第6話 追憶回廊:鮮血狂鬼
――人間は皆化けの皮を被った獣だ。正直を美徳と謳うくせに、誰も彼もが平然と嘘をつく。
俺が嘘を嫌うようになったのはいつのころだったか。最初のきっかけは小学校のころだった気がする。たしかクラスメイトの一人が王牙が一年生からレアカードを盗んだと訴えてきたのだ。
もちろん反論した。やっていないと何度も何度も繰り返しクラスメイトや教師たちに説明した。しかしそれは信じられることはなかった。訴えたその子どもは表向きは優等生で知られており、なおかつ最悪なことに親が学校の役員の一人だったのだ。だが実態は裏で陰湿なイジメを行なっているクズだった。今回の件も真実は一年生が持っていたレアカードをそのクズが盗んだが、それを誤魔化すためにスケープゴートとして俺を仕立て上げたということだ。しかもムカつくのは彼はその後別のいらないレアカードを一年生に与えて慰めるフリをすることで、周りからの評価を上げようとしていたことだ。彼をよく知らない一年生は、盗んだ本人にも関わらず呑気に感謝していたのだから滑稽にも程がある。
当然そんな悪どいことばっかりしていたので、真実を察していた人間や、目撃者はそれなりにいた。しかし誰も真実を追求しようとはしなかった。子どもたちはいじめられるのが怖かったし、教師たちは役員の顔に泥を塗るわけにはいかなかった。だから全員で口裏を合わせたように王牙が犯人だと決めつけた。
今でも職員室に呼ばれ、謝罪を要求した悪ガキの汚らしい笑みは覚えている。何が「正直に謝ったら許してあげる」だ。まるでさも自分が寛大な人物であると周りに見せつけているようで反吐が出る。
王牙は世渡り上手ではなかったのだろう。結局、彼が謝罪することはなかった。ここで本当に謝れば、自分もまた同じように嘘という化けの皮を被ったこのクズと同じになる気がしたからだ。同じように保身のために嘘をつくクズに。
そこからクラスからはもちろん、学校全体から白い目で見られるようになった。俺は徹底的にハブられ、虐められ続けた。
まるで「空気読めよ」と。
俺が黙って嘘の罪を受け入れていれば、問題はさっさと解決したのにと。そう言外に言われているようだった。
一度、いじめに耐えきれず担任に相談したことがある。すると言われたのがこれだ。
『みんなも悪気があったわけじゃないんだよ』
『もしかしたら君にも悪いところがあったんじゃないかな?』
もちろん嘘だった。
にこやかに笑いながらそう言う担任は、本心ではそんなわけないと知っていながら、あえて俺にこの言葉をかけ続けた。そしていじめを容認し、臭いものに蓋をし続けた。自分のクラスでいじめが発生したなんて知られたら担任の沽券に関わる。だからやつとしては隠し続けたかったのだろう。
欺瞞だ。社会の欺瞞だ。そのために俺は犠牲に捧げられた。
それで耐えきれなくなって、同級生を殴った。担任を殴った。
そしたら一気に学校中が俺を敵視した。
子どもと大人。どちらの意見を上が尊重するかなんてわかりきっている。
家に帰っても、俺に居場所はなかった。
「テメェ! マジふざけんじゃねえぞ! 余計なことしやがって! おかげで俺が学校行くハメになったじゃねえか!」
「ご、ごめんなさっ……ガッ!?」
家の中に入った途端、大の大人の拳が顔面を殴りつけた。ゲンコツなんて生やさしいものではなく、手加減なしの本気の拳だ。
俺は青くなったほおを押さえ、折れた血塗れの歯を吐き出しながら、体を丸くしてただ震え続ける。その頭にさらに酒瓶が叩きつけられ、破片が皮膚を切り裂く。
「そもそもテメェの教育が悪いんだろうが! 母親なら監禁するなりなんなりして大人しくさせとけよ!」
「は? 私別に産みたくて産んだわけじゃないし。もしかしたら金になるかもって無理やり産ませたのそっちじゃん。それで売人が捕まったせいで売れなくなったからって、あたしに押し付けないでくれる?」
「うっせんだよ!」
「キャアアッ!?」
今度は母が父に殴られた。正直ざまあみろという気分だ。しかし父が部屋に消えたあと、母は足を踏み鳴らしながら玄関前までやってくる。
「もとはと言えばアンタのせいでしょうが!」
そして俺はストレス発散のサッカーボールとして、彼女に蹴られた。
両親はハッキリ言ってクズだった。
母親は自己顕示欲の塊。借金してまで高級レストランに行き、高級ブランドの服を買い漁る。そしてそれをネットに掲載し金持ちアピールすることしか脳がない女だ。もちろんうちにはそんなお金はどこにもなく、その皺寄せは下にやってくる。食事はインスタントが当たり前。それすら一日一食もらえるかどうか。おもちゃどころか服すら買ってもらった記憶もない。だから俺はいつも戦争孤児のような出で立ちだった。
父親はそのさらに上をゆくクズ。女子どもを殴るのは当たり前。特に性欲が抑えきれない猿で、高校生を含む女性十数人を強姦したあと、弱みを握ってその筋の業者の人間に売り飛ばしている。もちろん手につく職なんて持っておらず、金に困ればクズ同士のツテで外国産のヤクを売り、それで得た金でギャンブルに浸る。そして負けた腹いせを子どもにぶつける。
ムカつくのは、これで外面だけは二人とも良いことだ。今回の三者面談も吐き気がするような下水道臭い笑みをニコニコ浮かべており、世間体を気にしていた。酷い欺瞞だ。
だが、そんな俺でも心の支えというものはあった。
「に、兄さん……大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫だ、魅喜」
桐生魅喜。俺の一つ下の妹だ。
妙に頑丈だった俺と違って、魅喜は体が弱かった。妊娠中にも関わらず、あの女がタバコやら酒やらを自重しなかった結果だろう。それと日頃の栄養不足が祟って、彼女は頻繁に倒れることが多かった。
「ほら、飯だ。今日の給食はパンだったから、持ち運びやすくてラッキーだったな」
「に、兄さんの分は……?」
「俺は学校で食べてきたから大丈夫だ。さあ早く」
嘘だ。あのクソどもが給食費なんて払っているわけがない。最初はそれでも温情で食わせてもらえていたが、やがて俺の悪評が広まると俺だけ給食が配られることはなくなった。だからこのパンは余り物を給食室から盗んできたものだ。
それでも、妹一人を食わせていくには到底足りなかった。俺はまだいい。この体は頑丈だ。ドブ川のカエルだろうがザリガニだろうが、食べても病気にはならないし、ギリギリなんとか生きていける。
でも妹は病弱なのだ。彼女はできるだけ新鮮な物を食べなければならない。前に同じものを食わせたらあっという間に体調を崩してしまい、死にかけてしまった。
「大丈夫だ。兄さんが守ってやるからな」
その日の夕飯はカップ麺一つすら用意されていなかった。二人とも外で遊び回っているらしい。よくあることで今さら驚きはしなかった。
だが妹はとうとう限界が来てしまった。朝起きた時には起き上がることすらできないほどの高熱に襲われていたのだ。日ごろの栄養不足のせいで免疫力が低下していたのだと今ならわかる。
俺は足りない頭でなんとかしようと考えて、町中を走り回って……ドラッグストアで盗みを働こうとした。
そしてあっけなく取り押さえられ、捕まった。
幸い初犯ということで逮捕されることはなかった。
ただ警察からは親を呼ばれ、彼らはこっぴどく叱られていた。それがどれだけの怒りを生んだのか、帰り道にやつらは一言も発しなかったのをよく覚えている。
そして家に帰った時、地獄が始まった。
「バァァカやろォォォがァァァッ!! テメェのせいでサツに目ぇつけられちまっただろうが! どうしてくれるんだ? どうしてくれるんだおい!?」
「ガッ! ゴッ!?」
「まったく! だからガキなんて嫌だったのよ! 余計なことしかしない! ほんと、産まなければよかった!」
「アッ! ガッ……!?」
その時のやつらはいつも以上に怒り狂っていた。ごまかしが効く学校と違って、今度は警察だ。調べられれば芋づる式で父の犯行も明るみになる。ゆえに怒りと焦りで理性が飛んでいたのだろう。
その時の暴行はいつも以上に過激で、容赦がなく、一撃二撃で終わると思っていた俺は、十回以上大人の拳で顔面を殴られた。
「でだ。なんでテメェヤクなんざ盗もうとしたんだぁ?」
「み……魅嬉が病気で……っ」
「ミキィ? ……ああ、もう一人の方か。ちっ、あの役立たずが元凶か!」
「ち、ちがっ……ひっ!?」
父は怒りに身を任せて足を床に叩きつけた。それによって発生した歪な音に、初めて命の危険を感じた。そして俺は恐怖した。生きたいと思った。
「なぁ? 正直に言えよ。あいつがテメェに命令したんだろぉ?」
「……」
「安心しろよ。正直に話せばテメェへのしつけもこれで終わりにしてやるし、もう一人の方も少しお灸をすえるだけにしといてやっからよぉ」
もちろんその時の父の顔を見れば、それが嘘であることがわかっただろう。父は悪魔のようなゲスい笑みを浮かべていた。
だが当時の俺には自分以外のことを気にする余裕なんてなかった。ただ死にたくないとだけ願っていた。そしたら耳元で悪魔の囁きが聞こえてきたのだ。
『こうなった全ての原因があるだろう』と。
それは介護疲れで心の奥底に、雫の如く生まれていた闇だったのかもしれない。悪魔の囁きはそれを引きずり出そうとしていた。
そして幼く脆かった俺の心は命の危機に瀕したことで、その誘惑に耐えきれなくなった。
だから俺は、このあと最低な一言を発した。そのことを生涯忘れることはないだろう。
「そう……だ……あいつが……俺に……頼んで……!」
「……そうか」
父はそれだけ言うと、俺の元から去っていた。
生きている。助かった。安堵の気持ちが一気に溢れ出し、涙さえ流れた。
だが次の瞬間、家の奥から肉を叩くような鈍い音が聞こえてきた。
まさか。そんなバカな。
悪い予感が一気に背筋を張っていく。感情に突き動かされるように俺は家の奥へと駆け出した。
「……あ? おいおい、なんとか言えよ」
「……」
部屋の中にいたのは、インクでもぶっかけたかのように真っ赤に染まった父の拳と――壁近くに横たわり、その首があり得てはならない方向に捻じ曲がった妹の姿だった。
ピクリと動くこともない彼女は死体ではなく、人形のようだった。その目はガラス細工のようで、虚に俺を映している。
「……ぁ、ぁぁああっ」
死んだ。妹が死んだ。首を捻じ曲げられて。ゴミのように死んだ。
――俺のせいで、死んだ。
「ぁぁぁあああああああっ!!」
その時、頭の中で何かが千切れたような音がした。
超えてはならない一線。それを引きちぎったような。
頭が沸騰するように痛い。体が熱い。まるで燃えているようだ。
「ァァアアア!! やっちまったやっちまった! クソッタレのガキが! テメェそれでも俺の娘かよ! 脆すぎんだろうがオイ!」
「ァァァアアアアアッ!!」
もう限界だった。
なりふり構わず、俺は父の顔面をぶん殴った。
いつもと違う感触。
骨が砕けたような心地よい感覚。
それが拳を伝って全身に走る。
……この光はなんなのだろうか。気がつけば、俺の体は紫とも桃色ともとれるような邪悪な光に包まれていた。それは俺の心を表すように噴き上がり、炎の如く揺らめている。
「えっ……? あ……ああああっ!?」
父は一瞬、何が起きたのかわからなかったようだ。そして吐血の跡を見て、痛みを自覚し、一気に泣きじゃくる。そこにはあの猛獣のような姿はない。あるのは負け犬のように尻尾を丸めて震える、醜い豚の姿だ。
「や、やめ……ぎぎゃぁぁっ!」
……ああ。酷く腹が空く。空きすぎて気が狂ってしまいそうだ。
だから、いいよね? もう、いいよなぁ?
「ぎひっ! ぎひゃひゃひゃひゃっ!!」
腕を引きちぎった。
足を引きちぎった。
その次に臓物を抉り、引き出した。
その次は髪を。
その次は目玉を。
虫から羽を一つ一つむしり取るように、丁寧に潰していく。
「だしゅけてっ! だしゅぇてッ!! だじゅげっ……!!」
獣の言葉だ。何を言ってるのかまるでわからない。
ただひたすら、その命をむしり取る。そしてそれを口に含む。
嗚呼……嗚呼……なんておいしいんだろう。こんなにおいしいものを食べたのは初めてだ!
「うっさいよ! 少しは静かに……ひぃぃっ!?」
「あっ……ぎひっ」
ああ。あそこにも獣が一匹。
うまそうだ。うまそうだ。ウマソウダ。
理性が飛んでいくのを感じながら、むしろそのことに高揚感を覚えつつ、俺はその獣に飛びついた。
気がついた時には、両親の姿はなかった。あるのは全てが赤に染まった部屋と、バラバラに転がる足や手のパーツ。
そして、首を曲げたままこちらを見ている妹の死体。
それを抱き抱える。妹は酷く軽く感じた。まるで中身が空っぽのようだった。
そしてあれだけ熱かった体は、氷でも触れているかのように冷たい。
「お、俺は……俺はっ……なんてことを……っ!」
殺したのはあの男だ。そんなのは言い訳にならない。
――俺が、我が身可愛さで嘘をつかなければ……魅喜は……!
衝動的に頭を床に打ち付ける。
何度も、何度も。
それでもこの頭は砕けてはくれない。逆に床が砕け散り、穴が空いてしまう。
「ァァアアアアアアアアアア!!」
俺は吠えた。そうすることしかできなかった。そうしなければ、ごちゃ混ぜになった感情で体が破裂しそうだったから。何もかも吐き出すかのような俺の咆哮は、隣人が通報をし警察が駆けつけるまで続いた。
その後、俺は逮捕され、少年院に送られた。
刑罰は思ったより軽かった。あの後明らかになった数々の虐待の証拠。そして妹を殺されたことで逆上したという事実は裁判官の同情を買い、また少年法もあったことで、俺の刑期は二年だけとなった。
だが、殺人は殺人。それも全身バラバラとなり、臓器が全て引きずり出されているという類を見ないほど猟奇的なもの。おまけに体の一部はいまだに見つかっていないのだとか。その行方は赤く口を濡らした俺だけが知っている。
そんなわけで俺は他の子どもたちと共同生活を送るわけにもいかず、少年院の冷たい独房に入れられた。その中で一人座り込み、ひたすら考える。
何が悪かった?
俺だ。
俺の心の弱さが小さな嘘を生み出し、それが魅喜を殺した。
「嘘とは弱さ……弱さは罪……」
嘘をつくこと。それこそが罪なのだ。
嘘は己の弱さをさらけ出してしまう。弱さは悲劇を誘き寄せる。そうして嘘は全ての悲劇を生み出していく。
だったら、強くならなければならない。
もう二度と嘘をつかなくていいように。もう二度と、理不尽な悲劇を繰り返さないように。
それこそがきっと、あいつにしてやれる唯一の宿罪なんだ。
「俺は……強くなってみせる……! 俺はもう二度と、嘘はつかねぇ……!!」
暗い独房の中で、握りしめた拳から血が滴る。
静寂の中、王牙はもう二度と会うことのできない妹に誓うように、そう叫んだ。




