第20話 退院
降り注ぐ歓声
愛のように 弾のように
私を貫く
物心ついた時には、私には皆が当たり前のように持っているものを一つ、持っていなかった。
父親という存在だ。
特に夫婦関係に問題があったわけじゃなかった。ただ運がなく、三十を超えてすぐに交通事故で死んでしまった。
でも、寂しいと思ったことはなかった。母は尽きることのない愛情を注いでくれたし、父の代わりに祖父母がやってきてくれて、頻繁に私を世話してくれた。
お金に少し余裕がなく、贅沢は我慢しなければならなかったが、それもほんの少しだけだ。誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも制限はあったもののもらえたし、そのまま慎ましく過ごしていれば十分生活していける程度の貧乏だった。
だけど、私は憧れてしまった。
液晶版の奥。闇に包まれた広い広いステージで、月光のようなスポットライトを浴び、輝くアイドルに。
私もああなりたい。キラキラしたい。心の奥からそう思った。だけど、そのためのレッスン代を汗水垂らして働いている母親に願うことなんて、私にはとてもできなかった。
だから願った。音楽の天使様に。
私を憐れみ、救い、導いてくれる。そんな存在が側に欲しいと。
そして、私はーー。
♦︎
我道王牙は世にも珍しい能力者である。
巷じゃ有名だった不良高校生の彼はなんの因果か、超常現象渦巻く陰陽時と妖怪の世界に足を踏み入れることとなり、そして夢幻祭のあの日に大怪我を負い、病院に入院することになった。
そしてそれから二週間後。
王牙は病室で立ち上がりながら、手首や足首を回し、体のストレッチをしていた。
体を折りたたんで前足を触る。その後に上半身を逆方向にのけ反らせ、背中を伸ばす。
「……よし」
軽くステップを刻む。キュッキュッというタイルを擦る音が鳴る。それを気にせず王牙は体を弾ませ……空気を貫くように拳を突き出した。
ゴォッ! という風切り音が発生。風圧が前髪を揺らし、部屋のカーテンをたなびかせる。
そこまでやって痛みがこないことを確認し、王牙はガッツポーズを取った。
「よっしゃあ! 治った! ようやく治ったぞ! 俺、復活!」
そう、今日は王牙の退院日なのだ。
この二週間はほんとに退屈だった。普段王牙は暇つぶしにコンシューマーゲームを嗜むのだが、この部屋にはそれがない。スマホでやってるゲームはなかったし、かといって読書も趣味じゃないのでひたすらネットサーフィンをするしかなかったのだ。
それでも三日過ぎれば飽きてくる。見舞いも毎日来てくれるわけじゃないし。
見舞いには桜が二日に一回は来てくれた。あとは残りの四バカが一回のみだ。ここは独立術師御用達の病院といっても、一般人が入れないわけじゃない。むしろ大半の患者は一般人だ。あくまで『裏の世界の患者も受け入れている』というスタンスなだけなのだ。でなかったら患者数が足りなくてとっくに経営破綻している。独立術師もそこまで多いものではないらしい。
あと、夜美も桜と同じ頻度で病室に来てくれた。幸い二人は一日ズレて交互に来てくれるので、うっかりバッティングしたことはなかったようだ。
その夜美は今、独立術師として働く下地を作っているのだとか。依頼を回してくれる場所や情報屋などを探しており、いろいろ大変なようだ。まあうまくやってくれることだろう。彼女は貴族の出なので政治にも携わっており、心理的駆け引きには慣れているのだとか。
『我道さーん? 入ってもいいですかー?』
どうやら担当の看護師が来たようだ。
王牙は返事をしながら、残り少なくなった荷物をまとめあげた。
♦︎
いろいろと受付で処理を済ませて、王牙は病院の出口へと足を踏み出す。自動ドアがスライドした途端、久しぶりに感じた外の空気が王牙を撫でた。
……もう五月になるのか。
先月まであちこちに見られた桜の花も、今やどこにも見当たらない。青々しい色の葉が生き生きと生えているのみだ。心なしか春よりも風が暖かく感じ、太陽は夏に向けて若干のギラつきを持ち始めていた。
病院の外を見ると、後ろに結んでもなお、地面に届きそうなほど長い桃色髪を垂らした少女がたたずんでいた。
「ようやく来たのね。待ちくたびれてそのまま帰るところだったわ」
「退院祝いで主役置いて帰ろうとするとか、お前ほんとに人間か?」
「幻魔よ。残念ながらね」
「その笑えないブラックジョークやめろ。反応に困るわ」
自虐ネタに使える程度には彼女も余裕を取り戻しているらしい。
彼女は出雲夜美。知っての通り、元人間の陰陽師だ。元はジェネシスに殺されてしまったのだが、紆余曲折あって幻想召喚という禁術を使われ、人外である幻魔として蘇ることとなった。その運命はそう簡単に受け入れられるものではなく、ジェネシスを倒すという目的を果たした今、どうなるかわからなかったのだが……この調子ならあまり心配はしなくてもよさそうだ。王牙は密かにそう安堵した。
彼女の服装はもう見慣れてしまった痴女っぽい巫女装束……ではなく、フリル付きの白い服に黒のコルセットスカートという現代風の可愛らしいものだった。肌面積の少ない清楚な服のはずなのだが、下に身につけているガーターベルトと、その大きすぎてコルセットで強調されてしまっている胸のせいで、どこか艶かしさを感じる。この清楚と妖艶という矛盾した要素が成り立ってしまうのが、実に彼女らしい。
しかし事情を知っていれば最も驚くのが、その頭だ。そこには髪に紛れるように生えていた垂れ気味のうさ耳がなかった。
「……相変わらずすげえよな。その服も耳も、全部幻術で誤魔化してんだろ?」
「陰陽師は常在戦場。いつどこでも戦えるように、常に戦闘装束を身につけているのよ」
――隠形始式『仮衣』。
それが今彼女が使っている術だ。
服の上に霊力を纏うことで、着ている服の見た目を変更する陰陽術。夢幻祭の日に王牙に使われたのもこれである。これによって夜美は現代社会に外見だけは溶け込んでいた。服のイメージはデパートの高級ブティックで気に入ったものをそのまま模倣してきたらしい。うさ耳はその応用で消している。
ただ、夜美は性格はアレだが外見だけは一生に一度見れるかどうかわからないレベルの美少女だ。それが和風から現代風に変わったところで目立つことは変わらず、むしろその女神のような美貌は余計に人目を惹きつけていた。
王牙たちは病院前にタイミングよく来たバスに乗った。独立術師御用達ということもあり、病院は香霊町を囲ういくつかの山の中にある。用がなければ一般人はまず来ないような場所だ。そのせいか乗客は少なく、また窓の外に歩行者もほとんどいない。そのおかげで席はガラガラだったのでお互い好きな場所に座れた。
座ったのはニ席が連結している場所だ。そこを前後で王牙と夜美がそれぞれ独占する。これで余った隣の席に寝転がるなり荷物を置くなりできるわけだ。
王牙はバッグを片方の席に置くと、それを枕にし、だらりと横になった。
「隠形始式『音切』」
「……これって、ジェネシス戦でも使ったやつか?」
「音を遮断する結界よ。これで周りの目を気にしないで会話できるわ」
「周りって……運転手と客数人くらいしかいないだろ」
「ダメよ。神秘は秘匿するからこそ神秘でいられるの。それに下手に誰かに嗅ぎつけられて、野垂れ死にでもされたら目覚めが悪いしね」
前にも聞かされたが、妖怪は人々の負の感情から生まれてくる。だからこそ陰陽師は人々の不安が芽生えないように、裏の世界に関する一切のことを隠蔽している。彼女はもう陰陽師ではないが、責任感が強いからこそそのことを気にしているのだろう。
「そうそう。あなたが寝ているうちに依頼を何件かクリアしておいたわ。居候になるわけだし、今のうちにその分の報酬を渡しておくわね」
「……お前、マジで俺んちで居候続けるつもりなのか?」
「当然よ。あなたも私もいつ襲撃されてもおかしくない身だもの。それにあの家に住んでもう三週間になるのよ? 今さら住み慣れた場所を離れるつもりはないわ。あそこはもう私の別荘よ」
「わーお。家主の前で堂々と乗っ取り宣言かよ」
もうこの不遜な物言いにも慣れたものだ。王牙としては同年代の少女と同棲するというのはもちろん抵抗感がある。しかし自分の身すら守れないほど弱いというのは前回の事件で痛いほど自覚しているので、文句を言うつもりはなかった。
「そう嫌な顔しないでくれるかしら。生活費もちゃんと払うって言ってるでしょ? ほらっ」
後ろの席から放り投げられた何かが王牙の顔に落ちてくる。よく見るとそれは札束のようであった。
……札束?
ガバッと起き上がると、王牙は急いでその札束を指で数えた。
これ全部万札だ。それが少なくとも三十枚以上あるぞ……!?
「三級が二件、準二級が一件。それに経費を差し引いた余りね。最初だからずいぶん足元見られたけど、まあこれくらいあれば十分でしょ」
「いやいやいや!? なんだこの大金は!? 十分どころか有り余るわ!」
「大袈裟ね。命賭けてるのよ? 報酬は高いに決まっているじゃない。それに組織である程度補填してくれる陰陽師はともかく、独立術師は経費だってバカにならないのよ?」
「そうなのか?」
「正規品の護符一枚で一万はするし、呪具や防具だって安くて十万、高ければ数千万するものもある。怪我をすれば専用の場所で入院する必要もあるし、治療費もその分跳ね上がるわ。ちなみに私のこの服、いくらするかわかるかしら?」
「……五千万とか?」
「答えは測定不能よ。世界に二つしかない国宝だから値段がつけられないの」
「こ、こくほっ……!?」
想像以上の値段に思わず舌を噛んでしまった。それほどの驚きだった。
彼女はなんでもないようにその『神御衣』と呼ばれる巫女装束について説明してくれた。
国宝なだけあってその性能は破格であり、あらゆる攻撃に無敵に近い耐性を持つのだとか。具体的には極級クラスの攻撃でなければ傷一つつかない。さらにはその聖なる繊維は千切れても持ち主の霊力を食わせることで再生し、穢れを弾く。だから洗濯なんかしなくても常に清潔になっているらしい。むしろ新品の服よりも綺麗と言っていた。一着しかない服をどうやって使い回しているのか気になっていたが、そういうことだったのか。
ちなみにこれほどまでに性能が高い理由は、この巫女装束が神和時代の技術を結集して作られているものだかららしい。しかしこの衣は使い手を選ぶらしく、夜美が幻魔になった影響でその防御性能は従来よりだいぶ落ちてしまっているのだとか。
「ま、そういうわけだからあなたもこの程度の金額には慣れておくことね。でないと大金が出たり入ったりで目を回すことになるわよ」
「……ちなみに俺の入院代っていくらしたんだ?」
術師の金事情を聞いて、王牙の顔がサーっと青くなっていく。そんな彼を安心させるためか、夜美は聖母のような笑みを浮かべて口を動かした。
「安心しなさい。たったの三百万円よ」
「ぎゃあああああっ!?」
人生オワタ。
王牙はショックのあまり叫ぶだけ叫ぶと、真っ白に燃え尽きたかのように椅子に倒れ伏した。
ああ……まさか高校生にもなって数百万の借金を背負うことになるとは。これから卒業まで、ご飯はもやしだけになるんだろうな。王牙は内心で絶望の涙を流した。
「冗談よ。いえ、入院代は冗談じゃないのだけれど、忠則が全額支払ってくれたわ。だから安心しなさい」
「お前なぁぁぁあああ!! 心臓に悪いんだよぉぉぉ!!」
思わず背もたれの後ろにいる彼女に飛びかかりそうになってしまった。
こっちは祖父になんて言おうか考えていたのに、こいつは……!
しかし彼女は王牙のリアクションに満足したのか、ニヤニヤと悪魔のような笑みを浮かべていた。
「それにしても、あの忠則がよく俺のために金なんて出したな」
「……ま、まあ。彼も少しは責任を感じてたのかもしれないわね」
(……脅してカツアゲ気味に払わせたことは黙っておきましょう)
「そうか。なら今度会った時には礼でもするか」
そうやって術師の世界にまた少し詳しくなったところで、バスが家の近くにまで着いたようだ。
王牙たちは特に問題もなく降りてしばらく歩き、ようやく家にまでやってきた。
「いやー、久しぶりの我が家だぜ。色々あったし、今日は湯船にでも浸かってゆっくりしたいな」
そうして楽しげな顔をしながら鍵を回し、ドアを開く。
しかし次の瞬間、王牙を出迎えたのは暖かな我が家の玄関……ではなく、異臭を発するゴミ山だった。
王牙の表情はその瞬間、氷のように固まり、次には無表情となった。
「……おい」
「な、何かしら?」
「俺がいない間、ちゃんとゴミ出しとかしたか? つーか一週間に一回は掃除したんだろうな?」
「わ、私は出雲の巫女よ! 掃除とかできるわけないじゃない!」
「テメェはもう少しまともな弁明はできねえのか!?」
王牙は急いでリビングに駆け出した。そしてそのあまりに酷い惨状に膝から崩れ落ちる。
インスタント類の器に空き缶、空きペットボトル。それらが乱雑に積み重ねられており、シンクには二週間前に水に浸しておいたままの食器が放置され、黒カビが発生している。他の場所も見てみたが、フライパンは焦げつき、シャワーはヘッドが千切れて絶えず漏水していた。
なんだこれは……なぜ二週間でこうなるんだ!
王牙は忘れていた。夜美が生粋のお姫様であり、家事能力に関しては絶望的な技量を持っていることに。
「掃除だ掃除! テメェも手伝え!」
「うっ……で、でも私は……」
「うっせえ! 巫女だったら場を清めることも仕事のうちだろうが! 俺が徹底的に掃除のやり方叩き込んでやっから覚悟しやがれこのダメ巫女!」
「……はい」
この後、想像を絶する艱難辛苦を乗り越えて、ようやく家は元通りの姿を取り戻した。
とりあえず、一言。こいつに家事は無理だ。諦めろ。動けば動くほど機械類を壊し、ゴミを撒き散らかす彼女は家主にとっての歩く災害に等しい。
王牙はこの後、家主不在の状況をなんとかするため、家事代行サービスの雇い方について教えておくことを決心するのだった。
♦︎
「……ひとまず片付いたか……」
そして数時間後。一応居間だけはなんとか利用できるようにはなった。
王牙は倒れかかるようにテーブル前の机に腰掛け、ため息をつく。そこでふと見覚えのない物が台所にあることに気がついた。
「あれ? こんな高そうな日本酒、俺買ったっけな……」
「私が買っておいたのよ。あなたの家の酒ってビールばっかりで、宴会で出すには物足りない気がしたから」
その疑問に答えたのは夜美だった。彼女は酒瓶と共に丹塗りの盃を二つ持ってきて、それを二人の席の前に配った。こちらも王牙が買った覚えのないような、高級感漂う物であった。
「宴会って?」
「この国の術師の風習でね。大きな事件を解決した時には、宴会を開くことになっているの」
陰陽師の戦いは過酷だ。どれだけ鍛えようと、どれだけ数がいようと毎年数百人もの死者が出る。ゆえに厄祓いも兼ねて戦闘で溜まった疲労や不安を発散するために宴会が開かれるのだ。それは組織による大規模なものもあれば、個人の付き合いで行われる小規模なものもある。ともかく、重要なのは事件解決後の宴会は陰陽師には欠かせないということだ。
もちろん、夜美はもう陰陽師ではない。しかしそれでも陰陽師の風習にこだわるのは、彼女が心だけは人間であることを強く意識したかったからなのかもしれない。
「つーか未成年飲酒を自覚してる俺はともかく、お前はいいのかよ?」
「こっちでは元服を終えた者は大人として扱われるのよ。だからこちらも問題ないし、飲み慣れているわ。神事と酒は密接に関わるものだしね」
「元服って?」
「15歳の時に行われる成人の儀ね。昔は髪を整えたり、名前を改めたりしてたけど、今ではただ大人になったことを祝うイベントになっているわ」
現代で言うところの成人式のようなものなのだろうと、王牙は想像する。それにしても15歳で酒が飲めるなんて、やはり法律からしてこの世界とはかなり違っているようだ。
ちなみに王牙は未成年飲酒を普通にしているが、大して気にしてはいなかった。そもそも王牙には法律を必ずしも守らなければならないという考えはない。それは彼が育った家庭が犯罪のオンパレードだったこともあるし、自分が決めたルール以外には従わないという彼の信念によるものでもあった。ゆえに簡単に気分良くなれる手段を手放すつもりもなく、常習的に未成年飲酒に手を染めていた。
「ま、じゃあせっかくだし飲むか」
王牙は酒瓶を手に取ると、それを二人の盃に注いでいく。そして器が満たされると、水面を揺らして盃を持ち上げた。
「じゃあ、俺たちの勝利に」
「私たちの勝利に」
「「乾杯」」
カチン、と音を鳴らし、二人は盃をあおる。
それは宴会と呼ぶには静かな乾杯であった。しかし心地よい静寂であった。
二人はこれからの様々なことに思いを馳せながら、その雰囲気を味わうのだった。




