単身
1996年8月23日。
東京ビッグサイト。
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会場へ向かう電車は朝から混み合っていた。
ユウは立ったままドア脇に体を寄せ、胸元に抱えたレーサーズBOXを離さなかった。
揺れるたびBOXが誰かにぶつからないよう、無意識に力が入る。
同じようなBOXを抱えた少年たちが、車内のあちこちにいる。
だが誰もユウに目を向けることはない。
普段なら会場まではジョンの車移動だった。
今回も送迎を申し出てくれたが、断った。
理由を並べる必要はなかった。
別の予選でコウスケは一人で会場に向かった。
誰にも頼らず、誰の背中にも隠れず、ただ走るためだけに。
自分だけが楽をしていいとは、思えなかった。
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最寄り駅で降りると、人の流れは一気に太くなる。
案内板に従い、同じ方向へ歩き出す。
巨大な建物が見えてきた。
会場の入口で、ユウは1度足を止めた。
天井がやけに高い。
音が遅れて返ってくる。
人の流れが途切れない。
歩いても歩いても、前が詰まらない。
去年とは比べものにならない規模だった。
スーパージャパンカップ’96。
史上最大規模。
動員数30万人。
その事実を、誰かに聞くまでもなかった。
立っているだけで分かる。
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歩き出すと視線が集まるのを感じた。
直接見てくる者は少ない。
だが、通り過ぎる瞬間に、空気がわずかに揺れる。
「……ユウだよな」
「3連覇中の……」
囁きが、背中を追ってくる。
去年までなら、コウスケがいた。
ユリがいた。
ジョンがいた。
軽口を叩き、場の空気を崩してくれた。
今日は誰もいない。
その分、静けさが重い。
ユウは、歩く速度を変えなかった。
周囲を見回すことも、立ち止まることもない。
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メイン会場。
人で埋まり、島のように区切られている。
誘導の声やアナウンスは何度も流れるが、ざわめきに飲み込まれていた。
参加者の数が多い。
だが、それ以上に視線が多い。
それでも——。
ユウがBOXを置いた瞬間、
周囲の空気がわずかに張り詰めた。
誰も声をかけない。
誰も近づかない。
遠巻きの視線だけが、集まってくる。
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ユウはBOXを開けた。
スーパーFMシャーシ。
マシン全体を確認していく。
指先でシャーシを軽く押さえる。
あの静音と力強さを思い出す。
(大丈夫だ)
そう思えた。
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ふと、昔の光景が重なった。
この時代に来て、初めて大会に出た日。
知らない会場。
知らない人間。
あの時も、周囲は敵だらけに見えた。
——でも、走った。
今も同じだ。
立場が変わっただけで、
やることは変わらない。
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「まもなく、予選が始まります」
アナウンスが、ようやく届いた。
ユウはBOXを閉じる。
ざわめきの中心にいながら、
不思議と心は静かだった。
ここまで来た。
あとは、走るだけだ。




