充心
玄関の扉を閉めて、ユリは小さく息を吐いた。
「ただいま」
いつも通りの言葉。
返事はない。
鞄を床に置き、靴を揃えるだけで、全身に溜まった疲れを自覚する。
部屋に入り、制服のリボンをほどき、上着をハンガーにかけた。
スカートを脱ぎ、引き出しから部屋着を取り出す。
ハーフパンツと赤ずきんチャチャのTシャツ。
少し色は落ちているけれど、気に入っている一枚だ。
それに袖を通した瞬間、肩の力がすっと抜けた。
「はぁ……きっつい」
思わず漏れた本音。
部活、勉強、塗装の練習。
ジョンから出された課題まで重なっている。
「ジョンってさ、何気にスパルタなんだから」
そう呟きながらも、不思議と嫌な気分にはならなかった。
むしろ、その先にあるものを考えてしまう。
そのとき、部屋のドアが少しだけ開いた。
静かな足音と一緒に、黒い影が滑り込んでくる。
「ルナ」
名前を呼ぶと、ネコは一度だけ尻尾を揺らした。
ルナは部屋の真ん中で立ち止まり、ユリを見上げる。
「おいで」
ベッドの端に腰掛けると、ルナは気まぐれそうに近づき、隣に座った。
ユリはその背中を撫でる。
「ねえ、ちょっと忙しすぎてさ」
ルナは何も言わない。
ただ、静かに目を細めている。
机の上には、真っ白なミニ四駆のボディ。
ユリはそれを手に取った。
「でもね……楽しいんだよ」
白いボディは、まだ何も描かれていない。
キャンバスみたいで、見ているだけで心が弾む。
「真ん中には、もちろんアレよね」
頭の中で、自然と構図が浮かぶ。
「サイドにはこれを入れて……」
「やっぱり、文字も欲しいわね」
指先で空中に線を描きながら、配置を考える。
その時間が、至福。
「ジョンのアドバイス、覚えてる?」
ルナに問いかける。
「アレ、かなり斬新だったよね」
ミニ四駆以外にもやることが増えた。
でも、不思議と嫌じゃない。
「ちゃんと形にしなきゃ」
視線をテレビに向けると、録画ランプが点いている。
見たいアニメは山ほどある。
「こっちも山積み」
そう言い切って、ユリは笑った。
ルナはユリの方を向いたまま、ゆっくりと目を閉じた。
その顔は、どこか微笑んでいるように見える。
「……何も言わないね」
ユリはルナの額を指でなぞる。
「でも、聞いてくれてる気がする」
喉を鳴らす音が、静かな部屋に広がる。
「ああ……楽しい」
疲れているはずなのに、心は軽かった。
「……絶対、最高の最終回にするんだから」
宣言すると、ルナはそのまま目を閉じ、動かなくなった。
ユリはその温もりを感じながら、静かに次の工程を思い描いていた。




