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ファンタズム・ファンタジア  作者: 日差丸
第一章『夢幻祭編』

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第3話 狼煙は上がる

 ――夜。

 光が消え、闇が支配する世界。

 歓楽街のような場所なら人々の騒ぐ声や明かりが見えるだろう。だがここは住宅街。人の声どころか虫の音一つすら聞こえない。

 そんな夜闇の中に、足音一つ。


「ハァッ……ハァッ……」


 夜美は住宅路の脇にある家の塀に手をつきながら、一歩、一歩前に進んでいく。

 あの男の前で気丈に振る舞ったのは意地だ。彼女は今も倒れてしまいそうなほどの脱力感に襲われていた。

 原因はわかっている。生命維持に必要な霊力が足りていないのだ。それでもこうしてなんとか歩けているのは、あの男がたった数時間でも寝かせてくれたことと、温かな食事をくれたおかげだろう。

 夜美はあの芸者崩れのような容姿をした男の顔を思い出し、すぐに頭から振り払おうとする。

 あれでいいのだ。もしあの男にあれ以上弱みをみせていたら、きっと彼は無理をしてでも彼女を引き留めていたことだろう。しかしそれはなんの関係もない一般人を彼女の過酷な運命に巻き込んでしまうことを意味する。それだけは許してはならない。こんな地獄に堕ちるのは自分だけで十分だ。

 ふと視線を下に向けると、そこには小さな水たまりがあった。街灯の下でそれを覗き込むと、そこにあったのは馴染みのある桃色の髪と、それに紛れるように生えている垂れた兎耳。


「っ……!」


 それを見るたびに唇を噛み締める。

 今だけは、いや『蘇ってから』ずっと、この耳が忌まわしくてしかたがなかった。この耳を見るたびに自分が自分でないことを思い知らされて、心が引き裂かれそうになる。もうかつての自分には戻れないのだと痛感して、目の前が真っ暗になりそうになる。

 しかし、それは気のせいではなかった。突如現れた影が街灯の光を遮断し、彼女に覆い被さったのだ。

 夜美はとっさに頭上を見上げる。

 それは塀の上に四本足で立っていた。真っ黒な毛。真っ黒な牙。目以外の全てが墨汁で塗り潰されたかのような、明らかに自然な色合いではない狼。その姿から影の世界から抜け出してきたと言われても信じることができるだろう。

 その不気味な動物もどきの正体を、もちろん夜美は知っている。


「この式神は……沈狼!」

『ヴヴゥ……ワウッ!』

「っ……!」


 力を振り絞って横っ飛び。瞬間、ワンテンポ遅れて振り下ろされた爪が、先ほどまで夜美が立っていた地面に突き刺さった。

 あれは『沈狼』。

 物言わぬまま主人の命を果たす人形、式神の一種だ。戦闘能力こそ最低ランクだが、それでも人間一人を食い殺すには十分な力がある。

 もっとも、ここに立っているのはただの人間ではないのだが。

 夜美は膝立ちの状態で体勢を立て直すと、片手を沈狼に向かって突き出す。


「“降りゆく粉雪 玉と散れ”――水行始式『雪飛礫(ゆきつぶて)』!」


 そこから放たれたのは複数の鋭いツララの弾丸だった。沈狼はあっけなく胴体と頭部を串刺しにされ、倒れ伏す。その体からは血が流れることはなく、代わりに灰になったかのように体が塵と化していくと、中から傷ついた護符が一枚その場に残された。

 夜美はふらふらになりながらもなんとか立ち上がる。そこには敵を倒した感慨もない。

 当然だ。所詮あれは護符があればいくらでも作れるがらくた人形。倒したところで意味はない。それを示すように屋根や塀の上、歩道の分かれ道など、様々な場所から複数の沈狼が集ってきた。

 夜美は力の入らない体に鞭打って駆け出し、その場から逃げ去ろうとする。沈狼たちは黙ってそれを見ているわけがなく、獣らしい俊敏さで追いかけてくる。


「水行始式『雪飛礫』!」


 夜美は走りながら先ほどの術を展開し、ツララたちを背後へ飛ばす。一つにつき一殺だ。それらは正確に沈狼の顔面を一つずつ貫いていった。

 だが術の一発では全滅させることはできない。夜美は走っては一度立ち止まり、術を発動させた後に再び走り出す。それを繰り返し続ける。

 本当だったらこの状況で無詠唱なんてやりたくない。無詠唱だと威力が下がると同時に術の制御も難しくなり、その分負担が増すからだ。しかしやらなければ殺される。その確信があった。

 ただでさえ残り少ない霊力が消費されていくたびに、夜美は脱力感に襲われる。思考がまとまらなくなる。それでも無意識的に術を制御し、正確に無駄なく沈狼たちの急所を撃ち抜いていく。そのおかげでようやく沈狼たちを最小限の消耗で全滅させることができた。

 だが、油断は禁物だ。沈狼の本来の役目は戦闘ではなく捜索。すぐにここを離れなければならない。

 夜美は一息ついて、すぐさま走り出そうとし――



「――火行始式『赤炎弾(せきえんだん)』」

「っ……護法始式『円月(えんげつ)』!」


 その詠唱を聞いて、夜美はとっさに熱を感じた方角へ術を放った。

 途端にバスケットボールサイズの、人間一人をたやすく殺せる炎球が夜美に向かってきて、着弾。破裂した。

 巻き上がる火花。

 発生した黒煙。

 焦げついた道路。

 その焦げは左右の民家の壁にまで広がっており、常人がくらえば致命傷は間違いないことを悟らせてくれる。

 しかし黒煙が晴れた先に現れた夜美に、火傷の跡はなかった。彼女の眼前に張られていた真円状の結界が、その破壊を防いでいたのだ。


「さすが、堕ちても出雲の巫女ですね。この程度の不意打ちじゃ殺せませんか」


 炎が飛んできた方角へキッと夜美は睨みつける。

 民家の屋根の上。満月を背にし、眼鏡をかけた謎の男が蔑むような目線を向けて立っていた。

 男が着ている服を、夜美はよく知っていた。

 太極図が刻まれた黒と白の狩衣と、烏帽子。そのお手本のような服装を見れば、たとえ裏の人間でなくても思わずつぶやいてしまうことだろう。

 ――陰陽師、と。


「追っ手はあなたね、忠則」


 平忠則(たいらのただのり)

 若手ながら多くの陰陽師たちに実力を認められ、将来昇進間違いなしとされる実力派。

 そんな一流の陰陽師が、夜美の前に立ちはだかった。


♦︎


 夜美が去ったあと、王牙は眠ることができずに二階の自室のベッドの上で寝転がっていた。

 心残りなのはあの少女のこと。彼女が最後に浮かべた儚い笑み。それがいつまでも記憶に残っていて、王牙を眠らせてくれない。


「ちっ……」


 彼女を結局行かせてしまったことに、今さらながら後悔が押し寄せてくる。本当にあれでよかったんだろうか。無理にでも引き留めるべきだったんじゃないか。そんな考えがグルグルと頭の中を巡り続ける。


「だぁーっ! 迷うなんてらしくねえなぁおい! 『好きに生きて好きに死ぬ』。それが俺の、我道の生き様じゃねえのかよ! クソッタレが!」


 過去の自分を捨て『我道』の性を名乗る時に決めたはずだ。もう二度と理不尽なんかに振り回されてたまるかと。自分の道は自分が決めるのだと。

 ――迷惑になるだとか、余計なお世話だとか知ったこっちゃない。俺は俺が正しいと思ったことをやる。

 王牙はそう決意して、ベッドから跳ね起きる。そして学校用のものとは別の白のワイシャツを半裸の上に羽織り、その上にさらに黒い上着を羽織って外出の準備を整える。

 と、その時だった。窓の外から突如体の芯が震えるような衝撃と轟音が響き渡った。急いで窓に駆け寄ると、数キロ先の場所で夜にも関わらず明るい場所が見える。火炎瓶から手榴弾、果てはヤクザにロケットランチャーを撃ち込まれた経験がある王牙にはあれがなんだかわかった。

 あれは火だ。それも爆発によるもので間違いない。その証拠にその明かりは一定のものではなく、風に吹かれてゆらゆらと揺らめいている。

 嫌な予感がする。王牙は下の階に降りて靴を履くと、爆発音が聞こえた場所まで駆け出した。


♦︎


 焼け焦げたアスファルトの地面の上で、夜美は民家の屋根に立つ忠則と対峙していた。

 ピリピリという殺気が頬に突き刺さり、喉が無意識に唾を飲む。額には熱気のせいか殺気のせいか、汗が流れた。肌を伝うそれがこの状況下ではやけに冷たく感じられる。

 先ほど放たれたあの炎球、小手調べとはいえ殺意がこもっていた。

 忠則は故郷では貴族である平家に生まれた、由緒正しき陰陽師だ。彼は特に性格が生真面目で、陰陽師の使命を忠実に守り、どんな任務にも私情を挟むことはない。

 ゆえに、顔見知りにすら手を抜くことはない。


「こんな住宅街で騒いだら人が来るんじゃないかしら?」

「ご安心を。ここら一帯に『遮境門』を張りました。霊力の少ない人間にはこの中に入ることはおろか、見ることも、聞くことも、感知することもできませんよ」


 隠形始式『遮境門』。

 陰陽師と妖怪の戦いが一般人には見えないようにするための結界だ。

 妖怪というものは人間の負の感情から生まれる。ゆえに一般人に戦いを見られて余計な恐怖を与えないように、陰陽師は戦闘前に必ずこの結界を張る。

 そんなわかりきったことを聞くのは少しでも打開策を生み出す時間を稼ぐため。


「もういいですか? いい加減あなたの声を聞くのもうんざりしてきたんですよ」


 ――来る。

 空気がいっそう張り詰められていく。忠則の体から流れる霊力が脈動する。

 それを感知した途端、夜美は回らない頭で術を練り上げ、再び迎撃体勢に入った。


「火行順式『灼蒼砲(しゃくそうほう)』」

「水行始式『打潮(うちしお)』!」


 忠則が両手を突き出すと、そこから先ほどの赤炎弾にも似た炎球が放たれた。ただし、その色は青い。そして込められた熱量と霊力は桁違いだ。

 対して夜美は横に飛び退きながら手のひらから水流を生み出し、放った。

 それらは空中で衝突。

 そして水蒸気爆発。

 それによって衝撃波と共に周囲に白い煙が撒き散らされる。


「火と水。相性の問題もあるとはいえ、初歩の始式で格上の順式を相殺するだなんて芸当、とても真似できるものじゃない。悔しいですけど、やはり術の練度はあなたに劣るようだ。しかし――」

「水行始式『雪飛礫』!」


 白煙によって周囲が隠れた今がチャンスだ。

 夜美はこの隙に屋根に飛び乗り、ツララ弾をお見舞いしようとする。

 しかしそれは突如屋根から生えてきた土壁によって阻まれた。


「土行始式『(るい)』」

「だったら、直接叩くまでよ!」


 そのかけ声と共に蹴りを繰り出し、夜美は目の前を遮る邪魔な土壁を破壊した。そしてその勢いを利用してさらに三回転。スケート選手のようにトリプルアクセルを決めたあと、遠心力を全て注ぎ込んだ回し蹴りを放とうとする。風の唸り声を聞く限り、人間が出していい威力ではない。当たればひとたまりもないだろう。


「木行始式『草結び』」


 だが、それが最終的に放たれることはなかった。

 突如屋根から伸びた蔓が彼女の軸足に巻きつき、引っ張ったからだ。結果、彼女はバランスを崩し、屋根瓦に叩きつけられる。


「カハッ……!?」

「土行順式『黄砂針(こうさじん)』」

「っ、水行始式『雪飛礫』っ!」


 今度忠則の手から放たれたのは、数十もの土でできた棘だった。一本一本は大した威力ではない。しかしここまでの数を全て受けるとなれば致命傷では済まされないだろう。

 夜美はその中から自身に当たるものだけを的確に見抜き、数には劣るツララの弾丸で相殺しようとする。

 ――だが、土の棘とツララがぶつかった瞬間、あっけなくツララの方だけが砕け散った。


「っ!?」


 土の棘たちは無防備な夜美に殺到。その何本かが肉を貫き、鮮血を飛び散らせた。

 彼女はそのまま吹き飛ばされ、先ほど自分が立っていた道路の上に転がり落ちる。


「ハァッ……ハァッ……!」


 脂汗を流しながら、夜美は冷静に己の体を触診し、ダメージを確かめていく。

 幸いなことに、急所は外れている。しかしただでさえまともに歩くことも難しいほど霊力と体力を消耗していた上に、腹を何箇所も貫かれたのだ。もはや先ほどまでのように動き回ることはもうできないだろう。そして、逃げることも。


「驚くことじゃないですよ。陰陽術の一種、五行術には火、水、木、金、土の属性が存在し、それぞれに相性がある。相剋ってやつです。水は火を消し、火は金属を溶かし、金属は木を断ち、木は土を締め付け、土は水を吸収する。つまり水行の術は土行の術に弱い。ましてや僕が使ったのは順式、あなたのは始式だ。いくら技術差があるとはいえ、これで敗れる方がどうにかしてる」


 その通りだった。夜美は自身の情けない失敗を悔いた。

 疲労のあまり頭が回らず、とっさに自分が一番楽な術を放ってしまったのだ。らしくないミスだった。

 頭が痛い。体に力が入らない。まるで酸欠にでもかかったかのようだ。いや、実際はそれ以上に酷いだろう。霊力が枯渇するということは、すなわち生命維持に必要不可欠な分のエネルギーすらなくなることを意味するのだから。もはや立っていることはおろか、意識を保っていることすら辛い。

 しかしそんなことをおくびにも出さず、彼女は冷静な表情を装う。


「お節介な人ね。この私に教科書の教えをそっくりそのまま返すなんて。意趣返しのつもり?」

「……あなたは本物の巫女姫様じゃない。幻魔風情が、巫女姫様の顔で、巫女姫様の声で、巫女姫様のフリをするのも大概にしろよ……!」


 その言葉からは激しい怒気を感じた。その視線はどうやら夜美自身というよりも、頭から垂れている兎耳に向けられているようだ。

 ……まあ、仕方がない。仮に逆の立場だったとしても、陰陽師としての誇りを守るために夜美は容赦なく忠則を殺していただろう。

 いかに同じ顔で同じ性格で同じ記憶を持っていても、夜美はもう『夜美』ではない。

 人ならざるもの、術によって黄泉から呼び戻された妖怪の一種、幻魔なのだ。

 陰陽師にとって、死んだ恩師が宿敵である妖怪になって生き続けるなど、許せるものではない。彼にとってこの戦いは死んだ『夜美』のための弔い合戦なのだ。


「……でも、私はここで殺されるわけにはいかない。私の陰陽師の誇りにかけて、この世界に迫る闇を祓わなければならないの!」

「口からでまかせを! 幻想召喚で幻魔になった者はその術式の性質上、必ず負の感情に囚われる。さっきからその取り繕った言葉を吐くのをやめろよ。反吐が出る……!」

「……なら、私が本気になる前にここから立ち去ってくれないかしら? 私はその気になれば順式のその上の終式、そしてさらにその上の極式を使える。いくらあなたでもこれらを受ければただでは――」

「――使えませんよ、あなたにはね」

「なっ!?」


 夜美の脅しは、言い切る前にバッサリと切り捨てられた。その態度に今まで以上に背筋が凍る。

 ……カマをかけている? いや、違う。あれは確信に満ちた目だ。


「沈狼との戦いからあなたを十分観察させてもらいました。さっきからあなたは始式しか使っていません。あなたの言う通り、その気になればさらにその上の術を使えるのにも関わらず」

「……」

「この戦いに赴く前に記録、見ましたよ。あなたは幻想召喚で誕生したあと、光天京から脱出しようとし、数多の陰陽師と戦闘している。当然その時味方はいなかったはずだ。――今、どれくらいの霊力が残っています?」

「っ!?」

「あなたが順式以上の術を使わない理由。それはただ単にあなたが強力な術を使えないくらいに疲弊しているからだ。


 見抜かれていた。夜美は悔しげに顔を歪める。

 そう、忠則の言う通り夜美にはもう強力な術を発動させられるだけの霊力は残っていなかった。始式だけでも数回、順式なんて一回撃てればいい方だろう。


「武器も霊力もない今のあなたに負けるほど、僕は弱いつもりはないですよ」

「……まだよ」


 夜美は振袖を大きくはためかせる。その中に収納していた十枚ほどの護符がそれによって飛び出し、彼女の周囲を舞った。それらは渦を描きながら、やがて鎖のように連結していき長さを増していく。


「これは……まさか……」

「金行順式『造鉄鋳(ぞうてっちゅう)』」


 夜美はその長くなった護符を握りしめた。すると護符が光とともにその姿を変え、巨大な刃を持った大鎌へ変化した。軽くそれを振るうと、闇を切り裂いたかのような風切り音が静寂の町に響く。そしてちょうど塀を飛び出していた木から落ちてきていた木の葉が真っ二つに両断される。

 これが夜美の虎の子である護符だ。護符は術の触媒となってくれるもの。コストはかかるが、これを使うことで霊力の消耗を抑えたり、威力の上昇や術の制御、さらには発動速度までをも上昇させることができる。

 それを使って発動したのは『造鉄鋳』。これは即席の鉄の武器を作り出す術だ。その切れ味と頑強さは本人の技量にもよるが、夜美なら下手な鍛治師よりも良いものを作ることができる。

 そしてこれなら、霊力がなくてもしばらくの間は戦うことができるはずだ。


「護法始式『口縄(くちなわ)』!」

「フッ!」


 忠則の手から霊力を編んで作った蛇が伸びてきて、彼女に絡みつこうとしてくる。

 しかし夜美が一呼吸の間に四度、鎌を振るうと、たちまちそれはバラバラになった。

 彼女は踊るように回転しながら地面を滑り、鎌を振るう。忠則はなんとかそれを回避するも、完璧には避けきれず、鼻に浅い切り傷が残った。

 だがまだ夜美の攻撃は終わらない。回避されたと見るや柄を巧みに操り、石突で忠則の脇腹を叩いた。


「ぐっ……!」


 衝撃で吹き飛ばされる忠則。そんな彼を追って地面を引き裂きながら、夜美が迫る。

 忠則は落ち着け、と自分に言い聞かせる。

 彼女の霊力が残り少ないことは確かだ。あれは最後の空元気。あの鎌を壊せば抵抗する術はなくなる。ならまずは動きを止めなければ。


「護法始式『開網花(かいもうか)』!」


 忠則は後ろに跳び下がりながら合掌。すると今度は霊力で編まれたネットが放たれる。


「甘いわ」


 だが彼女がそれに引っかかるようなことはなかった。助走をつけながら大鎌を地面に突き刺す。そして棒高跳びの要領で、天高く跳び上がった。そこから月を背にし、大鎌を夜空に掲げる。そのまま重力に身を任せて、回転しながら落下。一回転、二回転、三回転……。回転を増すごとに空気が激しく切り裂かれる。そして夜美は全体重と遠心力をその刃に注ぎ込み、大地を割る勢いで叩きつけた。


「護法順式『豪鉄腕(ごうてつわん)』っ! ぐぅぅ……!」


 忠則は結界で硬化させた両腕を交差させ、それを受け止めた。

 瞬間、小隕石が落下してきたかのような衝撃が走る。

 忠則の足元の地面は陥没し、受け止めたにも関わらず刃で割られたかのような跡ができていた。

 彼が豪鉄腕を使ったのは、生半可な結界では防ぎ切れないと判断したからだ。この術は防御範囲を腕に限定する代わりに、余剰分の霊力を圧縮できるので、護法順式の中でも上位の防御力を誇る。

 しかしそれでも常軌を逸した夜美の一撃には足りなかったらしく、刃が当たった部分の袖が赤く染まり出していた。


「今すぐ降伏しなさい。さもなければこのまま腕を切り飛ばすわよ」

「……」

「聞いているの!?」


 ドスを効かせつつ、彼女は鎌に力を込める。それによって彼の袖の赤いシミがさらに広がった。

 だが、忠則は沈黙を保ったままだった。

 そして――不気味な笑みを浮かべる。


「これを待ってたんですよ」

「どういうこと?」

「こういうことです!」


 忠則はなんと、夜美の大鎌をその手で掴んだ。そんなことをすれば当然、彼の手から血が溢れる。だが彼はお構いなしにガッチリと手に力を込めた。

 そして――。


「火行の順式『灼蒼砲』!」

「っ、この……!」


 火行の術を唱えた時、彼の狙いが夜美には理解できた。即座にサマーソルトじみた蹴りを放ち、彼の拘束を蹴り飛ばす。

 そして間一髪、その青い炎から逃げることができた。

 危ないところだったと彼女は反省する。

 五行思想の相剋関係により、金属性は火属性に弱い。彼は最適なタイミングで火行の術を鎌に当てることで、破壊しようとしていたのだろう。鎌がなくなれば本当に夜美には打つ手がなくなってしまう。


「でも、これで――」

「ああ、言い忘れてました。そこ、危ないですよ」


 相手は痛手を負った。今が逆転のチャンス! 

 そう判断し、走り出そうとする。しかし前傾する上半身に対し、なぜか下半身が動くことはなかった。

 足元を急いで見れば、そこには透明な霊力の糸が、蜘蛛の巣のように地面に張り巡らされていた。


「これは……まさか……!」

「護法順式『伏糸弁(ふせしべん)』」


 『伏糸弁』。

 俗に言う罠型と呼ばれる術だ。張り巡らされた透明な糸は妖怪を捕らえるために強力な粘着質となっている。いくら夜美でも簡単に抜けられるものではない。


「忘れたんですか? ここに誘い込んだのは僕です。備えを仕込むのは普通でしょ」

「こんなもの、すぐに切れば――」

「させませんよ。火行順式『灼蒼砲』」


 鎌を振り上げたその時、忠則が灼蒼砲を放ってきた。

 回避は不可能。結界は間に合わない。

 とっさに夜美は鎌を盾にし、直撃を避ける。

 そして、青い爆発が巻き起こった。


「っ……!」


 顔の火傷は避けれた。しかし夜美の体は腕を中心に焼け焦げた跡があった。そして盾にしてしまった大鎌は今までの頑強さが嘘のように融解し、根本から折れてしまっている。


「これで終わりだ。潔く敗北を認めて欲しいんですけど……」

「……まだよ!」

「……そうですよね。あなたが負けを認めるはずがない」


 忠則は諦観を込めたため息をはき、音が鳴るほど勢いよく両手で合唱した。すると袖口から大量の護符が舞い上がり、一枚一枚が発火していく。そしてその数十個もの炎が彼の頭上で集中していき、何かを形作っていく。

 どうやらトドメは最も得意な火行の術で、ということらしい。大技ほど隙ができる。彼はそれを嫌って即座に発動できる順式以下の術しか使っていなかったのだが、もう警戒する必要はないと判断したのだろう。

 そう。夜美にもう打つ手はない。残ったのはわずかな霊力のみ。いくら夜美が凄腕の陰陽師であっても、霊力がなければ何もできない。

 だが……。


「私は出雲夜美。全ての陰陽師を束ねる者。こんなところで私は、死ねないのよ!」


 夜美は気絶しかねないほどのありったけの霊力を込めて、手をかかげる。


「“敵は彼方に我は此方に 

 刺し抜け 氷河を穿つ激流

 砕き 貫き 衝角となせ”」


 そして詠唱を唱えると、冷気がほとばしり、人一人を余裕で串刺しにできるほどの巨大な氷の槍が出来上がった。

 だが……。


「“轟く雷鳴 曇天の空を舞い

 閃光 龍脈を駆け巡る

 吠えよ 滅せよ

 財宝の隠れ家は南の地に

 而して竜の鉤爪を進めよ”」


 熱風が夜美の頬を撫でる。

 忠則の頭上で舞うように空中を泳ぎくねるのは、炎によってかたどられた竜だった。それは命を持たない仮初の竜のはず。しかしその異様は夜美に獲物に向かって吠える王者の姿を幻視させた。

 一瞬の沈黙。

 二人は互いに睨み合いながら集中力を高めていく。

 そして……。


「水行順式――『氷柱杭(つららくい)』!」

「火行終式(ついしき)――『炎竜皇牙(えんりゅうこうが)』!」


 氷槍が、炎竜が、同時に放たれた。

 それらは二人の中間で激突。衝撃波が巻き起こり、霊力の火花が夜闇をかき消す。

 炎竜の通り道は焦げるだけでは済まなかった。アスファルトが溶け落ち、まるで溶岩が通ったかのようなドロドロとした跡ができあがる。空気が燃え上がり、向かい合っているだけで喉が焼けてしまいそうだ。

 それを、彼女は氷槍一本で押さえ込もうとしている。それがどれだけの無茶であることか。それでもやらねばならない。その夜美の意地に応えてか、しばらくの間両者の攻撃は拮抗していた。

 だが……。


「っ、くっ、うぅぅぅぅぅっ!!」


 溶けていく。押されていく。込めた霊力が失われ、徐々に氷槍の勢いが消えていく。そんなガラス橋のように危うい拮抗は、すぐに壊れた。そして完全に氷槍が消え去り、炎竜が唸りをあげる。


「きゃぁぁぁぁぁっ!!」


 夜美は炎竜に体を飲み込まれ、絶叫した。

 体中が燃え上がり、熱で命が蝕まれていく。

 それはまさに地獄のような苦しみ。

 ――ああ……でも……。

 ――この生き地獄から救われるのなら……これでよかったのかもしれない。

 


 炎竜が役目を終え、燃え尽きていく。

 炎竜皇牙は突き当たりまでの全てを焼き切ってしまったようだ。

 つい熱が入ってやりすぎてしまった。これは隠蔽する担当は大変そうだ。そんなことを忠則は思いながら、目の前の惨状から目を逸らす。理性ではわかってはいても、尊敬していた上司と瓜二つの死体など直視すれば吐かずにはいられないだろうから。

 だから、か細い声が聞こえてきた時には思わず二度見した。


「わた……しは……」

「……なるほど、神御衣(かんみそ)か。かつて天照大御神が自身の手で作り、身に纏っていた衣服と同じ技術で作られた最高峰の衣。どうりであれをまともにくらって原型が残っているどころか生き延びてすらいるわけだ」


 冷静にそう口で言いながら分析する。一瞬冷や汗が垂れたが、そこまでだ。この状態ではもはや何もできまい。

 服の方は焦げが多少あるだけで、損傷はほとんどない。それもそうだ。あの衣は世界で二人しか身につけることの許されない神宝なのだから。金属鎧よりも頑丈で、羽のように軽く、あらゆる攻撃に耐性がある。さらには破損しても自動修復し、浄化機能までついている。その価値は一人前の陰陽師である忠則が一生袖に通すことはないと思えるほどのもの。終式の術といえど一撃で灰にできるわけがない。

 しかしいくら服が無事でも、中にいる人間まで無事とは限らない。威力は激減されたが、それでも元から押せば倒れそうな状態だった彼女に耐えられるはずがなかったのだ。

 だが、それでも彼女の目はまだ死んでいなかった。


「たとえ……私の存在そのものが罪であろうと……この世界で生きている人々を見殺しにしていい理由なんてないのよ!」


 彼女は地面を掴みながら、なんと震える体で立ちあがろうとしていた。

 無理だ。今の状態ではそよ風一つすら激痛に感じることだろう。ましてや立つなど、できるわけがない。

 しかし、それでも彼女は立ってみせた。


「バカな……」

「巫女である私にはわかるわ……。今世界はまもなく滅びようとしている……何者かの脅威によって……っ。例え偽りの存在でもっ、出雲の巫女として私はそれを止める義務がある……!」

「口から出まかせを。さっきも言ったでしょう。幻魔の言うことなど信用できないと」

「そう……やっぱり……そうなるの……ね。なら……せめてもの……お願い。私を殺しても……しばらくの間は……この町に滞在してくれない……かしら……?」

「……それくらいなら」

「感謝……するわっ」


 忠則は護符を取り出し、それを炎に変えた。

 これ以上話せば情が移るかもしれない。そうなったら果たして自分は耐え切れるだろうか。

 だから、そうなる前に、この目の前にいる人形を壊さなければ。陰陽師として生きた『夜美』のためにも。


「“我が指先に 命の灯を”

――火行始式『赤炎弾』」


 せめてもの弔いの意も込めて。

 そうやって選択した炎球が、弓矢のように放たれていく。それは彼女に当たり、その身を焼く――。



「――おっと、そいつは待ってもらおうか」


 ――その直前に、横から繰り出された蹴りによって、あっけなく弾き返された。

 誰もが呆然としていた。

 忠則も、助けられた側であるはずの夜美ですらも。

 完全なイレギュラー。

 しかし白の前に躍り出た青赤髪の男は、不敵に笑う。


「悪いな。こいつにはたらふくラーメンを奢ってもらう約束があるんだ。勝手に死なせるわけにはいかねえんだよ」

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