも玲司は知っている。だが、その話はまだ警察にはしていない。


久世は少し待ってから、椅子へ背を預けた。


「まあいい。二人とも、このあと薬物検査を受けてもらう」


「二人とも?」


玲司が聞き返す。


「ああ」


「俺、使ってませんよ」


「なら問題ないだろ」


「まあ……そうですけど」


久世は葵を見る。


「篠崎もいいな」


葵は答えなかった。


「篠崎?」


「聞こえてる」


「検査、受けられるか?」


葵は久世を見返したものの、やはり答えない。


その沈黙を確認してから、久世は話を戻した。


「黒瀬はギアを受け取ったことを認めた。篠崎には使用した疑いがある。それに二人とも、ギアを戸倉へ渡したことは認めてる」


「それで逮捕?」


葵が聞く。


「それだけじゃない。前にも言ったよな。ギアのことで勝手に動くな、何か分かったら連絡しろって」


「それは逮捕と関係なくない?」


「逮捕の理由そのものとは別だ。ただ、こっちが何度止めても、お前らが勝手に動き続けてるのは事実だ」


葵は納得していない顔をしている。


「でも私、今日さらわれたんだけど」


「それとこれとは分けて考えろ。お前が被害者なのは分かってる」


そこで玲司が口を挟んだ。


「ちょっといいですか」


「何だ」


「逮捕って、本当にするんですか?」


「そのつもりで話してる」


「今日?」


「今日も何も、今ここにいるだろ」


「急だな……」


「逮捕される側の予定に合わせる制度じゃないからな」


玲司は思わず葵を見る。


葵もこちらを見た。


「どうする?」


玲司が声を落として聞くと、葵は顔をしかめた。


「私に聞かないでよ」


「俺だって逮捕されたことないんだよ」


「私もないよ」


「二人で相談して回避できる話じゃないぞ」


久世に言われ、二人とも黙った。


向かいでは榊が、表情をほとんど変えずに二人を見ている。


しばらくして、久世が手元のメモを閉じた。


「ただ、逮捕されたくないっていうなら、話は別だ」


玲司が顔を上げる。


「……どういう意味です?」


「こっちに協力しろ」


「何に」


「ギアの捜査だ」


玲司と葵は同時に久世を見た。


「今まで勝手に調べてたんだから、今度は掴んだ情報をこっちにも回せ。真壁から連絡が来たら報告する。ギアについて何か分かった場合も同じだ。それから、二人だけで危ない場所へ突っ込まない。こっちから確認したいことがあれば、隠さず答える」


葵が顔をしかめる。


「それ、前に言われたのとあんまり変わらなくない?」


「違う。前は警告だった。今度は、こっちと動くための条件だ」


玲司はしばらく久世を見たあと、眉を寄せた。


「……それ、警察がやっていいんですか?」


「何が?」


「逮捕するかしないかを交換条件にして、捜査に協力しろって」


久世は一度だけ榊を見た。


榊は口を挟まず、久世の方を見返している。


久世は再び玲司へ向き直った。


「なら、普通に逮捕されるか?」


「いや、それは困ります」


「だったら協力しろ」


「やっぱり話が強引じゃないですか」


「そこは否定しない」


あっさり認められ、玲司の方が言葉に詰まった。


葵が横から口を挟む。


「もう結構遅いんだけど」


「だから早く決めろとは言ってる」


玲司は椅子へ背を預けた。


「具体的には、さっき言ったことを守ればいいんですよね」


「ああ。真壁から連絡が来たら知らせる。ギアの情報も同じ。あと、勝手に危険なところへ行かない」


「最後のは難しくない?」


葵が言った。


久世が葵を見る。


「どうして最初から守れない前提なんだ」


「だって、何かあったら動くでしょ」


「動く前に連絡しろって言ってる」


「今日だって玲司が待ってたら、私がどうなってたか分かんないじゃん」


その言葉には、久世もすぐには返さなかった。


今日、実際に葵はさらわれた。玲司が久世の指示どおり待っていれば、救出が遅れていた可能性もある。


久世は少し考えてから言った。


「だから、その問題も含めて考える」


「どうするの?」


「お前ら二人だけで動かせないようにする」


玲司が眉を寄せる。


「監視するってことですか」


「監視も必要だろうな。ただ、それだけじゃない」


久世はそこで一度話を切った。


「とりあえず、協力するかどうか決めろ」


「しなかったら?」


葵が尋ねる。


「さっき言ったとおりだ」


玲司と葵は顔を見合わせた。


「逮捕されたくないだろ?」


玲司が聞くと、葵は迷わず答えた。


「嫌」


「俺も嫌」


久世が話を締めようとしたところで、葵が先に口を開いた。


「待って。今、私たちで決めるから」


久世は一度口を閉じると、それ以上は急かさなかった。


玲司と葵はもう一度顔を見合わせる。


先に答えたのは葵だった。


「……協力する」


「俺も。それで逮捕されないなら」


「分かった」


久世は頷き、榊へ一度目を向けた。


「じゃあ、二人とも少し外で待ってろ」


「何で?」


「今後どうするか決める」


葵が椅子から立ち上がる。


「また勝手に決める気でしょ」


「こっちで決める必要があることもある。お前らに関係する部分は、そのあと説明する」


「……分かった」


玲司も立ち上がったが、部屋を出る直前に振り返った。


「本当に逮捕しないですよね?」


「約束した条件を守るならな」


「そこは信じていいんですよね」


「こっちも、お前らが約束を守る前提で動く。お互い様だ」


玲司は少しだけ黙ってから頷き、葵と一緒に部屋を出た。


*


ドアが閉まり、廊下を歩いていく二人の声が遠ざかる。


榊はしばらく閉じたドアを見ていたが、やがて久世へ視線を戻した。


「本当に、あの二人に協力させるんですか」


「使うつもりはない。持ってる情報を共有してもらうだけだ」


「それだけで済みますか?」


「済ませたいけどな」


久世は椅子へ座り直し、テーブルの上のメモへ目を落とした。


「ただ、あいつらが妙に当たりを引くのは事実だ」


「神谷もそうでしたね」


「ああ。警察がまだ追えていなかったところへ、探偵の仕事から偶然ぶつかった。そのあと真壁にも先に接触してる」


「偶然だけでは片づけにくくなってきましたね」


「だからって、捜査員みたいに動かせるわけじゃない。むしろ危なっかしい」


榊も、その点には反論しなかった。


「篠崎さんは実際に誘拐されています」


「ああ」


久世の返事が少し低くなる。


「今回の誘拐が真壁側の意思なのか、それ以外の誰かが動いたのかも分かってない。ただ、一度狙われた以上、また何か起きる可能性はある」


「だから監視を?」


「監視だけじゃ足りない。警護も必要だ」


「両方ですか」


「両方だな」


榊は少し考えてから尋ねた。


「誰をつけるんです?」


久世も少し考え、それから答えた。


「朝倉」


榊が一瞬だけ黙った。


「本人、嫌がると思いますけど」


「俺もそう思う」


「それでも朝倉さんですか」


「年齢が近い方が、あいつらも必要以上に構えないだろ。それに、真面目すぎる奴をつけても、お互い疲れるだけだ」


「朝倉さんも十分真面目ですけど」


「言いたいことを我慢しない分、まだ合う」


「本人には、そのまま言わない方がいいと思います」


「分かってるよ」


*


しばらくして、玲司と葵が部屋へ戻された。


中には久世と榊のほかに、見覚えのない女性が一人増えていた。


玲司が最初に抱いた印象は、ずいぶん小柄な人だな、というものだった。


暗い色のスーツを着ているものの、体格はかなり小さい。顔立ちも幼く見えるため、何も知らずに街ですれ違えば、警察官だとは思わなかったかもしれない。


その女性は玲司と葵を一度見てから、久世へ向き直った。


「久世さん、私、まだ何も聞いてないんですけど」


「だから今から説明する」


「呼び出されて来たら、先に本人たちがいるんですよ。順番がおかしくないですか」


声は見た目の印象よりはっきりしていた。


久世は気にした様子もなく、玲司たちへ彼女を紹介する。


「朝倉ひなた巡査。二十五歳で、うちの課の俺の部下だ」


玲司は思わず朝倉を見直した。


「二十五?」


朝倉の目が玲司へ向く。


「何ですか」


「いや、もっと若いのかと思って」


「よく言われます」


玲司は少し気まずくなって頭を下げた。


「すみません」


「別にいいですけど」


朝倉はそれ以上気にした様子もなく、二人へ向き直った。


「朝倉です。さっき簡単に事情だけ聞きました」


「黒瀬です」


「篠崎」


葵も名乗ってから、朝倉を見た。


「私たちに何か用?」


「それを私も今から聞くところです」


朝倉が久世を見る。


「じゃあ説明する」


久世は玲司と葵へ向き直った。


「しばらくの間、朝倉にお前ら二人についてもらう」


「つく?」


葵が聞き返す。


「監視役だ。ただし、それだけじゃない。警護も兼ねる」


玲司の表情が変わった。


「警護まで必要なんですか」


「今日のことを忘れたのか」


久世が葵を見る。


「一回さらわれてる。次も戸倉が助けに来る保証はない」


葵は何も言わなかった。


それまで少し軽かった空気が、そこでわずかに沈んだ。


「だから、今後はお前ら二人だけで危ないところへ行かせない。何かあったら朝倉にも連絡しろ。必要なときは一緒に動いてもらう」


玲司が聞く。


「ずっと一緒ってことですか?」


「お前にも仕事があるだろ。四六時中張りつかせるわけじゃない。ただ、今までみたいに勝手に消えるのはなしだ」


今度は朝倉が久世を見る。


「私、普通に仕事あるんですけど」


「そこはこっちで調整する」


「もう決定なんですか?」


「ああ」


朝倉はしばらく久世を見ていたが、やがて諦めたように息を吐いた。


「せめて先に言ってください」


「今言っただろ」


「そういうことじゃないです」


榊が横から口を挟む。


「朝倉さん。そこは諦めた方が早いと思います」


「榊さんまでそんなこと言うんですか」


「経験上の助言です」


久世は二人のやり取りを聞き流し、玲司へ尋ねた。


「それで、お前ら今どこにいる」


「どこって?」


「寝泊まりしてる場所だ」


玲司は少しだけ間を置いた。


「葵は中野の仕事部屋にいます」


「お前は?」


「俺は別ですけど」


「じゃあ、しばらくお前も中野にいろ」


玲司は久世の顔を見る。


「俺も?」


「二人が別々の場所にいたら、見る方も手間が増える。仕事部屋なら寝泊まりできるんだろ」


「できますけど、あそこ俺の仕事場ですよ」


「当面だけだ」


「俺の生活は?」


「逮捕とどっちがいい」


玲司は口を閉じた。


「……またそれ使うんですか」


「今のところ一番効いてるからな」


「最悪だ」


久世は今度は朝倉へ向き直った。


「朝倉も、しばらくそこに入ってくれ」


朝倉の表情が止まった。


「……私もですか?」


「ああ」


「待ってください。監視と警護とは聞きましたけど、住むとは聞いてません」


「三人を一か所にまとめた方が動きやすい」


「通うんじゃ駄目なんですか?」


「こいつら、目を離したら何するか分からないだろ」


朝倉が玲司と葵を見る。


二人も朝倉を見る。


今日一日の話を思い返しているのか、朝倉はしばらく二人を見比べていた。


「……そこは否定しにくいですけど」


「否定してくれません?」


玲司が言う。


葵も不満そうに続けた。


「今日さらわれたの私なんだけど」


「そのあと、黒瀬さんが警察に待てと言われていたのに助けに行ったんですよね」


朝倉が玲司を見る。


「勝手にっていうか……」


「待てと言われてたんですか?」


「……はい」


「じゃあ、久世さんが心配する理由は分かります」


玲司は何も言い返せなくなった。


久世は三人を順番に見た。


「というわけで、当面は三人で中野にいろ」


玲司と葵は同時に顔を上げ、朝倉まで久世を見た。


「本気ですか?」


玲司が聞く。


「本気だ」


「私まで?」


朝倉が確認する。


「お前がいないと監視にならないだろ」


「嫌です」


朝倉が即答した。


葵も顔をしかめる。


「私も嫌なんだけど」


「俺だって嫌だよ」


三人から一斉に反対されても、久世はまったく動じなかった。


「そこまで意見が合うなら、生活する分には問題なさそうだな」


「どういう理屈ですか」


朝倉の声が部屋に響いた。


その横で、玲司だけは別のことを考えていた。


中野の仕事部屋には、警察に隠している五錠のギアが残っている。


そこへ今日から、警察官が住むことになった。

お読みいただき、ありがとうございます。

第14話~28話までが第2部となります。

よろしくお願いいたします。


【解説:薬の授与と逮捕の可能性について】


第19話の後書きでは、【日本の薬物規制制度について】の解説を入れました。

そちらでも触れましたが、本作のこの時点では、「ギア」はまだ指定薬物として規制されていません。


以下は、あくまで実際の日本の法律に照らし合わせた場合の話です。

指定薬物ではないからといって、自由に他人へ渡してよいというわけではありません。


人体への使用を目的とするものは、その成分や目的などによって薬機法上の医薬品に該当し、承認・許可を受けていない「無承認無許可医薬品」として、その販売や授与などが禁止の対象となる場合があります。


ここでいう「授与」には、代金を受け取らず、他人へ譲り渡す場合も含まれます。

今回の二人について見ると、黒瀬は真壁から受け取ったギアを葵へ渡し、葵はそのギアを戸倉へ渡しています。


そのため、実際の日本の法律に照らした場合、ギアが薬機法上の医薬品に該当すると判断されれば、二人ともその行為が法的な問題となり、状況や証拠によっては捜査・立件の対象となる可能性があります。


もちろん、「渡した」という事実だけで必ずその場で逮捕される、という単純な話ではありません。


実際の逮捕や立件には、その物が何であるか、本人が何を認識していたか、どのような経緯で渡したのかなど、個別の事情が関係します。


では、久世の「二人とも逮捕する」という発言が、どこまで本気だったのか。


そして、それをその後の“交換条件”に使ったことについては――。


久世という人物の性格も含めて、お察しください。

引継ぎ、『ギア23区』をよろしくお願いいたします。

※タイトルを『歌舞伎町ドラッグ・ギャンビット』に変更しました。2026/10/01

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