第63話 無意識
「最初あなたの能力を見た時に、真っ先に疑問に思ったのがその鈴よ。それを鳴らすことが能力発動のトリガーになっているのはわかってる。でもなんで音なんだろうって」
木陰から姿を現しながら、夜美は謎が解けてスッキリしたような顔でそう語り始める。その凛とした雰囲気に誰もが圧倒され、思わず足を止めて聞き入ってしまう。
「人間は音を取り入れる際に必ず耳を経由する。そして耳は脳と繋がっているわ。だから仮説として、あなたのその音は脳に作用していると考えられる」
「……それで?」
前に夜美が音響魔術は精神操作と相性がいいと語ったことがある。その理由がこれだ。音は脳に作用するので、思考に影響を与えやすいのだ。
彼女の追求から逃れようと静音は無表情のまま、冷たくそう返す。しかし夜美がそれを見逃すはずはない。それ以上に冷たい目線と寒気がする微笑をたたえて、彼女を追い込んだ。
「もういいかしら? あなたの空硯の能力は催眠系。私たちの脳を操ることで、自分の姿を相手から認識できないようにしているんだわ。違う?」
「……はぁ」
夜美の解説はあくまで仮説。しかしそれが図星だったのか、静音は諦めのこもったため息をついた。
「ま、九割正解って感じかな。うちの霊器『空硯の能力は『無意識の操作』」
「無意識の……操作?」
正直何を言っているのかわからない。ただでさえバカなのに血で頭が回らない今、王牙が二人の会話についていけるはずもなかった。
しかし幸いなことに、彼女はそんな王牙の様子にも気づかず、全員が察していることを前提でその能力の詳細を語ってくれた。
「『空硯』は一つの対象を、鈴の音を聞いた全員から認識できないようにすることができる」
「認識できないって、なんだ? 透明化とどう違うんだよ?」
「実際に消えているわけじゃない。ただ、視界に入ってもあんたたちの脳が勝手にうちの存在を無視しているの。ちょうど散歩をする時に、道端の小石が見えても意識することすらないように」
ゆえに『無意識の操作』なのだ。
彼女が選んだ対象は敵の意識をすり抜けて無意識に潜り込んでしまう。だから認識することができない。
全ての現象に合点がいった。
そこにいるはずなのに気配がまるで感じられなかったことも、王牙爆光波が当たったことも。
勝機が少しは見えてきたかもしれない。そう思うと力が湧いてくる気がして、王牙は気だるげな体を奮起させ、不敵な笑みを再度浮かべる。
「だけど、能力がわかったところでどうしようもないでしょ!」
「そうでもねえさ!」
王牙は自信満々の顔で両手で耳を覆った。そして空硯の能力から逃れようとする。
しかし結果は変わらず。彼女が鈴を弾いたと思ったら、次の瞬間には彼女の姿が消えていた。
「へ……? ……ぐぉっ!?」
「こ、このバカ! 耳塞いだくらいで音が聞こえなくなるわけないじゃない! もうちょっと頭使いなさい頭を!」
は、恥ずかしい。自信満々に言ってこの結果とか。今のは体というよりも心が切り裂かれた気分だ。味方によってだけど。
「だいたい何よあのドヤ顔は。『そうでもないさ(キリッ)』だっけ? うわ、カッコわる。あんな生き恥晒してよくもまあまだ生きてられるわね」
「ここぞとばかりに精神攻撃しかけてきてんじゃねえよ! テメェはどっちの味方だ!?」
「ハッ……ついいつもの癖が」
「死ね! つーかあんだけ文句あるんだったら解決策の一つくらい言ってみろや! ……ぐおっ!?」
「戦闘中に雑談とか、ずいぶん余裕そうじゃん」
とか言っている間に再び切られてしまった。
どうにかアドバイスを聞き出すまでの時間を稼がなくては。王牙はあることを思いつき、周囲の木の枝の一つに飛び乗った。そしてそこからピンボールのように木から木へと高速で跳ね続け、三次元的な動きで静音を翻弄する。
「っ……!」
静音は再び鈴を鳴らす。しかし今度は斬撃にあたることはなかった。
やっぱりか。空硯の鈴の音が鳴っている間、王牙は静音の姿を視認できない。しかし動けないわけじゃないのだ。つまりこうやって鈴が鳴ろうが鳴らまいがお構いなしに、彼女が追いつけないような変則的な動きをすれば攻撃を当てられる可能性は低くなる。
もっとも、時間が経てばそのうちに動きを見切られるようになってしまうだろうが。それでも会話するだけの時間稼ぎをするのなら十分だ。
夜美も彼の意図を察したのか、すぐさまアドバイスのために口を開く。
「王牙。あなたは動きの速い春水に攻撃を当てるためにいくつかの技を試作してたわよね。その中の一つに答えがあるわ」
いや名前で言えや! とツッコミを入れたくなったが、そういえな未完成技だったから名前をまだつけていなかったことを思い出した。かといって技の内容を語れば今度は静音に何をするつもりなのかバレてしまう。そういうことを考えた上でのアドバイスだったのだろう。
体を動かしながら、王牙は思考する。
静音の能力は催眠による無意識操作。そしてその起点となるのは音だ。さっきは耳を塞いだのを怒られたが、音を遮断すれば能力を無効化できるという考え自体は否定されていなかった。
――つまり使うべき技は……これだ!
王牙はそれまでのように逃げ回るのをやめ、木の枝の上に着地すると、左手で右手首を三度捻る。
「『駆動心音』……トリプルアクセル!」
すると体から噴き出していた桃紫色の霊力の勢いがさらに強くなった。
そして溢れる力のままに突如静音に突撃。彼女は面食らったものの、すぐさまデコピンの形を作り、鈴を弾こうとする。
しかしそれと同時に王牙は霊力を両手に注ぎ込むと、突風が巻き起こるほどの勢いで思いっきり柏手を叩いた。
「『王牙裂帛音』!」
「っ!?」
それはまさに音の爆弾であった。
窓ガラスすら割れるほどの超音波が周囲の音をかき消していく。
とある有名な暗殺学園漫画に、必殺技として猫騙しが登場している。敵の意識の空白につけこみ、柏手で驚かせることで一瞬の隙を生み出すのだとか。
しかし王牙のものは違う。もっと単純で、もっと強力。超爆音を至近距離から敵の脳に叩き込み、失神させる。そこには意識の空白なんてものを狙う必要がない。
先ほども言った通り、耳は脳と繋がっている。そこに強い刺激を受けるとその影響で脳が麻痺してしまうのだ。
結果がこれだ。それを聞いた静音は白目を剥いて、のけ反っていた。
「ぜあああああっ!!」
その瞬間を、王牙は見逃さない。
意識が飛ぶのはわずか数秒。しかしその数秒は高速戦闘が基本の術師世界では致命的な時間だ。
王牙はギチギチと歪な音が鳴るほど強く握りしめて、拳をまっすぐ突き出した。
「ゴハッ……!?」
それは彼女の腹部に見事に突き刺さる。
一瞬の静止。その後拳の速度に遅れて衝撃破が発生し、彼女を彼方まで吹き飛ばす。
だがまだだ。王牙は霊力を噴出させて低空飛行を行い、加速。木々を突き破りながら吹き飛ぶ静音に追いつくと、その勢いのまま目にも止まらぬ乱打を繰り出す。
「『王牙爆裂拳』!!」
「ゴッ! ガッ! ギッ! ゴォ!?」
連打連打連打連打。
もはや狙いすらつけない。ただ連打の速度に特化した拳を数え切れぬほど繰り出す。
それは彼女の腹を、肩を、顔をランダムで滅多打ちに。たとえ手打ちの拳でも王牙のそれはヘビー級のパンチを超える。その連打は王牙の息が続く限り続いた。
「今までの分のお返しだ!」
そしてトドメに大振りな一撃が顔に突き刺さり、そして彼女は木の幹に叩きつけられた。
「あっ……がっ……! ま、まだ……っ!」
それでも彼女は止まらない。すぐさま立ち上がると、脇目も振らず必死の形相で突撃し、体ごと叩き込むような突きを放ってきた。
だが王牙は空中に跳躍してそれを避けると、軽やかに一回転。遠心力をつけた踵落としを、カウンターで彼女の背中に叩きつける。
「カハッ……!」
あまりの威力に静音は抵抗することもできず、地面に叩きつけられた。
だが王牙の攻撃はまだ終わらない。地面でバウンドし、浮き上がった彼女の胴体に向かって足を振りかぶり――思いっきり、その腹を蹴り飛ばす。
「少し寝てろ、この大バカヤロウ!」
骨をへし折った感触が足に伝わってくる。
彼女はそのまま人身事故にでも遭ったかのように勢いよく吹き飛び、そして森の彼方へと消えていった。
「……なんとか、リベンジできたか」
ふぅぅ……。と深いため息をつき、王牙は能力を解除した。
静音は術師とはいえ人間だ。霊力で強化されているとはいえ、驚異的な身体能力や治癒力を持っているわけではない。肋骨が何本か折れればまともに走ることもできないだろう。
能力解除の影響で桃紫色の霊力が霧散していくのを眺めつつ、体のあちこちを伸ばして検査してみる。
三倍の負担を多少感じるが、動けなくなるほどではない。せいぜい軽めの筋肉痛ぐらいだ。この調子でいけば近いうちに三倍を超えた倍率での強化も可能になるかもしれない。
と、そこへ草木をシャクシャクと踏み分けてこちらに近づいてくる音が聞こえてきた。だが王牙は特に警戒をすることはなかった。気配でそれが誰だかわかっていたからだ。
「まったく。あっちこっち飛ばしすぎよ。おかげで追いつくのに苦労したわ」
「別に普通の人間じゃないんだし、このくらいの距離どうってことないだろ」
「私が今殺戒錠をつけられているの忘れてない?」
「殺戒錠?」
夜美は呆れたように両手を前に差し出す。その手首には銀色のご太い手枷がはめられている。
彼女の話によると、どうやらこの枷のせいで彼女は霊力を封じられてしまっているのだとか。
「じゃあさっさと開けねえとな」
「鍵がないのにどうするのよ? 鍵を持ってるのは静音のはずだけど……肝心の彼女はここにはいないし。というかあれだけ派手に蹴飛ばしたりして、壊してないわよね?」
「……大丈夫。たぶん。きっと。メイビー。せいぜい骨がいくつか折れるくらいの勢いでしか蹴ってないから……」
「全然だいじょばないわよ!?」
いくら彼女が人間とはいえ、霊力を纏った人間の骨を折るには相当な力が必要となる。案の定というか全然手加減していない彼に、夜美は一生これつけたままなんじゃないかと少し冷や汗を流した
「それじゃあ無理やりぶっ壊すとかは?」
「……できなくはないけど、難しいわ。私は霊力が封じられているから何もできないし、物理でこじ開けるにしてもかなりの衝撃が必要よ」
「どれどれ……ぐぬぬっ……!」
王牙は両手の手枷をつなぐ鎖部分を手に取ると、それを無理やり引きちぎろうとする。しかし鎖は傷一つつかず、うんともすんとも言わなかった。
「だったらこいつだ! 『駆動心音』、トリプルアクセル! ――ヌギギギっ……!」
桃紫色の霊力を噴出させながら、彼は再度鎖にチャレンジした。だがそれでも壊れず。先ほどよりは歪な音を立てているが、とても引きちぎれそうにはなかった。
あまりの頑丈さに王牙は手を真っ赤にしながら、愕然とする。
「マジか……三倍でもダメなのかよ」
「特級すら捕らえることのできる枷よ? 当然怪力対策もしてあるわ。神代の技術は伊達じゃないってことね」
「くそ、めんどくせえ呪具作りやがって……!」
力づくでは不可能。そういう結論に達した二人は途方に暮れてしまった。
残る方法はただ一つ。しかしそれは果てしなく面倒くさい。うんざりした様子で王牙は森の中に生える木々を睨みつける。
「あいつ探すったって……こんな森の中じゃ見つかりっこねえだろ。おまけにあいつ数キロは飛んだように見えたしな……帰りてえ」
「……ちょっと待ちなさい。そういえばあなた、どっちの方角に彼女を飛ばしたの?」
「そりゃ、あっちだな」
そこで何かが気がかりになったようで、夜美は腕を組みながら片手を顎に当て、そう問いかけてきた。
それに対して王牙は覚えている方角を指差す。
そしてそれを聞いた途端、夜美の顔が青ざめた。
「こ、このおバカ……!」
「急に罵倒!? 酷くね!?」
「酷くもなんともないわよ! あなた喧嘩に夢中になりすぎて肝心なこと忘れるじゃない! いい!? 静音が飛んだ方角にはね! 幻想召喚の儀式陣があるのよ!」
「……あっ」
……てことはだ。
王牙の顔も一気に青ざめる。王牙が彼女を蹴り飛ばしてからもう数分は経っている。それくらいの時間があれば……。
「さ、さっさと戻るぞ!」
「言われなくても! ……って言いたいところなのだけれど、霊力を纏えないせいで私飛べないのよね」
「ああもう! 世話が焼ける!」
王牙は彼女を米俵でも持つように脇下で抱え込むと、霊力を纏い一直線に加速飛行した。低空で飛んでいるゆえにあちこちから伸びている枝に何十回もぶつかるが、全てお構いなしでへし折っていく。そうしてガムシャラに来た道を戻っていき、儀式陣の前にたどり着いた。
「っ……やっぱりか!」
しかし全て遅かった。
たどり着いた時には、静音は儀式陣の中で何やら詠唱を唱えていた。中央に置かれた台座には彼女の霊器である空硯が置かれており、周囲を囲む円状の鳥居は土地の龍脈から大量の霊力を吸い上げ、妖しくも神秘的な光を放っている。
「『――寄る辺なくば手を取れ。望みあらば願うがいい。今こそ微睡の水面より浮き上がれ、幻想の守り人』!」
「『王牙……会心撃』!」
迷っている暇はなかった。王牙は夜美を放した途端、手首を捻って霊力を溜め、青い衝撃破を放った。
『駆動心音』による強化なしの『王牙会心撃』。しかし結界も何も張られていない儀式陣を破壊するには十分だ。
静音は王牙の叫びに気づき、彼らへと振り返る。
しかしもう遅い。
衝撃波は儀式陣へ遮られることなく到達し――そして火薬庫にマッチを投げ入れたような大爆発を起こした。
「ガハッ……! 何が……!」
「っ……引き出していた龍脈の霊力に衝撃を与えた結果、爆発を起こしたのね。まったく、踏んだり蹴ったりね」
「へへ……でもこの爆発なら儀式陣もぶっ壊せ――」
「――残念ながら、失敗ね」
楽観視する王牙とは反対に、夜美は険しい顔で煙の奥、儀式陣があった場所を睨んでいる。
はっきりとは見えない。しかしそこには『二つ』の人影が浮かんでいた。
そして煙が晴れたことで、ようやくその姿が露わになる。
一人は静音だ。彼女は爆発の余波で立っていられなくなり、火傷を負いながら尻もちをついていた。
そしてもう一つ。
それは、静音とよく似ていて、しかしそれよりもずっと小さな少女だった。髪色は静音と同じ空色。小学生にも見えるが、傷ひとつない真っ白なセーラー服を着ていることから実際は中学生に上がったばかりなのだろう。
「……天、音……?」
「……」
天音。そう静音に呼ばれた少女の目がゆっくりと開かれる。
その目には一切の光はなく、虚無に満ちている。王牙はそんな覗き込むだけで闇に吸い込まれそうな目を見て、ゾッとする悪寒が背中に走った。




