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3話

 翌朝。目を覚ましたアリアは日課をこなしたあと、昨日目を通すはずだった資料を確認するために自室に戻っていた。しかし、そこに侍女が慌てた様子で駆け込んできた。


「お嬢様、旦那様が支給身支度を整えて今すぐに玄関に来るように、と」


 何故?と思う暇もなく、侍女長を含めた数人がアリアの自室を訪れ、一気に身支度を整えていく。どうやら相当切羽詰まっているようだ。彼女らの表情がそれを物語っている。

 あっという間に支度は整えられ、今度は無理やり手を引っ張られていく。


(一体何なの!?)


 心中では憤慨するも、何かがあったことだけは分かる。そして、廊下を通る途中で見えた外の景色に、見慣れない馬車、そしてその馬車に冠された紋章から察しがついた。


(まさか……)


 玄関に辿り着いたとき、果たしてそこにいたのはカルロスだった。しかしその顔は明らかに不機嫌といった様子で、腕組をし、顔はそっぽを向いている。昨日令嬢たちに向けていた甘い笑みの残滓は欠片も無い。彼の表情が、ここに来たのが彼の意思ではないことを表していた。

 そのカルロスの背後には、見慣れない男性がいる。騎士服を纏い、剣を帯びていることからおそらくカルロスの護衛なのだろう。…しかし彼の視線はカルロスの周囲、というよりもカルロス自身に向いているような気がする。

 アリアが姿を表すと父は明らかにホッとした様子を見せ、あとは婚約者同士でなどと言って早々に逃げ出した。

 婚約者同士も何も、婚約を了承していないし、それどころかお互いに破棄したいという二人。その二人が取り残された場は、決して安穏とは言えない空気で包まれている。


「………」

「………」


 どちらとも、自ら言葉を発することは無く、玄関に突っ立ったままだ。とはいえ、相手は一応王族。このままにしておくわけにもいかない。アリアは一先ず応接間に通すことにした。


「…カルロス殿下、ひとまずこちらの応接間に…」

「きみの部屋でいいよ」

「………」


 カルロスの言葉でアリアの額に青筋が走る。立たせたままで待たせたという無礼を先に働いたのはアリアの方だから仕方ないとしても、だからといって私室でいいという理由にはならない。アリアはその言葉が聞こえなかったフリをして、そのまま応接間への案内を始めた。


「きみの部屋はそこじゃないだろう?」


 が、カルロスはあくまでもアリアの私室に行きたいようだ。その場を動こうとしない。さらに青筋が一本追加されるが、それでもアリアはまだ平静を保った。


「申し訳ございません。私の部屋は客人を迎えるには向いておりませんので」

「構わないよ」


(お前が構うんじゃない、私が構うんだよ!)


 青筋がさらにプラス一本。でもまだ大丈夫。自らにそう言い聞かせ、それでも応接間に足を向ける。何が何でもこの男を私室に案内する気はなかった。


「そこの君、アリアの部屋はどこだい?」

「は、はい!?」


 アリアに案内する気が無いと分かったからか、今度は近くにいた侍女に声を掛け、聞き出そうとしていた。当然、侍女はどうしていいかおろおろするしかない。

 4本目追加。キレた。


「君なら知っているだろう?さぁ早く案内を…ぐおっ!?」


 強引に侍女に案内させようとしたカルロスの胸ぐらをアリアは掴み上げていた。もはやアリアには目の前の男が王族という括りで見えていなかった。

 高身長のカルロスの胸ぐらをつかむとなると、アリアからは腕を伸ばしきらないといけない。その身長差があるのに今この瞬間、場の支配権を握っているのは間違いなくアリアの方だった。

 掴んだ胸ぐらを引き寄せ、自分の方へと寄せる。顔の距離が近くなったけれど、そこに甘い雰囲気は欠片も存在しない。

 アリアの伊達眼鏡がキラリと光る。彼女の打って変わった雰囲気に、さすがにカルロスも緊張と恐怖を隠せない。


「カルロス殿下…」


 可愛らしかった声は、今は驚くほど低い。耳元で囁かれるアリアの声に、カルロスはごくりと唾を飲み込んだ。


「私、無遠慮な男って大嫌いなんです。親しくもない男を、私の部屋に招き入れるような馬鹿な真似はしないんです」

「で、でも他の子は…」

「婚約者でもない女性の部屋に入るような男はもっと嫌いです」


 どうやらカルロスにとって女性の私室に入ることは日常茶飯事のようだが、あいにくとそんなことは知ったことではない。どころか、そもそもカルロスにとってアリアとの婚約が初めての婚約のはず。それなのに今まで婚約者でもない女性の部屋に入り浸っていたようなのだから猶更だ。

 アリアのカルロスに対する評価はこの二度目の対面をもって、さらに二段階低下した。


 しかし、ここでアリアは護衛の彼を思い出した。いくらカルロスが無礼で失礼極まりないとしても、それでも彼は第二王子。そんな彼にこちらが無礼を働ければ護衛の彼はきっと動くにちがいない。

 咄嗟に胸ぐらをつかんだ手を放すと、解放されたカルロスが後ろに座りこんだ。しかしアリアはそれを気に留める余裕もなく、そーっと彼の後ろにいる護衛に目を向ける。

 彼と目があった。その表情は真一文字に口を引き結んでいる。その眼光は鋭い。アリアの頬を冷や汗が一滴流れていく。

 もし彼の口から国王に、アリアがカルロス…第二王子に無礼を働いたと告げ口されればどうなるかわかったものではない。そうなれば、自身はおろかフォンデーヌ家も…

 そんな最悪の展開が頭をよぎる中、その護衛の彼は、アリアに向かってゆっくりと右手を上げていく。そして、肩の高さまで上がったその手がとある形を形作った。

 それは握りこぶしでありながら、親指だけが天を向く形。彼は言葉を使わず、アリアに語り掛けていた。そう、『グッジョブ!』と。


「………」

「………えっ?」


 それに驚いたのはアリアの方だ。無礼を働いたにも関わらず、咎めるどころか賞賛されている始末。しかしそれもすぐに納得した。グッジョブとアリアを称えた彼がカルロスを見る眼は、明らかに残念な子を見るそれだった。


 彼らもまた、カルロスにはほとほと呆れているのだろう。たとえどんなに残念な子であろうとも、王族は王族。その身を守らねばならないのは騎士の務めだ。だからといって、それに素直に納得している騎士は少ない。今回護衛としてついてきた彼はその数少ない一人だ。


「ぼ、僕にこんなことをしてタダで済むと思っているのかい!?」


 すると、起き上がったカルロスがアリアを睨みつけてくる。しかしその眼光は……なんというか、頼りない。まるで精一杯吠えてくる子犬のよう。

 セリフだけ聞けば王族が発した言葉から戦々恐々だが、発した本人にまるで威厳が無ければ、それを裏付けるような状況でもない。少なくとも、この状況下で護衛が動きそうな気配は全くない。


「クリーク!この生意気な女を懲らしめろ!」


 カルロスが背後に控えた護衛に向かってそう叫ぶ。護衛の名はクリークというようだ。しかし、そう命令されたクリークは微動だにしない。生意気な女…アリアに何かしようという気も、主人を諫める気も無いようだ。


「クリーク!」

「………」


 再度名を呼ばれてもクリークは応じない。カルロス自身は先ほどアリアに胸ぐらを掴まれた恐怖からか、少しずつ後ずさりし、もう少しでクリークの後ろに回りそうになっている。


(……そう。そういうことね)


 こんな茶番劇のような何かを見せつけられて、アリアはカルロスの王宮内での立ち位置がなんとなく見えてきた。

 カルロスは…王宮内でかなり敬遠されているようだ。少なくとも、護衛騎士のクリークの態度がそれを物語っている。それに国王も、だ。フォンデーヌ家は政治的には特定の派閥に入れ込むようなことはしていない。いわゆる中立の家だ。だからといって特段権力が強いわけでも、王家に心酔しているわけでもない。財政的には裕福で、堅実ではあってもそれだけ。王子の結婚相手にする家としては物足りないのが正しい見解だ。

 逆にいえば、王族との縁続きになったとしてもそれを悪用されるリスクが少ない家でもある。王族との繋がりを盾に、強権を振りかざす恐れは少ない。実際、彼の取り巻きの令嬢たちの家にはカルロス自身よりも、王族との繋がりを考えている家もある。そんな家とつながるよりも、フォンデーヌ家のような無難な家の方がまし、と判断したのだろう。


 そう思えば、目の前のカルロスという男に少しだけ憐みを覚える。全く能力がないせいで何も誇るものが無く、執務をこなしたという実績がない。見た目と王族という利点で令嬢たちに囲われ、女性の扱いには長けているが、それだけ。その扱いもアリアのような女性が相手では全く功を成さないけれど。


「女の子たちはみんな僕の言うことを聞くのに!僕は王族だぞ!なんでお前らは僕の言うことを聞かないんだ!」


 そのセリフが全てを物語っていた。そして、アリアはつい先ほど感じた憐みを綺麗さっぱり捨てることにした。やはりこの男は屑であると。




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