第18話 張り込み
翌日、玲司は警察署の一室でスマートフォンをテーブルに置いた。
向かいには久世凌介と榊美冬が座っている。
画面には、玲司が神谷を尾行した際に撮影した映像が映っていた。神谷は若い男から金らしきものを受け取ると、その場では何も渡さず、公園へ向かう。しばらくして戻ってくると、最初に金を受け取った場所とは離れたところで同じ男と接触し、小さな何かを渡していた。
続いて女、その次は年上の男と、相手が変わっても動きはほとんど同じだった。
久世は最後まで口を挟まずに見ていたが、三人目の映像が終わったところで玲司を見る。
「これ、お前が撮ったのか」
「スマートグラスで」
「便利なもん持ってるな」
「仕事道具ですよ」
榊がスマートフォンを自分の方へ向けた。
「相手は、この三人だけですか?」
「俺が見たのは三人です。ほかにもいるかもしれないけど、そこまでは分かりません」
「神谷が公園から持ってきた物は?」
「見えませんでした。小さい何かってことしか」
久世が腕を組む。
「で、こっちが店で撮った写真か」
玲司は別の画像を開いた。
ケースの中には灰色の錠剤が並び、その縁には小さな切れ込みが入っている。
榊の目つきが変わった。
「これを神谷が持っていた?」
「ロッカーの中のバッグに入ってました」
榊が玲司を見る。
「黒瀬さん」
「何です?」
「この前も言いましたけど、これ以上、危ない橋は渡らないでください」
「分かってますよ」
「分かっている人は、他人のロッカーまで調べません」
玲司は言葉に詰まった。
久世が横から口を挟む。
「まあ、それはあとで説教するとして」
「説教あるんですか」
「あるだろ」
久世はスマートフォンに表示された錠剤の写真を見ながら、少し表情を変えた。
「それより黒瀬。なんでここまで調べた?」
「なんでって?」
「最初は浮気調査だったんだろ。神谷が何か売ってると分かったところで、お前の仕事としては終わってる。それでも店まで入って調べた。何がしたかった?」
玲司は少し黙った。
「……ギアかどうか、確かめたかったんです」
「やっぱりそこか」
「路上で何人にも何か売ってるのを見たら、気になるでしょ。俺ら、あれに何回巻き込まれたと思ってるんですか」
久世は何も言わず、続きを待った。
「神谷が売ってるものがギアなら、俺たちが巻き込まれた件とつながってるかもしれない。違うなら、それで終わりです。でも、分からないまま放っておくのも嫌だった」
榊が聞く。
「自分で犯人を捕まえたいわけではないんですね?」
「そこまでしたいわけじゃないですよ」
玲司はテーブルのスマートフォンを見る。
「何なのか知りたいだけです。ギアがどこから来て、なんであんなことになってるのか」
久世は少し黙ったあと、写真へ目を戻した。
「なるほどな」
それから画面を指先で拡大する。
「篠崎は何て?」
「見た目はギアと同じだって」
「見た目は、か」
「写真なんだから、それ以上は無理でしょ」
「その通り」
榊も頷いた。
「形状が似ていても、中身まで同じとは限りません。確認するには現物が必要です」
「じゃあ神谷のところ行くんですか」
「今から店へ行って、昨日あった薬が今日もある保証は?」
玲司は口を閉じた。
久世が尾行映像をもう一度表示する。
「俺はむしろ、こっちの方が気になる」
「路上の?」
「ああ。こいつが今日も同じやり方で動くなら、実際に何を渡してるのか確認できる」
「取引してるところを押さえるってことですか」
「できればな」
榊が続けた。
「神谷本人が相手へ何かを渡すところを確認して、その現物も確保する。それなら写真だけよりはっきりします」
玲司は二人を見る。
「張り込むんですね」
久世が笑った。
「警察がそれをお前に相談すると思うか?」
「場所教えたの俺なんですけど」
「感謝してるよ」
「全然そう聞こえない」
「してるしてる」
榊が久世を見る。
「軽く言うと、本当に感謝していないように聞こえます」
「榊まで言う?」
玲司はスマートフォンを回収しかけたが、久世に止められた。
「三日前、神谷が動いた時間と場所をもう一回見せてくれ」
「この辺です」
地図を開き、玲司は神谷が最初の男と接触した場所を示した。
「ここで先に金らしきものを受け取って、そのあと公園へ行く。相手はその場には残らず、離れたところで待ってました」
「毎回同じ公園?」
「少なくとも、俺が尾行した日は」
「時間帯は?」
「一時間くらいの間に三人です」
榊は久世と顔を見合わせる。
「同じ動きをするなら、監視する場所はかなり絞れますね」
玲司は少し考えてから聞いた。
「俺も行っていいですか」
「駄目」
久世が即答した。
「早くない?」
「お前、この前何言われた?」
「勝手に危ないことするな」
「覚えてるじゃないか」
「でも、神谷の動きは俺が一番見てますよ」
「情報はもらった。あとは警察の仕事だ」
玲司は納得していない顔のまま椅子の背へもたれた。
久世がその顔を見て眉を上げる。
「来るなよ」
「分かってますよ」
「本当に?」
「しつこいな」
榊が静かに口を挟んだ。
「久世さん」
「何」
「その返事は、たぶん来ます」
玲司が榊を見る。
「何で分かるんですか」
「ここまでの行動からです」
「ひどくない?」
「事実です」
久世が笑った。
*
その日の夕方。
池袋の大通りから少し離れた場所で、玲司は双眼鏡を下ろした。
「……いるじゃん」
神谷蓮が、尾行した日と大きく変わらない服装でスマートフォンを片手に歩いている。
そして神谷から距離を取った場所には、久世たちもいた。
もちろん、二人で並んで神谷を見ているわけではない。周囲には普通の通行人が行き交い、店の前でスマートフォンを見る男もいれば、離れた場所で立ち止まっている女もいる。その中の誰が警察なのか、玲司にも全部は分からなかった。
久世と榊だけは見つけた。
「あれだけ来るなって言われたんだけどな」
玲司は小さく呟いた。
警察の邪魔をするつもりも、神谷に近づくつもりもない。ただ、ここまで追った相手がどうなるのか、自分の目で見ておきたかった。
そのため、警察が張っている場所よりさらに離れた位置にいる。神谷にも警察にも気づかれないよう距離を取り、双眼鏡で全体の様子を確認していた。
双眼鏡を少し動かすと、神谷の先に久世、その少し離れたところに榊が見える。
神谷を監視している警察を、そのさらに外側から玲司が見ていた。
「俺、何やってんだろ」
自分でも少し馬鹿らしくなったが、それでも帰る気にはならない。
神谷はしばらく歩いたあと、スマートフォンを確認して足を止めた。
尾行したときと似た動きだった。
やがて別の男が現れ、神谷の近くまで来ると短く言葉を交わす。
玲司は双眼鏡を警察側へ動かした。
まだ誰も動かない。
久世たちも待っている。
神谷と男の距離が近づいたが、ここからでは手元まで細かく確認できなかった。
やがて男が先に離れる。
ただし、そのまま帰ったわけではない。金を受け取った場所から離れたところまで移動すると、そこで足を止めた。
あの日と同じだ。
神谷は一人で公園の方へ歩き始めた。
玲司の背中に少し力が入る。
「やっぱりやってる」
警察も同じ動きを見ているはずだ。
神谷は公園へ入り、木々の向こうへ姿を消した。
玲司は双眼鏡を下ろした。
尾行した日は、自分であとを追っていた。今日は警察がいるし、手を出すなとも言われている。玲司が近づく理由はない。
数分後、神谷が戻ってきた。
ポケットへ片手を入れたまま、さっきの男が待っている方向へ歩いていく。
玲司はもう一度、双眼鏡を上げた。
警察側にもわずかな動きがある。
だが、まだ近づかない。
実際に物が渡るところまで待つつもりなのだろう。
玲司もそのまま見ていた。
*
同じ頃、水野沙耶は喫茶店のテーブルを挟んで倉田壮介と向かい合っていた。
倉田は手元の書類を閉じる。
「確認した範囲では、女性の影はありませんでした」
沙耶の表情が少し緩んだ。
「じゃあ、浮気はしてないんですか」
「少なくとも、今回の調査では女性と密会しているような事実は確認できていません」
「よかった……」
沙耶は小さく息を吐いたが、すぐに眉を寄せた。
「でも、じゃあ何なんですか」
「何がでしょう」
「最近、ずっと変なんです。仕事の前に出ていったり、急に連絡取れなくなったり」
倉田は少し間を置いた。
「どうも、本来のお仕事とは別のことをされているようです」
沙耶の顔が止まる。
「別の仕事?」
「そう見える行動は確認しています」
「何してるんですか」
「詳しいことは、ご本人に確認してください」
「教えてもらえないんですか」
「こちらも何をしているのかまでは確認できていません。それに、ご依頼いただいたのは浮気調査ですから」
沙耶は納得していない顔をした。
「危ないことですか」
倉田はすぐには答えなかった。
「それも含めて、一度ご本人と話をされた方がいいと思います」
「……蓮に?」
「はい」
沙耶はテーブルに置いていたスマートフォンへ目を向けた。
倉田はそれ以上何も言わなかった。
女性の影はなかった。それが依頼への答えだった。
*
神谷が男のところへ戻ってきた。
玲司は双眼鏡越しに二人を見る。
さっき金を受け取った場所とは違い、今度は男が待っていた場所へ神谷の方から近づいていく。
少し離れたところでは、久世たちにも動きがあった。
「来るか」
玲司が呟く。
そのとき、神谷がポケットからスマートフォンを取り出した。
着信らしい。
画面を見た神谷が、一度だけ顔をしかめる。
玲司には、表示された名前までは見えない。
神谷は少し迷ってから、スマートフォンを耳へ当てた。
*
沙耶は呼び出し音を聞きながら、テーブルの上で指を組んでいた。
数回鳴ったあと、電話がつながる。
『……何?』
聞き慣れた神谷の声だった。
「蓮」
『仕事前なんだけど』
「ちょっと聞きたいことある」
『何だよ』
沙耶は一度、倉田を見た。
倉田は何も言わない。
電話をかけろとも、かけるなとも言っていなかった。
沙耶は視線を落とす。
「……何か危ないことに手出してないよね」
電話の向こうが静かになった。
『何の話?』
「だから、その……」
沙耶はそこで言葉に詰まった。
何をしているのか、倉田から聞いたわけではない。ただ、別の仕事をしているらしいという言葉と、最近の神谷の態度や急に増えた外出、連絡が取れない時間が、頭の中で勝手につながっていた。
少し迷ってから、沙耶は口にした。
「薬とか、売ってないよね?」
*
双眼鏡の中で、神谷の表情が変わった。
玲司は眉を寄せた。
さっきまで取引相手と普通に話していた顔から、一瞬で余裕が消えている。
「……何だ?」
神谷は電話を耳に当てたまま、その場で動かなくなっていた。




