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ファンタズム・ファンタジア  作者: 日差丸
第二章『銀座のキリエ編』

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第24話 テケテケ

 その日の夜。王牙たちは隣町である宝園町に来ていた。

 夜の住宅街に二人の足音だけが響き渡る。夜風が吹いてきたが、今の季節は春。寒いというよりは涼しく感じるはずだった。しかしこの静けさのせいだろうか。肝試しに来たような寒気を王牙は感じる。

 夜美は硬く口を閉じていた。必殺仕事人モードに入った彼女はだいたいこんな感じだ。こちらから話を振れば最低限返してはくれるだろうが、彼女が放つピリピリとした冷たい雰囲気がその気持ちを失せさせる。

 仕方がなく、王牙はスマホで依頼内容に再び目を通した


『宝園町のとある四級妖怪からの依頼です。最近どうもそこで三級妖怪『テケテケ』が現れたらしく、夜な夜な人間を襲っているようです。被害者はまだ二人ですが、このままだと陰陽師も動き出すことでしょう。それよりも早くテケテケを退治し、事態を鎮静化させてください』


 その依頼文の下には報酬や失敗条件などがズラリと書かれている。三級妖怪といえば下から二番目だ。とはいえ通常の人間では太刀打ちできないらしく、油断はできない。

 報酬は……30万。今日買った簡易遮境門の分を考えても余りある。なるほど、独立術師には大きな金が動くという話が心の底から理解できた。


「それにしてもテケテケか……。どういう妖怪なんだ?」

「都市伝説だから異聞は山ほどあるけど、一般的には事故で下半身を失った亡霊とされているわ。足がないから腕を使って移動する。その時の音から『テケテケ』と名づけられたそうよ」

「うわ……グロいなそりゃ。見たくなくなってきた」

「所詮は見た目だけよ。神秘というのは昔を遡れば遡るほど強くなる。そういう観点から見れば、百年の歴史もない現代妖怪はザコに過ぎないわ」


 たしかに、神話と都市伝説じゃスケールが違いすぎるものだ。都市伝説ではせいぜい人間の一人や二人が死ぬ程度。その点神話の神や妖怪なんかは天変地異を引き起こし、塵を息で吹き飛ばすように数千数万の人間を一度に殺すこともある。昔であればあるほど強いというのも納得がいった。


「今回の依頼はあなたの力を試すにはちょうどいいわ。私は遮境門を張るだけにとどめておくから、標的はあなたが退治しなさい」

「妖怪か……なんつーか、夏転とか春水を見てるとやりづらく思えるな」


 彼らも妖怪ではあるが、夜美が言うほどの危険は感じなかった。その性格は人間とほとんど同じに思える。

 しかしその言葉を彼女は厳しく咎めた。


「あれはあいつらが変なだけよ。そういう意味でもこの依頼はあなたにとっていいものなのかしらね」

「どういう意味だ?」

「あなたは今日、本当の妖怪の姿を知る。それだけよ」


 そこまで言ったところで、急に彼女は足を止めた。


「夜美?」


 問いかけるが答えはない。彼女の意識は隣にいる王牙ではなく、遠いどこかに飛んでいっているようだった。そうしてしばらくすると彼女は目を伏せ、小さくため息をつく。


「喜びなさい。ちょうど今何かが暴れている音が聞こえたわ。気配からしてたぶん例の妖怪でしょうね」

「お、音? 俺にはそんなもの聞こえないんだけど……」

「私の頭についているのがなんの耳なのか、忘れたわけじゃないでしょうね?」


 言われて夜美の頭部を見返し、そして気づく。

 ――そういえばこいつ、兎の幻魔なんだっけか。本人の性格に兎要素が皆無すぎて忘れてたわ。今でも雪女の幻魔と言われても信じてしまいそうだ。

 よくよく見れば肩に届くほど長いうさ耳がピクピクと動いている。おそらく耳を澄ましていたのだろう。

 そんなことを考えていたら冷たい眼差しで睨みつけられたので、急いで目を逸らした。


「標的はこの道をまっすぐ行った先よ」

「オーケイ。んじゃ軽く片付けてくるわ」

「ええ。……一つ忠告を。気を強く持つことね」

「……? おう」


 彼女は何か言い淀みながら、そんな言葉を捻り出した。それを不思議に思いながら、とりあえず頷く。

 その意味を、王牙はすぐに理解することとなる。



『……ふしゅ。ふしゅしゅ……』


 ペチャ。グチャ。ペチャ。グチャ。

 肉を貪り、骨を砕くグロテスクな音が聞こえてくる。

 音が鳴るたび血が飛び散り、それが地面を赤く染め、鉄臭い腐臭を撒き散らす。

 その空間はまるで異界だった。住宅街の中なのに、王牙の見つめるその一点のみ、死の気配で満ちている。

 その音を発するのは、血に汚れた白シャツを着た女性。その髪は黒く長くざんばらで、胴体は半ばから千切れ、赤黒い液体が絶えず流れている。


「よお。美味いか?」


 王牙は手を上着のポケットに突っ込みながら、その後ろ姿に声をかけた。

 首が錆びついたようにゆっくりと回る。そして耳まで口が裂け、不規則に並んだ赤濡れの歯を持つ顔面が露わになる。


(心を強く持てって、そういうことかよ……)


 王牙の顔は能面のように無表情になっていた。

 死体を見たのは久しぶりだ。だが内心では自分でも驚くほど心が波立つことはない。

 それは王牙もまた人を食い殺したことがあるからだろうか。

 テケテケの醜悪な歯から滴る血を見ていると、嫌でも自分の舌の中にあの味が蘇ってくる。

 ――両親の骨を砕き、肉を貪り、血を啜った、甘美なあの味が。

 思い出したくないものを思い出したせいで王牙は顔をしかめる。


『ふしゅしゅ……!』


 目の前の妖怪は王牙の問いかけに、ただそう答えた。だが釣り上がった口と目、そして鳴き声のニュアンスからわかる。彼女はこれに愉悦を覚えているのだと。


「そうか……今のうちにたーんと味わっておけよ……」


 もはや言うべきことは何もない。彼の中にわずかにあった迷いはその瞬間晴れた。

 左手で右手首を掴み、二度捻る。するとエンジン音が夜を切り裂き、響き渡った。

 ――『駆動心音(マキシマムハート)』、ダブルアクセル。


「――それがテメェの最後の晩餐なんだからよ!」

『ふしゃしゃしゃーーっ!!』


 王牙の殺気が一気に高まった途端、テケテケは両手で地面を叩き、駆け出した。信じられないことにその速度は優に百キロは出ている。高速道路を走る車よりも速い。

 だが次の瞬間、王牙はその倍を超える速度で肉薄すると、その醜い顔面に向かって膝をめり込ませた。

 車と新幹線がぶつかったかのような衝撃。

 たまらずテケテケの顔面はへしゃげ、おびただしい量の血液を撒き散らしながら吹き飛ぶ。そして被害者が生み出した血の池に沈んだ。

 うずくまるテケテケの頭部を容赦なく王牙は踏みにじる。


「オラ、どうした? さっきの舐め腐った笑顔はどこにいったよ? それともザコ以外じゃイキれないタチか? 三下が」

『しゅしゅしゅしゅっ……!』


 頭を押さえられながらも、テケテケは目だけ上を向いて王牙を睨もうとする。そこに今こもっていたのは先ほどまでの愉悦ではなく、憎悪。必ずこの下等な生物を殺すという殺意の誓い。

 だが王牙はそれをさらなる殺気だけで押し潰した。


「……言っとくが今の俺は少しキレている。優しく殺してもらえると思うなよ」

『ふじゃァッ!!』


 テケテケは一瞬の隙をつき、王牙の踏みつけ拘束から脱出に成功する。すると今度は住宅街の壁や電柱を立体的に使い、彼の周囲を縦横無尽に跳ね回り始めた。

 ――人の容姿をしているのに、まるで獣か何かだな。いや、あながち間違っていないか。

 夜美の言っていることがようやくわかった。

 あれは妖怪。まごうことなき害獣だ。


『ふしゃァッ!! ――ガッ!?』

「後ろ狙うのは正直すぎるだろ」


 テケテケはその機敏な動きでさんざん撹乱した後、機を見計らって王牙の背後に飛びつき、そのうなじを食いちぎろうとした。

 しかし次に彼女が見たのは首ではなく、眼前に迫る足。

 華麗なオーバーヘッドキックが、その醜い顔面を蹴り砕いた。


『あぎゃァァアアア!?』

「空き缶みてえにポンポン吹き飛びやがってよ。堪え性のねえやつだ」


 血を撒き散らしながら、無様に地面を転がるテケテケ。だが歪んだ視界に迫ってくる王牙の姿を捉えると、跳ね起きて再び周囲を跳び回り、撹乱しようとする。

 だがそんな小細工が既に効くはずもない。王牙は呆れた顔になると、彼女の動きを真似るように、彼もまた壁や電柱を蹴って周囲を跳ね回った。だがその速度は王牙側だけは倍速されているように見えるほど違う。

 テケテケはその光景に恐怖を募らせながら、なんとか逃げようと必死に動き回ろうとし――次の瞬間、衝撃とともに酸素が吐き出され、思考が止まった。

 ――彼女の胴体には、王牙の両足が突き刺さっていた。


「少しは狩られるやつの気持ちがわかったか?」

『ふ……ふっ……!?』


 加速をつけた上でのドロップキック。それが彼女の腹を背中にかけて抉り、胃の中のものを逆流させた。一拍遅れて衝撃波が発生。彼女は放たれた矢の如く空中を地面と平行に吹き飛んでいく。

 だが王牙の追撃は終わらない。蹴りの反動で後方に吹き飛んだあと、電柱を足場に一瞬着地する。そして膝を畳んでバネを効かせ、標的めがけて一気に加速した。

 そのまま空中を吹き飛ぶテケテケに追いつき――。


「その後悔を一生抱いて、地獄で懺悔しながら……三途の川に沈みやがれ!」


 ――その顔面に再び、ドロップキックを浴びせた。

 そこで、テケテケの命は完全に途切れた。文字通り顔が衝撃に耐えきれず爆散し、残った胴体だけが地面を転がる。


「ちっ。せっかく今日は勝利のラーメンでも食いたかったのに……これじゃあ食欲失せるぜ」


 初の単独勝利。

 そのはずなのに、先ほどの被害者の死体が視界を掠めると、勝利の余韻は熱を失っていってしまう。その感覚に虚しさを覚えながら、王牙は深いため息を吐いた。


 ♦︎


「……改めて見て、あなたは異常よ。王牙」


 難なく三級妖怪を討伐した彼を付近の民家の屋根から見下ろしながら、夜美は一人そう呟く。


「戦闘能力は術師になりたてにしては十分。生涯をかけて準二級に届かない人間もいるにはいるけど、彼はそもそも能力者。純正の人間とは土台もセンスも違うわ」


 推測するに、王牙の先祖は鬼などの身体能力に秀でた異類なのだろう。素で人外じみた肉体なのに、そこでさらに重ねがけするように身体能力強化系の能力を持っていればこれくらいできてもおかしくはない。

 だが、夜美が目をつけたのはそこではない。

 死体を見ても、なおかつあれだけグロテスクに敵を撲殺しても、王牙の心には波風一つ立っていなかった。

 そう。王牙の異常性。それははっきり言って戦闘能力ではなく、その精神性にある。

 全身を骨折しながら数時間動き回って汗一つかかないでいられる人間が、彼以外に果たしているだろうか。少なくとも夜美を含めて陰陽師院にはいないだろう。

 現役の術師すら凌駕する精神力。

 それはきっと彼の何よりの強みであり、同時に弱みでもあるのだろう。ふとそんなことを思いながら、彼女はスマホを取り出し、死体処理の連絡を取るのだった。


 ♦︎


 テケテケを倒したあと、王牙はすることもなく塀の壁に寄りかかり、その場で待機していた。

 夜美は必ずこの戦闘を見ていたはずだ。ならばすぐに近づいてくる。そう思っていると、突如テケテケの遺体から光の粒子が溢れ出した。


「これは……!?」

「……これが精神生命体の末路よ。私たちは霊力によって肉体を形作る存在。死する時は魂とともに肉体は霊素に戻り、世界に還っていく……」


 その様子に驚いていると、背後から現れた夜美がそう解説してくれた。

 彼女は王牙と違って見慣れているはずなのに、ぼんやりとそれをいつまでも眺めている。


「精神生命体の末路って……もしかしてお前もか?」

「……ええ。幻魔は妖怪の一種。私も死ぬ時はこうやって溶けて消えていくんでしょうね」


 そこでようやく彼女がなぜ死体を見ていたのかが理解できた。彼女は自身の最後を見つめていたのだ。

 テケテケは死後数分経っており、もう足の一つが消えかけていた。それを見ていると遺体すら残らないのは自らの生きた証すら消えているように思えて、王牙は少し寂しそうだと感じる。


「火車デリバリーサービスの到着っス〜! 今日はどうしました? もしかしてあのお兄さんもう死んじゃいました?」


 それから十分ほど待っていると、住宅街の向こうから夏転が人力の車を引きながら駆け寄ってきているのが見えた。その車輪は青白い炎に包まれており、夜ということもあって不気味に周囲を照らしている。今の彼女はまさに地獄からの使者そのもののように思えた。


「そこに無傷で立っているでしょうが。処理して欲しいのはそこの遺体よ」

「ありゃりゃ。そりゃ残念」

「何が残念だ。殺すぞ」

「だってお兄さん、いい魂の輝きしてるんスもん」

「肉で例えるなら?」

「A5の特上黒毛和牛っス!」

「最高評価じゃねえか死ね」


 この会話をしていると、種族の価値観の差というものが嫌でもわかってしまう。見た目や口調で騙されがちだが、やっぱり彼女も妖怪なのだ。特に特上肉のくだりではジョークだと流せないほど彼女の目は、獲物を見つけた獣のように爛々と輝いていた。

 夏転はテケテケの残骸には見向きもせずに、被害者の男性の遺体をジロジロと眺める。そうして腕を持ち上げたり欠けた顔をペタペタと触れたりし、調査する。


「推定死亡時刻は二時間前ってとこっスかね。魂が半分くらいかじられちゃってますけど、まだ体に残ってるっス。このまま放置してたら霊素に分解されずに恨みで亡霊とか食屍鬼グールになる可能性があるっスね」

「そう。なら処理は任せたわよ」

「お任せっス! 綺麗に清めたあと、みんなで美味しく処理させてもらいますね!」

「お、おい!? 食うのかよそれ!?」


 事後処理を夜美に任せていたらとんでもない会話が聞こえてきて、思わず首を突っ込んでしまった。彼女は何に王牙が驚いているのか本気でわかっていないらしく、首を傾げている。

 

「? たしかに魂が残ってた方が力つくっスけど、肉や血だけでも十分美味しいっスよ?」

「いや、そういうんじゃなくてだな……! 遺族とかにはどう説明すんだよ!」

「あー……そっちの方面の話っスか」

「しないわよ、そんなこと」

「は?」


 人道的な面での忌避感から処理の仕方に食ってかかろうとする王牙。それを夜美の冷たい声が引き留めた。


「妖怪に喰われたなんてどう一般人に説明すればいいのよ。遺体だけ残すにしても傷跡を見ればそれが異常なものであることにも気づかれる。それは秘匿された神秘を暴く鍵となり得るかもしれないわ」

「だからって、被害者の遺体を食うだなんてよ……」

「……陰陽師院のような組織だったら、せめてもの情けとして清められた後、無縁塚に丁重に葬られるわ。でも私たち独立術師にはそれをするだけの当てもお金もない。だからそこの火車のような死体処理家に任せるしかないのよ」

「ウチは神社といっても妖怪保護団体っスからね。人を襲うことを禁じてはいるっスけど、どうしても大量のご飯が必要になるっス。この副業もそのためにやってるんスよ」

「……っ」

「……今は納得しきれないだろうけど、我慢しなさい。これも契約の一つよ」


 そう言われれば、王牙も口を閉じるしかない。王牙がした契約ではないとはいえ、彼のわがままで夜美にそれを破らせるわけにはいかないからだ。

 そう、これはわがままだ。

 王牙はこの業界においては新参者。面倒な準備をあれこれと彼女に任せっきりだった王牙に、何かを言う権利はない。

 それにさっきの妖怪とは違って、夏転たちは悪意があって遺体を食っているわけではないのだ。彼女たちは生きるため、保護する多くの者たちのために既に事切れた遺体を欲している。それは人間が肉のために家畜を屠殺し、それを食べるのと何が違うだろうか。

 自然の摂理。そう無理やり納得し、王牙は口を結ぶ。

 

「せめてもの情けとして、ヤオ様は陰陽師院と同じように死体を清めてから下に回してるっス。だからそれで勘弁してほしいっスね」


 死体処理家の多くは臓器などを売り払う闇ブローカーか、それを餌とする妖怪だ。その中には必要な部位だけを切り取って、残った遺体をゴミのように捨てる業者も多い。そういう中では八百神社の死体処理は十分人道的だと言えた。

 だがそんなことを知らない王牙には、その言葉はなんの慰めにもならない。しかし何か代わりに提案できるわけでもなく、彼は遺体が人力車に乗せられるのを黙って見ているしかなかった。


「よし。ウチの仕事はこれで終わりっスね。この後に清掃や修繕担当の子たちが来るから、もう帰ってもいいっスよ」

「きっちり証拠は消しておきなさいよ」

「大丈夫っスよ。ウチは人手だけは多いっスから。それじゃあ今後もご贔屓に。火車デリバリーサービスでした〜!」


 夏転は死の憂鬱さなど微塵も感じさせない明るいウィンクをし、車を押して去っていく。彼女にとってはこの程度のこと、見慣れすぎているのだろう。その足取りはスキップでもしているかのように軽やかだった。


「……夏転も決して悪いやつなんかじゃねえ。そうじゃねえってわかっちゃいるが……」

「ええ。彼らは妖怪。私たちとは根本的に価値感が違うわ。それをよく考えた上で、今後付き合っていくことね」


 夜がさらに更けていく。

 世界の裏側。新たな一面。

 夜の世界は光の世界では見ることもなかった現実を否が応でも映してくる。

 だが足を止めてはいられない。この闇の世界を生きるのだと、心に誓ったのだから。

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