第16話 潜入
翌日、玲司は探偵事務所の机にスマートフォンを置いた。
画面では、神谷蓮が一人目の男から何かを受け取っている。そのあと公園へ向かい、戻ってくると別の場所で待っていた男へ何かを渡す。映像を進めれば、次は女、その次は年上の男と、同じような動きが三回続いた。
向かいに座っていた倉田壮介は、最後まで黙って映像を見ていた。
「どう思います?」
玲司が聞くと、倉田は椅子の背へ体を預けた。
「浮気ではなさそうだな」
「そこは俺も分かりました」
「なら調査結果は出たじゃないか」
「いや、そこじゃなくて」
玲司は映像を少し戻した。
神谷が公園から戻り、待っていた女へ小さな何かを渡している。
「これです。こいつ、何か売ってますよね」
「そう見える」
「気になりません?」
「なるよ」
倉田はあっさり答えた。
「でも、うちが頼まれたのは浮気調査だ」
「だからって、これ見て終わりですか」
「黒瀬」
倉田が玲司を見る。
「お前、数日前に警察から何て言われた?」
玲司は口を閉じた。
ギアについて勝手に調べず、何か分かったら連絡すること。それから、危ないことはするなと久世から念を押されたばかりだった。
「……まだギアかどうかも分かってませんよ」
「俺はギアなんて一言も言ってない」
「顔に書いてあったでしょ」
「お前の顔にな」
玲司はスマートフォンを取った。
倉田が続ける。
「依頼人には、確認した範囲で女の影はなかったと報告する」
「神谷がやってることは?」
「別の仕事をしているようだ、詳しくは本人に聞いてくれ。それくらいだな」
「それだけ?」
「確証もないのに、彼氏が犯罪やってるかもしれませんなんて言えるか」
「まあ……そうですけど」
「気になるなら警察に持っていけ。少なくとも、うちの仕事として追う話じゃない」
そこまで言われれば、倉田の判断が間違っているとも言えない。
玲司はスマートフォンをポケットへ入れた。
「分かりました」
「その顔は分かってない顔だな」
「分かってますよ」
「余計なことするなよ」
「信用ないなあ」
「ここ最近のお前を見て、信用できる理由を教えてくれ」
何も思いつかなかったので、玲司は黙って立ち上がった。
*
中野の仕事部屋の鍵を開けると、テレビの音が聞こえてきた。
「元気してんのか」
返事はない。
靴を脱いで中へ入ると、葵がソファに横向きで寝転がっていた。片手にはスマートフォンを持ち、テーブルには開いた菓子の袋と飲みかけのペットボトルが置かれている。床には毛布まで落ちていた。
玲司は入口でしばらくその光景を見た。
「……お前さ」
「何」
葵はスマートフォンから目も上げない。
「ここ、完全に自分の家みたいになってない?」
「家じゃないんでしょ?」
「そういう意味で言ったんじゃねえよ」
「じゃあ何」
「せめて毛布くらい片づけろ」
「あとでやる」
「絶対やらねえ奴の言い方だな」
玲司が落ちていた毛布を拾ってソファへ放ると、葵の顔にかかった。
「ちょっと!」
「片づけろ」
「帰ってきていきなりうるさいんだけど」
「俺の仕事場だからな」
葵は毛布を引き剥がし、ようやく体を起こした。
「で、何しに来たの?」
「お前に見てもらいたいもんがある」
「何?」
玲司は向かいの椅子へ座り、スマートフォンを出した。
神谷を尾行したときの映像を再生する。
最初は面倒そうに見ていた葵だったが、男から神谷へ金らしきものが渡ったあたりで、スマートフォンを持つ手を止めた。
神谷はその場を離れて公園へ向かい、紙袋から何かを取り出す。それから先ほどの男が待つ別の場所へ戻り、今度は神谷から何かを渡した。
「何これ」
「昨日の浮気調査」
「全然浮気してないじゃん」
「そうなんだよ」
次の映像を見せる。
今度は女だった。
同じように先に何かを渡し、場所を変えて待っている。神谷は公園へ行き、戻ってくると女へ何かを渡した。
葵の表情が変わった。
「これ、売ってるよね」
「やっぱそう見える?」
「見える。何かは分かんないけど」
「俺もそこまでしか分からなかった」
玲司は三人目の映像も流した。
葵は途中で止める。
「この公園の紙袋、毎回同じ?」
「たぶんな。場所もほぼ同じだった」
「じゃあ、そこに売るもの置いてるってこと?」
「そう見える」
「取りに行けば?」
玲司は顔を上げた。
「何を」
「紙袋」
「お前、俺に盗めって言ってんの?」
「確認するだけ」
「それを世間では盗むって言うんだよ」
「じゃあどうすんの」
「それ考えに来たんだよ」
葵は映像を最初からもう一度見た。
「神谷ってホストなんでしょ?」
「ああ。《CLUB ASTRIA》」
「店行けばいいじゃん」
「店で売ってるとは限らないだろ」
「でも、何か持ってるかもしれない」
玲司は少し考えた。
「お前、客で入れる?」
「何で私?」
「俺が客で行って、男の持ち物を探れると思う?」
「知らないよ」
「少なくとも、お前の方が自然だろ」
葵は少し考えてから、口元を上げた。
「いいよ」
「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」
「別に」
「調べに行くんだからな」
「分かってるって」
玲司には、まったく信用できなかった。
*
翌日の夜。
《CLUB ASTRIA》の店内で、玲司は空いたグラスをトレーに載せていた。
黒いシャツに店のベストという格好だ。鏡で見たときから似合うとは思わなかったが、今日だけは仕方がない。
短期のホールスタッフとして入った玲司へ、先輩のスタッフが次のテーブルを示す。
「黒瀬、そこ下げて」
「はい」
グラスを回収し、空いたボトルを片づける。
店内では音楽が流れ、照明の下を何人ものホストが行き来していた。一昨日、外から追っていた神谷も、ここでは完全に別の顔をしている。
髪を整え、客の隣で笑いながら話していた。路上で何度も後ろを確認していた男とは思えない。
少なくとも、この店の中では普通のホストだった。
玲司は神谷を横目で確認しながら、別のテーブルへ向かう。
その途中で、聞き覚えのある笑い声がした。
嫌な予感がして振り向く。
葵がいた。
しかも、楽しそうだった。
テーブルにはノンアルコールの飲み物が置かれ、葵の両側にはホストが座っている。さらに一人が正面から何かを話し、葵が笑っていた。
玲司はトレーを持ったまま足を止めた。
「……あいつ」
調査に来たはずだった。
少なくとも玲司はそう聞いていた。
葵の前に座ったホストがメニューを開く。
「何か追加する?」
「じゃあ、これ」
「おい」
思わず声が出た。
葵が玲司を見る。
「あ、いた」
二人は声を落とし、周囲に聞こえないように話した。
「いた、じゃねえよ」
「仕事中でしょ」
「お前も仕事しろ」
「私、客なんだけど」
「誰の金でホスト遊びしてると思ってんだ」
葵が一瞬黙った。
「経費でしょ?」
「俺の立替だよ!」
近くにいたホストが吹き出した。
玲司はそちらを見る。
「何笑ってるんですか」
「いや、ごめん。知り合い?」
「違います」
葵が即答した。
「お前!」
「店員さん、仕事戻ったら?」
「覚えてろよ」
「はいはい」
玲司はトレーを持ってその場を離れた。
背後でまた葵の笑い声がする。
本当に楽しんでやがる。
そう思ったところで、別のことに気づいた。
葵の席にはホストが集まっている。新しく来た若い客が珍しいのか、入れ替わりで何人かが顔を出していた。
そして今、神谷もその中にいた。
玲司は足を止めず、横目だけで確認する。
葵も気づいている。
神谷が隣へ座ると、葵は何事もなかったように話しかけた。
役目を忘れているわけではないらしい。
「黒瀬」
後ろから呼ばれた。
「はい」
「これ奥持ってって」
スタッフから空いたグラスの入った箱を渡される。
「分かりました」
玲司は箱を受け取り、スタッフ用のスペースへ入った。
店内の音が少し遠くなる。
神谷は今、葵のところにいる。
玲司は箱を置き、周囲を確認した。
壁際には、スタッフやホストが使うロッカーが並んでいる。
神谷がどれを使っているかは、出勤したときに荷物を入れるところを確認していた。
玲司はそのロッカーの前まで行く。
扉には鍵がかかっている。
「そりゃそうだよな」
小さく呟き、もう一度廊下を確認した。
誰も来ない。
玲司はポケットから仕事道具を取り出した。
探偵事務所兼便利屋で働いていると、妙な技能ばかり増えていく。鍵をなくした客の代わりに扉を開けるような仕事も、これまで何度か経験していた。
簡単な錠なら扱える。
玲司はロッカーの前にしゃがみ込み、手早く作業する。
ほどなく錠が外れた。
扉を開けると、中には着替えや靴、それに黒いバッグが入っていた。
少し前、神谷が店へ入ってきたときに肩へ掛けていたものだ。
この中に何か入っている保証はない。路上で渡していた物も、公園から持ってきていた。店とはまったく無関係かもしれない。
それでも、確認する価値はある。
玲司は黒いバッグを取り出し、ファスナーを開けた。
財布やモバイルバッテリー、香水、小さなポーチが入っている。どれも普通の持ち物だった。
「……ないか」
そう呟きながらポーチを動かしたとき、その下に小さなケースが見えた。
玲司の手が止まる。
ケースを取り出して蓋を開けると、中には縁に小さな切れ込みのある灰色の錠剤が入っていた。
「……マジかよ」
ホテルで葵のバッグから落ちたものや、瀬尾と戸倉が使っていたものによく似ている。
ただ、玲司には同じ薬だと断定できない。
スマートフォンを取り出し、ケースの中を数枚撮影した。
錠剤には触れず、そのまま蓋を閉じて元の位置へ戻す。バッグの中身もできるだけ触る前と同じ状態にして、ロッカーへ収めた。
扉を閉じ、鍵も元どおりにする。
そのとき、廊下から足音が聞こえた。
玲司はすぐに立ち上がり、空のグラスが入った箱を持ち直した。
スタッフが一人入ってくる。
「終わった?」
「はい。今戻ります」
何食わぬ顔で答え、その横を抜けた。
店へ戻ると、神谷はまだ葵の席にいた。
葵が笑い、神谷も笑っている。
その光景だけなら、どこにでもあるホストクラブの一席だった。
玲司はポケットの中のスマートフォンに触れた。
そこには、さっき撮った灰色の錠剤の写真が残っている。
*
仕事を終えて店を出た頃には、外はすっかり夜になっていた。
葵は少し離れたところで待っていた。
玲司を見つけると、壁から背を離す。
「遅い」
「誰のせいで余計に働かされたと思ってんだ」
「私関係ないじゃん」
「追加で何杯頼んだ?」
「ノンアルだからいいでしょ」
「金の話してんだよ」
「ケチ」
「お前にだけは言われたくねえ」
葵が笑う。
玲司は周囲を一度確認してから、スマートフォンを取り出した。
「それより、これ」
「何?」
画面を開き、撮った写真を見せる。
葵の笑顔が消えた。
写真には、縁に切れ込みの入った灰色の錠剤が映っている。
葵は指で写真を拡大し、しばらく黙って見ていた。
「どこにあったの」
「神谷のロッカー。中のバッグに入ってた」
「触った?」
「錠剤には触ってない。写真撮っただけ」
葵はもう一度画面を見る。
玲司が聞いた。
「同じか?」
返事はすぐだった。
「これ、ギア」




