4話
渋る王子を無視し、護衛のクリークが無理やり連れてきてくれたことでようやく応接間に案内することができた。何が何でも私室に案内する気はなかった。
ソファーに腰かけ、対面に座る形となったアリアとカルロス。カルロスの背後には護衛のクリークが立つ。
カルロスはさきほどのやり取りですっかり不機嫌になったのか、そっぽを向いて全くアリアの方を見ようとしない。その上、だんまりだ。これでは全く物事が進まない。
アリアとしては経営している店舗の資料を確認したいのに、こんな無駄な時間を過ごしたくはなかった。しかし相手は一応王族、それもお客様だ。それを無視して資料を読みふけるわけにはいかない。ここは相手の用事を聞いてさっさとお帰り願うほうが早いとアリアは考えた。
「…カルロス殿下、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「………」
そう尋ねても、カルロスは沈黙したまま。もう一度胸ぐらをつかみたい衝動にかられたがさすがに耐えた。そんなことをしても話は進まない。
「クリーク様、カルロス殿下はどのようなご用件でいらっしゃったのですか?」
そこでアリアはカルロスから聞くのを諦め、クリークから聞くことにした。護衛の彼ならばカルロスがどんな要件でフォンデーヌ家を訪れたのか知っているはずだ。むしろ知っててくれないと困る。そんな思いでアリアは問いかけた。
「カルロス殿下は、アリア殿との仲を深めてこいと国王陛下に送り出されてきました」
「…………」
(なにその無理難題)
お互いに婚約破棄したいというその一点だけが一致している二人に、仲を深めてこい?しかもカルロスの意思ではなく、国王の命令で?
どうやら国王は、二人の婚約を婚約のままで終わらせるつもりは毛頭なく、何が何でも結婚にまで結び付けたいようだ。
(そこまでしてカルロス殿下を城から追い出したいのかしら…)
いくら放蕩王子でも息子は息子。それなのにここまでするとは驚きだった。とはいえ、その相手役にされたアリアにはたまったものではない。アリアの中で国王の評価が1段階下がった瞬間だった。
「失礼します」
侍女が二人の前に紅茶を置いていく。すると、出された紅茶をカルロスはぐいぐい飲み干し、茶菓子をバクバクと口に運んでいく。その光景にアリアも侍女も唖然としてしまう。
「……ん」
空になったカップを指さし、おかわりを要求するカルロス。侍女が慌てたようにつぎ足すと、それも瞬く間に飲み干してしまう。
(なにこのクソガキ)
品格のひの字もない振る舞い。いくら不機嫌だとしてもこの振る舞いは無い。こんな奴との仲を深めろ?冗談もほどほどにしてほしい。
「ねぇ君」
「は、はい!」
すると、カルロスは何を思ったのか侍女に声を掛けた。たとえどんな振る舞いをしても第二王子という立場は変わらない。貴族ですらない、一般市民である侍女からすれば、声を掛けられただけでも卒倒ものだ。
「君、名前は?」
「え、あ…フィーネ、でございます」
「フィーネ…いい名だね。どう、この後僕と一緒にお城に来ないかい?君みたいな素敵な娘が僕の世話をしてくれたら、僕はとても嬉しいな」
アリアの額に青筋が三本入った。一気に。
仮にも婚約者の目の前で堂々と別の女性を口説き、挙句引き抜きを行おうとする。その傍若無人な振舞いは、胸ぐらを掴むどころではない行為に及びそうになった。
侍女…フィーネは、カルロスの言葉に動揺し、おろおろするしかない。そんなフィーネを助けるように、アリアはフィーネを手招きした。その瞬間、フィーネが安堵したのはわかった。泣きそうだった表情が喜色の笑みに変わり、そそくさとアリアの背後につく。たとえ王子の誘いであろうとも、彼女の雇い主はここフォンデーヌ家だ。彼女の行為の責任がフォンデーヌ家にあるなら、彼女の身柄の安全を保障するのもフォンデーヌ家の役割だ。
「フィーネ、お茶のお代わりを厨房で用意してきて。あと、給仕はブラストに代わってもらって。あなたには別の仕事があるでしょう?」
そう言ってアリアはフィーネを送り出した。ブラストは老齢の執事だ。本来であれば給仕の役目をさせるような立場ではないが、この場においては他の侍女や侍従では場の雰囲気についていけない。ここは長年の経験と度胸を兼ね備えたブラストこそが適任だとアリアは考えた。
「は、はい!」
フィーネは伯爵家に雇われた庶民の娘だ。しかし、しっかりと教養を積み、侍女としてのマナーも持ち合わせており、だからこそアリアの専属侍女も務めている。そんなフィーネはアリアにとっては妹のような存在だ。そんなフィーネを困らせたカルロスを、アリアは敵意を滲ませてにらみつける。
その視線にカルロスも気づいたのか、逃れるように茶菓子に貪りつく。そしてその背後のクリークは一連の流れにこれまたグッジョブのサインを示した。
(グッジョブじゃないわよ!分かってるなら止めなさいよ!)
変に護衛として動かれるとそれはそれで困るが、一方で護衛以外としての役割を持ってはいないようだ。主人であるカルロスを諫めるような行動は取る気は無いらしい。
「………」
「………」
二人が不機嫌をまき散らす中、ブラストが紅茶のお代わりをもって部屋に入ってくる。部屋の雰囲気をすぐさま察知したブラストだが、そこは老齢の熟達者。そんな雰囲気などまるで感じないとばかりに給仕に勤しむ。そして一通りの役目を終えると、アリアの背後に着いた。
沈黙が続く。部屋に響くのは紅茶を啜る音と菓子を食べる音。肝心の二人は一切視線を合わせる気すらなく、ただただ時間だけが過ぎていく。
(無駄ね)
元々お互いに婚約破棄したくているくらいだ。たとえ国王からそう言われたとしても、どちらもそれに素直に従い、歩み寄る気など一切ない。なら、こんな時間などなかったと開き直った方がいい。
「ブラスト、私の部屋に置いてある資料を持ってきて頂戴」
「畏まりました」
ブラストが部屋をでていく。いくら無駄だとは言え、カルロスを無視してここに置き去りにもできない。アリアはここで店の資料を確認することにした。
しばらくしてブラストが紙の束を手にして戻ってきた。
「ありがとう」
束を受け取りアリアは目を通していく。新店舗の計画案は、どこに出店するかの立地条件から始まっている。王都内の空き家から、人通り、周辺の店舗状況。それらを加味した地図を眺め、予め絞られた案からどれがいいかをアリアが決める。
「………」
「………」
静かな室内に、アリアの紙をめくる音が追加される。完全に自分を無視し始めたアリアに、カルロスはこちらを見ていないことをいいことに睨みつける。だが、ふとアリアの視線が動くとびくついて明後日を向く。そしてまたアリアが資料に集中し始めると、同じことを繰り返す。
もちろんアリアはそんなカルロスの様子に気付いていた。気づいていて無視。今は目の前の王子よりも大事な要件があるからだ。
時折、アリアの手にしたペンが紙の上をすべる。候補として選んだ立地から、懸念される要素を直接地図に書き込んでいく。あとでこれを従業員に調べてもらうためだ。各店舗の経営は順調とはいえ、そう資金に余裕があるわけではない。一店舗追加するだけでもかなり大きな出費となる。慎重になるのは当然だ。
そんな集中している様子のアリアを、最初こそ睨みつけていたカルロスの目が徐々に変わってきていた。カルロスからすれば貴族の令嬢など、ただ綺麗に着飾り自分に媚び諂うだけの存在だ。自分の言うことになんでも従い、それは令嬢だけでなくその家もそうだった。どの家もカルロス…王族に取り入ろうと必死で、決してカルロスの機嫌を損ねるようなことはしなかった。カルロス自身も見た目だけなら群を抜いて優れている。だからこそ、カルロスからすれば貴族の令嬢は自分の言うことを何でも聞く、人形のような存在だった。…そう思っているからこそ、踏み越えてはならない最後の一線、彼女たちを抱くことだけはしていなかった。彼にとって令嬢との触れ合いは、お人形遊びなのだ。人形を抱く気になどなれるわけがない。
だからこそ、カルロスにとってアリアは異端だ。自分の言うことを聞かず、そして自分を求めない。ほかの令嬢たちならば、カルロスとの婚約が決まったと分かれば涙を流して喜ぶだろう。にもかかわらず、アリアは喜ぶどころか真っ向からカルロスを拒絶した。令嬢の中には、整い過ぎているカルロスの顔を直視できずに恥ずかしがる者もいる。アリアは嫌悪感で見ようとしない。
そしてカルロスの令嬢への見方は、カルロスの言うことは聞くが彼女ら自身が何かをできるということは何もない、そんなものだった。所詮は親の言うことを聞き、夫となる者に選ばれ、子を成すことだけが役目。男と違って社会的な生産性を持たない、ただただ茶を飲み菓子を食べ食事をして浪費するだけの存在だと、完全に見下していた。
それがどうだ、今のアリアの姿は。彼女は執事に持ってこさせた何かの資料を熱心に読みふけっている。時折それに書き込む様子も見られる。何を読んでいるのか、何をしているのかが気になるけれど、カルロスからそれを聞くのは変なプライドが許さなかった。
なので、今はただアリアが真剣に資料を読むその姿を眺めることしかできなかった。
「殿下、そろそろ時間です」
突然、クリークから声が上がる。どうやらカルロスの滞在時間の期限が来たようだ。
「そ、そうか」
そう言ってカルロスは立ち上がった。合わせてアリアも資料を起き、立ち上がる。全く会話をしなかったとしても、お客様であることにかわりはない。帰るのであれば、見送りは必須だ。
「…ごちそうになったね。これで失礼させていただくよ」
「お見送りさせていただきます」
「…いや、いい。君は自分の作業に集中したまえ」
そう言い、カルロスは足早に扉へと向かう。
(見送りされるのも嫌なんでしょうけど、こっちにも立場というものがあるのよ)
カルロスを放っておいて作業をしていたのは事実だが、だからといってそうはいかない。アリアはカルロスの言葉を無視して、一緒に応接間を出て玄関へと向かう。
「……じゃあ」
「…ありがとうございました」
なんともぎこちない別れの挨拶をしてカルロスの訪問は終わった。その帰る間際のカルロスの表情が、アリアには少し引っ掛かった。来たときにはあれだけ不機嫌面をしていたのに、帰る間際にはそれが無くなり…なんとも違和感を感じる別れ。作業に集中しろと言われたときも、見送りを拒否しようとした言葉と受け取ったけれども、強引に見送りをしてもその表情が不機嫌に変わった様子はなかった。それどころか、何か窺うような…よくわからない表情をしていた。
(そんなに無視されたことがこたえたのかしら?)
それもあるかもしれないとアリアは思った。生まれながらに王族であり、夜会に出れば令嬢たちに囲まれちやほやされる。彼に声を掛けられて無視する存在はこれまでいなかっただろう。
そんな彼に無視するという精神攻撃をしたことに、今更ながらに少し申し訳なく思った。
「…ふぅ」
「お疲れ様でございます、お嬢様」
「…私は大丈夫よ。それよりごめんなさいね。あなたに給仕なんかさせちゃって」
「致し方ありません。ほかの者ではまだ王族を前にしては粗相をしかねませんから」
「そうね……。でも、ずっと…というわけにはいかないのよね」
婚約はこれからも続く。少なくとも、国王の意思が変わるまでは。その間、ずっとブラストに給仕についてもらうわけにはいかない。
「ちょうどいい機会です。フィーネにはいい訓練の場となりましょう」
「…ほどほどにして頂戴。あの娘、殿下に目を付けられてるんだから」
「尚更でございます」
(…ブラスト、ちょっと怖い)
ちょっとこの老齢の執事が怖いと思ったアリアだった。