新潟県
8月8日
早朝
「おはよう」
眠気の残る声に、すぐ隣から張りのある返事が飛んできた。
「師匠! おはようでござる。準備は万端でござるか?」
運転席のジョンは朝からやけに機嫌がいい。
今日は新潟伊勢丹・上越大会。
ユウとジョン、2人きりで会場へ向かう。
コウスケとユリは、それぞれ部活の練習試合が入っていて来られないらしい。
仕方のないことだが、いつも賑やかな顔ぶれが欠けているのは、少しだけ寂しかった。
――気楽でいいか。
ユウはそう思うことにした。
1人でレースに集中できる。
余計な感情を挟まず、マシンと向き合える。
「この間の横浜大会は、申し訳なかったでござるな」
ジョンは、自分の都合で横浜大会を見送り、新潟遠征になったことを気にしていた。
「いや、むしろ遠くまで車出させちゃって、こっちこそ申し訳ない」
ユウは素直に感謝を口にした。
車内には、ときメモの主題歌が流れている。
ジョンが口ずさみ、ユウは時折相槌を打つ。
これから予選を戦うとは思えないほど、緩い時間だった。
会場に着いた瞬間、空気が変わる。
人、人、人。
熱気と視線が、一斉に集まる。
「あいつ、去年のチャンピオンだろ」
「何でここに……終わった」
ざわめきは、もう慣れた。
話しかけられなければ、それでいい。
車検を終え、コースをじっくり眺める。
難所はあるが、理不尽な配置ではない。
――問題ない。
コースアウトの心配はなさそうだ。
視線は、自然とギア比に向いた。
今年の流行は超速ギア。
黄色いギアボックスがちらほら目立つ。
確かに速い。
だが、扱い切れているレーサーはまだ少ない。
「まだFM使ってるの?」
「今年はスピンアックス?」
「ネオバーニングサンじゃないのか?」
囁きが耳に入る。
ユウは気にしない。
レース台にユウが現れたことで、会場の空気が一段引き締まった。
「フロント何使ってるのかな?」
「超速じゃなくてスパカンが正解?」
周りでのざわめきは絶えない。
ユウは、それらを背にしてスタートポジションへ向かう。
「さあ、今年はチャンピオンが、ここ新潟に現れた!
周囲のレーサー諸君、この壁を越えられるのか!」
実況の声が高まる。
「用意……スタート!」
スピンアックスは、落ち着いたスタートを切った。
3.7:1のギア比が、静かに速度へと変換されていく。
先頭集団に並び、そして前に出た。
去年とは違う。
走りが、さらに洗練されている。
各マシンが最高速に到達しても、その差は縮まらない。
スーパーカウンターギアを積んだスピンアックスは、安定したままコースを駆け抜ける。
そのまま、チェッカー。
1位通過。
拍手とどよめきの中で、ユウは静かに息を吐いた。
確かな手応えがある。
――超速ギア勢に引けを取らない。
――まだ使いこなせていないようだ。勝機はある。
その後もレースは順調に進み――
ユウは危なげなく優勝し、上越大会の代表となった。
人だかりができかけた、その瞬間。
ジョンが1歩前に出る。
「ちょっと失礼するでござるよ。師匠はお疲れでござるからな」
その一言で、視線は自然と散った。
(ありがたい)
2人は、そのまま車に乗り込む。
「師匠、気が抜けるくらい、あっさり終わったでござるな」
「まあね」
「祝勝会はしないのでござる?」
少し考えて、ユウは言った。
「帰るまで遠いし、長野で信州そばでも食べたいな」
「おお、渋いでござるな! 拙者、蕎麦には目がないでござる!」
ユウは、長距離運転をしてくれたジョンを労い、信州そばの老舗を道案内した。
名店の蕎麦を堪能し、2人はゆっくりと家路につく。
夏の1日が、静かに終わっていった。




