第8話 お姫様はたいてい料理ができない
「……暇だ」
夜美に協力すると決めて数日。
王牙は自室で椅子に背を預け、だらしなく伸びをした。
あの会話の後、王牙は仕方なく毎日パソコンと睨めっこを続けていた。しかし怪しい人物の噂の一つも出ない。町は本日も平和であった。
「いつつ。体がまともに動きゃ料理の一つでも作って気を紛らわせてやれるのによ……」
伸びをした時、身体中の筋肉から電撃が走ったような痛みを感じ、顔を歪める。
祈祷術による治療はどうやら三日間付きっきりでやる必要はないらしい。朝と夜、一日二回、数十分ずつ施術すれば十分なのだとか。逆に祈祷術をかけすぎると過回復といって体中の細胞が活性化しすぎて体が原型を保てなくなり、最終的には腐って死んでしまうらしい。
夜美はまだ万全な状態ではないらしいのだが、それでも王牙の施術だけは欠かさず行なってくれている。高飛車だけど根は優しいのだろう。
そうやっていると、ピンポーンという玄関のチャイムの音が鳴った。宅配か何かかと思ってすぐに自室からリビングへ出て、外を映すモニターを確認する。
「何か頼んだの?」
「いや、そんなことないはずだが……って、げっ」
『王牙くーん! お見舞いに来たよー!』
扉の前でぴょこぴょこジャンプしていたのは、なんと桜だった。モニター前で跳ねているのは身長が足りないからだろう。彼女がジャンプするたびにアホ毛と胸が揺れる。ものすごい揺れる。それは爆弾のような刺激があった。
「……なに固まってるのかしら?」
「い、いやなんでもないぞ! お前はそこで隠れてろ! 俺がなんとか追い返す!」
夜美が訝しげな顔をしながらモニターを覗き込もうとしたので、急いでそれを背中で隠す。
毒舌雪女こと夜美のことだ。今の桜の状態を見れば絶対零度の視線をくれることだろう。これからしばらくの間一緒に住むことになる相手にそれをされるのだけは避けたかった。
王牙は急いで玄関に駆け寄り、ドアを開けた。
「やっと開いた! 王牙君、病気だなんてめずらし――へああっ!? なにその怪我!?」
「こ、声が大きい! 少しは黙れ!」
しまったと王牙は頭を抱える。そういえば学校には病気で通していたことを忘れていた。
急いで彼女の口を塞ぐ。モガモガ言っているが無視である。そしてしばらく経ってようやく落ち着いたころ、王牙はその手を離した。
「――ぷはぁ! ど、どうしたのその怪我? 病気じゃなかったの?」
「……あー、これはだなー、深いわけが……」
くそ、こうなるんだったら暑さを我慢して長袖を着ておけばよかった。そうすれば腕の包帯をごまかせたのに。
だが後悔先に立たず。王牙はそのある意味驚異的な頭脳をかつてないほど超加速させ、そしておおよそ13秒後に口を開いた。
「えー、あー、その、だな。実は階段で転んじまって―。あまりにもダサい骨折だったから知られたくなくて仮病にしたんだよー」
「嘘だよね?」
「ウソジャナイゼー。オウガ、ウソツカナイ」
「ものっすごい棒読みになってるじゃん!」
バレバレであった。桜は少しも迷うことなく王牙の嘘を見抜いた。
「前も言ったけど王牙君、嘘下手なんだもん。まずは流し目するのやめたら?」
「マジか。そんな癖があったのか。ありがとうな、これで俺の嘘は完璧だぜ!」
「あと癖が残り十一個あるけど、そっちは教えなーい」
「ガーン!」
やっぱり王牙に嘘は向いていないようだ。
だがそれとは別に、彼は頭を悩ませる。今回ばかりは彼女を巻き込むわけにはいかないのだ。いつもの人間関係のトラブルとはレベルが違いすぎる。なんとか穏便に帰ってもらおうと、ない知恵を絞ろうとする。
「……もしかして、また人助け?」
「へっ?」
「だって王牙君、人助け以外じゃ嘘つかないじゃん。こうやって嘘をつこうとしてるってことは、そういうことでしょ?」
「……それは」
「よかったら話してくれないかな? 私、王牙君の力になりたいの」
その言葉に彼は一瞬口を開きかけてしまった。だがすんでのところで踏みとどまる。
たしかに、彼は桜には今までに何度も助けられてきた。彼女は猪突猛進な王牙と違って、常識的な考えを持っており、円滑に物事を進めることに長けている。中学時代の王牙の暴走を止めてくれたのも彼女だ。それゆえに王牙は問題が起こるたびに彼女に相談をし続けた。
しかし昨夜の出来事を思い出し、今回は絶対にダメだと王牙は改めて決意する。
「……すまねえ。今回ばかりはお前にも話すわけにはいかない」
「……う、ううん。そうだよね。言えないこともあるよね。ごめんね、デリカシーのないこと言っちゃって」
「いや、いつもならそうしてたし、お前は悪くねえよ。ただ今回だけは、どうしてもダメなんだ……」
初めて相談を拒絶され、彼女は目を丸くした。そしてすぐにいつも通りの笑顔を浮かべる。
だが、彼女のことをよくわかっている王牙にはそれが貼り付けられた笑みであることがわかっていた。確信しているわけではない。だけど彼女ならこういった時、気を遣わせないように無理にでも笑うだろう、というただの推測だ。それで申し訳なくなってしまい、なにも言い出せなくなる。
そうやってしばらくの間、気まずい沈黙が流れた。
「そ、その……これ、お見舞いの果物。よかったら食べて」
「お、おう。ありがたくいただくぜ」
『――クシュンッッ!!』
果物がたっぷり詰め込まれたバスケットを受け取ったその時、家の中から玄関まで響くほどの間抜けなくしゃみが聞こえてきた。犯人は言うまでもない。
「へっ? 今、誰かのくしゃみが聞こえてきたような……」
「っ!? そ、そんなわけねえだろ果物ありがとなそれじゃあな!」
「へ!? あわわわ!? 急にどうしたの王牙君っ!」
王牙はその瞬間、彼女を有無を言わせぬ勢いで強引に外に連れ出した。そして扉を閉めようとする。が即座に扉の間にその華奢な足が挟み込まれ、ガンッ! という音がした。
「王牙くぅん? もしかして今家に女の子とか連れ込んでいるわけじゃ……ないよねぇ?」
「は、はははっ! んなわけねえだろっ」
桜が満開の笑みを浮かべて首を傾げる。しかしなぜだかその瞳に光はなかった。絶対零度の凄まじいオーラを彼女の背後に幻視する。蛇に睨まれたカエルとはまさにこのことか。
見つめ合うこと数秒。王牙にとってそれは地獄の数時間のようにも感じた。
「……ふーん。まあいいや。今回だけは許してあげる。じゃあね王牙君、怪我治ったらまた学校で会おうね!」
「へっ? お、おう、またな……」
彼女は何かに納得すると、その寒気のするオーラを消し去る。そしていつも通りの華やかな笑みを咲かせ、帰っていった。
なんとかごまかしきれたようだ。あの桜相手に? 王牙は今起きた出来事が信じられなかった。
「うぉぉぉぉっ!! 俺は! 成長したんだぁぁ!!」
テレテレテ、テッテー! というレベルアップのファンファーレが脳内で鳴り響く。王牙は実感した自分の成長ぶりに思わずガッツポーズを取った。
あの桜すら騙せたのだ。今の自分に敵はいない。もう「嘘をつくのが絶望的にヘタクソw」とか下竹に言われることもなくなったのだと歓喜して思わず叫んでいた。
「うるさい! これ以上騒ぐんだったら串刺しにしてやるわよ!」
「……あ、はい。すんません」
だがその燃え上がった希望の熱は、リビングから投げつけられたスリッパが頭に激突することで、急速に冷めたのであった。
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「さーて、今日の夕飯どうすっかな。腕がまともに動かねえんじゃ包丁も持てないし、やっぱ今日もインスタント麺にでもするか?」
夜。王牙は今日の夕飯について頭を悩ませていた。
あの戦いの日から今日に至るまでずっと、王牙たちは三食インスタント食品を食べ続けてきた。
しかしそろそろ限界である。健康を気にしてそのまま食べられるサラダをスーパーなどで買ってはいるものの、インスタント麺は毎日食べると体に悪い。現に最近は腹の調子が悪くなることが多くなってきた。やはり何か手作りのものを食べなければ。
しかし今の王牙は包丁を持つこともできない。料理など到底無理なのだ。なのでいろいろ悩んだ結果……。
「――ということで、お前料理できるか?」
「……あなたはどう思うかしら?」
「あー、その質問返された時点でなんとなくわかったわ。聞いて悪かった。はい解散」
「まだなにも言ってないでしょうが! できるわよ! 私だって普段はやらないだけで、料理経験ぐらいあるんだから!」
「お、マジ? じゃあどーぞどーぞ」
なんだ、脅かすなよ。料理無理なやつのテンプレみたいな反応しやがって。紛らわしい。
そう内心安心しながら、王牙は喜んで彼女にキッチンを貸した。
――この判断を、後の王牙は永遠に呪うことになる。
「えーと、まずは材料ね」
夜美は勢いよく冷蔵庫を開く。そして匠の速度で次々と食材を取り出していく。
トマト。レタス。キュウリ。ジャガイモ。イカ。タコ。豆腐。ネギ。豚肉。ピーナッツ。ケチャップ。マヨネーズ。はちみつ。苺ジャム。板チョコ。プリン……。
「おい、ちょっと待て」
「何よ? 今から私が庶民のあなたに貴族の食事ってものを振る舞ってあげるのだから、邪魔しないでくれるかしら」
「いやそれ以前の問題だろ!? なんだこりゃ!? これで何を作るってんだよ!」
「庶民のあなたが見たこともないような料理よ」
「ああ! 誰も見たことがないびっくり料理がさぞできることだろうよ!」
「ふふ、まだ出来上がってもいないのに褒めないでくれるかしら。お世辞は嫌いよ」
「褒めてねえよ!」
なぜ!? どうしてこんなことに!?
戸惑いの中、ふと彼女を見下ろす。彼女の目は料理に対する絶対的な自信に満ち満ちていた。
その瞬間、彼は悟った。
これあれだ。こいつ本当に料理が上手いって思いこんでいるのだ。道理で料理できるって言い張るわけである。
「と、とにかくこのふざけた悪魔召喚の儀式をやめさせねえと!」
「うるさいわね。護法始式『口縄』」
「むぎゃっ!?」
彼女に掴み掛かろうとした途端、霊力でできた蛇が巻き付いてきて王牙を拘束し、床に転がさせた。
「こ、この程度! ……!? 切れねえ!」
「当然よ。忠則じゃなくて私が放った口縄なんだから。大人しくそこで転がってなさい」
「ま、待て! お前自分の料理を誰かに振る舞ったこととかあるのか?」
「ええ。家臣のみんなは泣いたり気絶したりして『美味しい』って言ってくれたわ」
それ絶対本当のこと言ったら殺されるって全員思ってただけだろ! と内心突っ込むが、こうなった以上王牙の言葉はもはや届くことはない。
その後、床に寝かされたせいで見えなくなったキッチンから、おおよそ料理では聞いたことがないような音が立て続けに聞こえてきた。
ベチャ、グチャ、ベチャ、グチャ。
その生理的に耳を塞ぎたくなるような不快音は、王牙の全身を鳥肌まみれにする。もうあそこで死体の解体をしていると聞かされても驚きやしないだろう。というかもうそれにしか聞こえなくなった。
そして彼が床に寝てから数十分後、ついにこの時がやってきてしまう。
「さあ完成よ! 夜美ムーンライトスペシャル! 感動でむせび泣くがいいわ!」
『……して……こ……ろ……して……』
「……ぐすっ」
王牙は泣いた。号泣した。そのテーブルに出された、料理への冒涜に。その名状しがたい紫ヘドロの化け物に。このダークマターに使われた食材たちは、きっと素晴らしい料理へと変わることを夢見ていたのだろう。しかし彼らがなってしまったのは、うねうねと見たこともない触手をうごめかせ、吐き気のするような異臭を放つ汚物。そのあんまりな変化に付喪神でもついたのか、夜美を呪う呪詛まで聞こえてくる。
「さあ、召し上がれ。今日は気分がいいから、私が食べさせてあげるわ」
「い、いや、俺の腕はこの通りピンピンしてるから大丈夫だ。だからそれを近づけるな!」
彼女は皿に置かれた名状しがたき神話生物の頭にグシャ! とフォークを勢いよく突き立てる。呪詛が悲鳴に変わる。しかし彼女にそれは聞こえていないのか、見たことのないような笑顔でそれを王牙に近づけてきた。
そして……。
「ーーーーーーーッ!?!!!」
ヘドロが強引に口に突っ込まれる。
そしてそれを噛んだ途端、まるで地球創世から現在に至るまでの歴史に匹敵するほどの味の情報が脳内を光速で駆け巡り、王牙の意識は真っ白に弾け飛んだ。




