埼玉県
8月6日。
「悪い!寝坊しちまった!」
コウスケは集合時間を大きく過ぎて現れた。
「ちょっと!あたしの大事な日に何してくれてんのよ!」
ユリの鋭い一言が突き刺さる。
「忘れ物はないでござるか?
出発するでござるよ」
「ジョン、今日も車出してくれてありがとう」
一瞬だけ空気が止まる。
「礼など無用でござるよ」
そう言いながら、ジョンはハンドルに手をかけ、ちらっと振り返る。
「では次は、虹野たんの絵一枚で手を打つでござる」
「出た、それ」
即座にユリが返す。
間髪入れず、後ろから声が飛んだ。
「ユウ、今の聞いた?
あのユリ先輩がお礼なんか言っちゃって。
めっちゃ常識人ぶってるじゃん」
「あんたねぇ……!」
「ほら、行くでござるよ」
車がゆっくりと動き出す。
目的地は埼玉県、大宮そごう。
北関東大会の会場だ。
「ユリ先輩、なんでミニ四駆の大会にこんな大きいバッグ持ってきたんですか?」
ユウは後部座席へ素直な疑問を投げた。
「あたしのひみつ道具よ。
会場に着いたら分かるわ」
意味ありげに言うユリに、誰も深くは突っ込まなかった。
どうせ聞いても教えてくれない。
ひみつ道具というキーワードを出しておきながら、ドラえもんと交えてこない。
ユリは分かりづらい緊張感を、ひっそりと漂わせていた。
会場に到着すると、そこはすでに人の熱気で満ちていた。
「……やっぱり、ここもすごい参加者ね」
前回ほどの驚きはない。
その分、空気の重さを感じ取っている。
「ユリ先輩、緊張してる?」
コウスケが横から探る。
「ぜんっぜん!
数億匹の宇宙怪獣と戦ったガンバスターの雄姿を観たあたしにとっては、どうってことない数よ!!」
「観てただけかい!」
即座にツッコミが飛ぶ。
「ユリ殿、さすればあの自信作を……」
ジョンに促され、ユリは静かにボックスを開けた。
……
「おおー!」
「すげーー!」
思わず声が重なる。
ベースはソニックセイバー。
コックピット手前の広いスペースには、セーラーヴィーナスのデカールが大きく配置されている。
それはユリ自身が描いたイラストを元に作られたものだった。
マシン両サイドには、ヴィーナスの守護星マーク。
ウイングには、筆記体で「Sailor Venus」。
車体全体は、エアブラシによる淡いピンクのグラデーションでまとめられている。
「すごいでござろう?
ユリちゃんの努力の結晶でござる!」
ユリは言葉を発さず、少しだけ胸を張った。
饒舌にならないところが、ここまで積み上げてきた努力と結果を物語っていた。
「すごすぎる……
ミニ四駆で、こんなこと出来るんだ」
コウスケは純粋な目で見つめている。
それはマシンというより、美術作品を見る視線だった。
(派手なボディに目が行きがちだけど、基本を押さえたしっかりした作りだ。
……あ、あのバラバラに書かれた単語を組み合わせると、Yuri’s final episode machineになるのか……)
ユウは、ユリの想いを感じ取りながらマシンを見つめていた。
ここでも、周囲の視線が集まり始める。
「あそこにいるの、ユウだよね?」
「今年も優勝しそうだよ」
「あの女の子のミニ四駆、すごくない?」
「いつものことでござる。
ユリ殿、そろそろ車検に行ったほうがいいでござるよ。
例の準備もあろう」
「そうね!
じゃ、行ってくる!」
ユリはマシンと、あの謎のバッグを手に歩き出した。
「例の準備って?」
「直にわかるでござる」
やがてユリの出番が近づき、ユウたちが雑談しながら待機していると、会場がざわつき始める。
スタートポジションに立ったのは、セーラーヴィーナスのコスプレをしたユリだった。
金髪のウィッグ。
厚手の衣装。
細部まで作り込まれた小物。
どこからどう見ても本気だ。
後年なら、間違いなく“ガチ勢”と呼ばれる人間だ。
「……え、なにしてんの、あの人……」
コウスケの思考が完全に停止している。
「こっちが恥ずかしくなってきた……」
ユウは顔を赤くして視線を逸らした。
「素晴らしい!
素晴らしいであろう、あのクオリティ!
拙者は藤崎詩織を勧めたのでござるが、どうしても譲らなかったでござるよ。
ユリ殿は無駄に顔がいいので、似合ってしまうのでござるな」
ジョンは、2人とは正反対に歓喜していた。
1995年。
まだコスプレ文化は一般的とは言えない。
ギャラリーの反応は戸惑いと興味が入り混じり、しかし一部はしっかりカメラを構えていた。
会場は混乱したままレースが始まり、空気は一変する。
小径ホイールによる安定した加速。
去年に比べ、明らかに速い。
目立ち方は斜め上でも、実力は本物だった。
ユリはそのまま勝ち進み、予選決勝へ。
「さあ、激戦を繰り広げてきた北関東大会も、いよいよファイナル!
シグナルに注目だ!」
「用意……スタート!!」
完璧なスタート。
小径ホイールが生み出す鋭い加速で、一気にトップへ。
「先頭は今大会注目の的、セーラームーンのソニックセイバー!」
「セーラーヴィーナスよ!」
即座にユリの訂正が飛ぶ。
速さだけでなく、安定感が際立つ。
まるでコースアウトとは無縁のような走りだ。
「ファイナルラップ!
トップはソニックセイバー!
しかし、こんな華のあるマシンは初めてだ!!
ライバルたちに差をつけたまま――
そのまま、チェッカー!!
優勝はセーラー戦士!!
ユリ選手!!」
勝ち名乗りが上がり、北関東大会を制した。
大会後、会場は別の意味で騒がしくなる。
コスプレに引く層と、惹かれる層。
反応ははっきり二分されていた。
ユリの周りには、自然と人だかりができていた。
「どうする?助けるか?」
コウスケが遠くから様子を伺う。
「いいんじゃない?本人、楽しそうだし……」
ユウは小さく答えた。
「ユリ殿のやりたいことが形になって、
拙者も感無量でござる」
ジョンは、なぜか目頭を押さえている。
しばらくして、ユリが戻ってきた。
「……あれ?
ハイタッチとかは?」
「おめでとう……」
ユウが静かに言う。
「なんでそんなにテンション低いわけ?」
「すごかったね……
いろんな意味で……」
コウスケは、どこを褒めればいいのか迷った末の感想を口にした。
「でしょ?
めっちゃ目立ってたし!
お客さんとツーショット写真もいっぱい撮ったし、タレント気分だったわ!」
「ユリ殿!
拙者とも記念に1枚お願いするでござる!」
ここでも、引く層と惹かれる層は分かれていた。
「ところで、祝勝会はどうするでござる?」
「コウスケと一緒!
あたしも、全国が終わってからでいいかな」
浮かれつつも、ユリの目はすでに次を見ている。
「じゃ、着替えてくるから待ってて」
そう言い残し、ユリは走っていった。
その背中を見送りながら、誰もが同じことを思っていた。
あれを、決勝でもやるんだろうな……
北関東の予選会は終わった。
ユリの物語は、ここからさらに最終回に向けて加速していく。




