第62話 狂音
「……これで儀式場は完成、か」
そう呟く静音。その前には地面に描かれた五芒星と、その角の上にそれぞれ置かれた石造りの鳥居があった。鳥居は端が伸びており、まるでストーンヘンジのように他の鳥居と連結し、円状になっている。
「サバイバル用に簡単な錬金術覚えててよかったわ。マジで」
そう、これが幻想召喚の儀式陣だ。
指示された通りに作ってみたものの、我ながらなかなかの出来だと静音は自画自賛する。まさか穴を掘って即席の隠れ家を作るための技術がここで活きるとは。唯一不満点があるとすれば、周囲の素材で作ったため、鳥居が鮮やかな赤色ではなく無骨な石造りになっていることぐらいだろうか。しかしこれでも人間一人召喚するくらいだったら十分使えるらしいので問題はない。
現在、静音たちは夢幻神社がある夢幻山……その山奥に身を潜めていた。
ジェネシスほど大胆だったら最も目立つ境内の中に儀式陣を作ったりもしただろう。しかし実用性を重視する彼女は下手に目立つ神社よりも、木で姿が隠れ、かつ戦闘でも遮蔽物を利用しやすい森を使うことにしたのだ。さらには万が一でも一般人が迷い込まないように、周囲の木々には独学でなんとか学んだ北欧のルーン文字を刻んで人払いの結界を張っている。
何も夢幻神社でなければ龍脈は使えないわけではない。神社はあくまで龍脈管理のための基地。夢幻山内であればたいていの場所で龍脈を扱うことができる。そしてそこから汲み取った膨大な霊力を注ぎ込んで、幻想召喚を完成させる。それが静音の目的であった。
「構造が荒いわね。鳥居はあちこちがでこぼこでささくれ立っているし、工夫も芸術性も美も感じられない。20点よ」
「……あんたは何目線でそこに立ってるのさ」
あまりの酷評にジト目で背後の人物を睨みつける。夜美は両腕を殺戒錠で封じられてもなお、ふてぶてしい顔つきだった。そこには先ほど王牙の命を懇願した時の儚さは微塵も感じられない。
まあ静音としてもあの弱々しい姿を見せられても下手に情が湧くだけなので、このムカつく態度を咎めるつもりはない。それでもムカつくことには変わりないが。
「幻想召喚に必要なのは膨大な霊力と明確なイメージ、そして触媒。それはどうするつもりなのかしら?」
「霊力はこの山の龍脈を使えばいい。残り二つは……うちの霊器を触媒にすれば解決するでしょ」
なにせ空硯の中には召喚する対象である妹本人の魂が宿っているのだ。これ以上残り二つの条件を満たせるものはないだろう。
夜美もそれに納得がいったのか、触媒についてあれこれ言われることはなかった。
「……ねえ。あんたってなんでディストピアスと手を結ぼうとしたの?」
「それを聞いて何になるのかしら?」
「なんにも。今のあんたの姿見てれば、あんたがあの会談の時に裏切ってなかったってのはなんとなくわかるし。だから気になったってだけ。まあ善人だろうが悪人だろうが、うちがやることには変わりないけど」
その目は彼女の兎耳に向けられていた。
幻魔となった人間が陰陽師院にいられないのはよその構成員である静音にも理解できる。だからあの和平の会談の時には、おそらく彼女は陰陽師院を追放されていたのだろう。
かといって生贄にするのをやめるつもりもないが。
静音にとっては妹を元の姿に戻すのが全てだ。そのためだったら能力者との架け橋になり得るかもしれない存在だろうが関係ない。次にチャンスがあるかわからない以上、どんな犠牲を支払ってもやるべきだという思考が静音の中に満ちていた。
「別に。同情してやったわけじゃないわ。ただ政治的な理由が重なったってだけ」
「でしょうね」
静音にとって、夜美は冷酷な女王だ。
逆らう者は誰であれ容赦なく裁く独裁者。実際、彼女は女子ども含めた数百人もの人間を死刑に追いやったこともあると聞く。しかも死刑執行には悪趣味にも自らの鎌で罪人の首を切り落としていたのだとか。
ついたあだ名は『処刑姫』。こんなのが人間的な感情を持ち合わせているはずがない。
「まず一つは、能力者を霊器に変えるより、直接雇った方が即戦力になるということ。霊器はたしかに後世にまで残すことができるけど、その適合率はおおよそ3%。低すぎて当てにできないわ。それに霊器は未熟な人間が持てば体を乗っ取られる恐れもある。貴方たちが想像している以上に危険なのよ」
霊器はただの物ではない。ちゃんとした意思があり、生きているのだ。ゆえに霊器の中には悪意を持って契約者を騙し、乗っ取ろうとする者もいる。妖怪系や、無理やり霊器にされた能力者などはこのケースであることが多い。
だからこそ、陰陽師院では霊器契約に挑戦できるのは準二級以上に限定している。どこの国でも霊器契約者が少ない理由の一つだ。
「さらには能力者を狩ろうとすれば、貴方たちディストピアスのような能力者の組織と戦うことになる。能力者は鍛えれば最低でも準二級になるほどスペックが高いわ。そんな集団の組織と戦争をしている余裕は陰陽師院にはないのよ。だったら雇って味方につけた方がマシ。実際、歴史が浅いがゆえに魔術的な資源や人材の乏しいアメリカじゃ、純粋な研究によって魔法大国の技術に追いつくのを諦めて、その莫大な資本を費やして能力者を片っ端から集めているらしいわ。現実がちゃんと見えている、賢い選択よね」
その国の魔法技術は基本的に歴史に依存する。本来、アメリカ大陸にはインカやマヤといった古代の魔法技術を受け継ぐ文明が多数あったが、それらは西洋人たちによって根絶されてしまった。それによってアメリカ大陸は神秘がほとんど存在しない不毛の大地となり果ててしまい、アメリカは優秀な魔法技術のほとんどを継承することができなかった。
そして今から莫大な資本を費やして研究を始めても、もう遅い。魔法技術というのは金があれば発展するものではないのだ。今の魔法大国の技術にゼロから追いつくとなると、それには千年を超える長い長い研鑽が必要となってくるだろう。
だからアメリカは魔法技術で五大組織に追いつくことをやめて、即戦力となる能力者を集め始めたというわけだ。能力者は個人的な才能に完全に依存してしまう点や、後続の安定的な戦力確保が難しい点、血に理性が飲まれて暴走する可能性がある点など、様々な問題点はあるが、それでも戦力的な魅力は大きい。もしアメリカが今後100年も表社会で大きな影響力を維持できたら、五大組織の一角に参入できるようになるかもしれない。少なくとも夜美はそう考えていた。
「二つ目の理由は、海外の術師組織の抑制のためね。陰陽師院には現在、50人もいない特級術師のうち3割以上と、二人しかいない極級術師の両方を所有している。さらには一万もの軍勢を持ち、他国では精鋭とされる準二級以上の術師が三千も所属している。事実上、人類総戦力の半分以上を担っていると言っても過言じゃないわ」
静音はそれに対して反論することはない。それは隠すまでのない事実だからだ。
通常、特級の術師というのは一国に一人いるかどうかという、人類の最終兵器的な存在なのだ。陰陽師院の他の五大組織に関しても、せいぜい4、5人程度。10を優に超える数の特級術師が所属している陰陽師院は、そんな中でははっきりと言って突出していた。
「それだけの人材が生まれる理由は複数ある。大気中に含まれる濃い霊素によって、生まれつき霊力の高い人間が生まれやすいという環境。開国以来一度も王朝が滅びていないことによって継承されている、神代や古代の魔法技術。そして二千年以上の歴史から遺されている、十万を超える霊器」
日本は現存する世界最古の国家だ。
ここでいう現存とは、王朝、つまりは王の血が最も長く続いていることを指す。
普通、歴史の長さで言ったら中国や古代メソポタミアなどを思い浮かべることだろう。しかしこれらは文明が最古なだけであって、王朝が続いているわけではない。残念ながらこういった神代の技術や血を受け継ぐ国は全て滅亡してしまった。中国なんて滅んだ国の数だけで歌が歌えてしまうほどだ。
ただし、日本を除いては。
日本は現人神である初代天皇が降臨した約2700年前から現在に至るまで、事実上血統が途絶えていない。それだけ長く続く王室は他に存在しない。表社会でも少なくとも六世紀ごろから続いているとして、ギネスブックに認定されている。
つまりこの国の王室は政治的な権力は失えど、魔法的な技術は神代からほぼ完璧に継承しているということなのだ。しかも創造神の血が存在していることによって、土地を覆う神秘が他国ではあり得ないほど濃くなっている。それが大気中の霊素の濃さにつながり、霊力の高い人間が生まれやすい土壌となっているのだ。
「国が一回滅びるだけで、その時代に残されている魔法技術や霊器は大半が失われてしまう。他国では多くて数千程度の霊器しか持っていないことに対して、陰陽師院は実に十万以上の霊器を保有している。つまり圧倒的なアドバンテージがこちらにはあるということよ。そんな中で陰陽師院が人道的な理由で能力者狩りを禁止させたら、どうなると思う?」
「……人道的という反対しようのない理屈によって、各国の術師組織も能力者狩りを禁止せざるを得なくなる。そうなると霊器を増やす手段はほぼ失われてしまい、陰陽師院に追いつくことができなくなる……」
「そういうこと。陰陽師院はもう構成員以上の数の霊器を所有しているのだもの。正直言って能力者を敵に回してまで、これ以上霊器を増やす理由は特にないわ」
「……二つ目の理由は納得できるけど、一つ目は信じられない。そこまで過剰な戦力を持っているのなら、いまさら不安定な能力者を無理に味方につける必要なんてないんじゃない?」
術師社会の頂点に君臨するとされる五大組織の中でも、陰陽師院に敵はいない。だったらなぜ戦力を集める必要があるのか。静音はそう疑問に思う。
しかし帰ってきたのは、苦々しい返答だった。
「……足りないのよ。それでも戦力が」
「は? どういう……」
「大気中に含まれる濃い霊素によって、この国では霊力の高い人間が生まれやすい。だったら逆も起こり得るということは考えられない?」
「それって……」
「この国の妖怪発生率とその質は高い。高すぎるのよ。それこそ今の陰陽師院でさえも、綱渡りで平和を保つのがやっとなくらいには」
日本の妖怪の質と量は異常だ。妖怪の数はユーラシア大陸全土を足してもまだ上回るほど多く、他国では数百年に一度現れるかどうかといった特級妖怪が、ここでは数十年間で確実に生まれてしまう。それ以外にも未討伐の特級が10体以上存在しているほか、最悪なことに極級の妖怪まで君臨してしまっている。
海外はこの地獄とも呼べる島をこう呼んだ。
人魔大戦の最前線。『魔境』と。
「だから私は能力者たちを取り込みたいと考えた。妖怪の対処で手一杯なのに、能力者の相手なんかしてられないからよ」
「……そういうことだったんだ」
そこまで聞いて、ようやく静音は夜美の言い分に納得できた。
彼女の動機はわかりやすく政治的なものだった。
そこには同情や償いといった感情は一切ない。出雲の巫女らしい、冷たい動機だ。
しかしだからこそ、ディストピアスのリーダーは和平の会談に応じたのだろう。陰陽師院と能力者の溝は深まり過ぎてしまった。同情や償いといった感情論では埋め切れないほどに。
ゆえに、政治的なメリットをわかりやすく提示された方が信頼できる。そうリーダーは考えたに違いない。
もっとも、どうやっても死ななさそうな出雲の巫女が、まさか殺されるだなんてのは彼にとっても予想外のことだったのだろうが。
「ふーん。そんな冷血女が、まさかただの能力者の男に恋するなんてね……。人生わからないもんだ」
「なっ!? あ、あれは、そ、そういうわけじゃないのよ……! 恩には恩を返すってだけで、私は彼を助けなくちゃならなくて……とにかく、そういうのじゃないから!」
「スゲー焦ってるし。ウケるわ」
ボソッと皮肉げにつぶやいたら、一転して夜美はその冷徹な仮面を崩して、弁明をまくし立ててきた。その顔は真っ赤に染め上がっている。この様子だけ見れば、彼女はどこからどう見てもただの少女でしかなかった。
――伝え聞いてた話と違うじゃん……。こいつ、どっからどう見ても人間だよ。憎たらしいほどに。
敵がもっと化け物だったら、人の心なんて持っていなかったら静音は迷いなんて持たなかっただろう。しかし実際に会話してみればしてみるほど、静音の心は締め付けられるように苦しくなっていく。
『……ねえ。もうやめようよ』
その時、彼女の頭の中に幼なげな声が響いた。
悲しみのこもった声だ。それは身が引き裂かれそうなほど悲痛な声色で彼女を引き止めようとする。
『もっと別の方法を探そうよ。お姉ちゃん、久しぶりに友達ができたって喜んでたじゃん。それを裏切って……それで人を殺そうとして……それで私が元に戻った戻ったって、お姉ちゃんが辛いだけだよ……』
「……うるさい」
『お姉ちゃん! 待っ……』
「うるさいっての!」
まるで聞きたくない事実から耳を塞ぐように。静音は頭に響く声を自らシャットアウトした。
そして刃のように鋭い目線を夜美に向ける。
「で、ここからどうすればいいの? 触媒もあるし、早いとこ幻想召喚を行いたいんだけど……」
「そのためにはまず私の殺戒錠を外す必要があるわね」
「悪い冗談はやめてよ。あんたはただの生贄。術を行使するのはうちでいいわ」
「……はぁ。霊力を注ぎながら、さっき教えた詠唱を召喚陣の中で唱えればいいわ。どうせ無駄だろうけど」
「……どういうこと?」
「それは――」
夜美は知っている。あの男の頑丈さを。決して折れない心の強さを。
静音は知らない。あの男の底力を。不死身の精神力を。
だから、この場に彼が現れることなんて考えもしなかった。
「――静音ェェェェェェッ!!」
「なっ!?」
「『王牙、会心撃』!」
「っ……霊装展開――『空硯』!」
とっさに静音は日本刀を出現させ、それで不意を突いて飛んできた拳を受け止めた。
だが、王牙の渾身の一撃は並の人間に止められるものではない。
火花が散り、拮抗したのは一瞬のみ。その後拳から放たれた衝撃波のあまりの威力に彼女は目を見開き、吹き飛んでいく。そして背後の木々を5、6本ほど貫通したところでようやく地上に足をつくことができた。
「よお、さっきぶりだな……!」
衝撃波の影響で土埃が周囲を覆う。その中から指を鳴らしながら、黒ジャケットを腰に巻いた半裸の男が現れる。
彼の額には蜘蛛の巣のようにいくつも青筋が浮かび上がっていた。
「俺はな。昔から俺を騙す人間は倍返しでぶっ潰すって決めてんだよ……!」
そうして血のように紅い瞳をギラギラと輝かせながら、我道王牙は決戦の舞台に降り立った。
♦︎
不敵な笑みを浮かべていたが、王牙は内心で舌打ちをしていた。
拳から伝わる感触が軽い……。派手に吹き飛んだように見えたが、あれはおそらく自ら後ろに飛び退いたのだろう。そうやってダメージを軽減したのだ。
その証拠にほら。静音は顔をしかめて痛がってはいるが、王牙渾身の一撃を受けてどこも骨折をしていなかった。あの程度のダメージだったら戦闘に支障は出ないだろう。
王牙は周りを警戒しながら、夜美の安否を確かめる。
「やっぱり来たのね。長々と時間稼ぎをした甲斐があったわ……」
「当然だろ? 俺はお前を助けるって決めてんだからな」
「……それは約束だから?」
「それもある。けど今は違うんだ」
たしかに最初は約束だった。それだけでも王牙は命懸けで夜美を助けようとしただろう。
しかしここ数ヶ月過ごしてきて、様々な思い出ができた。それが彼にさらなる理由を、意味を与えてくれた。
「俺はこんな性格だ。バカだしがサツですぐ暴力に走るし、嫌われやすいってことはわかってる。だから、こんな俺でも見放さずに会話してくれる仲間を! お前を! 俺は絶対に失いたくないんだ!」
「っ……そ、そう……」
――相変わらずこの男はまっすぐな言葉を……私が本当に欲しい言葉をぶつけてくる……。
意地悪な問いかけをしたつもりだったが、逆に無意識のカウンターをくらったことで、彼女は王牙から隠すように顔を逸らす。そのほおは羞恥と歓喜の感情で赤く染まっていた。
しかし王牙はそれに気づかない。夜美が照れているなど考えもしないで、その時にはただ薙ぎ倒された木々の先に目線を送っていた。
そうして二人は静音を追って、森の奥へ駆けていく。ちょうどそこは木々が切り開かれ、広場のようになっている。その中央、日が差し込んでいる場所に、彼女はいた。
「――驚いた。切ってる時も思ってたけど、あんたどんだけ頑丈なの?」
草木を踏み潰しながら、静音はゆっくりと立ち上がってくる。その手には殺気が込められた打刀が握られている。
話は終わりだ。王牙は目で夜美にそう伝え、拳を構える。左足に重心を傾けて前傾姿勢を取り、攻撃しやすいように両拳を左右に広げたノーガードスタイルだ。
すでに『駆動心音』は発動している。その証拠に姿を現してからずっと、彼は桃紫色の霊力をその体から噴出していた。だが倍率は二倍に抑えている。いくら負担が軽くなったとはいえ、三倍まで上げると十分程度でガタが来てしまう。能力の詳細も破り方も見当がついていない状態で限界まで倍率を上げるのは危険だと判断したからだ。
「だけど、それももう終わり。今度こそあんたを……次は二度と邪魔できないように、バラバラに切り刻んでやる」
「……本当にそれがお前のやりたいことか?」
「……どういう意味?」
不快げに静音は王牙を睨みつけてくる。しかしそれから目を逸らさず、まっすぐに王牙は彼女を問いただす。
「友人ぶっ殺して、クラスメイト生贄にして、それで妹を蘇らせることが本当にお前がやりたいことなのかよ!?」
「……はぁ。あんたってほんとバカだね。あんたとの関わりは情報を集めるための必要経費。いわゆるお友達ごっこってやつよ。そしてうちはそこの女には殺意しか抱いていない。だから殺すことになんの躊躇いが……」
「嘘だな」
呆れた顔で説明する静音の声をバッサリと叩き切って、王牙はそう断言した。
「俺にはわかる。お前、今苦しんでんだろ? だから口では達者なことを言おうが、ずっと瞳が震えている」
「っ……適当言って! あたしはもう陰陽師を殺したことがある! 敵を殺すことに躊躇いなんてカケラもない!」
「それは本当なんだろうな。だからお前は夜美を殺すことに苦しんでいる」
「ハッ、意味が……!」
「――お前、あいつに同情してるだろ?」
「っ……!」
その言葉で静音はハッと息を呑んだ。
その反応で十分だ。彼女はそれを隠そうとすぐにいつもの興味なさげな目に戻ったが、今のは見間違いではない。
「お前は陰陽師を殺すべき敵だと認識していた。能力者狩りをする陰陽師が能力者を人間として見ていないように、お前は陰陽師を人として見ていなかったんだ。だけど夜美が頭を下げて必死に俺の命乞いをする姿を見て、お前の目には夜美が人間であるとしか映らなくなった。だから殺すことに罪悪感を感じるし、苦しんでもいる。違うか?」
「か、勝手なことばかり……! そんなの全部あんたの妄想! 勝手に人の心読んだ気になって気持ち悪いんだよ!」
王牙の目は変わらずまっすぐ彼女の心を捉えている。
まるで心を読まれているようだ。自身の隠していた心が丸裸にされる恐怖。それを感じ取り、それから身を守ろうとするかのように彼女は喚き散らかす。しかしそれでも彼の目は彼女の心を解放することはない。
「第一よ。蘇らせるってんならまずはその刀にいる本人に聞いてみろよ。姉が俺たちをぶっ殺してまで復活することを望みますかって? ――んなもん納得いくわけねえだろうが! 殺したやつも! 復活したやつも!」
「っ……!」
「どうした? 聞いてみろよ? お前の妹に!」
「……う、うるさい! うるさいうるさいうるさい! うちは絶対に妹を蘇らせなくちゃならないの! だからこれ以上うちに喋りかけるな! うちの心に指を突っ込むな!」
もう限界だった。王牙の心はまるでマスターキーのようにスラスラと静音の心のロックを解いていく。彼の言葉を聞くたびに、何が正しいのかわからなくなってくる。良心と決意がせめぎ合い、ごちゃ混ぜとなり、自分でも何を口にしているのかすらわからなくなっていた。
だから、彼女は『思考することをやめた』。
震える切先を王牙に向けて、迷いを噛み潰すように柄を強く握りしめる。
――なんでこんなに苦しいのかわからない。でも全部目の前の男が悪いのだ。この男さえ排除できれば、いつも通りに……!
「……やっぱり言葉で止まってはくれねえか。そうだよな。どーせ俺も、夜美も、お前も、素直に人の言うことが聞ける年頃じゃねえんだ。だからそんなやつらに思いを伝えるには、これしかないだろ」
王牙は握りしめた手の甲を見せつけて、そう宣言する。その拳にありったけの念を込めて、彼は叫ぶ。
「今からお前を正直にさせてやる! その奥底に眠る嘘を暴いてやる! テメェの悲劇は、この俺がぶっ殺す!」
「っ……全部あんたが悪いの! だから消えて! 消えろォォォォッ!!」
その二人の叫びが戦闘開始の合図となった。
静音はデコピンを作り、柄頭の先の金剛鈴を弾いた。
それに反応して王牙は両腕をクロスさせ、亀のように体を折り畳んで丸くなる。完全な防御形態だ。
しかし……。
「がぁっ!?」
彼の視界から静音が消えたと思った次の瞬間、背中から激しい痛みが走った。それで王牙は背中を切られたことに気づく。反撃に後ろに向かって裏拳を振るうも、あっけなくバックステップで避けられて、再び鈴を弾かれてしまった。そして気づいた時には今度は前の胴体を縦に切られていた。
(ちっ、やっぱりわかんねえ。本当に時間停止とかなのか? だったらそんなもん、どうやって戦えば……)
相変わらずの理解不能な能力に王牙は苦虫を噛み潰しながら、ジッとガードを固めて耐えようとする。
その一方、夜美は木の後ろに隠れながら戦況を分析していた。
たとえ霊力を封じられようとも頭は回る。夜美もまた静音の能力について考察をしていたのだ。
(あの感じ、透明化してるわけじゃないわね……。それだったら臭いや足音、何よりも霊力の痕跡がするはず。野生の勘が強い王牙が百回以上も切られて反応できないはずはないわ。だとすると考えられるのは超スピードか時間停止系……。でも、違和感があるのよね……)
夜美は出雲の巫女として千を超える霊器を見て、万を超える霊器の情報を記憶している。その中には超希少だが時間操作系のものもあった。しかし静音のはどこかそれらとは全くの別物な気がしてならないのだ。感覚的な話だが。
「ぐぅっ!」
「無駄だっての! あんたには一生あたしの動きは捉えられない!」
まずい……! 王牙は体中から走る激痛を噛み締めながら、内心でそう呟く。
もう二十回は切られた。なんとか急所である霊蔵だけは破壊されないように常にガードしているが、そろそろ動きに支障が出てきてしまっている。
痛みはなんとかなっても失った血までは戻らない。王牙の視界は出血多量で視界がかすんで見えてきていた。
「っ……クソッタレぇぇぇっ!!」
「っ!?」
こうなったらやぶれかぶれだ。鈴の音が聞こえた瞬間、王牙は両腕を畳んで霊力を集中させると、それを一気に解放し、周囲に衝撃波を撒き散らした。
「『王牙爆光波』!」
「きゃあっ!?」
「なに……?」
それは理性ではなく本能が導いた解決策だったのだろう。頭では無駄だと悟りつつ、王牙は衝動に任せるままに衝撃波を放つ。
しかし予想に反して甲高い悲鳴が聞こえた。目を向けると、いつのまにか近くにいた静音が吹き飛び、地面に転がっている。
「当たった……のか……?」
何が起こったのか、静音はもちろん当の本人である王牙にすらわからなかった。
しかしわかったことが一つだけある。
彼女の空硯の能力。あれは決して、時間停止などというチートじみたものではないということだ。
「らぁぁっ!!」
「くっ……!」
王牙は一瞬の思考のあと、迷わず地面を蹴って追撃をしかけた。今こそ千載一遇のチャンス。だからここで決める。そう決意し、地面に横になっている静音に拳を振り下ろす。
だが彼女は間一髪、体を曲げてそれを回避した。そしてそのまま片手だけで体を浮かせてカウンターの蹴りを放つ。それは王牙の顎にクリーンヒット。彼女はその反動で宙返りをキメると、すぐさま戦闘態勢を立て直してきた。
こうして戦況は振り出しに戻る。
(……時間停止能力だったらあんな衝撃波に当たることもなかったはず。そして当たるということは本当に肉体が消えているということもない。つまり、彼女は目に見えないだけで実際にそこにいる)
今の攻防で夜美はそう結論づけた。ということは予想に反して彼女の能力は透明化に近いものなのだろう。
しかしそれだと単純に疑問が残る。
護法術の一つに『遮光』という術がある。これは特殊な霊力で全身を覆うことで光を通過させ、透明人間になるというものだ。そんな似たような術を知っているがために、彼女の不可視化にはどうしても疑問が残るのだ。
あれは消えているというよりも、どちらかと言うと……。
(くそ……決めきれなかった……!)
仕切り直しだ。
王牙たちは互いに荒い呼吸を整えると、お互いに睨み合う。迂闊に攻めれば痛手を追うことを理解しているからだ。
今のところは完全に静音がペースを握っているだろう。しかし別段彼女は打たれ強いわけではない。
一方、王牙の強みは桁外れの精神力と耐久力、そして攻撃力にある。もし万が一でも王牙の攻撃が当たれば、そこから一発で形成が逆転してしまうことを彼女は直感で察していたのだ。ゆえに彼女の精神力と体力の消耗は凄まじく、勝っているはずなのに荒い呼吸をしている。
しかしこのままではらちがあかない。そこで、呼吸が整うと同時に彼女は再び鈴を弾いて攻撃をしかけてきた。
その瞬間に王牙は先ほど同様腕を畳んで力を溜め、霊力による衝撃波を解放する。
だが……。
「っ……! 当たってねえ……! ごはっ!?」
「一度やられたことが二度通じるわけないじゃん!」
当たらなかった理由は簡単。彼女はタイミングをずらしてきたのだ。能力を発動してもすぐにはしかけず、一歩歩みを遅らせる。そして衝撃波が消えた瞬間を狙って攻撃してきたのだろう。
『王牙爆光波』は溜めた霊力を一気に放出するせいでモーションが大きく、発動後は一瞬の隙が生まれてしまう。それを見事に突かれたというわけだ。
これで唯一有効そうだった手札が消えてしまった。
王牙は本格的に焦燥感に駆られ始める。すでに体はズタボロ。失血が酷すぎて目眩が激しくなってきた。体の限界を精神で支えているのが今の状態だ。
絶体絶命。
それでもやるしかないと王牙は拳に力を入れる。
「――わかったわ」
その時、救いの糸が天より垂れてきた。




