第14話 無限龍脈
氷雪がキラキラと降り注ぐ中、無傷のジェネシスはまるで埃でも払ったかのように片腕を薙ぎ払った体勢で停止している。その体勢から、腕の一振りで氷の満月を粉砕したのだとわかる。
「ほう……桜ではないが、散る氷もいいものだ」
夜美は悔しげにジェネシスを睨みつけている。おそらく彼女はある程度このことが予想ができていたのだろう。しかし王牙は今の光景を信じられずにいた。
夜美が放ったのは王牙が見たどの陰陽術よりも規模と威力が桁違いのものだった。少なくとも忠則戦でこれが撃てていれば間違いなく圧勝できていた。
使わなかったのは霊力切れの問題もあっただろうが、一番は彼を間違いなく殺してしまうから。今ならそれがわかる。境内の建築物が全て崩壊していることからもその凄まじい威力が伺えた。
「私の撃破と同時に儀式陣の破壊も狙ったか。だが、これには結界を張ってある。私を倒さない限り、儀式陣が破壊されることはない」
だが、拝殿や本殿などが全て壊れているのにも関わらず、幻想召喚の儀式陣だけは依然とそこにたたずんでいた。
そしてジェネシス本人も汚れ一つなくピンピンしている。手をポケットに突っ込んだままで、まるで意に介していない。崩れないその笑みは彼の余裕を感じさせてくる。
「さて、ではお返しといこうか」
「っ……護法終式『九重甘藍結界』!!」
「夜美っ!」
「――『ハレイ』」
ジェネシスは片方の手をポケットに突っ込んだ状態のまま、もう片方の手で人差し指を突き出した。
それを見て、王牙は咄嗟に夜美の前に飛び出す。
そして、その指先から全てを漂白する極太の閃光が放たれた。
それは夜美が張った九重の結界を一瞬で貫き、彼女を飲み込もうとする。その前に王牙が自らの体を盾とした。
瞬間、まるで津波を真正面から受け止めたかのような衝撃が襲いかかった。体中の細胞が消し飛び、まるで全身が焼け焦がれているような苦しみが走る。王牙たちは少しもこらえることができず、その膨大な霊力の奔流に飲み込まれていった。
閃光は障害物など何もなかったかのように少しも劣えることなく直線を突き進んでいく。その跡に残ったのは体中が焼け焦げて倒れ伏した王牙と、その射線から少し逸れたところで膝をつく夜美の姿だった。
「カッ……ハッ……!」
「王牙っ!」
夜美はすぐさま彼の元に駆け寄ると、その容体を見る。
夜美もまた体中にダメージを負っているが、動けないほどではない。そこまでダメージを抑えられたのは直前に張った結界と、体に纏う神御衣、そして何よりも王牙が閃光に飲み込まれた後も風除けのように夜美の盾になってくれていたからだ。
だが直撃を受けた彼は無事ではなかった。後ろを振り返れば、白い閃光が通った彼方ではそのあまりの威力に空間が歪んですらいる。外で撃てばこれだけで間違いなく町や山が複数消し飛んでいただろう。そんなものを浴びた彼は生きていることすら奇跡で、瀕死の状態で意識を失っていた。
「っ……こうなったら、手荒になるけどごめんなさい!」
通常の治療では意識を復活させるまで時間がかかりすぎる。そう考えた夜美は苦渋の決断をすると、癒しの象徴である緑色の光を手に纏いながら、王牙の心臓に向かって掌底を打ち込んだ。
「祈祷順式『反魂掌』!」
「がはっ……! ぐっ……! 俺は……!?」
それは側から見れば到底治療に見えない光景だったが、効果は抜群だった。力を失ったままだった彼の体が一瞬跳ね飛んだかと思うと、王牙は飛び起きるようにして意識を取り戻す。
「精神操作の応用で意識を無理やり覚醒させたわ。でもごめんなさい、傷はまだ……」
「ぐっ……! いや……十分だ。サンキューな」
「っ……!」
含みのない純粋な感謝なはずなのに、心が痛い。夜美が顔を俯かせると、それを見抜いたジェネシスが彼女を再び嘲笑う。
「残酷だな。いっそこのまま寝かせておいてやれば、これ以上の苦しみを味わうこともなかっただろうに。見ろ。お前が痛みも消せず意識だけを取り戻させたせいで、その男は今地獄の苦しみを味わっている」
「っ……!」
「いや、わかっていてやったのか。さすがは出雲の巫女。魔を滅するためならなんでもやるというわけだ。文字通り半死人に鞭を打つことすらできてしまう」
「っ……私は……!」
ジェネシスの言葉に夜美の瞳が揺れる。
たしかに彼の言う通りだ。四肢の欠損や出血こそないものの、王牙の体は常人なら即死レベルでズタボロになってしまっている。全身の骨は砕け、内臓も大半が潰れてしまっているだろう。血が流れていないのはあの白い閃光によって傷口が強引に焼け塞がれているにすぎない。鋭い眼光を保ってはいるが、おそらく今の彼は立っているだけで拷問を受けているような激痛を味わっているはずだ。
そんな彼を、元は陰陽師ですらないただの一般人だった彼を戦場に復帰させてしまったことに夜美の心は罪悪感で押し潰されそうになる。
「そりゃあちげえぜ……!」
だがその罪は、当の本人である王牙によって否定された。
「このまま寝てたら結局お前に殺されるだけじゃねえか! 夜美は俺の命を救ってくれて、もう一度戦う機会をくれたんだ! 見当違いなこと言って惑わせようとしてんじゃねえよ!」
「……それがさらなる苦痛を味わうことになったとしても?」
「たとえどれだけ苦しくても、立ち上がらなきゃ何も変わりはしねえんだよ! 俺は勝つ! 勝って夜美を……仲間を……町を守ってみせる!」
果たしていない約束がある。
夜美と協力し、町を守ること。桜と祭りを楽しむこと。
嘘はつけない。つきたくない。
「だから、約束を果たしていないまま……死ぬわけにはいかねえんだよ!」
そう王牙は吠えた。そして桃紫色の霊力と共に、炎のように激しい戦意をたぎらせる。その迫力は周囲にも伝染し、空気が重圧で震えた。
その威圧を受けてジェネシスは嘲笑をやめて少し目を見開き、そこで初めて彼を真正面から捉えた。
「そうか。ならば試してやろう。お前の可能性を」
ゲンムは再び人差し指を突き出し、そこに無限に思えるほどの膨大な霊力を収束させていく。
「あの威力の攻撃を、この短期間でもう一度!?」
「『ハレイ』」
そして再び、あの絶望の光が放たれた。
王牙は思いっきり霊力を右拳に注ぎ込むと、弓引くようにそれを構える。
しかしこのまま『王牙会心撃』を撃っても、押し返されて先ほどの二の舞だろう。威力ではとても敵いそうにない。
だったらどうする?
「『王牙会心撃』!!」
その答えがこれだ。
王牙は腰を落として大地を踏み締めると、右斜め下から突き上げるように拳を繰り出した。
ボクシングでいうところのアッパーとフックの中間、スマッシュである。
それは極太の白い閃光と激突。そのあまりの威力にこちらの衝撃破が押し返され、拳が腕ごと焼け落ち、潰れそうになる。
「ガァァアアアアアアアッ!!」
それでも王牙は歯を食いしばってその痛みに耐え、拳に全ての体重と力を集中させた。
その踏ん張りと絶妙な角度からの衝撃によって、閃光が少しずつ、少しずつ斜めに逸れていく。
そして彼が拳を振り切ると、閃光は王牙の右腕のみを飲み込んだまま見当違いな方向に飛んでいき、外れていった。
「ハァッ……ハァッ……へっ……どうよ! って、いたぁっ!?」
「そんな腕でガッツポーズ取るなんてバカじゃないかしら!? 見せなさい!」
正面から防げないのなら、軌道を変えて外させる。その目論見はうまくいったが、その代償に王牙の右腕は真っ黒に焼け焦げてしまっていた。
夜美はすぐさま祈祷術を施し、それをなんとか元の肌色に戻す。しかし表面の肌が再生しただけだ。内部の骨や筋肉がどうなっているかなんて想像するだけでゾッとする。
それでも王牙はそんな痛みを微塵も感じさせない強気な笑みを浮かべていた。
「フッ……ハハハハハッ!」
と、ここで高笑いが響き渡った。
その笑いは先ほどまでの嘲笑を含んだものではない。まるで何か新発見をした子どものような、純粋な楽しさを感じさせるものだった。
ジェネシスはその瞳を王牙たちに向ける。先ほどまでは彼らは背景のように見えていたが、今度はしっかりとその視界には彼らが存在していた。
「少し、興味が湧いた。いいだろう。ここからは私も戦うとしよう」
ジェネシスはそう言うと、両方の手をポケットから抜き、広げた。
そして、凄まじい霊力の圧が解き放たれる。
「っ……ここからが本当の戦いよ。一応言っておくけど、今だったら逃げることもできるわ」
「ハッ、今さらだろうが。言っただろ? 俺は誰かのためにならない嘘は死んでもつかねえって。ここで逃げたら、俺は今度こそ本当の嘘つきになっちまうんだよ……!」
「……愚問だったわね。なら、私と一緒に死んでちょうだい」
「嫌だね。三途の川から引きずり上げてでも、俺は生きる! テメェを生かす! そんでこいつをぶっ倒す!」
その言葉が合図となり、二人は同時に走り出した。
「さあ、宴の始まりだ。お前たちは何分持つかな?」
彼の背後に無数の白い霊力球が浮かび上がる。それら一つ一つから背筋が凍るほどの霊力を感じる。『ハレイ』と呼ばれる閃光ほどではないが、おそらく先ほど夜美が放った『鏡月』と同じかそれ以上。それだけの霊力が込められた球体が数百、空中に待機していた。
「序曲だ。まずは祝砲を受け取ってほしい」
その言葉とともに、全ての球体がレーザーと化し――ジェネシスの前方にあるもの全てを消し飛ばした。
だが、王牙たちはかろうじて生きていた。それぞれがとっさに動き出し、迫り来る全てのレーザーを回避したのだ。
巻き上がる砂煙の中から飛び出した王牙は、そのプレゼントに悪態をつく。
「ざけんな! 誰がんなもん受け取れるんだよ!? もうちょっとマシなモンよこせ!」
「なるほど。ならば要望通り、もう少し派手にいくとしよう」
「そういう意味じゃねえよ!? って、うぉぉぉぉおおっ!!」
ジェネシスの放つレーザーは一つ一つが頭のおかしい威力だった。少なくとも夜美の終式の陰陽術を超えている。もちろん直撃すればひとたまりもないだろう。
それが数百個。これがゲームだったらバランス崩壊もいいところだろう。
だが、それでもなんとか王牙たちは生き延びることができていた。
「野郎、レーザー群の中にわざと抜け道を用意してやがんな……! 舐めやがってぇ!」
「言ってる場合じゃないでしょうが!」
そう、王牙たちが生き残っていられたのは迫り来るレーザーの群れの中からわずかな安置を発見し、それで直撃を免れたからだ。
もちろんそんなものは自然にできるわけがない。ジェネシスは自らが楽しむために、あえて逃げ道を作っているのだ。
それが二人のプライドを逆撫でする。が、他に回避の手段もなく、仕方なく二人は逃げ道へ迷い込んでいく。
「っ……!」
「カハッ……!」
当然、直撃していないというだけで、無傷で済むわけがない。レーザーは着弾した途端、広範囲を焼き払う爆発を起こしていく。それが秒間で数え切れないほど起こるのだ。
すでに体中は焼け焦げ、飛んできた瓦礫やらで体中から血が流れていた。まるでミサイルをガトリングで放たれているような気分だった。かすっただけで体の部位が持っていかれることだろう。
だが、王牙たちは前に進み続ける。後ろに逃げ場はない。生き残るには前に進むしかないと、本能でわかっていたからだ。
そうやってわざと設けられた安置から安置へ移動し、ようやく王牙たちはジェネシスに手を伸ばせば届く距離に辿り着く。
「いい加減、そのうっとうしい弾幕ごっこをやめやがれ!」
――『王牙会心撃』。
手首を捻って霊力を集中させ、全力を込めた右拳を振り抜く。桃紫色の衝撃波が炸裂し、地面を吹き飛ばす。
だが顔面に直撃しても、やはりジェネシスはみじろぎ一つしていない。そこへ続けて夜美が入れ替わるように飛び出し、手のひらを突き出す。
「零閃闘法――『鎧通し』」
彼女の手は殴ったとはとても言えないほど穏やかに龍魔の胸に触れた。
その次の瞬間、手のひらから衝撃波が発生。敵の体がくの字に曲がった。
「効いたか!?」
「……なんてな」
「やっぱり……!」
体を曲げたのは演技。顔を上げた時のジェネシスには、相変わらず余裕の笑みがあった。
「たしか陰陽師院に伝わるという暗殺術か。なるほど、これなら鎧を着込んだ相手には有効だろうな。だが残念、私の『無窮障壁』は肌から数ミリ離れて設置してある。よって発勁も無駄だ!」
ジェネシスがわずらしそうに両手を振るう。それだけでドーム上の凄まじい霊力が放出された。
王牙たちはなす術なく吹き飛ばされ、地面に転がった。
「だがあの攻撃の中、私の元にまでたどり着けたのは素晴らしかった。その褒美に、少しヒントを与えてやろう」
「ヒント、だと……」
「そうだ。気になってはいるのだろう。私の持つ力について」
「っ……!」
たしかに、気になってはいた。
ジェネシスの霊力は明らかに異常だ。夜美や王牙は人間の中でも高い霊力を持っているようなのだが、ジェネシスは今漏れているものだけでも彼らの数百倍の霊力を保有している。
それが神なのだと理屈を考えることを放棄していたのだが、ここまで理不尽な威力の攻撃を浴びせられれば、嫌でも考えざるを得なかった。
そしてその秘密が今、彼の口から明かされる。
「私は大気中の霊素を即座に取り込み、無限の霊力に変えることができる。最近の能力者どもの流行りに乗るのなら……『無限龍脈』とでも名付けておこうか」
「……なんだ……そりゃ……!」
「っ……化け物め……!」
明かされた龍魔の『無限龍脈』。
そのあまりに桁違いな能力に、夜美ですら思わず顔を歪めてしまった。
王牙もなんとなくだが、その意味を理解してしまっていた。ゆえに否定を彼女に求めてしまう。
「……おい、冗談だよな。それってつまりは……」
「……ええ。想像通りでしょうね。あいつは浮世全てに満ちる霊素を即座に取り込むことができる。そして使われた霊力はまた霊素に還る。本当に無限なのよ。あいつの霊力は」
「クソッタレがぁ……!」
あまりの絶望的な情報に王牙はそう吐き捨てる他なかった。
そりゃ、霊力消費を気にする必要もないわけだ。
思えばこの異界も、ジェネシス一人が作ったものなのだろう。無限に霊力があるのならそれくらい簡単なはずだ。
相手が一人というのは確定した。だがそれでも王牙たちは、これなら有象無象千人を相手にしたほうが良かったとすら思っていた。
「っ……これでようやくわかったわ。あなたに攻撃が当たらない理由」
「ほう。言ってみろ」
「……信じたくないけど、単純な話よ。あなたは自身の霊力を高密度に圧縮して、それを体に纏っている。それが盾となって私たちの攻撃を防いでいるんだわ」
夜美は自身の知識が導き出した答えを、自分自身で否定したくなった。
ジェネシスがやっていることは再現だけなら王牙でもできることだ。一流の陰陽師なら同じ原理で雑魚妖怪の攻撃くらいは防げるだろう。
しかし、彼が防いだのは終式の術や『王牙会心撃』なのだ。
一流でさえ結界で受け切ることは無理で、トップ層でようやく対応できるレベルの一撃。
それをなんの術も使わず、霊力を纏うだけで防御できる存在など陰陽師院どころか世界のどこを探しても他にいないだろう。第一どれだけの霊力が必要になるのか見当もつかない。
いくら陰陽師といえど、霊力だけではできることは少ない。人間が持つ霊力はそれだけで現実を改変するほどの力を持たないのだ。
だからこそ、術式が必要となる。霊力を火種とするなら、術式は着火剤だ。小さな霊力を術式に通すことで、世界改変を効率化し、ようやく火や結界を発生できるようになる。
要するに霊力を固めただけで攻撃を防ぐなどという行為は非効率すぎるのだ。
だが、このジェネシスは歴代の陰陽師たちの努力を嘲笑うかのように、その非効率性を無限の霊力によって押し通し、どんな術師でも張ることのできない壁を張ることができてしまっていた。
「フッ……正解だ」
まるで生徒の回答を褒める教師のように、ジェネシスが軽い拍手を夜美に送る。あまりにも安い挑発。しかしそれをあしらえるほどの心の余裕が今の彼女にはなかった。
「儀式陣を守っているのもおそらく同じものね。何が結界よ。術式もクソもない、野蛮な力技じゃない!」
「なに、使おうと思えば結界ぐらい簡単に張ることができる。ただそれをする必要がないというだけの話だ。無駄に術式で出力を高めなくとも、私の『無窮障壁』は自在に耐久値を設定できるからな」
それはつまり、彼が纏う『無窮障壁』の防御力はその名の通り無限に高められるというわけだ。貫くには彼の想定外の威力の攻撃を一瞬で叩き込むしかない。しかし三倍にまで身体能力を高めた『王牙会心撃』でさえ傷一つつけられない状況では、それは無理難題であった。
「さて、休憩は終わりだ。そろそろ第二幕を始めようとするか」
ジェネシスが指を弾くと、空に先ほどと同じ白い光球が、今度は数千という数出現していた。暗い夜空に展開されたそれは、まるで星々によって形成された天の川だ。
しかしそれを美しいと思える心の余裕はなかった。
球体が変形を始める。
再び放たれるであろうレーザーの雨霰に王牙たちが身構えた、その時だった。
「――いいや、これで終幕さ」
突如龍魔の足元からマグマの柱が噴き出し、彼を包み込んだ。
「――『地獄柱』。ぐだぐだと御託の長いやつだ。おかげで十分溜めができたよ」
呆然とする王牙たちの隣に、一人の男が降り立つ。
烏帽子に狩衣。眼鏡をかけた、いかにも真面目そうな陰陽師。その男を二人はよく知っている。
「お前は……忠則!」
一週間前、命懸けで戦った陰陽師。
平忠則が、そこにいた。




