第21話 新たな日常
退院が終わった翌日。王牙は目覚ましもかけずにグータラと朝を寝過ごしていた。
今日は学校がないからいいのだ。昨日は掃除で腰を痛めるほど疲れたし、今日くらいはダラダラと過ごしたい。朝食も食べずにそうやってベッドに転がりながらスマホをいじくっていると、突如部屋の扉が開かれた。
「いつまで寝てるのよ」
「いいだろ別に。今日予定何もないんだし」
入ってきたのはもちろん夜美だ。彼女は家の中だからか、いつもの際どい巫女服を着ていた。うさ耳も丸見えだ。やっぱり常に幻術で誤魔化すのは少々疲れるらしい。
この奇妙な共同生活も久しぶりだな、と内心思う。
この家はもともと祖父の知り合いの四人家族が住んでていたものだ。しかし転勤が決まって家を処分しなければならなくなり、買い手に困っていたところを祖父が善意で買い取ったのだとか。そして一人暮らしさせるために俺に与えられたと。
あのクソ親よりはずいぶんマシな対応だ。そんなわけで王牙はそこまで祖父を嫌っていない。まあ、あっちはそうではないみたいだが。
初めて会った時は「お前は鬼子だ」と言われ、以後は避けられていた。家を与えられたのも、できるだけ王牙を遠ざけたかったからだろう。だが必要最低限の生活費は送ってくれているので、感謝こそすれ恨むつもりは毛頭なかった。
「そう。予定はないのね。ちょうどよかったわ」
「……なんか嫌な予感が……」
「別に大したことじゃないわよ。あなたをこの土地の管理者に会わせてあげるってだけ」
「管理者?」
「ええ。そして私の仕事の斡旋者でもあるわね」
そんなのがあったのかと、王牙は興味深げに夜美に顔を向ける。長年この町には住んでいたが、初耳だ。町を管理するってことは町長とかそんな感じの人間なのだろうか。そう王牙は小首をかしげる。
「というわけでお昼を食べたら行くわよ。そこで改めて独立術師の仕事について教えてあげるわ」
「そういうことなら、しゃーねか」
よっと声を出して、王牙はベッドから飛び降りた。
独立術師。
入院中に詳しく説明を受けたが、その概要は簡単に言えば術師界の何でも屋だ。彼らは陰陽師院などの術師組織とは別の個人営業主であり、神秘に関わるあらゆる仕事を受け付ける。
その仕事内容は本当にさまざまらしい。単純な妖怪退治から護衛任務、素材入手、闇が深いものだと人攫いや暗殺、テロ、他術師組織への妨害工作や侵入調査などもやるのだとか。
だが、夜美はあくまで妖怪退治を専門にするつもりのようだ。王牙としてもその方がいいと思う。黒い依頼は報酬も高いが陰陽師院から目をつけられる可能性が高い。それにそんな胸糞悪い依頼、いくら払われてもやりたくもない。
「俺も将来は独立術師で食ってくかもしれねえからな。勉強させてもらうとするか」
「あら、就職はしないのかしら?」
「前科持ちで現在進行形の不良なんてブラック企業以外どこが雇ってくれんだよ? それに俺が会社なんか入ったら三日で誰かを病院送りにしちまいそうだからな」
「でしょうね。嘘を認めないあなたは社会に絶対溶け込めない。立派な社会不適合者よ」
「そりゃどーも」
嫌というほど自覚していることなので、そう言われても今さらなんとも思わない。もっとも彼女は毒を吐いたつもりはなくて、単純に王牙の性質を言い当てているだけなのだろうが。
それでいい。下手に言い繕われるよりも、そっちの方が気が楽だ。そういう意味では我が道を行く夜美と王牙は案外気が合うのかもしれない。
二階から降りてキッチンと繋がっているリビングに向かう。今日の昼飯は面倒くさいからカップ麺だ。冷凍保存してある白米をレンチンで解凍し、その上に汁が染み込んだ麺を乗せ、同時に食う。タンパク質×タンパク質のデブまっしぐらな食い方だが、美味いのだから仕方がない。
そうやってだらしなく夜美と一緒にカップ麺をすすっていると、昼のバラエティ番組が新たなゲストを紹介していた。
『さて! 今日スタジオに来てもらったのは、なんとあの! アイドル界に現れた超新星! 桐絵ヒカリさんでーす!』
『どーもみなさん! ヒカリです! みんな、キラキラしてるー?』
テレビで派手な演出とともに現れたのは、キラキラとした雰囲気を身に纏う美少女だった。
光を反射して輝く栗色の髪。白と金色の意匠が施され、天使を思わせる純白の翼がついているアイドル衣装。何よりも、見ているだけでときめきそうになるほど眩しい笑顔。
なるほど、彼女を見ているとアイドルに傾倒する人間が現れる理由もわかるような気がした。
「最近はよくこの子を見るわね。アイドルって言ってたけど、やっぱりこの子もテロとかするのかしら?」
「……は? アイドルがテロ? なんで?」
「アイドルってテロリストのことじゃないの?」
王牙の顔は宇宙猫のようになった。
それを見て夜美は自分と彼のアイドル像に致命的なズレがあることに気づいたらしい。彼女は光天京におけるアイドルの扱いがどういったものなのかを説明してくれた。
「陰陽師院には自称アイドルの女と、そいつが作った『アイドル研究会』っていう団体があるんだけどね」
「おいなんか陰陽師院に似つかわしくない団体名が聞こえた気がするんだが」
「事実だからしょうがないでしょうが! 私だって嫌だったわよ! でも規律違反にはなってないし、その子がアイドル? というのに憧れてたのを知ってたから仕方なく了承したのよ!」
夜美はバンと机を強く叩いた。彼女はもし過去に戻れるのならこの時の自分を殴りたいと思っていた。この軽い了承がなかったら、のちに陰陽師院最大の恥となる組織が生まれなかったのかもしれないのに……。
「話を続けるわ。とにかくそのアイ研がね、歌うためだったら手段を選ばないやつらだったのよ。他の陰陽師の任務を邪魔するのは日常茶飯、ステージを作るために家だろうが隊舎だろうが爆破するわ、止めようとした人も攻撃するわで本当にムチャクチャな連中だったわ。ついた異名が『陰陽師院最悪のテロリスト集団』。ほんとあの連中がいなければ私の仕事の三割は減ったでしょうに……!」
わーお。さすが術師界隈にもなるとアイドルもスケールアップするものらしい。ゲリラライブなんて単語があるがまさしくこれはゲリラである。味方にテロリストがいるだなんて陰陽師院も大変そうだ……なんて王牙は他人事のように考えていた。
「……一応言っとくが、アイドルってのは人前で歌ったり踊ったりする人のことで、それ自体に凶暴性があるわけじゃねえからな?」
「それを聞いて安心したわ。あんなのが大量発生しているんだったらこの国の治安を疑うわよ」
そんなものが湧いて出てくるのはおたくの組織だけです。
「それなりに本は読んできたつもりだけど、やっぱり法界にこもってるだけじゃ得られない知識が多いわね。思えばアイドルって単語もその子が外から持ってきた概念だったし」
「法界?」
「光天京がある異界の名前よ。面積は……だいたい今の京都と奈良を足したくらいはあるわね」
「ジェネシスが作ったのとはえらく違うな」
「当然よ。日本中の龍脈に接続して、贅沢に霊力を供給してるんだもの。大きさだけだったら世界一よ」
彼女は誇らしげにそう教えてくれた。
自分の故郷を自慢したいという気持ちはどこの誰であろうと同じものらしい。
法界か……陰陽師院に間接的に狙われてはいるので、今はどうしようもないが、いつかは行ってみたいものだ。そう思った。
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「で……本当にここに管理人なんかいるのか?」
「ええ。この山の上の神社が事務所にもなっているわ」
昼過ぎ。王牙たちは町外れのとある山の麓に来ていた。
ここは夢幻神社がある山とは正反対の方角にある。全体図を見れば町を挟んで二つの山が向き合っているように見えるだろう。
王牙はこの場所をよく知っていた。
香霊町二大山の一つ、万湖山だ。
「俺もよく中学時代は隠れ家に使ってたけどよ。ここには寂れた神社と、その裏の湖しかねえぞ?」
「はぁ。あなたも術師になったのだから、視覚だけの情報に頼るのはやめなさい。目に見えないものなんていくらでもこの世にはあるのよ? たとえば、ほら」
夜美は呆れたようにため息をつくと、参道前に建てられているボロボロの鳥居の下にある空間を軽く叩いた。
すると空間が見覚えのある波紋を立てる。その既視感を覚える光景にようやく王牙も合点がいった。
「なるほど、異界か!」
「そういうこと。術師関係者は異界に潜んでいることが多い。覚えておくことね」
言いながら夜美は虚空に向かって手を突き出し、鍵を回すように手のひらを翻す。それだけであっさりと鳥居の下の空間は捻じ曲がり、異界に続くゲートが開かれた。
さすがに二回目ともなれば戸惑いはない。王牙たちは迷うことなくゲートを通り、異界に入った。
「……おおう」
「雅なものね。ここの管理人はなかなかいい趣味をしているわ」
ゲートを抜けると、そこは光り輝く山だった。
木々に生い茂る黄金色の紅葉。それが何百万と重なることで山を一色に染め上げ、幻想的な風景を生み出しているのだ。
もちろん今の季節は春。紅葉なんて見れるわけがない。しかし実際に目の前にあるのだから、異界は浮世とはまったく異なる場所なのだということを改めて認識する。
「さ、見惚れてないで行くわよ。今日はもしかしたら依頼を受けるかもしれないんだから」
「依頼か……」
「独立術師の依頼は事前調査がしっかりされていないことが多いから、依頼の階級も当てにならないことが多いわ。常にイレギュラーを想定して動くことが大事ってわけ」
「階級……前に言ってた三級とか準二級ってやつか?」
「あら、説明してなかったかしら?」
「いやされてねえよ」
「そう……私たちにとっては教えられるまでもなく知っていることだっから、教えるのを忘れていたわ。ちょうど暇だし今説明してあげる」
夜美は階段を歩きながら、術師にとって最も基本であり重要な概念だという階級について語り始める。
「階級は文字通り、術師や妖怪の戦闘能力をランク分けしたものよ。区分は八つあって、一番下から順に四級、三級、準二級、二級、準一級、一級、特級、極級。妖怪は魂、特に負の感情を喰らえば喰らうほど強くなっていくから、その強さは犠牲者の数で例えられることが多いわ。そして各階級の妖怪と互角に戦えるとされる術師を、同じ階級の術師として位置付けするの」
具体的な戦闘能力は以下の通りということだ。
四級。
最下級の妖怪。妖怪のような精神生命体特有の霊力を伴わない純粋な物理攻撃を無効化する能力を持ってはいるが、戦闘能力は一般人より強いという程度であり、術師なら新米でも苦労せずに討伐できる。
人間を殺さず、不快感のみを与えて負の感情を得ている妖怪も多い。また知性があっても気性が穏やかで戦闘能力が低い場合もこちらに位置付けされることがある。
三級。
下級妖怪。人間を殺し慣れ始めた妖怪。ここからが明確な人類の脅威であり、積極的に人間を襲う。新米は複数人でかからないと危険。知性が低い妖怪が多く、本能のまま人間の恐怖の感情を得るために人を襲う。
準二級。
中級妖怪。人間を殺し慣れている。戦闘能力は三級の数倍。村一つを滅ぼすことができる。新米では束になっても敵わない。またこの階級からだと人間と同等以上の知性があり、戦闘能力は純粋なスペック以上となる。
このクラスの妖怪を倒せるかで一人前かどうかが分かれる。術師の大半は一生涯をかけてもこの階級までしか辿り着けないことが多い。
二級。
中級妖怪。百を超える人間を喰らい、力を得た妖怪。戦闘能力は準二級の数倍。ベテランでも数人がかりでないと危険。
準一級。
発生次第即座に指名手配がされるほど危険で、二級以下の陰陽師では束になっても敵わないほどの戦闘能力を持つ。戦闘能力は町一つを容易に滅ぼせるほど。鬼や天狗、妖狐などの昔から名の知れた妖怪が多い。
一流や上位の術師と見なされるのもこのラインから。
一級。
鬼や天狗などの強力な種族の中でも特に秀でた存在などがこのランクに位置付けされる。戦闘能力は準一級の数倍。地方一つを滅ぼすことも可能。
特級。
大妖怪。もはや数えることがバカバカしいほどの人間を喰らっている。神の領域に至っており、国を単独で滅ぼすことすら可能。その国を代表するような強大な妖怪であることが多い。
極級。
測定不能。番外階級。単独で世界を滅ぼせる。
「ちなみに前に戦ったジェネシス。あれは間違いなく極級よ」
「だろうな。あんなのがポンポンいてたまるかってんだ」
その名前を聞いて王牙は全身を掻きむしりたくなった。前の戦闘で残ってしまった古傷。それが開いたような気がしてたまらなくなったのだ。
『駆動心音』の出力を百倍まで引き上げた結果、王牙の皮膚という皮膚は引きちぎれ、骨という骨は砕け散ってしまった。いくら祈祷術でもその跡を完全に消すことはできなかったらしく、王牙の体には今でもいくつかの傷跡が残ってしまっている。
「あと忠則は準一級よ。たぶん今の私もそれくらいか、もう一つ上くらいね」
「……なんか準二級とか準一級とか、特級とか極級とかややこしくないか? 単純に八級から数えりゃいいのによ」
「昔は六級から始まって特級が最高位だったみたいよ。ただ、百年以上前に両儀宗家でギリギリ四級の出来損ないがいてね。彼の自尊心を傷つけないよう、当時の当主があれこれ手を回した結果、準二級や準一級が生まれたそうよ」
「あー、たしかに四級よりも準二級の方が強そうに聞こえるしな」
両儀宗家というのは光天京における二大最高貴族の総称のことらしい。そのうちの一つが彼女の出身でもある出雲家。もう一つは……なんと言ってたっけか。王牙の記憶容量では、そこまで覚えるのが限界であった。
「極級に関しては、元々最高位の階級は特級だったのだけれど、この階級は最も同階級内で実力差が激しすぎる階級でね。世界すらも滅ぼせる力を持った存在を同じ特級の枠組みに入れておくのはおかしいってことで、さらに別の枠が用意されたってわけ」
「へー。ちなみに俺はどのくらいの階級になんだ?」
「そうね……だいたい二級ってところかしら」
「……うーん、二級か……」
現在の実力についてそう教えらえ、王牙は渋い顔をする。
二級。八つの階級の中では真ん中辺りに位置する。言ってしまえば中級上位の術師ってとこだ。正式な認定を受けたわけではないのでなんとも言えないが、つまり王牙の実力はせいぜいその程度ということだ。忠則レベルの人間はそうはいないとたかを括っていたが、これは認識を改めなければまずいかもしれない。
「はぁ……」
「何よ? まさか自分が上の方の人間だとでも思ってたの?」
「まあ、ちょっとはな。実際喧嘩じゃ負けたことねーし……はぁ」
「……ふん。ま、まあ陰陽師院では七割の人間が三級以下で足踏みしているわ。二級以上なんてうちでも一割しかいないわよ。だから同じゴミでもまだマシなんじゃないかしら?」
あまりに落ち込む王牙を見かねたのか、夜美は慰めようとそんなことを言う。
しかし王牙は肩をガックリとぶら下げたまま、ジトーとした目を彼女に向けた。
「……それ、母数いくつだよ?」
「……一万」
「一万の一割……千人かぁ……」
「な、何よ! 準二級以上といえば正式に霊器契約に挑める階級なのよ! いいじゃない別に!」
ちなみにもっと詳しく話を聞くと、陰陽師院の構成員の階級は準二級以上は30%、二級以上は10%となり、忠則と同じ準一級以上は1%、つまるところ百人弱しかいないらしい。
……色々悔しいし、とりあえず目指すべきは準一級クラスだな。
いろいろ先は長そうだ。王牙は隠しきれない挫折感に、大きくため息を吐いた。




