第27話 逮捕
念のため病院で診察を受けたあと、葵と玲司は警察署へ移った。
時刻はもう遅い。
小さな部屋のテーブルを挟み、二人の向かいには久世と榊が座っている。
葵は椅子の背にもたれず、少し前へ出るように座っていた。誘拐されたときに強い衝撃を受けた背中がまだ痛むらしい。
玲司が横目で見る。
「大丈夫か?」
「さっきから何回聞くの」
「病院出てからは初めてだろ」
「じゃあ一回目」
「大丈夫なのかよ」
「大丈夫」
「ならいいけど」
「二人とも」
久世が口を挟んだ。
「そろそろ俺も混ぜてもらっていい?」
「どうぞ」
「お前に許可もらうの、何か腹立つな」
久世は玲司を一度睨んでから、手元のメモへ目を落とした。
「じゃあ、さっきの続きだ」
部屋の空気が少し変わった。
「俺たちがあの建物へ入ったとき、篠崎をさらった三人はもう倒れてた」
「はい」
「やったのは戸倉慎吾だな」
玲司は一瞬黙った。
隣で葵も何も言わない。
現場では、あとで話すと言った。
今度は逃げないとも言った。
ここまで来て、まだ誤魔化す意味はない。
「そうです」
玲司が答えた。
久世の眉がわずかに動く。
「戸倉が?」
「私を助けに来た」
今度は葵が言った。
久世は葵を見る。
「確認するけど、あの戸倉慎吾だぞ」
「知ってるよ」
「ホテルでお前を連れ去ろうとして、警察官を負傷させて逃げた男」
「だから知ってるって」
「その男がお前を助けた?」
「そう」
久世は少しの間、何も言わなかった。
榊も葵を見ている。
葵自身、言葉にすると改めて妙な話だと思った。
「私が閉じ込められてた部屋を開けたのも戸倉。あの三人を倒したのも、ほとんどあいつ」
「何でだ」
「真壁に言われたらしい」
久世の顔から軽さが消えた。
「そこだ」
テーブルの上で指を組む。
「電話でも聞いた。真壁って男について、最初から話せ」
玲司は椅子に座り直した。
「真壁です。本人はそう名乗りました」
「初めて会ったのは?」
「御徒町です」
「何でそんな男と会った」
「ギアを追ってたから」
久世の視線が少し厳しくなる。
「もうちょい詳しく」
「SNSでギアに関係ありそうなアカウントを見つけたんです。そこから連絡を取りました」
「そのアカウントをどうやって見つけた?」
玲司の口が止まった。
葵が横からちらりと見る。
「黒瀬?」
「ギアの入手方法をSNSで調べてたら見つけました」
久世の眉間に皺が寄った。
「本当か?」
「はい」
「お前、この状況でまだ何か隠してないだろうな」
「隠してません」
「黒瀬さん」
榊が静かに名前を呼んだ。
「今夜、篠崎さんは実際に誘拐されています。情報を伏せることで、また同じことが起こる可能性もあります」
「分かってます」
「なら」
「だから、話せることは全部話してます」
久世はしばらく玲司の目を見ていた。
「微妙に言い方変えたな」
「気のせいです」
「そういうことにしとくか」
久世は椅子に背を預けた。
「いい。先を聞く」
榊は何も言わなかったが、納得していない様子で玲司を見ている。
「そのアカウントに連絡したあと、どうなった」
「別の匿名アプリに移るよう言われて、そこで日時と場所を指定されました。行ったら真壁が来た」
「一人で?」
「会ったのは俺一人です。葵は離れたところにいました」
「会話は聞いてた」
葵が補足する。
久世が頷いた。
「真壁はお前らのことを知ってた?」
「俺の名前も、葵の本名も知ってました」
「そこまで?」
「俺たちが一緒に動いてることも」
「ギアについては?」
玲司は少しだけ間を置いた。
「葵が普通と違うって言ってました」
久世の目が止まる。
「普通と違う?」
「ギアを使ったときの反応です」
葵が自分の手を見る。
ホテルで戸倉と戦ったときも、瀬尾と揉めたときも、自分に出たのは他の人間とは違う反応だった。
「真壁は、どこまで知ってた」
「細かいことは知らないって言ってました。でも、葵が普通の使用者とは違うこと自体は知ってた」
「それで篠崎に何をさせようとした?」
「協力してほしいって」
「何に」
「ギアを使ったときの反応を見せろって話でした。向こうが指定した場所へ何回か来て、薬を使ったときの様子を見せて、体調とか変化について話せって」
榊が口を開いた。
「篠崎さんだけを指定したんですか?」
「はい」
「黒瀬さんは?」
「俺には用ないって言われました」
久世がテーブルの上で指を組み直した。
「つまり真壁は、篠崎のギアへの反応に興味を持ってる」
「そうだと思います」
「それで、お前たちは今回の誘拐も真壁の周辺がやったと思った」
「他に思いつかなかったんです」
玲司が答える。
「葵がいなくなって、スマホだけ歌舞伎町に落ちてた。俺たちの名前まで知ってる奴って考えたら、最初に浮かんだのが真壁だった」
「だから警察より先に真壁へ連絡した」
「……はい」
「そこはあとでもう一回怒るからな」
「まだあるんですか」
「あるよ」
「長いな」
「誰のせいだと思ってんだ」
久世は言ってから、手元の紙を一枚めくった。
「ただし、今回捕まえた三人からは、今のところ真壁って名前は出てない」
玲司と葵が同時に久世を見る。
「知らないってことですか?」
「ああ」
「嘘ついてる可能性は?」
「もちろんある。ただ、少なくとも今の段階じゃ、三人と真壁を直接結ぶものは出てない」
久世は机に指を置いた。
「三人とも上の人間と直接つながって動いてた形じゃない。匿名・流動型の犯罪グループ、いわゆるトクリュウ型に近い。実行する人間だけ集められて、そいつらを捕まえても依頼元までそのまま辿れるようにはなってない」
「じゃあ、誰に頼まれたか分からない?」
葵が聞く。
「今はな」
「私の名前知ってたのに?」
「だからそこを調べてる」
久世は葵を見る。
「真壁側が関係してる可能性はある。お前がギアに特殊な反応をすることを知ってるなら、狙う理由も一応はある」
「だったら――」
「ただし、可能性だ」
葵の言葉を久世が止めた。
「真壁自身は、お前がさらわれたと知って戸倉を向かわせてる。そこだけ見れば、今回の誘拐は真壁の意図したことじゃないようにも見える」
「じゃあ誰なんだよ」
玲司が聞く。
「それを今調べてるんだよ」
「何も分かんないじゃん」
「今日さらわれた奴の連れに言われたくないな」
「それは関係なくないですか」
「あるよ」
榊が淡々と答えた。
玲司は黙った。
久世がまたメモを見る。
「真壁については、だいたい分かった」
「だいたい?」
「まだあるだろ」
玲司の目が止まった。
「何がです?」
「電話でお前、何て言った?」
「いろいろ言いましたけど」
「真壁とは、ギアを手に入れようとして会ったって言ったよな」
「……言いました」
「じゃあ聞く」
久世が玲司を正面から見た。
「取引はしたのか?」
部屋が静かになった。
玲司はすぐには答えなかった。
葵も黙っている。
榊の視線まで玲司へ向いた。
「黒瀬」
「……金は払ってないです」
「金の話はしてない」
久世の声から、さっきまでの軽さが消えた。
「薬は受け取ったのか?」
玲司は口を閉じたまま数秒考えた。
葵もこちらを見ている。
中野の仕事部屋には、真壁から渡された五錠が残っている。
それは言わない。
玲司は一度だけ葵を見た。
葵も何も言わなかった。
「……受け取りました」
久世の表情が止まる。
「何を」
「ギアです」
「誰から」
分かっているはずなのに、久世は聞いた。
「真壁から」
「はっきり言え」
玲司は久世を見る。
「俺は、真壁からギアを受け取りました」
榊が僅かに目を細めた。
「何錠ですか」
玲司は一拍置いた。
「二錠です」
「二錠」
「はい」
「金は?」
「払ってません。向こうが持っていけって」
久世がテーブルに肘をつく。
「その二錠は今どこだ」
「ありません」
「使ったのか?」
「使ってません」
「じゃあ何でない」
玲司は少しだけ言葉に詰まった。
葵が先に口を開く。
「戸倉が持ってった」
久世の目が葵へ動く。
「戸倉慎吾が?」
「うん」
「何で戸倉が持っていくんだよ」
「警察が来てたから」
「説明になってない」
葵が少し面倒そうな顔をする。
「私が持ってたらまずいって言われたの。だから全部よこせって」
「それで渡した?」
「……うん」
「戸倉に?」
「そう」
久世は今度は玲司を見る。
「お前は見てたのか」
「その場にいました」
「止めなかった?」
「止めませんでした」
「何で」
「戸倉が持って逃げるって言ったから」
「だから何でそれで納得するんだよ」
「だって戸倉、もう警察に追われてるし」
「そういう問題じゃないだろ!」
久世の声が部屋に響いた。
玲司が口を閉じる。
葵も少し肩を竦めた。
榊だけが表情を変えていない。
「お前らさ」
久世が額を押さえる。
「俺、前にも何回か言ったよな。ギア絡みで勝手なことするなって」
「言われました」
「何か分かったら連絡しろとも言ったよな」
「はい」
「なのに真壁に勝手に会って、ギア受け取って、そのギアを戸倉に渡して逃がした?」
「まとめると最悪ですね」
「お前が言うな!」
「すみません」
「謝り方が軽いんだよ」
玲司が黙ると、葵が横から小さく言った。
「でも、戸倉いなかったら私、まだあそこにいたかもしれないし」
久世が葵を見る。
「助けてもらったことと、薬を渡したことは別だ」
「分かってるよ」
「本当に?」
「……分かってる」
久世はしばらく二人を見ていた。
さっきまで怒鳴っていたのに、急に静かになる。
玲司はその変化の方が嫌だった。
「……何ですか」
久世は答えず、一度だけ榊を見る。
榊も何も言わなかった。
それから久世は玲司へ向き直る。
「最後に確認するぞ。お前は真壁からギアを受け取ったんだな」
「……はい」
「二錠」
「はい」
「その二錠を、篠崎が戸倉に渡した」
葵が答える。
「うん」
「今は二人とも持ってない」
「はい」
久世はゆっくり頷いた。
「分かった」
玲司の胸に嫌なものが落ちた。
「何がです?」
久世は玲司と葵を順番に見る。
それから、何でもないことのように言った。
「じゃあ、お前ら二人、逮捕する」




