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歌舞伎町ドラッグ・ギャンビット  作者: Aramaki_mai
第1部 歌舞伎町
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12/68

第12話 ニュース

挿絵(By みてみん)

玲司が目を覚ましたとき、葵はすでに起きていて、中野の仕事部屋のソファに座り、スマートフォンを見ていた。カーテンの隙間から差し込む朝の光が、まだ化粧もしていない横顔を照らしている。


「今日も勝手に俺の財布使ってねえだろうな」


寝起きの声で言ったが、いつもなら何かしら返してくる葵が反応しなかった。


玲司はソファから体を起こす。昨日、瀬尾に殴られた脇腹には、まだ少し痛みが残っていた。


「おい」


「……これ」


葵がスマートフォンを差し出してきた。


「何だよ」


「見て」


画面には、昨夜都内で起きた交通事故の記事が表示されていた。


玲司はまだぼんやりした頭のまま受け取り、見出しから順に目を通していく。死亡した男性の名前を見たところで、眠気が一気に消えた。


瀬尾拓真、二十三歳。


「……は?」


もう一度、名前を確かめる。


見間違いではなかった。


記事には、昨夜発生した事故で瀬尾が死亡し、警察が詳しい状況を調べていると短く書かれている。


玲司は顔を上げた。


「同姓同名じゃなくて?」


「写真も出てる」


葵が画面を操作した。


表示された顔には見覚えがある。短い金髪に、耳のピアス。鼻にも小さなリングがついていた。


昨日、路地で殴り合った瀬尾本人だった。


「昨日だぞ」


玲司は思わず声を上げた。


「俺ら、昨日こいつと会ったばっかりだぞ」


「分かってるよ」


葵の声にも、いつもの軽さがなかった。


玲司は記事を最初から読み直したが、書かれているのは交通事故としての情報だけだった。


事故なら、それだけの話だ。昨日会った人間が、その夜に事故で死ぬことだって、あり得ないわけではない。


それでも、どうしても引っかかった。


玲司はスマートフォンを葵へ返した。


「……タイミング悪すぎないか」


「私も思った」


「事故だぞ」


「だから何」


「いや、だから……」


玲司はそこで言葉を止めた。


葵が何を考えているのか分かる。自分も同じところに引っかかっていた。


昨日の瀬尾は怯えていた。


玲司と葵がギアについて聞いただけで、二人を誰かと勘違いし、自分から薬を飲んで襲ってきた。


玲司は路地での会話を思い返す。


「瀬尾、俺ら見て何て言ったっけ」


葵がすぐに答えた。


「ギアを取り返しに来たんだろ、って」


「だよな」


あのときは、勝手な勘違いだと思っていた。


実際、玲司たちは瀬尾から何かを奪いに行ったわけではない。


だが、瀬尾本人にはそう思う理由があった。売るために渡されたギアを自分で抜き、ミサキにも渡していたせいで、数が合わなくなっていると認めていた。


「バレるの怖がってたよな」


玲司が言うと、葵は黙って頷いた。


「俺らを回収に来た奴だと思うくらいには」


「でも、事故なんでしょ」


葵はそう言ったものの、納得している顔ではなかった。


「事故ならいいんだけど」


「死んでんだから、よくはねえだろ」


「そういう意味じゃない」


「分かってる」


玲司は髪を掻きながら立ち上がった。


昨夜までなら、ここで考えるのをやめてもよかった。瀬尾が事故に遭った。それだけの不運だったと片づければいい。


だが、ホテルには葵を連れ去ろうとする男たちが現れ、そのうち一人はギアを飲んで警察官を相手に暴れた。瀬尾もまた、ギアを渡してくる相手をひどく恐れていた。


偶然だと片づけるには、気になることが増えすぎている。


玲司が顔を上げると、葵はもうスマートフォンを操作していた。


「誰にかけてる」


「ミサキ」


玲司は口を閉じた。


呼び出し音だけが続く。


葵はスマートフォンを耳に当てたまま待ったが、相手は出なかった。


「出ない?」


「うん」


「もう一回」


「今やってる」


二度目も同じだった。


葵は通話を切り、そのままメッセージを送る。


「既読は?」


「つかない」


玲司は時計を見た。まだ朝なので、寝ている可能性もある。


昨日までなら、それで終わる話だった。


だが今は、ミサキの彼氏が昨夜死んでいる。


「ミサキ、瀬尾からギアもらってたよな」


「うん」


「まだ持ってると思う?」


「分かんない」


「捨てたって話は?」


「聞いてない」


葵が顔を上げた。


二人とも同じところまで考えていた。


瀬尾が本当に事故で死んだのなら、何も起きない。


だが、もし違ったら。


瀬尾がギアを抜いていたことと、その死がつながっているのなら、ギアを受け取っていたミサキも無関係ではない。


「行くか」


玲司が言うと、葵はもう立ち上がっていた。


「言われなくても」


「お前、一人で先行くなよ」


「早く着替えて」


「俺まだ顔も洗ってねえんだけど」


「そんなのどうでもいいから」


「俺にはよくねえよ」


口では言い返したものの、玲司も急いで上着を取った。


     *


大久保へ向かう電車の中でも、ミサキから返事はなかった。


葵は何度もスマートフォンを確認していたが、玲司も何も言わなかった。


昨日、初めてミサキの部屋へ行ったときには、こんなふうに焦って戻ってくるとは思っていなかった。


あのときのミサキは痩せてはいたが、普通に話していた。ギアも大した薬ではないと言い、二日か三日に一度欲しくなる程度だと笑っていた。


その彼氏が死んだ。


しかも、玲司たちが瀬尾と会ったその夜に。


駅を出ると、葵は迷わず歩き出した。


「場所覚えてんの?」


「一回来たから」


「俺も覚えてるけど」


「じゃあ聞くなよ」


いつもの調子の返事が戻ってきたことに、玲司は少しだけ安心した。


それでも葵の歩く速度は落ちない。


大通りから一本入ると、見覚えのあるマンションが見えてきた。


葵は入口へ急ぎ、インターホンを押した。


返事はない。


少し待ってからもう一度押す。


「ミサキ?」


やはり反応はなかった。


玲司が横から操作盤を確認する。


「部屋、間違ってないよな」


「間違ってない」


葵はもう一度電話をかけたが、しばらく待っても相手は出なかった。


葵の表情が険しくなる。


「上行く」


「開いてねえだろ」


「誰か出てきたら入る」


「それ普通に怒られるやつだからな」


「今それ気にしてる場合?」


ちょうどそのとき、内側から住人らしい男が出てきた。


葵が開いたドアを押さえ、そのまま中へ入る。玲司は一瞬ためらったものの、結局その後についていった。


「俺まで怒られるんだぞ」


「そのとき謝ればいいじゃん」


「簡単に言うなよ」


二人は階段を上がり、ミサキの部屋の前まで来ると、葵がすぐにドアを叩いた。


「ミサキ!」


返事はない。


葵がもう一度、今度は少し強く叩く。


「ミサキ、いる?」


玲司もドアへ耳を近づけたが、室内から物音は聞こえない。


葵がさらに叩こうとしたところで、中からかすかな音がした。


二人とも動きを止める。


やがて鍵が回り、ドアがわずかに開いた。その隙間からミサキが顔を出す。


葵の肩から力が抜けた。


「……いるじゃん」


ミサキは目を赤くしていた。


髪も乱れ、大きめのパーカーを着たまま、葵と玲司を交互に見る。


「何……」


声が掠れていた。


「電話したんだけど」


「スマホ、切ってた」


「何で?」


聞いてから、葵も理由に気づいたらしい。


ミサキが目を伏せる。


「拓真、死んだ」


葵は何も言えなくなった。


玲司も口を挟まなかった。


ニュース記事で読んだのと、恋人の口から聞くのとでは重さが違った。


ミサキはドアを開いた。


「警察から連絡来た。事故だって」


部屋へ入ると、以前来たときと大きくは変わっていなかった。テーブルには飲みかけのペットボトルがあり、床には服が残っている。


ミサキは床へ座った。


「昨日も普通だったのに」


誰に向けた言葉なのか、玲司には分からなかった。


葵も向かいに座る。


「……ごめん」


「何でユナが謝るの」


「昨日、私たちが会いに行ったから」


ミサキが顔を上げた。


「拓真に?」


「うん」


「何で」


葵が言葉に詰まると、玲司が代わりに答えた。


「ギアのこと聞いた」


「……またそれ?」


「瀬尾から聞けたことがあったんだ」


ミサキの顔に苛立ちが浮かぶ。


「拓真死んだんだよ」


「分かってる」


「だったら今それどうでもよくない?」


「どうでもよくないかもしれない」


玲司が言うと、ミサキが睨んだ。


「何それ」


「事故じゃないって言ってるわけじゃない」


「じゃあ何」


「俺らにも分からない」


「分かんないのに来たの?」


ミサキの声が強くなる。


葵が口を開いた。


「昨日、拓真が言ってたの。売るはずのギアを自分で使ってたって」


ミサキは一瞬、黙った。


「……知ってる」


今度は玲司と葵が言葉を止めた。


「知ってたの?」


葵が聞く。


「全部じゃないけど」


ミサキは膝を抱えた。


「自分で使ってるのは知ってた。私にもくれてたし」


「そのギア、まだここにある?」


ミサキはすぐには答えなかった。


葵がその顔を見る。


「あるんだ」


「少しだけ」


玲司は葵と目を合わせた。


さっきまで頭の中にしかなかった嫌な可能性が、一気に現実味を帯びる。


「どこ」


「何で」


「ミサキ」


葵の声が変わった。


「今はそれ持ってない方がいい」


「何で急に」


「拓真が死んだから」


ミサキの顔が強張った。


「事故だって言ったでしょ」


「そうかもしれない」


「じゃあ変なこと言わないでよ!」


声が部屋に響き、葵も黙った。


ミサキの目に涙が浮かぶ。


「拓真が何したか知らないけど、死んだんだよ。昨日までいたのに。警察から電話来て、いきなり死んだって言われて……それで今度はユナまで、事故じゃないかもとか、私も危ないとか、何なの」


最後の方は声が震えていた。


葵は何も言い返さない。


玲司も、ここで理屈を並べる気にはなれなかった。


誰も口を開かなくなると、部屋には冷蔵庫の低い作動音だけが残った。


やがて葵が、少し声を落として言う。


「怖がらせたいわけじゃない」


ミサキは顔を上げなかった。


「でも、もし本当にただの事故じゃなかったら、ここに一人でいるの危ないから」


「どこ行けっていうの」


「とりあえずここ出よう」


「どこに?」


葵が玲司を見る。


その目を見た瞬間、玲司は嫌な予感がした。


「おい」


「アジト」


「勝手に決めんな」


「ほかにある?」


「ないけど」


「じゃあ決まり」


「俺の仕事場だからな」


「家じゃないんでしょ」


「そういう問題じゃねえよ」


ミサキが二人を見た。


泣いていた顔に、ほんの少し困惑が混じる。


「……何の話?」


「気にしなくていい」


葵が立ち上がった。


「必要なものだけ持って。今日はここ出るよ」


「私、行くって言ってない」


「じゃあ私もここにいる」


「は?」


「一人にするよりマシでしょ」


「お前まで残るなよ」


玲司がすぐに口を挟む。


「何で」


「危ないと思って来たんだろ。だったら三人で出るんだよ」


葵は少し考え、ミサキを見る。


「……だって」


「何で私が怒られてんの」


ミサキが呟いた。


玲司はため息をついた。


「とにかく、事故ならそれでいいんだよ。あとで俺らが考えすぎだったって笑えばいい。でも違ったら、ここに残ったこと後悔しても遅いだろ」


ミサキは返事をしなかったが、しばらくすると立ち上がった。


「……着替える」


葵が小さく息を吐く。


「早めにね」


「分かってる」


ミサキが部屋の奥へ向かった。


玲司は玄関の方を見る。


ここへ来るまで、何も起きていない。


瀬尾は本当に事故で死んだだけなのかもしれないし、自分たちが勝手に話をつなげているだけなのかもしれない。


そう思いたかった。


そのとき、玄関の呼び鈴が鳴った。


玲司と葵が同時にそちらを見る。


奥からミサキの声がした。


「誰?」


「待て」


玲司が立ち上がると、葵もバッグを手元へ引き寄せた。


もう一度、呼び鈴が鳴る。


「宅配?」


ミサキが部屋の奥から顔を出した。


「今何か頼んでる?」


「頼んでない」


玲司は玄関へ近づき、葵も少し距離を空けて後ろについた。


「誰」


「分からん」


玲司は音を立てないようドアへ寄り、覗き穴から外を見る。


廊下に男が一人立っていた。


服はホテルで見たときとは違う。


それでも、その顔を忘れるはずがなかった。


額にはまだ傷が残り、大柄な体をわずかに傾けるようにして立っている。


玲司の背中が強張った。


「……マジかよ」


「誰?」


葵が低い声で聞く。


玲司は覗き穴から目を離した。


「ホテルの奴だ」


葵の表情が変わった。


その直後、ドアが強く叩かれた。

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